思えば一年前 |
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2005-08-20 Sat 15:49
今朝の山入りは車で少し遠出をしたところ、
ふいに懐かしい場所に出くわしました。 話は一年と少しさかのぼります。 私たちは3ヶ月のハネムーンを終え、 (詳細は「もりのいえHP→あしあと→オセアニア日記」をご覧下さい) これからの二人の望むライフスタイルをまとめ、 (またまた詳細は「もりのいえHP→夢→ビジョンをどうぞ」) 夢を実現できる場所を探し求めていました。 もともと私一人の時から、自分なりの思う暮らしを実現できそうな場所として 丹波篠山を選び、いわゆる古民家を一年半前からずっと探していたのですが、 なかなか見つかりませんでした。 地元で私の生き方をおもしろいと思ってくれた人々も、 それは一生懸命探してくれたのですが、縁がなく、 結婚後もやむなく住宅街の普通の家で仮住まいをしながら、 引き続き本拠地を探していました。そこで、ある時から 「丹波に場所を限っていてもらちがあかない。候補地をもっと広げよう。」 と方針を変え、北陸から中国四国地方までの間で探すことにしました。 そして昨年の5月、二人にとって第二の故郷ともいえる八ヶ岳&穂高に向かう途中、 「そう言えば、岐阜の加子母村というところに以前暮らしていた友人が、 とてもいいところだったって言ってた」と妻がふいに思い出しました。 その友人トモコさん、「何とか親善大使」という役目でその村に2年ほど滞在し、 村の活性化のお手伝いをしていたとか。 早速車中からトモコさんと連絡を取り、 「加子母に行ったらカズニさんという人を頼ったらいいよ。連絡しておくから。」 という手はずになり、信州からの帰りに立ち寄ることにしました。 さて約束の村役場に着くと、カズニさん登場。 挨拶もそこそこに早速車でついてこいと言います。 最初に着いたところが小学校!なんでだろうと思ったけれど、 ドーナツ型に組まれた木造新築校舎に感心。 その後、何カ所かどんどん連れていってくれます。 歌舞伎場「明治座」、製材所、花市場・・・ 何だか分かんないけど、ともかく村を案内してくれているみたい。 そして最後に地元の名士・N工務店のN社長のご自宅に連れられました。 ひとしきり自己紹介と私たちの夢を話しているうちに、カズニさんが、 「今日は私の別荘に泊まりなさい。そして、あんたたちは山菜料理が得意ならば、 今晩わしらに食わせておくれ。」とおっしゃいました。 私はそれを聞いて、「いわばテストみたいだな。」と感じました。 ならばやって見せましょうと、二人で食材を集めてまわります。 この時期、山菜は終わっていたので、ほとんどが山野草といったものですが、 それでも20種類くらい採取できました。 カズニさんの別荘(ログハウス!)にお邪魔して、あり合わせの調理具で調理。 天ぷらやお浸しなど、数品が何とかできました。 さて夕食の時間、カズニさん夫婦、N社長夫婦始め、7〜8名集まりました。 皆さんの第一声が「こんなものが食えるのか?」といったものでした。 今まで雑草だと無視していたものがテーブルに並び、 「食べられる」ことに驚かれた様子。 味はお世辞もあるでしょうが、「うまい」と言ってくれました。 そして、「これならば食材は村中にあるから心配ない。」 「こんな料理を出す店ができたら有名になるぞ。」、そして、 「あんたたちみたいな人たちにこの村に是非来てほしい。」 ということになりました。 そしてその場で「どこか二人が住める家はないか。」と議論が始まり、 「そうだ、いい場所がある。明日連れていってやる。」と話が進みました。 N社長「そのかわり、明日の午前中はちょっと付き合ってくれ。」とのこと。 カナダから芸術家グループが加子母村を訪れており、 明日は彼らと地元住民で登山ハイキングをして、 ゴール地点で山菜天ぷらを食べる交流会があるので、 一緒に参加しろというのです。 喜んで参加し、カナダの参加者とも楽しく過ごし、 「午後にはどんな家に案内されるんだろう。」とワクワクしながら上った林道。 今朝、その林道に出くわしたというわけです。 さてハイキングの後に案内された家、それが今の私たちの家です。 一目で気に入り、N社長ほか皆さんが地主を説得してくださり、 格安の条件で購入できるようになりました。(土地は借地) 篠山で二年かけても見つからなかった家が、たった一晩で見つかったわけです。 そして思えば一年前、夢はしっかりと持っていましたが、 「現実にどういう暮らしになるんだろうね。」と話し合っていた私たちですが、 今は既にその暮らしが始まり、 多くの皆さんに支えられてここまで来たものだなぁ、 としみじみした朝でした。 |
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| もりのいえ 山暮らし日記 |
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