8年前の本日、U太が生まれました。
U太、誕生日おめでとう!!!

お前がお母さんのお腹にいる時、
よくしゃっくりをしていたね。

その当時から、
「わりと過敏な子かもしれない」
と、想像したものでした。

2005年9月13日
吉村医院のお産の家で、
お前が出て来てくれました。

これは当日の写真です。
まるで私が産んだみたいでしょ?
そう。まさにそんな気分でした。

1U太アルバム編集20130913

出産の際のブログは、
この時あたりから佳境に入っております。
結構長いですが、ご興味がある方は
どうぞお読みください。

吉村医院のHPで紹介していただいたり、
吉村先生の書籍でも、
写真を掲載していただきましたが、
「何でお父さんが裸なんだ?」と
よく突っ込まれております。

私は、
一生、自分の子を持つ事はないと
諦めていました。

それが幸いにも理恵と出逢い、
子を授かることができました。

それまでも仕事の企画などで
「次世代に向けて」などとよく書いたものですが、
我が子を手にして、本当に心の底から、
「この子の世代のために、
私に何ができるだろうか?」と、
真剣に考えるきっかけをいただきました。

他にも沢山、お前が授けてくれたものはあるけれど、
お前の存在そのものが、
私を成長させてくれています。
ありがとう。

そして、理恵も成長しました。
お前が生まれてすぐの、
お産の家の中での写真です。

2U太アルバム編集20130913

この情景を見て、
「あぁ、一人の母が誕生したなぁ」と
感じたものです。

この写真は、
ある広告代理店の目にとまり、
雑誌に掲載されました。

私の両親も、
孫を抱く事はないと諦めていたようなので、
本当に喜んでいました。

お前はみんなから祝福されて
この世にやってきたのだよ。

☆☆☆
U太は生まれた時から眼光鋭く、
「U太くんに見つめられると、
心の奥まで見られているような気がする」と
よく言われたものです。

3U太アルバム編集20130913

我が子は一番!
我が子は天才!
どんな仕草も愛おしかったです。

4U太アルバム編集20130913

私たちが加子母に移住したのが、
2005年5月ですから、
U太の成長とともに、
【もりのいえ】の成長もあります。

薪ストーブ「ロビタ」も、
共に歩んできたね。

5U太アルバム編集20130913

U太は、生まれた時からお母さん子でした。
よく泣き、お母さんでなければ
泣き止みませんでした。

6U太アルバム編集20130913

U太が幼い頃は、
私が外で働いていたこともあってか、
彼はあまり私にはなつきませんでした。

生まれてからもよくしゃっくりをして、
体重も身長もあまり伸びず、
どちらかというと内向的な様子に、
「果たしてどんな人に育つのだろう?」と
思いにふけったものでした。

7U太アルバム編集20130913

U太が私になつき始めたのは,
2歳半を過ぎたあたりからだったと思います。

乳離れをして、
少しずつ逞しさが出て来たU太。

8U太アルバム編集20130913

畑にもすっぽんぽんで出て来るようになり、
嬉しく感じたものです。

9U太アルバム編集20130913

☆☆☆
やがてKAN太が誕生し、

10U太アルバム編集20130913

FUKUが誕生しました。

11U太アルバム編集20130913

その度にお兄ちゃん度が高まってきたU太。
そして私とのコミュニケーションも
深まってきたように感じています。

2012年1月には、
一緒にタイに行って、
カレン族の村で過ごしたね。

12U太アルバム編集20130913

今年の6月にはインド・ラダックに行きました。
ラクダに乗った時の、
お前の嬉しそうな様子ったら なかった。

13U太アルバム編集20130913

この旅で、お前との距離が本当に近くなったと
感じています。

そしてお前はどんどん成長してきました。
とても自然な笑顔を
見せてくれるようになりました。

14U太アルバム編集20130913

かっこ良くもなってきたね。

15U太アルバム編集20130913

この写真なんて、本当にお兄ちゃんだ。

16U太アルバム編集20130913

最近は家のこともよく手伝ってくれるし、
KAN太やFUKUに
「さぁ、家の中をかたづけるよ〜」なんて
声かえなどもしています。

人ってこうして成長していくんだなぁと、
感慨無量です。

☆☆☆
U太と言えば、絵の才能です。
お前が5歳で、誰にも教わらずに
このような絵を描き出した時には
驚きました。

17U太アルバム編集20130913

理恵は「すごい、すごいと言ってほしくない。
すごいと言われるような絵ばかり
描くようになるから」と言います。

その通りだと思うけれど、
でも本当にすごいからなぁ。
私は今年U太が描いた、
この龍の絵が好きです。

18U太アルバム編集20130913

そういえば、ラダックの占星術師から、
U太は前世に、龍の国にいたと
言われていたね。

鋭い観察力・洞察力と記憶力、
豊かな表現力と創作力、
驚くばかりの集中力、
そして何よりも、
弟と妹思いの優しい心、・・・

そんなお前が、
これからも自在に育んでいけるように、
心から願っています。

U太、よくぞ私たちのところに来てくれました。
ありがとう。
そして、これからもよろしくね。
昨日の事故について、
大勢の方々からあたたかいメッセージをいただき、
ありがとうございました。

おかげさまで、理恵は一命を取り留めました。
昨夜は顔面蒼白で、脈も速かったですが、
今朝は血色も戻り始め、落ち着いています。

皆様の祈りは確かに届きました。
本当にありがとうございました。

私は一晩中、
理恵の傍で【光珠】をしておりました。

その間、まぶたを閉じると、部屋の小さな灯り以外に、
明るい光が何度も映りました。
きっと皆さんの愛の光が届いたのだと思います。

今改めて大破した軽トラの写真を眺めるに、
よくぞ生きて救出されたものだと
心から感謝しています。

20130729理恵事故2

治療してくださった病院長のお話によりますと、
レスキュー隊から「何とかお願いします!」と、
院長自ら出向くように要請があったそうです。

そして、雨が降っていなかったら、
ヘリで搬送すべきような状態だったとも。

下半身の骨を何カ所も折り、肉片もちぎれて、
血がどんどん流れる中で、
レスキュー隊を待っていた理恵の状態を想うに、
本当によくぞ生き延びてくれました。

「今回は本当にまずいと思いました」と、
今朝になって話してくれましたが、
大げさではなかったと思います。

それなのに、
「私は過去(世)に、
他の人に同じ様なことをしたような気がするの。
だから今回、このようなことになったんだろうってね。
だから、事故直後に相手の運転手さんが近寄って来られた時、
私の方が先に『ごめんなさい』って言っちゃった」

「それで相手の運転手さんは怪我をしていなかった?
大丈夫だった?」

痛みに顔を歪めながら、
こんなことを言う妻です。

泣けてきました。

ともかくも一山を越え、
本日、岐阜市内の村上記念病院に転院しました。
しばらくの間はこちらでお世話になると思います。

ただ、これから手術があることと、
今は衣類を着る事もできず、
裸にタオルをかけたままのような状態でもありますので、
しばらくの間は親族だけでそっとしておいてくださると
ありがたいです。

そして、今後の【もりのいえ】の予定ですが、
まずは8月一杯から9月中旬までの、
【もりのいえ】での開催企画については、
全て白紙にさせていただきますよう、お願いします。

既に参加申し込みをしてくださった方には、
個別にご案内させていただきます。

せっかく楽しみにされておられたところ、
誠に申し訳ありませんが、
何とぞご理解くださるよう、お願いします。

なお、9/6-8、宮崎で開催する
「たまびらき合宿」については、
講師のサクラ ケン氏の方で予定通り実施していただきます。

私は参加しないことにしましたが、
受付業務は続けますので、
是非ご参加ください。
まだ数名枠があります。

ともかく、
「生きておればこそ」を改めて実感した今、
しばらくの間は、家族で向き合って生きていきます。

改めまして、沢山の大きな愛の光を送っていただき、
本当に、本当に、ありがとうございました!
本日午後、妻の理恵が一人で軽トラに乗って出かけたところ、
隣の東白川村のカーブで対向車が中央分離帯を越えてきて
正面からぶつかりました。
(相手のドライバーは100%自分が悪いと認めています)

理恵は下半身を挟まれて脱出できず、
レスキュー隊の到着を待ち、ようやく救出されました。
その間、かなりの出血があったそうです。

近くの病院に運ばれ、夕方まで治療が行なわれました。
両足の大腿骨、両足の足首を骨折、
肋骨の一部が折れたことで、肺から少し空気が漏れているそうです。

また多量の出血により赤血球が減少していて、
血圧的には今夜が山場だそうです。

でも彼女は気丈です。
顔面蒼白ですが、幸いに意識はあり、片言の会話はできます。

私は今夜、彼女に付き添い、
愛する妻をあらん可能な限りの光で包みます。

無事、今夜の山場を越えられれば、
近日中に岐阜市内の病院に移り、手術することになりそうです。

今後の【もりのいえ】の予定についても未定です。
今はただ妻と子どもたちのことを優先したいので、
その点どうかご理解くださるよう、お願いします。

20130729理恵事故
昨日はスケジュール満載の一日でした。
かみさんは早朝から準備して、出店へ。

一方、私は子どもたちと出かけました。
とっても久しぶりに、
恵那じいちゃんとばあちゃんに
逢う日だったのです。

私の母が脳梗塞を発症したのが
昨年春のことでした。

数ヶ月の入院後、今は自宅で過ごしながら、
時折リハビリに出かける日々です。

母が入院した当時は、
父の話し相手になる目的もあり、
週に一度程度、親宅に泊まったものでした。

ところが母が退院してからは、
むしろ私がいると気を使うようなので、
あまりひんぱんには泊まらないようにしてきました。

それでもやはり
「孫の顔を見たい」と考えるのは当然のことですので、
今回、久しぶりに顔を合わせました。

そして、家に泊まるのではなく、
恵那峡のホテルに宿泊することになりました。

昨日の昼食はスパゲティ屋さんで、
ウィンナーと目玉焼き付きの大盛りパスタ!

昼食後は、それぞれスイミング用のバッグを買ってもらい、
スイカもゲット!

そして、お楽しみの恵那峡へ!
遊覧船におばあちゃんと乗るのが、
今回の大きな目的でした。

この頃になると、
最初人見知りしていたFUKUが全開モードに!
ばあちゃんの肩に手をかけて立ち上がり、
川面や川岸の岩を見て大騒ぎ。
ばあちゃんもとても嬉しそうでした。
20130723恵那峡

遊覧船の後にホテルにチェックインし、
温泉に入って一休み。

私たちの部屋で、
「宇宙戦艦ヤマト」劇場版を観ました。
この時間帯は、じいちゃんばあちゃんも一休み。

そして夕食がバイキング!
イベントから戻ったかみさんも合流して、
もう食べたい放題好き放題。

FUKUはライチの美味しさにはまったようでした。
10個くらい食べたかな。
20130723ライチ食べるFUKU

夕食の後はカラオケへ!
上機嫌のばあちゃんは、3曲歌いました。

脳梗塞になったとは思えない姿に、
とても嬉しくなりました。

島唄を私と共に歌いながら、
こういう時を持てることに、
喜びをかみしめていました。

子どもたちはもちろん大満足!
夏の素敵な思い出ができました。
2013.06.04 真夜中の旅路
昨夜、私とかみさんがデスクワークをしていたら、
FUKUが起き出してきました。

その格好を見て、二人で吹き出しました。
KAN太の保育園バッグを背負って、
帽子をかぶり、手提げバッグも持って、
いかにも今から出かけようといういでたちなのです。

でも目はほとんどつぶったまま。
つまり、寝ぼけたまま、旅立ちの準備をして、
真夜中に登場したのでありました。

「よ〜し。では共に旅立とう!」と声を掛け、
一緒に布団に戻りました。

布団をかぶり、速攻寝入ったFUKU。
かわいいね。
FUKU真夜中の旅支度