2005.08.20 思えば一年前
今朝の山入りは車で少し遠出をしたところ、
ふいに懐かしい場所に出くわしました。
話は一年と少しさかのぼります。
私たちは3ヶ月のハネムーンを終え、
(詳細は「もりのいえHP→あしあと→オセアニア日記」をご覧下さい)
これからの二人の望むライフスタイルをまとめ、
(またまた詳細は「もりのいえHP→夢→ビジョンをどうぞ」)
夢を実現できる場所を探し求めていました。

もともと私一人の時から、自分なりの思う暮らしを実現できそうな場所として
丹波篠山を選び、いわゆる古民家を一年半前からずっと探していたのですが、
なかなか見つかりませんでした。
地元で私の生き方をおもしろいと思ってくれた人々も、
それは一生懸命探してくれたのですが、縁がなく、
結婚後もやむなく住宅街の普通の家で仮住まいをしながら、
引き続き本拠地を探していました。そこで、ある時から
「丹波に場所を限っていてもらちがあかない。候補地をもっと広げよう。」
と方針を変え、北陸から中国四国地方までの間で探すことにしました。

そして昨年の5月、二人にとって第二の故郷ともいえる八ヶ岳&穂高に向かう途中、
「そう言えば、岐阜の加子母村というところに以前暮らしていた友人が、
とてもいいところだったって言ってた」と妻がふいに思い出しました。
その友人トモコさん、「何とか親善大使」という役目でその村に2年ほど滞在し、
村の活性化のお手伝いをしていたとか。
早速車中からトモコさんと連絡を取り、
「加子母に行ったらカズニさんという人を頼ったらいいよ。連絡しておくから。」
という手はずになり、信州からの帰りに立ち寄ることにしました。

さて約束の村役場に着くと、カズニさん登場。
挨拶もそこそこに早速車でついてこいと言います。
最初に着いたところが小学校!なんでだろうと思ったけれど、
ドーナツ型に組まれた木造新築校舎に感心。
その後、何カ所かどんどん連れていってくれます。
歌舞伎場「明治座」、製材所、花市場・・・
何だか分かんないけど、ともかく村を案内してくれているみたい。
そして最後に地元の名士・N工務店のN社長のご自宅に連れられました。
ひとしきり自己紹介と私たちの夢を話しているうちに、カズニさんが、
「今日は私の別荘に泊まりなさい。そして、あんたたちは山菜料理が得意ならば、
今晩わしらに食わせておくれ。」とおっしゃいました。
私はそれを聞いて、「いわばテストみたいだな。」と感じました。

ならばやって見せましょうと、二人で食材を集めてまわります。
この時期、山菜は終わっていたので、ほとんどが山野草といったものですが、
それでも20種類くらい採取できました。
カズニさんの別荘(ログハウス!)にお邪魔して、あり合わせの調理具で調理。
天ぷらやお浸しなど、数品が何とかできました。
さて夕食の時間、カズニさん夫婦、N社長夫婦始め、7~8名集まりました。
皆さんの第一声が「こんなものが食えるのか?」といったものでした。
今まで雑草だと無視していたものがテーブルに並び、
「食べられる」ことに驚かれた様子。
味はお世辞もあるでしょうが、「うまい」と言ってくれました。
そして、「これならば食材は村中にあるから心配ない。」
「こんな料理を出す店ができたら有名になるぞ。」、そして、
「あんたたちみたいな人たちにこの村に是非来てほしい。」
ということになりました。

そしてその場で「どこか二人が住める家はないか。」と議論が始まり、
「そうだ、いい場所がある。明日連れていってやる。」と話が進みました。
N社長「そのかわり、明日の午前中はちょっと付き合ってくれ。」とのこと。
カナダから芸術家グループが加子母村を訪れており、
明日は彼らと地元住民で登山ハイキングをして、
ゴール地点で山菜天ぷらを食べる交流会があるので、
一緒に参加しろというのです。
喜んで参加し、カナダの参加者とも楽しく過ごし、
「午後にはどんな家に案内されるんだろう。」とワクワクしながら上った林道。
今朝、その林道に出くわしたというわけです。

さてハイキングの後に案内された家、それが今の私たちの家です。
一目で気に入り、N社長ほか皆さんが地主を説得してくださり、
格安の条件で購入できるようになりました。(土地は借地)
篠山で二年かけても見つからなかった家が、たった一晩で見つかったわけです。
そして思えば一年前、夢はしっかりと持っていましたが、
「現実にどういう暮らしになるんだろうね。」と話し合っていた私たちですが、
今は既にその暮らしが始まり、
多くの皆さんに支えられてここまで来たものだなぁ、
としみじみした朝でした。