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八ヶ岳の朝5事半に目覚め、6時には山に入りました。
前日に目星をつけた場所でゆっくりと狙います。
でもこの場所は笹が多く、杖で笹をかき分けながら進むので難儀です。
途中手が疲れて、ある場所で杖を使わずに進むと、
「さっきの場所にきのこがあったかもしれないぞ。」とか、
全く見つからない場所に遭遇すると、
「きっとここは他の人が採ってしまったんだよ。」
「いやもともとここにはきのこなんて生えてないんだ。」と
悪魔がささやきます。

「いいもんね。今回はトレーニングだから、採れなくても。」
とうそぶくと、
「お前はそうやって現実逃避をしているな。」とまたささやきます。
きのこ狩りって、人生の縮図ですな。
何てことをつらつら考えていたら、現れました、ケショウシメジの群生!
大物が輪になって生えています。感動!
こうなるとエンジンがかかり、先ほどの妄想も疲れもふっとびます。
その後もぼちぼち採れ、大満足。

帰りに仙人小屋に立ち寄り、しばし談笑。
「今年はきのこが少ない。」とぼやく仙人。毎年言っているような。
私の分を少しだけ取り、残りは小屋に献上しました。
カミさんが産気づく前に無事帰宅。
夕食はいろいろきのこのおろし和えで一杯。あぁ美味い!
これで地元でもきのこ狩りの気運が高まってきました。
同時に反省も。名前とか結構忘れていたからなぁ。
日々精進です。
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2005.09.02 八ヶ岳の夜
八ヶ岳での私の定宿は焼肉屋さんです。
「吉泉(きっせん)」TEL 0551-38-2530
私は「東日本一美味い焼肉屋」と呼び、今まで200人ほど紹介しています。
マスコミにもよく紹介されています。
私の旧HPでも紹介していまして、「HPを見た」と言えばサービスしてくれます。
ということを書いたHPは2年前に更新停止したんだけど、
今でも言ってくる人がいるらしい。
もちろんサービスしてくれます。

ここのご家族、京都・祇園で料理屋をされていました。
ご主人は弓道の師範で、三十三間堂の通し矢の行事を仕切っておられたとか。
頑固一徹の職人肌ですが、私のことをとても目にかけてくれ、
私が八ヶ岳を離れた二年前の最後の夜は、
「大好きなんや!何で行ってしまうねん!」と顔を涙でくしゃくしゃにして
抱きついてきました。
今は良い家族付き合いをさせていただいています。
その吉泉さん、今が大変な時期なのです。

昨今は、米牛肉輸入禁止のため、国産牛肉がどんどん値上がりしています。
部位によっては3~4倍の仕入れ値だとか。
とは言ってもそれをそのまま売値に反映することもできません。
正直言って「売るだけ損」のような状態が、全国的に起きています。
仙台の牛タン屋もどんどん廃業しているというニュースを見たことがあります。
今まで絶大な人気を誇ってきた吉泉でも他人事ではなく、
どうやって利益構造を作るかが課題なのです。
そんなわけで、店を閉めてから「これからどうする?」相談を受けました。
いろいろ話し合った結果、幾つか新メニューを開発することに。
加えて私は積極的に広報宣伝・営業活動をすることを勧めました。
今までは美味いものを出してさえおれば、分かる客は来てくれた。
でももうそんな時代ではありません。
うちのカミさんも、どこに行くにしてもHPや客のコメントをチェックしてから
店を選びます。
だから、店の良さを伝えるより一層の努力をどうするか、話し込みました。

また、夕方には友人が店を訪ねてくれ、再会を喜びました。
そうこうするうちに長い一日が終わりました。
八ヶ岳行きの目的二つめ。それは身体の調整です。
今までいろんな健康法や治療法を経験してきましたが、
今一番私にあっているのが、鍼治療で、
特に相性のいい先生が八ヶ岳にいらっしゃるのです。

亜空庵(あくうあん)Tel 0551-47-4903
ここの竹本先生、何がいいかって、
今痛いところをその場でおさめてくれるのです。

以前、私が福祉施設で夜勤に入ろうとしていた時、
突然腹痛を起こしました。その痛さたるやかつて経験のないもので、
冗談抜きで床に転がって動けなくなってしまいました。
その時たまたまその福祉施設に来ていた竹本先生、
その場で診てくださり、速効で痛みを取ってくれたのです。
「本当だったら救急車で即入院という状態だよ。」とのことでしたが、
無事夜勤の仕事をこなすことができました。
それ以来、私は先生の信奉者です。

ホントすぐにおさめてくれる。
今回も、「ここが痛いんですけど。」と私が何カ所か訴えると、
全く違う場所を押したり鍼を刺して、「どう?」
「はぁ、痛くなくなりました。」という具合。
小一時間で4000円。これで直れば安いものです。
もっとも、こういうのは相性があるだろうから、
誰彼にもお勧めするものではないけれど、
私にとればとっても相性の合う、ありがたい先生なのです。
今回も床抜け部屋改修で痛めた腰、復活しました。
ありがとうございました。
さて、今回八ヶ岳に行く目的が幾つかありました。
その一つ、きのこ狩りです。
2003年、私は八ヶ岳の「仙人小屋」http://www.oizumi.ne.jp/~sennin/
の仙人のもとで、冬は鹿を追い、春は山菜、夏は川魚、秋はきのこを採る
という修行をしていました。
修行はとても厳しく、また充実したものでした。

修行後、私は一旦丹波篠山で一人修行するつもりでしたが、
今のカミさんと出会い、カミさんの実家のある岐阜県に移ることになり、
この夏から岐阜の山を知ることから始めています。
ところがこの地域はヒノキが多いので、きのこが出にくいです。
しかも今歩き回っているところは標高が低く、今はまだきのこが出ません。
「修行場できのこを採る感覚を取り戻したい。」との思いは募るばかりです。
そうこうしているうちにカミさんが産気づいてくるでしょうし、
行くなら今しかない。
カミさんも「後悔しないように、今のうちに行ってきてください。」
と応援してくれたので、ではとばかりに出かけた次第です。

さて、11時頃に山に着いて、早速思い出の場所を巡ります。
まずはタマゴタケが採れる崖に。傾斜30度~45度の崖をどんどん登ります。
きのこを探しているうちに、仙人の言葉がよみがえってきます。
「足もとを見るな。遠くを見ろ。」
「歩みを止めるな。一つ見つけたら目は周りに。」
そうこうするうちに目当てのきのこ発見。
でも意外に小ぶりで数が少ない。仙人が先に採ってしまったかな?
まぁいいや。森の中で一人っきり、
足の裏からエネルギーが立ち上がってくるのを感じるだけで満足。
湧き水を飲み、カミさん手作りのわっぱ弁当を食って、次の場に。

ヌメリスギタケモドキの谷に到着。このきのこは春と秋に出ます。
この時期はもしかしてその間にはさまっているかとの懸念通り、坊主。
それにしても山が荒れている。とげの多い草が多く、進むのが難儀。

次はミノルフセンダケの高原。
ここは笹が多く、杖で足もとの笹をなぎ倒しながら探すので、
途中から手が疲れる作業です。
ミノルフウセンダケは輪になって出るので、
一つ見つかれば続けてゲットできるのが魅力。
以前、大きな輪を見つけた時は小躍りしました。
今回も3つ連なっているのを見つけましたが、その先が続かず。
でも他のきのこを少々ゲット。明日も場所をずらして来てみよう。

時々掘り出し物がでる秘密の場所に移動。でもウスダケ一つだけ。

以前クリタケの大株を見つけた沢に。でもタマゴタケ一つだけ。

ではタマゴタケ群生の里にと向かったものの、僅かなゲット。

16時まで動きっぱなしでしたが、採取量はとても少ない。
まぁシーズン最初だから仕方ないか。
ともかくきのこを採る感覚を味わうことができたのが良かった。
「きのこ目」と私は呼んでいますが、
最初に山に入った時は目が全然慣れてなくて、見つけられないものです。
それが何度も山に入るうちに見えてくるようになるのです。
だから、初日で採れただけで良しととしようか。
翌日に期待して終了しました。
一泊で八ヶ岳に行ってきました。
旅の内容を残す前に、八ヶ岳に対する想いをひとくさり。

八ヶ岳は私にとって特別の感情が宿る場所です。
私は大阪で生まれ育ったのに、なぜかずっと気になっていました。
杉田次郎の唄でまんま「八ヶ岳」というのがあります。
♪花飾りが似合うよ、若い母親だね。手を伸ばせば八ヶ岳、空が高いね。
♪子供連れの旅にはふさわしくないけど、一つ部屋で5年目の遅いハネムーン・・・
この唄が大好きでした。

社会人になり、始めて八ヶ岳に行ったのが、確か1984年のこと。
とても不思議な感動を覚えました。
例えば、本当に生まれ変わりがあるのならば、きっと私はここにいただろうな、
という感じ。それも縄文時代にいたような感覚です。
その後、毎シーズンのように訪問しているうちにある出来事が起きました。

1995年、阪神淡路大震災が起きました。
このときのくだりを書き出すとまた長くなるので今は省略しますが、
ともかく、「もうモノの時代じゃない、これからは心の時代だ。」と
直感で感じ、会社を辞め、東京を離れ、八ヶ岳に移住する決心をしたのです。
1996年秋のことでした。
それからの暮らしについては、私の旧HPにある通りです。

2003年晩秋にそこを去るまで、本当に充実した暮らしを送ることができました。
まさかいつか山を下りる時が来るなんて、想像もしていなかった。
それがいろんな事情があって離れる決心をし、
そのことがきっかけになって今のカミさんと出会い、一緒になり、
そしてもう間もなく新しい命が誕生しようとしている。
物事の流れの不思議さを感じます。

いずれにせよ、私にとって八ヶ岳は第二の故郷だといつも思っています。
今回も中央道を走り、八ヶ岳の稜線が見えてくると、
ここでの素晴らしい出来事や人々との出会いが一気によみがえり、
思わず涙腺が緩んでしまいました。
まさにそんな時、車のBGMで、
小田和正の「マイホームタウン」がかかっていました。
♪マイホームタウン、マイホームタウン
♪どんなに離れていても、いつかまた来るから・・・
おいおい、あまりにタイミング良すぎるんじゃないか?と
またしても涙腺が緩むのでした。