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加子母に越して間もなくの頃、お隣のタケオさんから
この地域の祭りについていろいろ聞かされていました。
「こんな小さな村だけど、祭の時は結構遠くからも見にくるんだぞ。
 各地区持ち回りで、来年はわしらの地区が担当だ。
 あんたは是非、笛の役をやるといい。」
その頃から漠然と「そうか、来年は笛を吹くのか」
とイメージしていました。

で、先日、今年の祭の時に下見に行ったところ、
確かに笛の奏者が何人かいて、鉾の中で演奏してます。
結構長い間吹いていました。節回しも複雑そう。
しかも楽譜がないときてる。あっても読めんけど。
タケオさんは7月頃から練習するとか言ってたけど、
初めて横笛吹く身としてはもっと早目から練習始めたい。

たまたま今、我が家の畳替えの件で来てもらっている、
N工務店の建築士さんに相談したところ、
「実は私も笛吹きなんですよ。」とのこと。
「じゃぁ、是非教えてください。」とお願いしたら断られました。
まず、まだ教えるほどではないと謙遜されました。
また、地区によって節回しが違うので、
自分の地区の人から学ぶしかないらしい。
「私も2年前から毎週、地区の師匠について練習したんですよ。」
そんな話を聞いたからにゃ、ますます早く始めなきゃ。

今朝、この地区で一番の吹き手だというイチエさん宅を訪ねました。
イチエさん、拭き手が増えたと喜び、ご自身の笛を貸してくれました。
それを持って早速試しますが、
全くの予想通り、うんともすんともいわない。
20分ほどしてようやく一音だけ鳴ったところで今日は終了。
こりゃ道のりは遠いぞ。
でも今から始めればきっとましにはなるはず。これから日課にしよう。
夕闇に包まれる頃、縁台で浴衣か作務衣着て、
横笛ピーヒョロロしたらええんとちゃいます?
いったいいつにそうなるのやらですが、ともかくがんばります。

でもちょっと気になったのが、別れ際のイチエさんの一言。
「正月の獅子舞にもやるんだよ。そいつに出ればええ。」
ちょっと待った!正月なんて全然間に合わないよ。
ともかくその話は聞かなかったことにして、
なが~い目で見て育てていただければと思います。
笛吹童子ならぬ、笛吹老子への長い道の第一歩です。
「胡蝶の夢」という故事がありますが、
私は時々現実と夢との境が見分けられなくなる時があります。
というのも、私の夢、とってもリアルなんです。
もちろんフルカラー。五感で夢見てます。
時々「あぁこれは夢なんだな」と違いを感じるのは、
空を飛んでいる時と、いくら前に進もうとしても足が出ない時です。
大抵そういう時はうつぶせで寝てます。

夢と現実の境が見分けられなくなって一番困ること、
それはおしっこです。
幸い今まで大過なくやり過ごしてきましたが、
それにはコツがありました。
小便中に自分のほっぺを張り倒すのです。

ベロンベロンに酔ってなくても、小便を足そうとする時に、
「ちょっと待てよ、もしかしてこれは夢か現実か?」と自分を疑い、
思いっきり頬をはたきます。
そして、「よしよし痛かったぞ。」と安心して用を足すのです。
ところがこのテク、だんだん効かなくなってきました。
夢の中でも自分のほっぺを張り倒し始め、しかも痛いのです。
何でこんなネタを書き出したかと言うと、昨夜もあったのです。

夢の中でもよおし、出す前に「ちょっと待てよ」と警戒し、
思いっきり頬をはたくととても痛い。
そこで安心して用を足しました。
でも何か変だぞ。いつまでも出てる。
こりゃやばいと思った時に現実の世界へ。
思わず股間に伸びる手。ああ良かった、無事だった。
きっと昨夜寝る前に珍しく水割りを二杯飲んだからだな。

何にしても昨夜は無事で良かったですが、
こんなことしていていったい私は大丈夫だろうか?
年老いたら本当におねしょするんだろうか?
そして介護者なんかに「はいお爺ちゃん、オムツ替えましょうね。」
なんて言われる様になるんだろうか?
目の前の悠太のオムツ替えを見ていて
他人事とは思えなくなってきました。
そんな現実、ず~っつと先のことと信じたいけど、
それならばいっそ夢の世界にシフトして、
自由に放尿してケタケタ笑って過ごしたいものだと考えたりもします。
大阪の実家に光通信が通りました。
おかげでうちよりも快適な環境が整いました。
それにしてもここまでの道のりは遠かった。
簡単に振り返ります。

7/上旬 「わしらもこの機会にパソコンやってみようか」と両親話す。
7/6   ヨドバシカメラで私がパソコン購入&ADSL申込み。
その後、ビッグローブから会員証が届くはずが、いつまでも届かず。
7/21  会員証が再発行され、ようやく正式申請済ます。
8/5   NTTのADSL回線工事終了
8/8   インターネットの無料設定サービス業者訪問するも、
    わずか0.2Mの速さのため、設定不可に。モデムに問題か?
8/10  新しいモデムが到着し、改めて業者が挑戦するも駄目。
    業者ギブアップ。解約手続きへ。
8/下旬 NTTが光通信のキャンペーン開始。j:comも売込みに来る。
9/3   NTT光通信申込み。工事は10月末と知らされる。
9/中旬 NTTから、9月中に工事可能と電話。
9/28  午前中NTT光工事、午後インターネット設定業者訪問。
    夕方大阪ガス光通信用アダプター設置工事

これらの作業を経てようやく今日、つながったわけです。
ここに至るまでの経緯もいろいろあったけど、
今日一番驚いたこと、それは機器の多さです。
下の写真見てくださいよ。
光通信を入れてインターネット使えるようにして、
光電話使えて、大阪ガスのセキュリティ可能にするのに、
なんと5台の装置がいるんですよ。

こんなの聞いてなかったぞ!
フィギュアじゃないんだから、モデム系並べてどうすんの。
結局この撮影のあと、無線LANルーター以外は下の方に隠しました。
でももうちょっと体裁よくできるんじゃないかな。
ここに至るまでの様々なイライラ事はもういいから書かないけれど、
つくづく「買ったその日から快適インターネット」は
大嘘つきだと実感。
ただ、いざつながると操作は快適です。
早いのなんの。大助かりです。

でも心配事が一つ。
今は動いているからいいけど、いざ具合が悪くなったら、
5台のどこからチェックすればいいの?
それを考えると頭がくらくらしてきます。
もうちょっと楽な世界がやってきませんかねぇ。

見よ、このものものしさ。
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私がいかにコンピューターと相性が悪いか。
実は、私がパソコンに触れた瞬間に動かなくなるのです。
本当ですよ。
例えばある人のパソコンをその直前まで本人が使っていたのに、
私が貸してもらったその瞬間にフリーズするのです。
その話を婚約時代のカミさんに話したところ、
「嘘でしょ」と一言のもとに切り捨てられましたが、
今では信じてくれます。

突然パソコンが動かなくなる。
ネットがつながらない。
メールが届かない。(実は今、この状態です)
最近あった本当の話では、カミさんが目の前で使っていたXP、
私が使い出した途端に画面が消えました。
やむなく修理に出したら、修理代金13万円ですと!
新品に買い替えまして、今使ってますが、それも実は調子悪い。

2年前にXPノートパソコン買った時も、
家に帰って即壊れ、買ったヨドバシカメラに文句言って、
同じ機種に差し替えてもらったものの、持ち帰るとやっぱり動かず、
ヨドバシカメラ側から「返金して、なかったことにしてください。」
と頼まれました。結局パソコン買えず。

最近、大阪の実家でパソコン入れることになった時も、
何故か回線がつながらない。
セッティングに来てくれた業者も「こんなん初めてです。」と絶句。
やむなく解約。今回光通信でトライしますが、どうなるか。

こんな経験を親父に話すと、
「それはお前にオーロラが出てるんとちゃうか?」とのこと。
「親父、それを言うならオーラやろ!」
ちゃんとボケてくれるのが大阪人です。

それはそうと、本当にいまだに困っております。
しかも困っている内容が重なってきました。
・マカフィーのメールチェックソフトをダウンロードした途端に、
 どのメールもうけつけなくなった。(XP)
・ルーターでXPとMACに分けていますが、
 同時にインターネットが使えない。
・MACで、複数のアカウントが使用できない。
・OFICE MACを購入したのに、「一ヶ月の試用期間が過ぎました」と
 アラームが出る。
これ以前にも本当にいろいとトラブルが続いております。
一体どうなってんの?
本当に私の身体からオーロラが出ているのか!?
いっぺん見てみたいぞ! 
とこの件に関しては少々いらついております。

やっぱり親バカ?
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快適に田舎暮らしを満喫している日々ですが、
唯一うまくいっていないことがあります。
それはパソコン環境です。

デジタルな話をする前に、とってもアナログな話を。
私、コンピューターとの付き合いはとっても長いです。
1981年に初めてパソコンを買いました。
シャープのMZシリーズとかいうやつ。
今の人に説明しても理解できないかもしれませんが、
記憶媒体がカセットテープでした。
CD-ROMより、MDより、フロッピーディスクよりずっと前の話です。
想像できるかなぁ、パソコンのモニター(もちろんモノクロ)と
キーボードが一体化していて、その脇に、英会話に使えそうな
カセットテープレコーダーがくっついているんです。

当時のプログラム(言語)はBASICと呼ばれるもの。
何を始めるにしてもプログラムを組まねばなりません。
しかもこのコンピューター、「クリーンコンピューター」というのを
売りにしていまして、要するに元々は頭空っぽのPCです。
そいつに毎回プログラムを入れながら使うのです。
その入れ方も、カセットテープを入れて、PLAYボタンを押すと
テープが回ってプログラムが読み込まれるというもの。
作業が終了すると、今度はRECボタンを押して記憶しました。
理解できました?

大学ではバッチシステムというのを使ってました。
これも今の人には説明困難だけど、
共通一次試験の時に使った解答用紙って言えば分かるのかなぁ?
あのね、ロト6みたいな用紙に一つ一つプログラムやデータを入れて、
入れてっていうのは、穴を開けて、
それを大型コンピューターに読み込ませて解析するんです。
細かいことは抜きにして、
私が大学のコンピューター室に出入りする時の格好ときたら、
まるで大工みたいにプログラムやデータの用紙がぎっしり詰まった
バッチと呼ばれる用紙の束を肩に担いでいったものです。
一つの解析をするのに、高さ10cm×幅20cmのカードを
約50~60cmの分厚さまで準備して持参して、
コンピューターにバリバリと(本当にこんな音がした)読み込ませて、
解析中はボケーッと待っていたという、
今から思えば何と時代遅れなことをしておりました。

でね、そんな長い付き合いをしていながら、
では私がコンピューターに詳しいかというと、さにあらず、
まるで相性が合わないのです。
この続きは次に。

まだいる、トイレカエル(本文とは関係ありません)
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2005.09.26 委嘱状?
昨夜は班の常会がありました。
例によって念仏から始まります。
その後、粛々と議題が進み、体育祭の項目に。
この行事、以前からみんな気乗り薄でして、
班長も「みなさん出なくてもいいですから。」と言ってたので、
私も頭からはずしていました。
それが、今日の話っぷりでは様子が違います。
「皆が出る必要はありませんが、一部お願いしたい人がいます。」
と言いながら渡されたのが、次の内容。

委嘱状
masan様
あなたを、10月16日に行われる体育祭の
「かけてかけっこ」「ドーナツ島」の地区代表選手として委嘱します。
平成17年9月24日
区長 ○○△△ 区長の印

何これ?
種目まで指定して、しかも区長の朱の角印まで押してある。
「『かけてかけっこ』って何ですか?」
班長が全身身振り手振りで教えてくれます。
「あのね、指揮者が紅白の旗を上げてね、例えば紅なら時計回りとかで走るの。
 それでね、どっちの旗を上げるかを賭けて先回りして走りだすんだけど、
 間違ってたら反対方向に余分に走んなきゃいけないんです。」
分かるような分からんような。
「この種目はね、保育園の運動会でやったら好評だったんで入っただけだから、
 そんなに気にしなくてもいいですよ。」
私は保育園児か?

「それで、『ドーナツ島』って?」
「ああ、それは一つのタイヤにどれだけ多くの人が乗れるかを競うんです。
 この種目はね、一発勝負じゃ厳しいから、練習しなきゃね。」
「練習?」
確かに委嘱状の欄外に、「10月8日、12日に、ドーナツ島の練習をします」
と書いてある。
練習するの? 二回も? 嘘でしょ。
「毎年うちの地区は最下位なんだけど、
 去年はこのドーナツ島で優勝したおかげで、
 10地区中総合5位に入ったんだよね。27人も乗ったんですよ!
 だから今年も期待かかってます。」

結構体育祭にリキ入ってるんじゃない!
最初に「出なくてもいい」って言ってたやないの。
私、こういう運動系は苦手です。
山の中ならどんな藪でもガンガンに入っていけるんだけどな。
でもうじうじ言ってもしかたない、区長の印付き委嘱状もらったもんな。
新しい出会いがあるかもしれんし・・・とか無理に納得しながら、
いまだにまじまじと委嘱状をながめております。
今日は見事な秋晴れ。
こういう日は身体がよく動きます。
悠太のおしめ洗いもコツをつかんできて手早く済ませ、
今日のメインは障子の修繕です。
この作業、晩秋あたりにしようと考えていました。
というのも、ちょっと大掛かりな作業になるからです。

我が家は少なくとも百歳、
ひょっとすると江戸時代からかという古い民家です。
その間にいろんな家族構成の変化があったんでしょうね。
私達が最初に見た時、ものすごく多くの障子や戸板やガラス戸で
小部屋に仕切られていました。
この家にいったい何枚の仕切り類があったと思います?

その数、69枚!

窓や押入れの襖は含めていません。
69枚もの障子・戸板・ガラス戸で家が区切られていたのです。

そのあまりのこまごまさが嫌で、
しかも硬くて動かなかったり、逆にゆるゆるで倒れてきたりしたので、
移り住んだ時、ほとんどの障子や戸板やガラス戸をはずして
一部屋にまとめておきました。
相当痛んでいるものが多く、
いちいち障子換えをせねばならないので、後作業にしていたのです。
それが少し事情が変わりました。

先日お義母さんが手伝いに来てくれた際、
私達が勧めた十畳の居間は落ち着かないからと、
奥の四畳半の部屋に落ち着かれました。
ただし、その部屋には障子がありません。
それでもいいと言ってましたが、
やっぱり玄関から丸見えなのは落ちつかないらしく、
何か仕切りがある方がいいみたい。
次回こちらに来てもらうのは明日。
だからその前に準備する必要がありました。

ところがこの障子、結構やっかいものでした。
まず、たくさんあるうちのどれがこの部屋のものかを探すのに一苦労。
ほとんど神経衰弱ですな。
次に、床抜け部屋を改修した際、全体的にジャッキアップしたので、
その影響で今のままだとはまらない。
しかも障子紙はボロボロ、桟もほこりにまみれています。

つべこべ言っても始まらないのでとにかく古い障子紙をはがします。
一体何年前のだろう、重なり合ってて取りにくい取りにくい。
やっとこさはがして洗って干して、次はカンナがけ。
カンナを扱う時は楽しいですね。大工気分です。
結構削って何度もはめ試してようやくサイズが合い、
最後に障子張りです。無事完了。
予想通り、意外に時間のかかる仕事でした。
お陰で、いつかやろうとしていた事が一つ完了。
でも残りの障子類、全部は修繕しないとしても、
かなりのエネルギーがいりそうです。
田舎の家はあなどれないです。
今日の前半は「何だかなぁ~」という感じでした。
朝一番、悠太のオムツの洗濯です。
うちは紙オムツは一切使わず、
布製のものを洗濯して使いまわす方針でスタートしました。
それはいいんですが、その洗濯に結構手間取っています。
まず外の洗い場でひどい汚れを洗い落とし、
その後、「ただのバケツじゃありま洗」とかいう、
バケツタイプの洗濯機で一度粗い。
その後、ようやく洗濯機で洗うのですが、そこで問題が。

うちの洗濯機、この家にもともとある新しいタイプなのですが、
洗う力がとても弱い。
最近の洗濯機ってこんなに弱いんですか?
何か洗濯物が揺れているだけなんですけど。
これではとても汚れが取れないので、
新しいのに買い換えることにしました。

そこで、他にもいろいろ買いたいものリストを持って出発。
でも今日の買い物、結構難易度が高い。
まず洗濯機、カミさんの要望は「二槽式で容量が多く安いもの」
一槽式でも力があって安ければ良しとのこと。
次に、行灯。悠太と過ごすのに、蛍光灯では明る過ぎるとのことで、
行灯タイプ、それも調光できるのがいいらしい。
それと、天然の除虫菊を使った蚊取り線香。
その他、食事の買出しの他、細かい買い物もあり。

それにしても洗濯機、高いですね~。驚きました。
全自動なんて軒並み10万円以上。
ドラム式なんて20万円クラスじゃない。ホントに買う人いるの?
これはとてもうちの会計では持ちません。
何軒か廻って、ギブアップ。
カミさんがネット通販で見つけた、7kgタイプ25,000円に決。

行灯は売ってませんでした。田舎のショップじゃ無理かなぁ。
何軒か廻って決心。「よっしゃ、作ったろうやないか!」
イメージを深めてパーツを購入。

一番てこずったのが蚊取り線香。天然ものなんてないよ~。
4軒巡ってようやく購入。
この日、結局10軒ほど廻りました。夕方帰宅でもうヘトヘト。

それでも帰宅後、気合入れて薪風呂炊きと悠太の風呂入れ、
夕食(おでんだ!)の支度と新しい洗濯物干し棒の取り付けをして、
さぁ行灯作りです。
もともとこの家にあった、農機具か生活用具のような木組みに
障子紙を張って、照明具を取り付け、30分で完成。
いざ灯りを点けると、結構これがいけるじゃない。
カミさん呼んで見せつけます。

「いい、いい! 売ってるものみたい!」と歓声。よしよし。
実際ね、こんなに簡単にいいものできるとは思ってなかったです。
これまでの疲れも吹き飛び、一気に良い気分。
おでんを肴に、酒が美味かったです。
一日に一個でも達成感があるとホント気分いいですね。
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ちなみに奥のタンス、家の外にほおってあったのですが、
拭き掃除をしてみると、明治37年製とかで、
何と私と同じ姓の大工の銘が入っておりました。
これもご縁ですね。
今日は、地元加子母の水無(すいむ)神社の秋の大祭がありました。
この祭り、加子母の地区持ち回りで行っているようでして、
来年は私の住む地区が担当することになってます。
以前、お隣のタケオさんから、
「来年は是非あんたは笛の役をやったらいい。」と誘われていたので、
だったら予習をしておかなきゃと思い、
ビデオカメラ持参で見学に行きました。

実はこの祭り、何の祭りか知りません。
今日新聞の折込に入った告知によると、
331年前に始まった祭りで、獅子舞とまつりばやしは市の文化財とか。
以下、何も知らない私が見た光景をつづります。

昼ごろに行くと、神社の下方に山車が二台ありました。
それぞれ担当地域があるらしく、
「上区若衆」「中下若衆」の法被を着た人たちに分かれています。
私は来年どっちの法被を着ることになるのか、それもわからん。
行った時には、中下の山車で笛と太鼓の演奏がかかってました。

その演奏が終わり、しばらくするとアナウンス、
「餅まき3分前です。」
これはもしかしてと思い、人だかりの方へ。
案の定、くじ入り餅まきでした。
こんな時はこの村になんでこんなに女子供がおるんじゃいと、
感心します。皆、むさぼるように餅拾いです。
私も撮影の合間、目の前に落ちた餅を拾います。
10個ほど拾った中に6等が二つありました。ティッシュと交換。

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少し間をおいて、再び場の雰囲気が盛り上がってきました。
ある場所では若者が円陣を組んでトキを挙げております。
一方、山車の方を見ると、二階建ての山車の二階部分で、
人形が踊っております。
しばらくすると、人形の巫女が現れ、踊りだしました。
こういうのを来年うちらの組がやるんだな。
山車の一階では、独特の節回しで、笛を太鼓の演奏が続いてます。
この笛を私にやれと言うんだな。

さて、山車の前に二本の綱が出て参りました。
その綱の一本には主に今年数え25歳になった若者たちが並びます。
見た感じ十代なんだけど、ま、いいか。
一方の綱には、主に数え42歳、61歳の壮年組が並んでいます。
この祭り、別名「けんか祭り」と呼ばれていますが、
始まるまで何のことやらさっぱり分かりませんでした。

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さて、彼らは待ち時間の間、一升瓶を回され、皆真っ赤です。
いざ綱を引けという段になって、
最初は二本の綱を真っ直ぐに引きますが、
数メートルもいかないうちにお互いの綱引きを邪魔しにかかります。
片方がもう一方の綱を抱え込むようにしたり、
山車を巻くように綱を引いたりして、なかなか前に進ませません。
その度にだれかころび、血を流しながら大騒ぎしております。

最初のうちは若者組の威勢が良かったのですが、
壮年組の方が戦術に長け、だんだん押されております。
山車に乗る旦那衆も「こら、お前ら巻かれとるぞ!」と発破かけます。
若者達は再び酒を飲まされ、
ヘロヘロになりながら綱を引いておりました。
その姿を年寄り達がにこやかに眺めております。
もう周りの酒臭いこと。
いつ終わるか分からないので、私は途中で帰りました。

それにしても加子母の祭りは変わっています。
夏にも「なめくじ祭り」というのがありました。
他のHP紹介によると、
「これは加子母村小郷の加子母大杉地蔵尊で、
 文覚(もんがく)上人の墓碑にはい上がるナメクジを
 参拝するという奇祭。
 サンゴの産卵と同じように、ナメクジはこの旧暦の7月9日、
 一年に一度この日にしか姿をあらわさず、
 夜明けとともに姿を消すというのだ。」
という祭りです。

9月上旬には、明治座という歌舞伎座にて、
地元演者による歌舞伎公演がありました。
どちらもすごい人だかり。
いまだに日本の田舎で、こういう伝統が続いているんですね。
ちっちゃな村でいろいろやっていることに感心感心。

でも、来年、水無神社の祭り、私らがやるんだよね。
タケオさん曰く、
「笛の連中は7月から二日に一度は練習しとるぞ。」とのこと。
これは相当エネルギーがいりそうです。
だいたい私、笛は小学校の時にデコーダーをピロピロしてただけです。
しかも今日見てたら、いろんな節回しで、ずっとやってるじゃない。
息が持つかなぁ。
早速横笛買って練習しようかと思案し始めたところです。
2005.09.22 気がつけば秋
柿とゴン
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出産のためしばらくうちを空け、久しぶりに戻ると、
たった一週間なのに随分変わっていることがあります。
その一つは、柿が色づいてきたこと。
特に、ゴンをつないでいるところの柿は、
ゴンの糞尿のおかげか、色づくのが早いです。
食べてみると少々渋みがありますが、結構いける。
途中まで食べて残りをゴンにあげると喜んで飛びつきます。
これでまた柿の種のウンコをするんだな。
柿が完熟するのを待っていると収穫の時期を逃してしまうので、
早めに40~50個採りました。

あと、トマトがすごくなっていました。
特にプチトマト、こいつら何も考えてないのかというくらい、
わんわんとなります。
周囲の稲もたわわになり、ここ数日でどこも稲刈りをしてました。
気がつくと秋です。
今日、仕事帰りに中津川名産の栗きんとんを買って帰りました。
お気に入りの「すや」のもの。ここの和菓子はどれも美味しいです。
少々値がはるけど、栗きんとんはこの季節しかないから納得。

今朝、Things to Do(やることリスト)を久しぶりに新調しました。
今まで結構いろいろこなしたつもりですが、
いまだにやることが一杯あります。
ここでも季節感が出てきて、
薪づくり、薪ストーブの設置など、冬支度がそろそろ必要です。

ここ数日はお義母さんがきてくれてたので、随分助かりました。
台所の勝手や食材の違い(穀物と野菜中心、油ほとんど無し等)に
最初は戸惑いがあったようですが、次第に慣れてきてくれた様子。
風呂用の薪割りなど、昔とった杵柄でとても上手だったとのこと。
こちらに来る度に家の改修が進んでいるのも楽しんでくれています。
三人でいると、私がしゃべらなくても家の中で会話があって、
賑やかさがあっていいですね。

悠太は元気は元気なのですが、
あんまりまとまって寝てくれないので、カミさんが少々疲れ気味。
泣き方が最初はとてもかわいく、
「いや~ん、いや~ん」と聞こえていましたが、
今日などは「ウギャッ、ウギャッ」というのも混じってました。
少し成長(?)したか?

どれもこれも小さなトピックスだけど、
わずかな暮らしの変化が心地良いものです。
2005.09.20 待望の通知書
今日、(財)日本規格協会から郵便物が届きました。
少々ドキドキしながら開封します。
文面は、
「貴方より申請のありました審査員の登録について、
 本センターの審査員評価登録判定委員会で認められましたので
 ここに通知致します。」
ヤッターッ!やっと登録許可が下りた!

これは、ISO9000シリーズと呼ばれる、
品質管理に関する審査員制度の中での登録許可の通知だったのです。
私はこの春にその研修と試験を受け、合格はしたものの、
いざ登録申請をしようとしたら、
「貴方の経歴からは、品質管理に関する実績が読み取れない」
と、登録拒否され、追加説明資料の提供を求められていたのです。

確かに私、今までいろ~んな経歴を経ておりますが、
直接的に品質管理に関する部署にいたことはありません。
製造課とか、品質管理課とか、QC推進室とか。
でも、やってきた仕事は見方によっては品質管理そのものでは
ないかと主張し、長文の追加説明資料を送って、
今回の判定結果を待っていたのです。
果たして、どこまで理解してくれたかは分かりませんが、
ともかく私の経歴を踏まえて許可してくれました。
経験分野:研究開発/設計、窯業、福祉の三分野。
これで、品質管理の審査員補として名乗ることができます。

私は昨秋にはISO14000シリーズと呼ばれる、
環境マネジメントシステムに関する審査員補の資格も得ています。
この二つの資格を持って、
ようやくこれからISOに関する審査やコンサルティング活動を
始める体制が整いました。

田舎暮らしをするにしても、何か収入の術を持たねば・・・
一年前にいろいろ模索していた時に知ったのがこの資格でした。
実は、本当の狙いは、CSRと呼ばれる、
企業(組織)の社会活動責任についての審査やコンサルティングを
したいというのが最終的な目標です。
ただし、CSRの国際審査基準は2007年に定められる予定なので、
今のうちにその前段階となる資格を得て、
経験も積んでおこうという魂胆でした。

だから、今回の資格はどうしても取りたかった。
もし、申請が許可されなかったら、
もう一度研修と試験を受ける必要があったので、
本当にやれやれです。
さて、これからこの道で生きていくには、
それはそれでさらなる猛勉強が必要です。
でも、食うために、そして夢を実現するために、
ここは頑張るしかありません。
やりまっせ!
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この写真を見て、「うげっ!」となった方はご免なさい。
これが昨日ちらっと書いたミミズコンポストの中身です。
うちのは、大工道具を入れるような蓋付きボックスの脇腹に
十数か所キリで穴を開けて通気性を保ったものです。
そこに釣具屋で買ってきた小さいミミズを入れ、
残飯と、その上にちぎった新聞紙をかぶせておいておくだけ。
たったそれだけで、残飯が良い肥料(土)に変身します。

このミミズコンポスト、
検索してもらうと分かりますが、結構はまっている人がいます。
見てると、ミミズを育てるためにやっているのではないかという
マニアの人もいますが、
うちは実利目的なので、それ以上の愛情はかけてないです。
時々残飯を補充するのを忘れていて、はっと思い出し、
「ミミズ、どうしてるかな?」と恐る恐る覗き込みます。
そんな時は「ミミズ君、ご免なさい。
これからはもう少し大事にするから。」と念仏を唱えるように
蓋を開けるのですが、幸いに今までひからびたことはないです。

一ヶ月前ですか、同じく久しぶりに思い出し、覗き込むと、
一匹もいない!ついに絶滅したかと観念しましたが、
よーく見ると、細さ0.2mm、長さ2mmほどの物体がうようよしてます。
「もしかして子供?」そう、代替わりしていたのでした。
喜んで餌をあげ、今日また久しぶりに覗くと、この生きの良さ!
わらわらプリプリしてラーメンみたいな賑やかさでしょ?

このミミズ君たちのような生き物がいることで、
残飯はもちろん、作物や死骸やいろんな生物が分解され、
土に変えられています。
そのお陰で私たちはまた作物を育て、得ることができます。
いわばミミズ君は地球を守ってくれているのです。
そういう思いで上の写真を見ると、
なんだか愛おしくなってきません?
・・・こないか。
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18日午後、吉村医院を退院しました。
助産婦のハラさん、ワタナベさん始め、
お世話になった皆さんに感謝感謝。
吉村先生にもご挨拶。
「今回のおたく様との出会いは、とても大きな喜びでした。」
私も全く同じ気持ちです。

悠太は最後の二日はほとんど寝て過ごし、起きても騒ぐことなく、
本当におとなしくしてくれていました。
寝ている時など、死んでやいないかと鼻息を何度も確認したほど。
でも退院は悠太にとって初めての外界です。
疲れなければいいけれど。
ところが余計な心配はいらず、
カミさんお手製のスリングに入ると、そのまま寝てしまいました。
その後、帰宅するまで全く騒がず、大助かり。

それが、帰宅してから突然泣き出し、止まりません。
やっぱり車の長旅で疲れたか、あるいは住環境の違いに気付いたか。
5時間ほどぐずいておりました。
夕食は簡単メニューで済まし、その日は片付けもほどほどに終わり。

翌朝、家の中、外を見回り。どこもクモの巣やほこりがすごい。
掃除にしばらく追われるかも。
一週間ほっとかれた犬達は狂喜乱舞。
餌は隣のタケオさんにお願いしたのですが、散歩はなかったのです。
甲斐犬のゴンは大暴れで喜び、腹を出して射精します。
狩猟犬なのに大丈夫かいな。猿に餌付けされないかと心配。
グレートピレニーズのファルコンは11歳半。
さすがに歳をとったのでさほど騒ぎませんが、それでも嬉しそう。
久しぶりの散歩を楽しみました。

さて、帰宅後の最初の仕事はコンポストの設置です。
実はカミさんを岡崎に連れていった日の日中に作っておいたのです。
木の取っ手がついた蓋つきで、足元は地面に突き刺さるよう、
先の細い棒が突き出ています。
我が家には他にも「ミミズコンポスト」というものもあり、
ミミズ君たちが残飯を肥料に変えてくれていますが、
いかんせんペースがゆっくりなので残飯が余っていたのです。
これで当分は大丈夫かな?

カミさんが悠太にかかりっきりなので、家のことは私がします。
食事の準備と片付け、買出し、掃除・・・
もちろん仕事もします。
帰宅早々、フル活動です。
でも元気。
「ハウルの動く城」じゃないけれど、
守るものが見つかればエネルギーが湧いてくるものです。

自信作?のコンポスト
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17日午後から18日午後まで、「お産の家」の二階で
「お産塾」なるものが開かれました。
日本助産師会が主催の研修会で、参加費35,000円。
吉村先生はもちろん、「お産の家」を一人で建てた棟梁も話される
ということで、機会があれば聴きたいなと思っていました。
すると、吉村先生の方から、
「あんたも聴いたらいいよ。」と誘って下さったので、
参加者から離れて、後ろの方で聴かせていただきました。

参加者は20名弱。全国から来られています。
先生の講演を聴き、一人一人自己紹介と感想を言っているのを聞くと、
「ここはまるで助産婦駆け込み寺だな」とも思えてきました。
私は吉村先生からしか聞いていなかったけれど、
お産の現場は本当にひどいらしい。

とにかく現場では医師が全ての権限を持ち、
薬は打ちまくる、自然なお産を待てずにたたく、引っ張り、
躊躇なく刃を入れてさっさとお産を済ませてしまう・・・
助産婦としてはいろいろ言いたいことはあるのだけれど、
とてもそういうことを言える立場や雰囲気ではないらしい。
結果、産まれてくる赤ん坊は血の気がなくグッタリ。
母親も「もう二度とこんな思いをしたくない」とゲッソリ。
だから、今回私たちが体験したお産なんて
一度も経験したことがないという方がほとんどでした。

産まれてすぐに母親の胸でスヤスヤと寝ている赤ん坊、
そしてやがて目を開け、手を広げて母親を見つめる赤ん坊、
それをうっとりと見つめる母親・・・
そういったスライドを次々と見せられ、感嘆の声を上げる参加者たち。
皆さんショックを受けている様子。
私はむしろその姿に驚きました。

初日の夜、最後の方に私にもマイクが回ってきたので、
今回感じた想いとエールを送りました。
「今回、吉村医院で、助産婦こそお産の主役であるということが
 よーく分かりました。
 人が生まれる場、そして死ぬ場に遭遇せずして、
 人生を語ることはできないと思います。
 その点、人の誕生の入り口で迎えてくださる助産婦の存在は
 本当にありがたく、素晴らしいことです。
 今回、皆さんは相当ショックを受けたようですし、
 また勇気を得たとおっしゃってますが、一言申しますと、
 よく研修会に出て「とても役に立った」とか言いながら、
 いざ職場に戻ると何も変わらないということはままあります。
 そうならないためにも、是非今日の気持ちを行動に移して下さい。
 それには相当な強い意志が必要です。
 それを吉村先生は「命をかける」とおっしゃってます。
 全く同じことはできないにしても、皆さんなりのやり方で、
 是非行動を起こしてください。
 そして、これだけは確信してもらいたいのですが、
 自然に産みたいという親は一杯いるんです。潜在的にも。
 でも、そういう人達を受け止める場がないから、情報がないから、
 みんな仕方なく病院で嫌な思いをしているのです。
 そんな大勢の方が皆さんを待っているということ、
 これだけはどうか信じて、明日研修が終わって一人になっても、
 どうか今回得た気持ちを持ち続けてください。」

いきなり参加した訳の分からない者にあれこれ言われて
面食らった人もいたでしょうが、
その場で感じた気持ちをそのまま伝えたつもりです。
翌日も有意義な話を聴かせていただき、
私たちのお産の写真も回覧され、少々恥ずかしかったですが、
今のお産の現場の姿を垣間見ることができ、
とても良い機会をいただきました。
事務局の方、ありがとうございました。
2005.09.18 魂の友
18日の朝、5時前に目が覚めました。
いそいそと起きる支度をします。
「本当に来るの?」とカミさん。
だって、昨日、「明日は日の出前に山里に行きましょう。」
って言ったもん。
人気の無い廊下で待っていると、木戸が開き、
「どうです、行けますか?」との声。
「もちろんです。」
ワクワクして吉村先生の車に乗り込みました。

道中、最初からいろんな話題に飛び、大笑いしながら現地に到着。
先生お気に入りの散歩コースを大笑いしながら歩みました。
今回心に染みた言葉は、鎌倉の禅僧が言ったという、
「道心(どうしん)の中に餌食(えじき)有り、
 餌食の中に道心無し」というもの。
解釈すると、
「己が信じる道を突き進めばおのずと食えるようになり、
儲けようとしているうちは道は開けない。」
といったところでしょうか。

しばらくすると、先生お気に入りの場所で朝日が昇り、
しばし眺めます。
帰り道、先生がぼそっと、
「こんなに人を好きになったのは、本当に久しぶりですよ。」
痛み入ります。
本当に何を気に入ってくださったのか分からないけど、
この出会いに心から感謝します。
「お産の家」に戻った後、その話をすると、
「きっと二人は魂の友達なんだね。」と言われました。
確かにそうかもしれない。
吉村先生はもう随分知られた人ではあるけれど、
魂レベルだったら今の社会的地位など関係なく
こころおきなくお付き合いできるかな。

ある会話の中で、珍しく先生が愚痴をこぼしたことがありました。
詳しくは書けませんが、先生にもいろいろ悩みはあるようです。
それを聞いて私が、「先生、
それはきっと何か大きな力に先生が試されているんですよ。」
と言うと、
先生ハッとして、「あんた、その歳でそんなこと言うのかい。」
と驚かれてました。

また、私が八ヶ岳にいた頃、
「年中無休、24時間開業、完全無料」の陶芸工房を開いていた頃の
お話をすると、いたく感動され、
「そういう損得を超えたところに意識が働くことが良いのです。」
とおっしゃって下さいました。
正直言って、その工房を開いた時、
それほど大げさなことを考えたつもりはなかったのですが、
そう言われてみれば、あの工房を開いたことで、
新しい道が開けた気がしてきました。
カミさんと出会ったのもその工房でしたしね。
いずれにせよ、今回私にとって妻の出産だけでなく、
素晴らしいご縁をいただいたこと、本当にありがたく嬉しいです。

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2005.09.18 命名 悠太
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ついに名前が決まりました。

悠太 (ゆうた)です。

悠然と我が道を歩んでもらいたいという気持ちを込めました。

今回の名づけは時間をかけ、少しずつ絞り込んでいきました。
最初にお互いにとって気持ちの良いイメージが湧く「語」
を選びました。
「和」「優」「健」「実」「滉」「晃」「美」「彩」・・・
40個以上出ました。
次に、その語にからめて男名・女名をそれぞれお互いに考え、
時間をおいて出し合って、気に入ったものを残しました。
その数、ざっと100名分。

その後、私の方で姓名判断チェック。
その結果を眺めながら、ポイントの悪いものをはぶきつつ、
さらに気に入った名前をピックアップ。
男名で21個、女名で12個まで絞られました。
それぞれについて詳しい姓名判断結果を添えた一覧表を作成。
それを持って出産に臨みました。

さて出産後、男と分かり、絞込みにかかります。
結局、「滉太郎」「晃太郎」「健太郎」
「悠太郎」「悠太」「悠人」の六つになりました。
さてこれらをそれぞれA4サイズの用紙に楷書体で印刷し、
縁側に並べてしばし眺めます。
そうこうするうちに分かってきたことがありました。
赤ん坊の泣き声がカワイイのです。
言っときますけど、これは決して親バカじゃないよ。
助産婦さんたちも口を揃えて言ったのです。
「まるで小動物みたいな透き通った泣き声ね。」
私たち夫婦は顔を合わせて、
「こりゃ、あんまり勇ましい名前は合わないね。」
そこで、○○太郎系の名前は削除されました。

残ったのが「悠太」「悠人」の二つ。
今度は居室に並べて普段から眺めながらいろいろ考えます。
「『悠人』って、他人の力を借りずに生きていけそうだよね。」
「うん、『悠太』の方がかわいがられそう。」
はっきり言って、この時点の考えなんてその場のノリです。
でもそのノリで「悠太」に決めました。

決まってからつらつら思い返してみると、
もともと「悠太」は候補にありませんでした。
確か第三段階あたりで出てきたんじゃないかな。
物事が決まる過程ってそんなものですね。
おかげさまで、その後悠太はとっても穏やかになり、
ほとんど一日中寝ております。
その寝顔を眺めては、
「かわいいねぇ」とうっとりする私たちです。
これははっきり言って、親バカです。
2005.09.18 妻から母へ
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今回のお産で得たものがもう一つあります。
それは、カミさんが妻から母へ脱皮する瞬間を目撃したことです。
最初は出産直後。
生まれたばかりの赤ん坊を胸の上で受け止めている顔は、
母性の顔そのものでした。
吉村先生曰く、この瞬間は恍惚状態にあるのだとか。
まさにそんな顔をしてました。

次に目撃したのは、赤ん坊に乳をあげはじめて間もなくの頃。
逆光に包まれて光り輝く母子の姿には神々しいものを感じました。
ついにこいつも母になったんだなぁ、
やっぱり女ってすごいな、
変身するものなぁ、としばし見とれておりました。

以前、同じような感覚を私の母を見て感じたことがあります。
それは、祖父が亡くなってしばらくした時。
ふと居間を覗くと、畳の部屋でお袋が後ろ向きに正座しておりました。
その姿を見た時、お袋の尻から何やら根のようなものが生えて、
床に根付いていくようなイメージが浮かびました。
「あぁ、これでお袋はこの家の主になったな。」と
勝手に解釈したのを覚えています。

今回、特に吉村先生と一緒に過ごす時が多くなってから、
「女性にはかなわない」という感覚が強くなっています。
なんせ、お腹の中に宇宙を創り、子供を育てるんだからね。
妊娠から誕生の瞬間までつぶさに見て、
ますます感じ入っている次第です。
これからは長い長い育児が始まります。
いろんなことが起きるでしょうし、
お互いいろんな感情の変化もあるでしょうが、
今回得た感覚はずっと持ち続けていきたいものです。
16日の夕方は念願の野外自炊ができました。
七輪を借り、持参した地元加子母産のヒノキ炭に火をつけます。
丸干し、厚揚げ、椎茸などを焼いて
ゆっくり酒でもと目論んでいたのですが、
いざ始めると蚊がすごい。あっという間に10箇所近く刺されて、
やむなく焼くだけ焼いて部屋に持ち帰り、改めて乾杯。

夕食後しばらくすると、吉村先生が来られました。
今度はゆっくりと、一時間半以上話しこんでいかれました。
特に心に残ったのは、「無為自然」の解釈について。
「私はずっと、『無為』とは何も無いことだと思っておったのです。
 しかしある方の説の「無が為しておることが自然」を知って、
 初めて本当に理解できました。
 無とは宇宙です。つまり、宇宙のエネルギーが満ちていることが
 自然なのだと気づいたのです。
 だから、宇宙がお産をやっているのですよ。」

「それは、朝おっしゃった『宇宙は無茶苦茶なものだ』
 という話とつながるのですか?」
「そう、今の世は何でも科学的に理屈をこねて理解しよう
 としているが、そんなことでは宇宙を理解することはできない
 ということです。」

「お産の家」を始めて6年になるが、
 ここに産みに来た人や家族とこんな話をしたのは初めてですよ。
 さて、そろそろ次のお産が始まるから行きますか。」
 と去っていかれました。

翌朝5時半、助産婦のハラさんが来られ、
「あの~、院長が迎えに来られたのですけど。」
そうでした、先生は時間的に無理がなかったら、
ご自宅のあるものを見せてくださることになっていました。
飛び起き、ご自宅に伺い、骨董品が並ぶ部屋に案内されると、
それはありました。
宮本武蔵が示した「独行道」を彫った板一枚ものです。
年代はそれほど古くはないのですが、
味のある字体で19箇条が彫られています。
「世々の道にそむくことなし」に始まり、
心に染みるものが多いです。
これを先生ご用達の骨董屋さんが見つけてきたとか。

幾つかの内容についてしばし話したあと、
おもむろに「私がよく行く山里に案内しましょう。」
と誘ってくださいました。
先生の愛車・中古のマーチで出発です。
昔はポルシェに乗っていたこともあるとか。
道中も話題はつきません。
先生曰く、私には同類の匂いがするのだそうです。
「お互い、『わが・まま』に生きていますね。」と意気投合。

さて、先生お気に入りの地に到着。
市街地がほんのすぐにまで迫っているのだけれど、
かろうじて自然がまとまって残されているところでした。
朝日が綺麗です。
「いいところでしょう。私はここに何百回も来ています。
日の出前がもっといいから、明日はより早い時刻に来ましょう。」
帰りの道中も先生の過去の人生の話題などで盛り上がり、到着。
思わぬお誘いに感謝してお別れし、カミさんにその話をしていると、
またも先生登場。
「これ、あんたに合うかなぁ。」と差し出されたのが帽子です。

実は今朝、先生のご自宅に伺った時、
勧められた座布団がとても気になりました。
「もしかしてこれは酒袋?」酒を仕込む時に使う布で、
年月を経るほどにとても良い色に自然に染まるのです。
その酒袋を使った座布団でした。
「あんた、この良さが分かるのかい?」
「はい、実は酒袋で帽子を作ることができればと、
ずっと探しているのですが。」
「そうかい。酒袋の帽子は幾つも持っているから、
何なら差し上げましょうか?」
こんな会話をしていたのですが、まさかまさか。

「これは随分前に買ったものだけれど、私の頭に合わなくてね。
 あなたに合うならどうぞ。」
まるで測ったかのように私にぴったりでした。
濃茶色にまで染まった悠然とした帽子です。
ありがたく頂戴し、先生が去ったあと思わずバンザイ!
今回、息子が産まれたことが最大の収穫であることは
間違いないですが、
その次に、先生との素晴らしいご縁をいただいたこと、
本当にありがたいです。
この帽子、私にとっての「ワンピース」の麦わら帽子です。
大事に使って、使い古すことにします。

吉村先生との散歩
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普通、赤ん坊は自分の食糧を身体に蓄えて生まれてくるそうです。
だから、生まれた初日はお母さんのおっぱいがなくても
静かに寝ていることが多いのだとか。
でもうちのは持ち分が少なかったのか、すぐに食ってしまったのか、
最初の夜から腹を空かせているようで、よく泣いてました。
二日目はより勢いがつき、全く泣き止まない。
カミさんは昼過ぎぐらいまで結構参ってました。
気持ちは嬉しいんだけど、身体がついていかない様子。
昨日の夕方になってようやくまとまって寝てくれるようになり、
カミさんのおっぱいも順調に出始め、ひと段落です。

昨夜は「お産の家」に一組入られました。
20時頃から本格的に陣痛が始まったようで、
壁越しにリアルな息づかいが聞こえてきます。
24時頃はピークで、大絶叫のもと、無事生まれたらしいです。
というのも、私、一番いいところで寝てました。
出産間際になった頃、吉村先生がやってきて、
「ご主人、うるさくて眠れないじゃないですか?」と
心配されましたが、カミさん「いいえ、もう寝てますよ。」
「さすが修行をされている人は違いますなぁ。はっはっはっ」
と安心されたとか。
いや私も気づいてはいましたよ。
でも最近全く周りを気にせずに眠れるようになったことも確かです。

今朝、吉村先生が再び部屋に来られ、診察前だというのに、
40分以上話しこんでいかれました。
「私は今まで無茶苦茶してきたから分かるんですが、
 宇宙は無茶苦茶なものなんですよ。
 こんな簡単なことを誰も分からないんですなぁ。」
皆さん、分かります?私は時間をかけて咀嚼したいと思います。

先生とお話していると、話題があっちこっちに移りますが、
言わんとしていることは同じだと感じます。
きっと先生には真理みたいなものが見えているんでしょうね。
理屈じゃなくて。
「あんたにはね、何かあるんだよ。
 ご本人も気づいていないかもしれないが。」
「今回、あんた達と出会った縁には何か霊的なものを感じる。」
とおっしゃいますが、私はただそうまで言ってくださり、
ありがたいと感謝し恐縮するのみです。

今日は二人共通の友人夫婦が来てくれました。
もともと吉村医院での初診の予定を入れていたのですが、
私達の出産と重なり、合わせてお祝いにも来てくれた次第。
東京でお住まいですが、何とか岡崎まで通おうとしています。
「やっぱり距離やお金じゃないよね。
 この人と思えるところで産めるかどうかだよね。」と共感。

私の大阪の両親もやってきました。
70歳前後にして初孫を得ることになった、両親。
喜びもひとしおです。
息子の顔を見て、「こいつは大物になるぞ。」と早くもジジばか。
こんな風に時間を過ごしていると、一日は早いです。
あっという間に退院になりそうです。
日曜日には加子母の住まいに戻ります。
「いよいよ新しい世界が始まるなぁ」
との思いがヒシヒシと盛り上がってきます。

いつもふらっとやってくる吉村先生
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早速にお祝いコメントをいただき、ありがとうございます。
また、個別にお祝いメールも多数いただき、感謝してます。
お一人お一人に返信したいのですが、
いかんせん今は時間が無く、この場を借りてお礼申し上げます。
おかげさまで母子ともにとっても元気です。

さて息子の誕生を経て明けた14日。
岡崎から大阪まで日帰り仕事の移動中、
前日の出来事をつらつらと思い出し、頭と気持ちを整理しました。

私達の後、吉村医院では一夜で続けて3件のお産があったそうです。
最後のお産が終了したのが朝。
それまで吉村先生はじめスタッフはぶっ通しだったらしい。
きつい仕事だなぁ。私はとても続かないと思います。

私は普段から時間管理に気を配っているつもりです。
要は「約束した時間(待ち合わせ、納期など)を守る」
「自分の分に合ったスケジューリングをする」
「立てたスケジュールをこなす」といったことです。
たとえ自分が時間通りにこなしていても、周りがそうならず、
結果的に物事が遅れることはままあります。
若い頃はそれが嫌で、よくイライラしたものですが、
最近は歳をとってきたこともあり、
「まぁいいじゃないか、それも一つの流れだ」
と受け止めることができるようになってきました。

それでも、自分の時間を自分で決められないのは辛いです。
その最たるものの一つがお産という仕事なんですね。
前もって大体の予定は読めるものの、
それでも現実にはいつ始まるかは分からないし、
またいつまで続くかも分からない。
それをコントロールしようとして手を加えるのが
今の産婦人科医のやり方だそうです。
だから、お盆や正月、週末の出産は少ないですし、
お産そのものも時間をかけずにさっさと刀を入れてしまう。
その方が医者が楽だから。

でもそれは自然じゃないと立ち向かっているのが吉村先生です。
昨夜、先生がふらっと私たちの部屋にやって来られました。
かなりお疲れでしたが、会話を楽しみに来られた様子です。
上に書いたような話や、その他もろもろお話されていきました。
「あんた達なら私の言うことも分かるだろうと思ってね。」と、
人のために、自我を捨てて無我の領域に身を置き、
仕事をすることの意味を説いていかれました。
尊いなぁ。
いわば自己管理を超えたところにずっと身を置く
というようなものですよね。
とても今の私には真似できません。
自分たちのことだけで一杯一杯だもの。

「先生がそういう意識を持って臨まれるようになったのは、
 いつ頃からなんですか?」
「それが最近のことなんですよ。
 若いときからずっと無茶苦茶してましたから・・・」
いろいろ話してくださり、ありがたかったです。
「あんた達がこうやってここに来たのも、縁だよね。」とも。
本当にその通り。導かれてきたような気がします。
まるで導師とのやりとりのような時を過ごさせていただきました。
最後に、「あんたたちはとてもしっくりいってますな。」
と言って去っていかれました。
「しっくりくる」私が大好きな言葉です。
最大の賛辞をいただきました。
滞在中にまたこんな時間があればいいな。
16:17 カミさんの「え・い・ん・が・き・れ・る・う・・・!」
の大絶叫とともに、頭が飛び出しました。
ところが、首だけが出た状態でストップ。
何でここで止まるのかと覗きこんで見ていると、その時いきなり、何と、
赤ん坊が「エエッ、ホニャラニャ、エエチョウシデンナァ」
みたいな言葉をしゃべるではないですか。
本当ですよ。同席した人が皆聞いたんだから。
大体、何で首だけ出た時にしゃべるんだよ。
普通、全身が出て、
そして一息ついて「オギャー」って泣くんじゃないの?
どのドラマ見てもそうだよ。
しかも首にはヘソの緒が一周からまっています。
だから予想より遅れたのか?

16:20 今度はあっと言う間に全身がスルッと抜けました。
そして間髪入れずにカミさんの胸の上でご対面。
この時の出来事も驚きです。
赤ん坊はまるで泣きませんでした。
カミさんの顔の方に手を差し伸ばし、
カミさんの心音を聞いて落ち着いたのか、
しばらくうっとりとしておりました。
そのうちに早速おっぱいを探し始め、
見つけるやいきなり吸い出しました。
その姿を恍惚そうに眺めるカミさん。
疲れてはいるものの、本当に幸せそうです。

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私も顔を近づけ、ご挨拶。すると、にこっと笑うではないか!
「おお、こいつ笑ったぞッ!」と叫んでからハッと我に帰り、
周りに「親ばか?」と尋ねると、その場は大爆笑。
「ワシが言う前に本人が言ったから、まあいいだろう。」と
吉村先生もご満悦の様子です。
部屋が真っ暗なので、やむなくフラッシュをたいて写真を撮りましたが、
驚きながらも泣く様子はなくとても落ち着いている赤ん坊。

随分と時間が経ってから、
ハラさん「さて、そろそろどちらの子か見てみましょうか?」
そうだった。忘れてました。というよりも、どっちでも良かった。
「普通はすぐに男か女かって聞くんだけど。素晴らしいことだ。」と先生。
起こしてみると立派なちんちんがついておりました。
「ほ~ら、私の言った通りじゃない。」とカミさん。おいおい初耳だぞ。

お世話になった皆さんに感謝し、人が減り始めてから私が抱きました。
顔を寄せて思わず出たセリフが、
「一緒に山に入ろうな。そして村一番の山の衆になるんだぞ。」
横でカミさんが、「そうよ、自分で家も建てるんだよ。」

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ひと段落した頃、ちょうど夕食の時間になりました。
ようやくありつけた食事と、こっそり持ち込んでいたギネスの缶で乾杯!
うんまい!自分にこういう幸せがやってくるなんてね。本当に有り難い。
本当によく頑張ったカミさんと、同じく頑張って出てきた赤ん坊と、
ハラさんはじめお世話になった皆さんに心から感謝です。
夜は川の字になって、同じ部屋で眠りました。
もちろん数時間毎に赤ん坊が起きるので、
カミさんは気の休まる時がないはずですが、
嬉々として相手しております。
私の方はいよいよ睡魔に襲われ、一気に眠りについたのでした。
2005年9月13日(火)大安、長い長い、素晴らしい一日でした。
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2005.09.14 長い一日
以下、少し時間をさかのぼって、時系列で記録を残しておきます。

9月12日(月)
22:00 岡崎市内のホテルで、マッサージ後に就寝

9月13日(火)
00:00 カミさんが陣痛を自覚。
01:30 私が起床。このころ既に陣痛15分間隔。
    三陰交(内側のくるぶしの上数cm)に灸を30層ずつする。
03:00 陣痛間隔10分弱に。私がブログを打ち出すと、
    「人が陣痛で苦しんでいる時に」とカミさん怒り笑い。
    吉村医院に電話。「もう少し様子を見ましょう。」
    ホメオパシーのレメディを飲料水ペットボトルに溶かす。
    以降、随時レメディの助けを借りる。
    (ホメオパシーの説明はここでは割愛します。)
04:30 5分間隔に。「もう待てない。」とカミさん。
    吉村医院に再TEL。チェックアウト。
04:40 吉村医院着。検査後、吉村先生が、
    「よっぽどよく運動したんだね。とても柔らかいよ。
    安産間違いなしだ。」と太鼓判。
05:00 お産の家」に移動。子宮口3.5cm。
    陣痛の合間に全身をマッサージする。
08:00 カミさんの分だけ朝食が運ばれてくる。
    こちらは3時頃にアンパン一個食っただけで、腹グーグー。
    カミさんがほとんど手をつけなかったので、
    私も半分いただく。
    結局この後、夕食まで食事を取れず。
    陣痛間隔1~2分に。だんだん笑顔が少なくなる。
09:00 呼んでいた、カミさんの妹到着。妹は妊娠三ヶ月。
    姉に見習い、自分も自然分娩しようと考えているところなので、
    立ち会うことにしたが、カミさんが産む直前まで
    集中したがったので、隣部屋で待機してもらう。
09:30 子宮口6cm。呼吸が短くなるが、
    「フー、フー」と息をはくテンポはまだ良し。
11:00 入院後6時間経過。
    「これくらいで産まれると思っていたのに。」と
    カミさん悔しそう。余裕がなくなってくる。
11:30 子宮口7cm。「10cmになるまで待ちましょうね。」とハラさん。
    それまではりきまず、できるだけ力を抜いて痛さを耐えるとか。
    カミさん「りきんじゃいけない!」と叫ぶようになる。
    「これくらいが産む時の痛さだと思ってた。やばいよ~。」
    「俺はうらやましいぞ。」
    「分かってるよ。」次第に目をむくようになる。
    助産婦さんがもう一人加わる。三陰交を手で押し続ける。
    カミさんにはレメディ補給を続ける。
13:00 子宮のすぐそばに頭がくるようになる。
14:15 少しりきんで、子供が出てくるのを助けることに。
    今まで以上にカミさん叫ぶようになるが、   
    私は強烈な眠気に襲われ、カミさんの絶叫の脇でしばし昏睡。
15:15 子宮から膜がプックリと出てくる。りきみは止める。
    「触ってみますか?」と言われ、そっと触れると、
    プリンプリンしてる。
    なんだろう、この感触は?カエルの喉仏か?        
    和菓子でこんなのあったかな?いや違う。
    (後で、マグロの目玉のようだったと回想)
15:30 妹入室。同時に助産婦研修中の人も入る。吉村先生到着。
    途端に部屋の中が人で一杯になって雰囲気が少し変わる。
    カミさんも最初は集中できないが次第にそれどころでなくなる。
15:45 一部破水が始まったが、
    まだ子宮からはプリンとしたボール状態で出たまま。
    そこからなかなか進まないので
    「体力が持たない!」と叫び始める。
16:10 ハラさんがハサミを入れ、破水させる。
    頭が見えるが、出ては引っ込み、なかなか出切らない。
    カミさん「会陰が切れそう!」と叫ぶ。

このように、予想より長い時間をかけて、
赤ん坊のペースに合わせて進めるのが、ここ吉村医院のやり方です。
それにしても、カミさんはこの時点で相当参ってました。
そして、・・・
2005.09.14 いざ入院!
前回のブログを書いている頃、カミさんは吉村医院に電話したのですが、
「もう少し待って、陣痛が5分間隔になったらもう一度電話ください」
とのことで、待機していました。
私たちがもう岡崎市内にいるので、医院の方も安心している様子。
でも、1時間もしないうちに5分間隔になり、
陣痛がない時でも動くのが辛くなってきたので、
早々に行くことにしました。
朝4時半、ホテルのカウンターに鍵とメモを残してチェックアウト。
10分もしないうちに到着して即検査、そして念願の「お産の家」へ。

「お産の家」は純和風の造りで、
木戸をくぐるとかまどのある土間に入り、
一階にお産とその後の暮らしをするための部屋が三室、
その他にトイレ、風呂、古風な診察室、台所などがあります。
二階は大きな部屋があり、ヨガ教室や両親学校が開かれています。
この家、吉村先生と懇意の大工さんが一人でコツコツと建てられたとかで、
とっても落ち着いていて綺麗です。
半年前に下見でここに来た時、私は一発で気に入り、
「距離やお金の問題じゃない。ここにしなさい。」と即決しました。

でも、いざ出産の日が近づいてくると、
同じくこの家での出産を希望する家族とタイミングが重なっているらしく、
私たちはキャンセル待ちというか、
「早い人順で、その時に空いていればね。」との説明を受け、
「ガーン!この家で産みたいがためにここにしたのに。」
なんて感じていました。
ところが、いざこの時を迎えると、家には誰もいません。
他の人はタイミングがずれたようです。
また、安産確実と吉村先生が判断した人だけが
この家を使えるようでして、
一旦この家に入りながらも陣痛が長引き、
医院の方に移った人もおられたとか。
ということで、この家一軒、
今日は私たちが占領できることになったのです。
ヤリッ!

さて案内された6畳の和室。
ここがこれから私たちが出産と、その後6日間過ごす部屋です。
つまり、産んだ部屋から出ることなく、
家族で同じ時を過ごすことができるのです。 
これが、ここを選んだ第一の理由です。
出産前後にあちこち移動させたくなかった。
しかも、産んだ部屋でその後の時間を共に過ごすことに
意味を感じたのです。

部屋には天井から電球が一つと、行灯が一つだけ。
電球の方は消すことが多く、行灯にもタオルを掛けてあるので、
ほとんど薄暗い部屋で出産を迎えます。産む時の姿勢の指示は無し。
本人が決めます。
これもここを気に入った理由です。
コウコウと灯りが照らす手術室のような部屋で
不自然な姿勢に固定され続けるなんてこと、考えられません。

部屋の真ん中に敷かれた布団の上でどう姿勢を取ろうか、
カミさん最初は戸惑っていました。
天井の真ん中から太い綱が下がっており、
それにつかまることもできますが、今のところそれほどの様子もなし。
座ってみたり、四つんばいになってみたり。
ともかく仰向けで一旦落ち着いいたところで開始です。
今回ハラさんという若い助産婦さんがついてくれました。
吉村医院にきてまだ3年ということですが、
慣れた手つきでテキパキと準備してくれます。
途中から他にも人の出入りはありましたが、
この先は主にカミさんとハラさんと私の三人で
出産作業をすることになりました。
宿も無事見つかり、チェックイン。
少し古いビジネスホテルだけど、無線LANが使えるのが嬉しいです。
夕方前に近くの鍼灸師のところに行きました。
出産のツボを教えてもらい、夕方からはホテルの周りを散歩。
夕食済まして戻って、トイレに入ったカミさんが、
「見て見て、ほら。」と見せてくれたのが、血に染まった下着。
ほう、いよいよか。
それにしても、こういうのをてらいもなく見せてくれるのが
うちのカミさんらしいところです。

結婚したばかりの頃、このてらいのなさというか
気取りのなさに感心することがよくありました。
例えば、加子母の土地を見つけて通っていたころ、
よく二人で畑に連れションしました。
夜のポットントイレが怖いというのもあったのでしょうが、
傍から見たら不思議な光景だったでしょうね。

また、妊娠前、生理になると布切れをあて、
付いた血を水を張ったバケツに入れて血抜きし、
その水を畑に撒いておりました。
畑に鉄分を補給するんですと。
自分の血を畑に撒いて作物を育てるってすごいですね。
男はそうできるものではありません。
普段そんなに血出さないから。
感心し、また羨ましくも思った次第。

さて、寝る前にいつものようにマッサージしましたが、
スヤスヤ寝そうな感じ。よしよし。
そして夜中になって、陣痛が始まったかの様子。
私の予想通り、あんまりというかほとんど騒がないので、
「大丈夫?」
「う~ん、何だがお腹が張るような、痛いような。」
という反応ですが、陣痛の間隔が短くなってきたようです。

鍼灸師に教えてもらった、「三陰交」というツボに、
片足30層ずつ灸をしてあげました。
現在朝の3時前。
荷物を片付け、そっとチェックアウトの準備をします。
いよいよかな。
すっごく楽しみです。
岐阜の山村から岡崎の吉村医院までの2時間強の移動について、
一つだけ懸念していたことがありました。
「台風のタイミングと合ったらどうしよう。」
こればかりはこちらの都合通りにはいかないので、
運を天に任せるしかありません。
実際、先日の台風14号の時は出産ラッシュだったとか。
そうなるとちょっと移動が辛いです。

だから、「もし何事もなくて、後で笑い話になってもいいから、
早めに出よう」と話していました。
その点、今回とても良いタイミングで家を出ることができました。
天気は悪くないし、道はガラガラ。おかげで2時間ジャストで到着。
早速カミさんは検査室へ。私はロビーで待機です。

ロビーのソファーには、
出産を終えたばかりのお母さんがお二人いらっしゃいました。
二人ともとってもいい笑顔。
聞けば、お二人とも今回が二人目のお子さんで、
吉村医院は初めてとか。
「病院で産んだ一人目の時と全然違って、ここはいいですよ。」
とおっしゃってました。
初めて聞いた話では、
「ここは産むまでは吉村先生が中心だけど、
 産んでからは助産婦が主役です。
 その助産婦の至れり尽くせりのサポートがすごい!
 他の病院なんて比較にならない。」とのこと。
なるほど。とっても楽しみになってきました。

お一人は岩手から来られたとかで、
この近くのウィークリーマンションで過ごしながら出産を待ったとか。
私たちが岐阜から来たと聞くと、「そんなに遠くから!」
と驚いていたけど、そっちの方が数倍遠いじゃないか。
東京に住む私たちの友人夫婦も、今週診察に来るみたいですが、
ここは遠方からの受け入れに慣れているので助かります。

さて、検査の結果、「まだ破水はしていない」とのことでしたが、
もう近いということで、
ともかく病院の空き室に泊めさせていただくことになりました。
私は同じ部屋のソファーベッドで添い寝です。
こういう対応も病院ではないらしい。

さて翌朝、今日の朝ですが、早速に吉村先生の診察。
「何だ、あんたらか」と先生ご機嫌です。
何故か私たちのことを気に入ってくれていて、
「あんたたちの出産が楽しみだ」といつも言ってくれます。
「おっ、いよいよ始まってるぞ、もうすぐだな。
いつ生まれるかは断言できんが、もうこれからは近くにいなさい。」
よーし、いよいよか、とニコニコしていると、
「出産前の夫の状態としては申し分ないですな。」と先生もニコニコ。
「出産の時に、奥さんよりもご主人がどうなるか、
 よく観察しよう。」とも。
前回の診察の時にも、「友達になってください。」
なんて言ってくれました。恐縮です。
出産した後、先生と祝杯あげられたらいいだろな。

で、今私たちは何をしているかというと、
今晩からしばらく、出産の日まで泊まる宿を探して、
マンガ喫茶のパソコンで宿検索をしている最中なのです。
2005.09.12 いざ出発!
数日前に近所の産婆さんに「あと4・5日だね」と言われてから、
準備は万端、「いつでもオッケー」状態でした。
昨日は選挙の日。
「オリンピックの年に生まれた子供は『聖子』さんが多いらしい。
 もし今日生まれたら、『選子』とか『選人』なんてどう?」
「選ばれた人みたいで嫌。」
もちろん私も冗談です。

これは私の勝手な想像ですが、
この人は陣痛で大騒ぎしないんじゃないかなと思ってました。
「そんなのわかんないよ~。」と本人は言ってますが。
すると、昨夜、21時頃、カミさんの声がしました。
「私、破水したかも~。」やっぱりのんびりした声。
見ると、カミさん仁王立ちで股座覗き込んでます。
おお、いよいよか?
早速吉村医院に電話。
「すぐというわけじゃないだろうけど、
遠方なので早目に来て下さい。」との指示に行動開始。
準備していた「陣痛があったその時に」チェックリストを取り出し、
いそいそと準備開始。

「歯ブラシOK」「充電器OK」「ヒゲソリOK」「ミソOK(?)」
岡崎から出勤できるよう、スーツ・靴・パソコンも準備。
「ほれ窓閉めて、風呂掃除して、生ゴミ捨てて・・」
私がホイホイ動いていると、
カミさんが、「ドキドキする?」
「ううん、全然」
「何でよ~」
「だってワクワクじゃない!」そう、気分は修学旅行です。

22時に準備完了!車に荷物積み込んでさぁ出発!と思いきや、
「あっ、ガスの元栓閉め忘れた。
 水道の元も閉めた方がいいんじゃない?破裂しないように。」
この時期に凍結するはずないじゃないかと思いながらも一旦戻り、
さぁ再出発、と思いきや、
「パソコンのコンセント抜いてない!雷落ちたら大変!」
こういう時って、気持ちがあっちこっちに向くんだろうね。
とにかく本人の気が済むように、はいはいとまた家に戻り、
今度こそと無事出発!
なんてこと書いていたら、長くなってしまいました。
今回はここまで。
2005.09.11 さて、
カミさんが破水したかもしれないので、
今から吉村医院に行ってきます。
では。
2005.09.11 山の災害復旧
実は二日前の夜、22時頃から3時頃までものすごい大雨が降りました。
もう半端じゃない降り方で、夜中には消防団呼び出しのアナウンスもありました。
翌朝、犬の散歩をしながら見回ると、あちらこちらで大水の猛威の跡が。
直径30cmもある丸太が移動していたり、用水路に土砂がたまってました。
また、村の人々がそこここで集まって雑談中。
聞けば、うちの裏の道は川になっていたとか。
81歳のイサムさんはじめ、誰もが「こんなの初めて見た!」と興奮されてました。

さて、今朝デスクワークをしていると、班長から電話があり、
「今、家にいますか?実は今、みんなで用水路にたまった土砂を出しとるんよ。
こっちの連絡ミスで、あんたに連絡するつもりが他の人にしてしもうて、
あんた今からでも来られるかい?」

了解しましたとつなぎの作業着に着替え、スコップ持って参上しました。
行けばみなさん黙々と作業中。土砂をすくう人、土嚢に入れる人、運ぶ人。
私と間違われて呼び出された他の班の人も文句言わずに働いていました。
私も加わり、しばらくすると休憩しようかということに。
休憩中はみんな穏やかです。
「この間、星を見に行こうとしたら、山中で裸のカップルに遭遇した。」とか、
「○○神社の脇なんて毎晩おるぞ。」とかで盛り上がり。

作業再開するも、用水路の土砂はほぼ出してしまっていたので楽勝かと思いきや、
「よし、次は山に行こう。」
用水路の上流、山水の取水口の様子を見に行こうというわけです。
軽トラックの荷台に乗って山の奥へ。
取水口に着くと、パイプ2本をつなげて取水しているはずが、1本ありません。
1本直径40cm、長さ4mほどの大きなものです。
「もしかして流されたか?」みんなで下流に分散し探すが見つからず。
しかたない、新しいのを準備しようと二班に分かれ、片方は新パイプの調達に、
私は居残って現場の整備をしました。

やることは濁流が過ぎた後に残された石や木を取り除く作業です。
作業そのものは簡単だけど、実は結構ヤバイ。
水の勢いはまだ強く、こぶし大の石がごろごろ流されてくるし、
足元はゆるゆるです。これって、土石流がやってきたらひとたまりもないじゃん。
私は一番上流にいたのですが、ずっと上流側を見ながら作業してました。
「インディー・ジョーンズ」なんかで
大石が転がってくる前を楽々と逃げおおせるなんて嘘だと確信。

悪戦苦闘しながらも新しいパイプもつなぎ、やれやれと思ったら、
「次、行くぞ~。」
別の箇所で川が詰まり、荒れているのだとか。
移動して到着すると、なるほどこりゃひどいわ。
木の枝が川に引っかかって、そこに土砂がたまり、川の流れが変わってました。
再び川に入って土砂や木を取り外す作業。
こういう作業を軍手つけた手だけでやってるもんだから、
水しぶきを受けてもう全身パンツまでびしょびしょ。

昼過ぎになってようやくひと段落し、作業終了しました。
帰りの荷台の上で、「こういう作業ってよくあるんですか?」と尋ねると、
「年に二回あるよ。今回は大雨の被害があったから特別だけど。」
ほう、そんなにあるのか。
私はいろんな企画を立てる時に
よく「結い」と呼ばれる地域の相互扶助の精神を取り上げます。
でも言うは易しで、
現実にはこういう労働によって支えられているんだなぁと実感。
それと驚いたのがご老人の身の軽さ。ひょいひょいと川を渡っていかれます。
さすが若い頃から鍛えられた人達は違うなとこれにも驚きました。
私が山の衆になるにはまだまだ年季が必要なようです。

一週間前からトイレで暮らすカエル(左下 本文とは関係ありません)
CIMG0016_1.jpg

2005.09.10 新しい水場
一風変わった風景でも、しばらく暮らしていると目が慣れてしまい、
気づかずに見過ごしてしまうことがよくあります。
それがちょっとしたことで一旦気づくと、大きな発見になることも。
昨日も一つ発見しました。

台所の裏に壊れたポンプが置いてあったのですが、
忙しさにかまけて「いつか片付けよう」とほったらかしにしておりました。
そのうちに壊れたポンプはその場の風景になじんでしまっておりました。
たまたま昨日、ふとポンプに目がとまり、よく見ると水がにじんでいます。
「もしかしてこのポンプ、生きてる?」と期待したけど、そういうことはない。
でも、もしかしてポンプに水が来ている?
台所の裏は低い石垣になってまして、その石垣からパイプが出ており、
ポンプにつながっているのです。
そのつなぎめにコックがありますが、そのままでは確認できません。

ではと、他にやることあったけど、ポンプの切り離し作業開始。
結構手間取りながらも無事取り外し、ワクワクしながらコックをひねると、
でた~!
水がこんこんと出ました。
最初は汚かったけど、しばらくすると綺麗な水に変わっていきます。
もしかして、これってうちの新しい湧き水?
水源がいまいちはっきりしないけど、まぁいいや。水道ではないことは確か。

水が出たなら排水を考えなければなりません。
今まで雨水の排水溝だったところがこの湧き水の排水溝でもあったんですね。
そうなると急に愛おしくなって、排水溝の掃除開始。
割と幅広で、50cmほどあります。
と、その一部で草の群れを発見。
もしかして、これは私の大好きな山菜・タネツケバナではないか!
早速ちぎって食うと、美味い!ほのかな辛みがたまりません。
ということは、ということは、この排水溝、水耕栽培ができるってこと?
ヤッターッ!水耕田にしては狭いけど、
これからワサビ植えよう。セリも植えよう。

この春から少しずつ山の山菜を株ごと採ってきては敷地に移していたのですが、
ついに水耕田づくりにも火がついてしまいました。
この排水溝は我が家の畑の脇にたどり着き、その後隣地に流れます。
「よし、畑にも少し水をまわして、水耕田を広げよう」
構想はどんどん膨らみます。
こういうのを経験すると、田舎暮らしはやめられまへんな。
newwater.jpg

パイプがちょっと無骨ですが・・・
2005.09.09 ○が増えた!
私は昔からの習慣で「Things to Do(やること)リスト」を作っています。
例えば今では、「仕事関係」「家づくり関係」「それ以外」に分け、
それぞれについて「継続的にやること」「早めにやること」「いずれやること」
の三つに分類してリスト化しており、いつもそれを眺めながら、
「今日は何をやろうか」と思案しています。
やるべき事が決まれば「レ」マークを頭につけ、順番にこなしていきます。
そして、手をつけだしたものについては下線を引き、
完了すれば全体を囲む、つまり○をうつわけです。
この習慣、受験勉強時代からだから、もう30年近く続けていることになります。

この5月に引っ越したばかりの頃は、ものすごい数のリストになりました。
200項目以上あったと思う。
例えば銀行やクレジットカードやいろんな会員カードのの住所変更手続きだけでも
すごい数になるでしょ。一時はそれだけで1シートありました。
最近は結構減ってきたけど、それでも全体で50項目程度あります。
つまり、一個一個コツコツと○をうち、項目を減らしてきたわけです。

そして今日、長々と下線を引いたままであった大きな項目に○がつきました。
床抜け部屋の改修が終了したのです!
先日買ってきた塗油を塗り終えた瞬間、しばし呆然としておりました。
長かった。でも2ヶ月前の悲惨な状況からは想像できない進展です。
よくぞここまでできたなと今日は自分を褒めてあげます。
もちろん、協力して下さったタケオさん、カミさんにも感謝。
それにしても出産前に終わって良かった。これで思い残すことはないです。
ウキウキしながら○をつけました。

さてリストを改めて眺めると、まだまだやるべき項目はあります。
家関係だと、草刈り・家周りの片付け・風呂窯の煙突掃除などが急ぎで、
いずれやることは、薪ストーブの設置・パン(ピザ)焼き窯づくり、
露天風呂づくり、きのこ栽培、水耕田づくり、工房づくりなど。
家以外だと、地元の祭りの様子を録音したテープをお借りしているのですが、
それのデジタル化。
CD-ROMに落としたいのだけど、ラジカセが無くて苦労してます。
もちろん仕事もあれこれあります。
今回大きな○がついたので、あとは残りの項目をどんどんクリアしていこう。
ま、要はゲーム感覚でやるべき事をこなしていこうという自己満足なんだけど、
私にとって○をうつ事は、小さな成功体験を実感していることにもなるのかな。
ちょっと大げさだけど。

CIMG0007_1.jpg