最近は身体を動かすことよりも、頭で考える時間が増えたからか、
今の暮らしやこれからのことについていろいろと考えることが多いです。

まずは自分たちの夢をどうやって実現していくか?
そしてこの先どうやって食っていくか?つまりどう稼ぐか?

どちらも既に動き出していることもあり、
「弓はとっくに放たれた」ことでもあるので、あとはやるだけなんだけど、
それでも具体的なことで現実に直面することは多いです。

例えば、再来年に店を出すとか言ってるけれど、
どういう売りで、どういうメニューを揃えるかというと、
これから話し合って決めていくことになります。
「自然食レストラン」と出すのか、「マクロビオティック」を前面に出すのか、
「地産地消」でいくのか、「仙人小屋」の暖簾分けスタイルでいくのか、
はたまた味の組み立てはどうするのかとか・・・。
メニュー構成の他にも、役割分担とか、店名とか、広報の仕方とか・・・。
店以外にも、畑の作り方、家の改修の仕方、地域との付き合い方、子育て・・・。
お互いのスタイルの違いを見極めながら、どう折り合いをつけるかが課題です。

そんな中、たまたま今読んでいる本で、
有吉佐和子著「出雲の阿国」の内容がダブってきて、感じ入るところがあります。
「歌舞伎の始祖」と呼ばれる阿国の一生をなぞったもので、
実はかなり創作が入ってるらしいですが、
時代の変化を読み取りながら這い上がっていこうとする男の生き様と、
そんなことに関係なく自由に踊り続けることに喜びを感じる阿国の生き様の
違いが浮き彫りにされていて、結構面白いです。

男って所詮その時代の社会通念の中で、
「より高いポジション」につきたがる種なのかなと考えてみたり、
でもある程度そういう物差しも持たないと現実には食っていけないよねと考えたり、
かというと、ああ嫌だ、そんなくだらんことに気を使うのは、
なんて声も頭の中でで聞こえるし、私も結構迷える子羊です。
それにしても、その割によくぞここまで人生の意思決定をしてきたものだなと
感慨無量になってみたり。
繰り返しになりますが、こんなことをつらつらと考え巡るほどには
心のゆとりができてきたということですかね。
あれこれ頭の中で考えを回すのを楽しんでいるところもあります。
最近は僅かでも時間があれば薪ストーブについて調べています。
来年に厨房を改造して、そこにキッチンストーブを置くところまでは決まりました。
置くスペースも4畳以上確保できそうです。煙突設置の場所もそれほど問題はなさそう。
さてではどのようなストーブを置くか。
①暖が取れて、店で出せるような調理が十分にでき、
②ずっと愛着を持って過ごせるような存在感があり、
③しかも、煙突工事も含めて値段が安く収まるもの
全ての条件を満たしてくれるものを求めて、探し回っているのです。

まだあやふやな情報ですが、今のところ見えてきたのは、次のような点です。
【輸入薪ストーブ】
・私も以前使っていました。
 暖を取り、愛着を持つという点では申し分ありませんでした。
・でも何と言っても値段が高い。特に煙突工事代がストーブと同じだけする。
・それなりのものを求めれば、70~100万円かかります。
・噂によれば、ある社ではマージンを300%取ってるとか。
 つまり仕入れ値の4倍で売ってるわけです。本当だったらものすごくぼられてる。
・かと言って、ホームセンターで売っている数万円クラスは燃費が悪く寿命も短いらしい。
・キッチンストーブはさらに2~3割増しになりそう。
 欧米のやつはやたらデザインが施してあって趣味が合わないし。

ということで、視点を変えて国産品を探すことにしましたが、
「薪ストーブメーカー」というのではなく、鍛冶屋さんを探すことになります。
今のところ、数箇所が見つかり、コンタクトも取り始めました。
国産品に共通しているのは、輸入品に見られるような飾りつけが少なく、
シンプルで、体裁のないごつい感じのものが多いことです。
これは私達の好みに合います。
道具は持ち主の使用によって美しくなるものですから、
最初からやたら装飾することもないと思います。

値段は輸入品よりは若干安いものもありそうです。
本音を言うと、もっと安いのがあればなぁと思うけど、
また暖を取るだけなら安いのもあったんだけど、
この点はこれからご相談したいところ。

一つ課題が出てきたのが、調理オーブンスペースの場所です。
炊き口の上にあったり、下にあったり、横にあったりと様々です。
私達の調理に合った火の通し方については、これからもっと勉強せねば。
それには一軒一軒鍛冶屋さんを訪ねていく必要もあるでしょう。
やっぱり実物を見て、作り手に会って、ちょっと大げさですが、
生き方に共感し合える人にお願いしたいものです。
これからの人生の長き友を選ぶわけですから。
キッチン薪ストーブ選びの道はまだまだ続きそうです。
今朝、カミさんが新聞広告を見て発見しました。
「今日、花市場でくだもの苗が7割引きだって!」
これはチャンスと開店に合わせて出かけました。

行けばなるほど確かに安い。
いちじくの実が既に10個ほど付いた苗が252円。
実は先週この店で全く同じのを1000円で買いました。
それでも近所のコメリより400円安いと思ったんだけど。
ともかく3本ゲット。これで合計4本だ。うまくいけば、いちじく成り放題だぞ!

他にもキンカン、姫りんご、レモンなども全てすでに実を付けていて各252円でした。
とりあえずキンカンだけ買いましたが、さて問題はレモンです。
既に直径8cmほどの巨大な実をつけてますが、
本当にうちのような寒冷地で育つのだろうか?
お店の人に聞けば、「さぁ、どうでしょうね。真冬は無理でしょうね。」だと。
だったら売るなよ、と言いたかったですが、
要は鉢で育てて冬の間は家の中に置いておけということでしょうな。
標高600mの岐阜の山村で、あまり無理は考えない方がいいのかも。

私は以前、八ヶ岳の山麓で標高900mほどの土地に暮らしていましたが、
やっぱりレモンを育てて失敗した経験があります。
ローズマリーやレモンバームも駄目でしたね。
みんな不思議と1月末までは元気なんです。
それが2月に入った途端に枯れていきます。あと一ヶ月で春が来るというのに!
そもそも熱帯や亜熱帯の植物を寒冷地で育てようというのが自然じゃないんですね、
きっと。

それでもパーマカルチャーを実践している人の話では、
工夫次第で結構無理がきくと聞いたことがあります。
実は私、とっても好きな植物で、できれば育ててみたいものがあります。
それはマンゴーとアボガドです。どうだろう?無理かなぁ。でも育てたい!
それも鉢やハウスではなく、地植えで。
南向きで風の入らない場所を作れば何とかならないかなぁと目論んでいます。
どなたか良い知恵があれば教えてください。
北限に挑戦だ!

他にも既に我が家ではいろんなくだもの苗を育てています。
ブルーベリー20数株の他、プルーン、プラム、梅、リンゴ、ネクタリン、ユズ、柿、・・・。
いつかきっとこれらが私達の暮らしを豊かにしてくれるはず。
そう信じて、苗を増やし続けています。
いったいいつになったらその日が来るでしょうか?お楽しみです。
2005.10.28 いろいろ支度
今日はこれからの暮らしに向けての支度をしました。
まずは草刈りです。
私達が借りている土地は約1500坪あります。
今年は出産あり、家の改修ありで、どうしても草刈りが後手後手になり、
ほとんどの土地が夏の間に雑草に覆われてしまい、見るも無残な状態になっています。
これらを一気に片付けようと言うのは無理があるので、
先週から、週に一日だけ草刈りをすることにしました。

いずれにせよ、多分これが今年最後の草刈りになるでしょうから、
どの場所も丁寧に刈ることにしてまして、その分結構時間がかかります。
でも毎週少しずつ視界が開けていくのは気分がいいです。
最後には、荒れ放題の茶畑や、将来大改造する予定の湧水池や、
玄関にあたる場所の花壇や石垣なども綺麗にしていくつもり。
これで何とか正月までにはそれなりに体裁良くなるかなと皮算用です。

次はチェーンソーのメンテです。数年ぶりにしました。
1996年に東京から八ヶ岳に移住した当初、やっていたことと言えば、
庭を掘って石を組んで石炉を作ったり、
近所から丸太を運んで薪小屋を作ったり、薪を作ることばっかりでした。
その当時はチェーンソーを使うのは初めてのことで、
それだけに毎日ワクワクしながら作業してました。
作業が終わると、毎回チェーンソーを解体して掃除して刃を研いで、
気がつくとどっぷり日が暮れていたなんてこともしょっちゅうでした。
おかげでチェーンソーはいつもピカピカで即使える状態。
それが自慢でもありました。

それが今や他の作業に追われてまるでほったらかし。
当時の私が今朝のうちのチェーンソーを見たら、
「こんなに道具を粗末にする人は信用できない!」と付き合いをやめていたかも。
本当はいつも気になっていたんだけど、ここに行き着くまでに他にやることが多すぎた。
何よりも、チェーンソーをメンテする道具そのものがどこにあるのやら、
こういったことも先日、道具部屋を整理したことで解決し、
ようやくわが愛機と再会できることになった次第です。

それにしても全くひどい状態でした。「御免ね御免ね」と言いながら解体し、
丁寧に汚れを落とします。最後に刃を研いでようやく復活。
試し切りしますが、まだチェーンの張りやオイルのバランスが良くない。
これはこれから使いながら調節していこう。
とにかく「ずっとやりたかったこと」の一つに着手でき、それはそれで満足です。

他にもこういう作業は山ほどあるんですね、実は。
例えばファルコンのブラッシングとか。
八ヶ岳にいた頃は毎日していたのに、
今年は何と、5月に引っ越してから一回しかしていません。
おかげでファルコン、ドロドロです。申し訳ない。

そんなことを感じながらも、夕方にはつい庭先に目が行き、
クルミ拾いに時間を費やしてしまいました。
100個程度ですが、さて食えるものが入ってますか。
こういった諸々の作業、これから春までにずっといろいろありそうです。
2005.10.27 たそがれ大阪
あまりにもあっけなく、日本シリーズが終わってしまいました。
第4戦の朝、私は仕事仲間と阪神電鉄本社ビルの近くにおりました。
「何かこのまま負けそうな気がするな。」
「今日も10-0で負けるんとちゃう?」
「そうなったら暴動が起きるぞ。」
「今夜の試合終了頃に、このビルの近くにおったら危ないな。」
と不謹慎な会話をしておりました。
職場では、机の上に「阪神タイガースの日本一御堂筋パレードを成功させよう!」
のチラシが。
何となく涼しげな風が吹いているように感じたのは気のせいか。

さて今朝ですが、やっぱり大阪中が淡々としておりました。
取引先に行くと、「あんだけ一方的に負けたら悔しい気も起きませんな。
『惜しかったな』なんて思うような場面がまるでなかったやないですか。」
と淡々とされてます。
阪神百貨店は結構繁盛してましたね。
残念セールにおばさん方が目の色を変えてました。
面白かったのが、阪神電鉄本社ビルの脇にあるジャスコです。
同じく残念セールをしているのですが、
かかっているのぼりを見て吹き出しました。
「阪神タイガース、感動のフィナーレをありがとう!」
どこに感動のフィナーレがあったんだろう。
もちろん既に印刷してあったからなのでしょうが、
あまりのミスマッチに驚きました。

さて、夕方には岐阜の自宅に戻り、今夜は地域の常会です。
一通り議題が終了して雑談になった時、やはりこの話題になりました。
みんな言うことは同じで、「あれだけ主軸が押さえられたら仕方ないな。」とか、
「これほどまでに名前も顔も知らない選手にやられるとはな。」とか。
最後に締めで、
「それにしても我が中日は、あの阪神に負けたのか。」
そうでしょうね。
セリーグの他のチームの選手やファンも忸怩たる思いでしょうね。
たそがれ大阪のムードが、岐阜の山村にまで漂っておりました。
2005.10.26 子守唄
みなさん、赤ん坊を抱く時に何を唄いますか?
私はどうするかなんて、そうなるまで考えてもいませんでした。
抱き始めた頃はただ、「おいおい」とか「ほれほれ」とか
全く意味のない掛け声ばかり掛けていました。
でも一ヶ月を迎える頃になると、だんだん親のいうことも分かってくるとかで、
カミさんがしきりに話しかけているのを見ると、
私もこのままではまずいと感じ始めました。でも何をしゃべっていいのやら。

現実には私が悠太を抱く時間なんてかなり限られていますので、
だからこそ向き合っている時が大切なのでしょうが、
悲しいかな、声の掛け方が分からない。
仕方なしに何か子守唄でもと思うけど、そいつも歌詞が浮かばず、
ついついハミングばかりになってしまいます。
カミさんは最近、童謡の本を図書館で借りてきて、そいつを見ながら唄ってます。

さて私はというと、いざ抱く段になると、そういう歌詞を読むのも面倒で、
近頃はその時に浮かぶ歌を唄うことにしています。
最近までよく唄っていたのは、「天才バカボン」の歌。
「柳の下に猫がいる。だから~、ネコヤナギ~」と唄ってました。
これは悠太がハジメちゃんに似ているという、全くの親バカから出たものです。

それがつい二日前ですか、一つの発見がありました。
たまたま悠太が大泣きしている時に預かり、急に浮かんだ歌詞がこれ。
「あれは誰だ!誰だ!誰だ!」
分かります?
「誰だ!誰だ!誰だ~!」のガッチャマンじゃないですよ。
「あれはデビル、デビルマ~ン、デビルマン」の歌でした。
すると、それまでわめいていた悠太が急に泣き止んだではありませんか。
調子に乗って続ける私。
「裏切り者の名を受けて、全てを捨てて戦う男~♪」
すっかりおとなしくなった悠太に勇気づけられ、唄い続けます。

でも最後の方の節、「あ~くまの力、身につ~けた」でちょっと躊躇しました。
子供にこんな歌詞を聞かせていいのだろうか?
子供に『悪魔ちゃん』と名づけようとして拒否された親もいたよな。
まっ、いいか、デビルマンは正義のヒーローなんだからと自分を納得させ、
最後まで唄いました。

実はね、この歌、私のカラオケ十八番の一つなのです。
他に「宇宙戦艦ヤマト」とかね。ササキイサオ系の歌。
結局最後は普段から唄い慣れているものに行きつくんでしょうね。
だからカラオケ系になるのは仕方ないや。
そう腹を決めると、割とゆとりが出てきました。
これからはケツメイシだろうが、バンプオブチキンだろうが、
「河内おとこ節」だろうが、何でも唄って聞かせよう。
あとは悠太の受け留め方次第だ。
でもこれで本当に悪魔の力を身に付けたらどうしようかなんて、
心の片隅でちょっとだけ気がとがめてもおります。
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2005.10.25 グリコピア
今日は「グリコピア」というところに行ってきました。
グリコの工場見学とグリコにまつわるいろんな情報が分かる施設です。
神戸から結構離れた工場団地の中にあり、行くまでが面倒でしたが、
着いてみると、結構子供が大勢来ています。

私が参加したのは午後三時のコース。ほとんどが親子連れかカップル。
サラリーマン風の独り者は私ともう一人だけ。その人は修学旅行か何かの下見の様子。
明らかに私は浮いてました。でも構わず参加。

最初にグリコの簡単な歴史や、CMなどに参加したタレントの写真を閲覧。
次にホールにて「チョコレートの誕生」なるビデオ鑑賞。
その後、ポッキーの製造&包装工場を見学して、チョコレートハウスで一息。
チョコレートの歴史を学びます。
最後に3Dシアターでポッキーの誕生をモチーフにしたアニメを見て、
そこを出ると、グリコのおまけがずらっと並んだコーナーなどを見ておしまい。

計1時間強のコースでしたが、なかなか良くできてました。
でも欲を言えば、これだけの材料を持っているのなら、
もっと盛り上がる演出をできるのではと正直感じました。
例えば、チョコレートはその昔、スペインで不老長寿の飲み物として広まったらしいですが、
その当時の飲み物を再現して飲ませてもらえたら嬉しいし(勿論有料でも可)、
チョコレートやポッキーをその場で作る体験ができたら、
世界に唯一の「マイチョコ」「マイポッキー」が手に入るだろうし、
チョコレート(正確にはココアか?)が身体にどのようにいいのかとか、
タバコじゃないけど、食べ過ぎに注意を促すようなこととか、
私たちの暮らしにもっと近づいた演出が可能なのではないかなとアイデアが浮かびました。
他にも、産地によって味が違うとかいうチョコレート原料の味比べとか、
グリコの語源になったグリコーゲンの試食とか、調理レシピ紹介とか、
自分だけのおまけを作ってみるとか、
おまけのアイデアを出して製品化させるとか・・・。

でもそういうアプローチでグリコのファンが増えることになればいいのでしょうが、
あまりにチョコレート好きの子供が増えるのもなんだしな。
現実に私も「今日はチョコレートを買って帰ろうか」なんて考えてしまいました。
子供にすれば、「親が連れてきてくれたんだから、チョコレートを食ってもいいだろう」
何て当然考えるだろうし、少々複雑な気分にもなりました。

最後に、グリコの創設者・江崎利一氏の語録から。
「スローガンやキャッチフレーズの長さは12字まで。
 息が臭くなるまで考えろ。
 これと決めたら、キュッキュッとやり抜け!」
「ものごとを考える時は、額やわきの下から脂汗が出るまで考える。」
他にもいろいろありましたが、特にこの二つからは匂いがして印象が残りました。
結構泥臭い会社ですね。それはそれで親しみ易さを感じた次第です。
今日はお義母さんが来てくれたので、
今まで育児を助けてくれたお礼も兼ねて外食しました。
行った先は、下呂温泉の料理屋「志むら」。
下呂温泉で一番と言われるお店の料理長が独立して、
山中の古民家を改修し、地元の旬の食材を使って料理してくれる店です。

カミさんの妊娠中に一度行った時、値段に比べてとても満足したので、
今回改めて伺った次第。
店に着くと、奥さんは私達の顔を見てすぐに思い出してくれました。
最近、私はすぐに顔を覚えてもらえます。顔というか、頭というか。
坊主頭で、普段は作務衣でいるので印象が強い様です。
坊主頭で、スーツ姿でいる時もすぐに覚えてもらえます。

店は古民家を改造と言っても、ほとんど新築したんじゃないかというくらい綺麗です。
前回は一人3150円でしたが、今回は思い切って4200円コースをお願いしました。
お店の了解を取っていないので、あまり詳しい紹介はしませんが、
どれも美味しくいただきました。
どれもキノコと魚と飛騨牛をふんだんに使った料理は納得です。
面白いのは鯛と飛騨牛の刺身。一皿に盛り付ける発想が斬新です。
また今頃は丸々と太った落ち鮎が美味しい季節です。
皿数も多く、今回もとても満足しました。
グルメのお義母さんも「今度友達を連れてくる」と言ってくれました。

私達がこの店に注目しているのは、私達がこれからやろうとしていることと比べて、
とても参考になることが多いからです。
まずそのロケーション。
本当に山中の高台にあり、とてもちょっと立ち寄るというような立地ではないです。
よくぞこの場所を選んだなと本当に感心します。冬は凍結して大変だろうな。

次に古民家を改造して、地元の旬のものを活かそうという心意気です。
お金の賭け方も、料理の腕も、私達はとてもかないませんが、
店のしつらえや料理の工夫が参考になります。
普通だったら一流店の料理長で収まっていれば安泰だろうに、
きっと腹に思い描く夢があったんでしょうね。
一人でサービスを切り盛りする奥さんは、今回初めての経験とか。
決心する時はかなりの勇気がいったでしょうね。

8畳~10畳ほどの部屋に一組ずつの客を入れるようになっているのも、
私達のイメージに近いです。
ざっと見ただけですが、今日は月曜なのにほぼ満室でした。
口コミで確実に客がついているのも、妙な話ですが勇気づけられます。
つまり、この店を見て、将来の私達の姿をシミュレーションさせてもらっているのです。
だから是非成功して欲しいし、何かの機会に良いお付き合いができればな
なんて勝手に期待しています。
これからのご繁盛をお祈りします。私達の夢の分も乗せて。

鯛と飛騨牛の刺身
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今朝の気温は4℃! この秋最低の寒さです。これはもう秋じゃなくて冬ですね。
それでも日中は晴れて外はポカポカでした。ところが家の中が寒い!
私は家の外が寒いのは全然平気ですが、中が寒いのは嫌です。
私は変温動物なので、身体が冷えてくると動かなくなりますし、
何だか心も冷えてくるような気がします。
そこで急遽冬支度をすることにしました。

その前に、前から気になっていた家周りの草刈りから。
今頃の草にはイネ科らしき大きな種をつけたヤツが一杯いて、
ファルコンに付くと、何故か毛を這い登っていき、
しまいには身体に突き刺して、ファルコンが血を見るのです。
だから私達の土地に関係なく、ファルコンの散歩道の草刈りをしました。

さてその後、今日の本題の第一番。戸板の障子張りです。
そう、戸板に障子が組み合わさっているのです。センスいいです。
でもこいつら相当痛んでおり、また汚れていました。
障子の部分が外れたので、そいつの障子紙をはがし、乾かし、
桟が折れたり痛んでいたのを建具屋さんよろしく修繕し、
桟が足りない分はそれで良しとして、床材に使った塗油を塗り、
そしてようやく障子張りです。
結構手間でしたが、割と好きな作業でした。何だか職人になった気分。
出来栄えにも満足です。一部桟が無いのもオシャレでしょ?
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次は土間との境にある引き戸の上の隙間を埋める作業です。
もともと太い梁が通っているところの下に引き戸をはめ込んだらしく、
その隙間が大きく開いています。
夏の間は風が通って良かったけれど、冬は暖気が逃げそう。
この隙間を埋めるのに、段ボールを使うことにしました。
最初はただピンで留めるかなんて安直に考えていたのですが、
だんだん発想がエスカレートして、立体的に壁を作ることにしました。

まずは大き目の段ボール箱を解体し、隙間に合わせて図面を引きます。
そしてカットしたのが、下の写真です。
CIMG0416-2.jpg

それを組み立てるとこうなります。
CIMG0417-2.jpg

こいつを隙間にはめるとこんな感じです。
右側はまだ隙間がありますが、また日を改めて作ります。
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最後に厨房との間にはまっていたガラス戸を掃除&修繕してはめ込み、
ようやく居間が全て戸で囲まれました。
これで何とか冬を越せそうかな?
2005.10.22 環境フェスタ
今日は地元の環境フェスタに行ってきました。
お目当ては一つ、「メダカのプレゼント」です。
前からずっとメダカを飼いたかったのです。増やしたかったというか。
というのも、私達はこれから雨水を有効に使う暮らしをしようとしています。
今はまだ一箇所でタンクに貯め、畑の水やりに使っている程度ですが、
いずれは屋根中の水を貯め、畑に巡らせたり、トイレ用などに使いたいと考えています。
そこで貯めた水なんですが、日本だとどうしてもボウフラが湧きます。
そこで活躍するのがメダカ君。ボウフラをどんどん食ってくれます。
そんなわけで、今回のメダカプレゼントはどうしてもゲットしたかったものでした。

さて会場の環境センターに行くと、結構な人手。
オープニングセレモニーも無視してメダカプレゼントコーナーに並ぶ人々に続き、
持参したペットボトルを差し出しますが、そいつに入れてくれるわけではなく、
他のペットボトルに入れられたものと交換するという仕組みになっていました。
奥ではメダカの入った大きなポリバケツからペットボトルに、必死に漏斗で移すスタッフ。
そのスタッフの苦労を省みず、
「私がもらったのはメダカが少なかったんですけど!」と抗議するお母さん達。
たまたま私の順番に巡ってきたペットボトルを見て、
「あっ、あの人のは多い!」と叫ぶ声を聞き、そそくさとその場を去りました。
あとで数えると12匹、確かによそより多い。しめしめ。

さて早々に目的を達したので、あとは余裕で見物です。
メダカの隣では「大気環境木の苗」プレゼントコーナーがありました。
カミさんは「マユミ」、私は「ムクゲ」の苗木をゲット。
でも何故これらが大気環境木なのかは聞くのを忘れました。
その後も堆肥や液肥をくれたり、四葉のクローバーの球根セットをくれたり、
何だかあれこれいただき、大荷物になってしまいました。
思いもよらぬタダものゲットで大満足の私達。

ある時刻になると「只今よりテレビでおなじみの環境タレント
『鉄崎幹人』さんの環境トークが始まります。」とアナウンスがあったけど、
テレビを見ない私達は「環境タレントって何?」と、そちらには行かず帰りました。

それにしても環境がらみのイベントでこんなに人が来るとは思いませんでした。
しかも子供が多い。何でだろう?他に娯楽がないのか?
帰り道にいろいろ考えましたが、結論は「東海の人々は祭りが好きなのだ。」ということ。
何かの統計をみたことがあるけど、東海はやたら祭りごとが多いらしい。
「愛知万博が成功したのは、東海でやったからですよ。」と言う人もいました。
確かに期間中何度も行った地元人が結構紹介されてましたもんね。
中には毎日行った人もいたとか。すごい!まるで通勤だね。
ともかく、環境をネタにしたイベントでこれだけ人が集まるようになったのは
理屈無しで良い事だと思います。
入り口はお遊びでも、次第にこういうテーマに慣れ親しんでいけばいいんですからね。

帰宅後、さて何にメダカを入れようかと思案しましたが、
昨日の味噌蔵片付けの時に出土した、土器のような漬物桶に入れることにしました。
メダカと一緒にもらったホテイアオイも入れ、池の水を加えると、
メダカ達も落ち着いた様子。
来年は家族を増やすんだよ。そしてしっかりボウフラを食っとくれ。
と呪文を唱える私でした。

これじゃ分からんかな?
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先日、うちの改修はほぼ終わったと書きましたが、
実はまだ手をつけていない場所がありました。
その場所は母屋の一部なのですが、ある意味でうち捨てられた場所でして、
我が家の今の暮らしにとって「関係の無い」場所だったのです。
それは、裏玄関。
玄関と言ってもただ扉がついた裏口なんですけど、それでも2畳はあります。
そこと厨房の間に味噌蔵があって、そこも2畳ほど。
またそこと書斎の間に何故か1畳半のスペースがあり、
合わせて6畳ほどのスペースが今まで見向きもされていなかったのです。
都会じゃありえないですね。わずかなスペースでも生かそうというのに。
田舎ならではです。

今日、この最後の禁断の場所を片付けました。
何で今までほおっておいたかというと、味噌蔵にあるものが不気味だったから。
で、何で片付ける気になったかというと、
ネズミが最近この辺りの壁で走り回っていたからです。
つまり、ネズミのおかげでようやく手をつける気になったということ。

それともう一つ理由があります。
来年は厨房を大改造する予定でいます。
これらの部屋は厨房に接しているので、
いっそのことつないで増床しようという魂胆なのです。
これらの部屋の壁を全てぶち抜くと、14畳ほどの厨房が出来上がります。
そこにはキッチンストーブも置き、再来年の店開業はもちろん、
料理教室を開くこともできます。(カミさんはこちらにもご執心)
だからこの際一気に片付け、壁をぶち抜いてネズミを追い出し、
正に「片を付けよう」ということになった次第。

それにしても味噌蔵、本当になんだか不気味でした。
いったい何年寝ているんだろうという樽が並んでいました。
きっと漬物なんだろうね。全て黒くて分かりません。でもなんだろうこの異様な臭い。
特別に臭いわけじゃないんだけど、もちろん良くもない。
きっと納豆やトウフヨウ(豆腐を腐らせた沖縄料理)を最初に見つけた人は
こんな状況から発見したんじゃないかと思いましたが、私はとても手を出す気はないです。
まるで十数年ぶりに出土したかのような樽を外に出し、まずは一息。

お次はネズミが走っていた壁です。
恐る恐る壁板をはがすと、おおっ!見事な光景が!
これは写真を撮るべきだったかもしれませんが、やっぱり公開すると家の恥です。
そうね。夏休みの宿題で、塩ビの入れ物に入ったアリの巣作りというのがあったでしょ。
あれのネズミ版が壁に現れたと想像してください。
壁の隙間には断熱材があったのですが、それが見事に彼等の寝床になってました。
埃にゴホゴホしながら片付け、こちらも一息。

さてそれから後がお楽しみタイムです。
これからここをどうやって改造しようかな?
さっきキッチンストーブと書いたけど、なかなかモノが少ないです。
大体値段が高い。しかも私達は通常の使い途だけでなく、
つまりオーブンでパンやピザを焼くだけでなく、
煙突をいじくってスモークや乾物なんかも作ろうとしています。
このニーズを満たしてくれるキッチンストーブはいったいどこにあるのか?
これから方々探し回ってみることにします。

見つからなかったらいよいよ自分で窯を作るか、なんてカミさんに言ったら、
「だったら家の中からも外からも薪や焼き物を出し入れできるようにして。」
なんてリクエストされ、それってどうするの?と頭がぐるんぐるんしてくる私です。
でもとっても楽しい!

出土した漬物たち これは一部
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2005.10.20 地域審議会
今夜は地元の地域審議会に参加してきました。
まずはじめに、配布された資料の一部を転載させていただきます。

「開催趣旨について
 地域審議会は、合併で行政区域が拡大したことで住民のみなさんと行政の距離が広がり、住民のみなさんの意見が施策に反映されにくくなるということがないように、合併特例法により設置されるものです。(中略)市長の諮問に応じて、たとえば、新市建設計画を行っていくうえでの意見や建設計画の変更に関する意見、また対象区域にかかる必要と認める事項についても、市長に意見を述べることができます。(中略)林業、農業、商工業、福祉、文化・スポーツ、教育、生活の利便・安全という7つの分野についてそれぞれ座談会を開催して、みなさんからお考えやご意見をお聞きすることにしました。」

つまり、今はやりの市町村合併により、
特に辺境の旧町村の住民にとって行政サービスが低下するのでは
という不安を取り除くために行われている会合です。
これまでも出てみたいと希望していたのですが日程が合わず、
今日初めて参加できました。今日は「文化・スポーツについて」です。

会場に着くと、結構集まってます。ざっと40名程度か。
見ると、正面の主催者側ど真ん中に、お世話になっているN工務店のN社長が座ってます。
知っている人がいたことで安心したものの、内心ヤバッと思った気配を察してか、
社長が一言、「masan、ここに来て座って。」と最前列ど真ん中の席を指定されました。
しかたない。腹を決めてその席に座ります。

さて座談会が始まりましたが、あらかじめ関係各団体の代表が呼ばれていたようで、
そういった人たちが順番に意見を述べていきます。
細かいことは書きませんが、苦情やお願い事が中心でした。
「練習場が老朽化してるから補修を」「道具が足りない」
「合併によって助成金が減るらしく、それでは遠征できない」
「文化事業の後継者がいない」「ボランティアでは資金的につらい」
「登山道にトイレを」「冬季の道路メンテの充実を」などなど。

きっとどのテーマでも、またどの地域でも同じような話をしているんだろうな。
そして、全国の合併した市で同じことをしているんだろうなと感慨にふけっていると、
司会者が「ではこれから自由に意見を言ってもらいます。」とか言いながら、
突然私を指名してきました。これって全然自由じゃないじゃないかと思いつつ、
N社長がここに座らせた時からある程度予想もしていたので、マイクを持ちました。
N社長から「まずは自己紹介をしなさい」と促され、それは簡単に済ませて本題に。

「個々に課題があることは分かりました。でもそれを言いっぱなしだと、
結局負担が自分に帰ってくるだけで、状況は変わらないのでは?
今回、この市では7市町村が合併しました。
ということは、この種の会合が7×7=49回開かれているということです。
つまり、今日の、たった1/49の会合でさえ、これほど多くの課題が出てきた時、
ただ要望を述べるだけだと、きっと事はあまり改善しないだろうということです。
だから大切なのはそれらの課題をつなぐこと。
行政の縦割り組織に合わせたテーマに沿うだけでなく、
横断的に話し合い、つなぎ、まとめること。
少なくとも「旧加子母村はこう考える」といったビジョンをまとめることで、
何がしかの動きが出るのではないでしょうか?
でないと、繰り返しますが、負担はきっと個々にまた戻ってきますよ。
新参者がいきなり勝手なこと言ってすいません。」

会場のみなさんにどれだけ真意が伝わったか分かりませんが、
その後に話された、中学校長や小学校長は私の意見を受け止めるような発言をしてくれました。
また最後にN社長が、
「実はそういう受け皿としてNPO法人の設立を考えている。」とコメントされました。
きっとこの設立活動にもこれから参画していくことになるんでしょうね。
今はまだ本当に地域のことを何も知りませんが、
少しずつ溶け込んで、何がしかお役に立てられればと思う気持ちは強いです。
ただね、現実には自分達の家や暮らしをどうするかで一杯一杯なんですけど。
まぁきっと何とかなるでしょう。ともかく有意義な会合でした。
2005.10.19 ネギ食いの私
秋風が吹き始めると、もうすっかり鍋が恋しくなる季節ですねぇ。
なんて、まるで新聞の全面広告のような出だしで始まりましたが、
実際、寒くなるとうちは鍋が続きます。
そして、「鍋と言えばネギ」というのが私のモットー。
私は大の「ネギ食い」なのです。

具としてのネギじゃないですよ。薬味のネギです。
うちのカミさんはいつも抑え気味ですが、
実家にいくと大抵どんぶり二杯程度のきざみネギを用意してくれます。
それだけをほとんど私一人で食ってしまいます。
つまり、具を食ってるんだか、ネギを食ってるんだかというくらいです。

私が何故ネギ食いになったかと言うと、それは小学生時代にさかのぼります。
当時、ある時に、「食べ物の好き嫌い調査」というのがありました。
私はその時に唯一「ネギ」と書いたのです。つまり、嫌いでした。
ところが、その隣で「僕は嫌いな食べ物はありません。」というヤツがいて、
先生がそいつのことをとても褒めたのです。
それを見た私、とっても悔しかったんでしょうね。
その日に帰宅するなり、母親に「ネギを出してくれ。」と注文したらしい。
そして無理やりバクバクとネギを食ったとさ。

面白いもので、それをきっかけに私はネギ好きになってしまいました。
だからいわれを知る親は、いつもネギのみじん切りを用意してます。
私が好きなネギ料理、それはネギとジャコを合わせたものです。
それにポン酢醤油と一味唐辛子をかけていただく。
これがあるだけで酒もご飯もすすみます。

このようにすっかりネギ好きの私ですが、関東に移住してから不遇の日々でした。
関西で普通に食べるネギが手に入らないのです。
関東で皆さんが食べているネギは白ネギで、関西では「東京ネギ」と呼びます。
関西でネギと言えば、「九条ネギ」です。生き生きとした緑の部分を堪能します。
関東の人が白ネギの緑の部分を捨てるのを見た時、とても驚きました。
「ネギって白いもの」と思っているみたいですね。
こんなに流通が進んだ世の中で、九条ネギが出回らないのは全く不思議です。
あんなに美味いのに。

そして、こいつはぜひ皆さん実行してほしいのですが、
スーパーで買ったネギでもできることです。
ネギの根っこから5cmほど残して、水を入れたコップに入れてほしいのです。
それだけでネギってやつは次のを出してきます。
そいつをそのまま食べても良し、
できるならば家の周りに植えてやってください。
「ネギも積もれば山になる」と言います。嘘ですが、
地道にこの作業を続けておれば、いつの日にかネギを買わずに過ごせるようになります。
今時、こうやって育つ作物ってそうそうないですよ。
世の中で出回っている種はほとんど「F1」というやつで、
その年しか出ないやつなんだから。これは種業者の陰謀です。
でもネギは違うんです。買った時に根が出てなくても、しっかり育つんです。
だから是非とも皆さん、ネギを愛でてやってくださいまし。
ネギ食いからのお願いでした。
5月末に古民家に引越し、いろいろ改修を重ねて、
ようやく最近になって当面暮らしていく上ではひと段落となりました。
この後も細かい改修や片付けは続きますが、来春までは大きな変化はないでしょう。
そこで次なるプランは、「厨房大改造計画」です。

その理由の一つは、再来年の春に店を開けたらという希望があります。
最初は季節限定の、しかも週末だけの店になると思いますが、
それでも保健所の許可を得る必要があります。
当然ながら今のままでは無理です。
先日、地元の保健所に相談し、
飲食店を出す場合と、簡易旅館を経営する場合の基準について話を聞いてきました。
いやぁ、なかなか大変そうです。
シンクを並べて2槽以上必要だとか、それ以外に手洗場が厨房と客間に必要とか、
床から1m以上の高さで不浸透性の素材が必要とか、実に細かい指示があります。
これらをクリアしないと店を出せないとか。

二つ目の理由は薪ストーブの使用です。
前にも書きましたが、
以前いただいたダルマストーブを土間に置きたいと願っていました。
でもその後いろいろ調べると、それはとても厳しいことが分かってきました。
当初の予定では煙突を横に伸ばして壁から抜くつもりでいたのですが、それだと横に5mの煙突を引くことになり、それは火事を呼ぶようなものだそうです。
でも、土間から真っ直ぐ煙突を立てるとなると、母屋の大屋根を通すことになり、
それだけで大掛かりな工事になってしまいます。お金かかるし。

そこで頭を切り替えて、薪ストーブは厨房に置くことにしました。
厨房の屋根は低くて、煙突工事も楽にできそう。
もしそうするなら、暖房だけでなく、調理ができるストーブを置きたい。
すると、それなりの薪ストーブを置きたいと願望が変わってきました。
ということで今年の冬は薪ストーブは諦め、来年に厨房に設置することにしました。
だから薪ストーブのある厨房の設計が必要になってきます。

またそれ以外にもいろいろ理由があります。
カビ対策を徹底させたいとか、隣接する風呂場も新しくしたいとか、
カウンターを設けたいとか、採光を良くしたいとか、・・・。
こういった要望をできるだけ満たしていくには、
それなりの計画と段取りと予算が必要です。

昨日、こういったことを二人でじっくり話し合いました。
これから考えをまとめて、工務店に相談していくことになります。
想像ですが、まともに頼むとざっと500~600万円はかかりそう。
上を見れば限りないです。とてもそんな金はないです。
何とか200万円以内で、限りなく安く収められないか、それが当面の課題です。
それには極力素材を安く求め、できるところは自力でやりくりするしかありません。
でもこういう作業は結構好きなんですよね。
いろいろ考えているうちに、頭の中がぐるんぐるんしてきて、眠れなくなります。
それが愉快です。

今日も暇があればそういう段取りを想像してはワクワクしてました。
「厨房隣の味噌蔵や裏玄関やその間のスペースは全てぶち抜こうか。
 そしたら厨房が1.5倍になって、採光が取れるし風も入る。」
「屋根の一部はガラス瓦に代えようか。
 そしたら天窓を付けなくても十分に明るくなる。」
「厨房裏には大屋根をかけようか。
 すると雨の日でも湧水を汲めるようになるし、
 空いたスペースにかまどを置くこともできる。かまどは自作しよう。」
「風呂は木で組めないかなぁ。」・・・
あれこれ浮かんできて、身体が熱くなってきます。

きっとこういうアイデアも、カミさんに話すうちに冷静さを取り戻すようになり、
徐々に「できることから手をつける」ことになるんでしょうが。
それも良し。少しずつでも歩みを止めずに進むことに意義があるんだから。
これからひと冬かけて、厨房のイメージについて
二人でゆっくりと考えることになるでしょう。
それがまた楽しい時でもあります。
昨日のブログを読み返すと、私が相当参っているようにも見えますが、
実はあんまりこたえてないのでご心配なく。誰も心配してないか。
でもたかが50mとはいえ、20年以上ぶりにダッシュなんてしたので、
今日は太ももが痛いです。
でも、翌日に痛みがくるうちはまだいいか。
歳取ると、一週間後に来る人もいるとか。本当かなぁ?

昨日の午後にはカミさんの家族がやってきました。
お義母さん、弟夫婦と子供、そして妹です。
この家族、今とってもおめでたい家族なのです。
というのも、

2003年春   弟が結婚
2004年元旦  カミさんが結婚
     春    弟夫婦に子供が生まれる
     秋   妹が結婚
2005年秋   私達に子供が生まれる
2006年春   妹夫婦に子供が生まれる予定

ざっとこんな感じでして、おめでた続きなのです。
これほど集中するパターンもそうはないと思います。
しかも一族みんなが同じ県内で暮らしていて、仲良しです。
だからみんなしょっちゅう行ったり来たりしていて、
ご両親にとれば年々騒がしくなってくるような印象でしょうね。
そうそう、弟の奥さん・マキちゃんが大の栗好きだというので、
カミさん一生懸命栗の渋皮煮を作ってましたが、出すのを忘れたそうです。
長い人生の中ではよくあることで、マキちゃん残念でした。私達が食っときます。

また、子供達にとっても、同世代の親戚がいるのは良いことだと思います。
私は父方でも母方でも、従兄弟世代の中で年長だったので、
一族が集まる時にはいつも仕切らされました。
その経験は今に生きているかも。

悠太にとって、弟夫婦の子供・ナナちゃんは、
これから何かと影響を受ける子になるでしょうね。
また私達にとっても、ナナちゃんの成長は一年半後の悠太を想像させるものがあり、
とてもためになります。
昨日も、一歳半の子供が、段差の多い我が家でどう動き回るのか、
よく分かりました。
これは相当気を配る必要がありそうです。

それにしてもうちの悠太、外ズラがいいというのか、
お客さんがいる間はいつもおとなしいです。というか、ほんとんど寝てます。
そして客が帰った後に大泣きします。
昨日もこのパターンでした。
みんなが帰った直後から大騒ぎ。夜まで大泣きしてました。

最近は泣くときとおとなしい時の差がありすぎて戸惑うこともあります。
大泣きしている時は、
「実は何か身体が変なことになっていて、訴えているのか?」と勘ぐりますし、
おとなしい時は本当に静かなので、
「こいつ死んでるんじゃないか?」とつついてみたりします。

そうそう、今日の夕方、私が抱いている時にまた大泣きしていたのですが、
今日はi-Tuneの編集をしていたので、悠太の相手も片手間でした。
半分ほっとかれた悠太はギャーギャー泣いていましたが、
たまたま「ツァラトゥストラはかく語りき」が聞こえた瞬間に泣き止んだのです!
『2001年宇宙の旅』ですよ!
あまりのタイミングに、
「お前、この曲の意味が分かるのか?
 生命の、人類の誕生の瞬間だぞ!」とささやいていると、
後ろからカミさんが「何言ってるの」という顔で、
「どうせまた今日のブログに書くんでしょ。」
その通り、書いてます。親ばかですから。

帰ってきたトイレカエル
CIMG0313-2.jpg

今日は待ちに待った体育祭でした。
うそです。
前日が一日中雨だったのですが、今日は見事な秋晴れ。少し残念。
私は運動神経が特別に悪いという訳ではないのですが、
歳を取るにつれ、運動場やコートやゴルフ場やスキー場といった、
人工的な場に我が身を置くことに不自然さを感じるようになってきました。
もちろん、運動神経が特別に良いというものも何一つありませんが。

つべこべ言わずに自分の出る種目に合わせて出かけます。
大体、スポーツウェアというものを持ってないんだよね。
かと言って今日は作務衣というわけにもいかず、GパンとTシャツで。
会場に着くと、結構な盛り上がりです。テキヤさんも出てる。

出番までの種目を眺めているうちに、幼児のお遊戯の時間になりました。
これが幼児だけだったらまだいいんですけど、全員親がついているらしい。
これも見てぞっとしました。私、こういうのも苦手なんです。
もともと「みんな揃ってさぁ踊りましょう!」というのが駄目です。
中学生の頃、フォークダンスが嫌で、特にマイムマイムの時は席を外していました。
でも目の前にいる親子、もしかして数年後の私と悠太か?
そう思うとやりきれなくなりますが、ぐっとこらえて自分の出番へ。

最初の出番は「ドーナツ島」です。このルールは前回書きました。
さて本番、一つのタイヤにどんどん人が乗り、
いざ時間間際になってみると私の足を置くスペースがない。
見れば同じような男性陣が周りをうろうろ。
制限時間ギリギリの一秒前に数センチの空きスペースを見つけ、
かろうじて立ち上がり、見事セーフ。25人乗りました。
10チーム中5位だったけど、まずは役に立ててほっと一息。

次が問題の種目「かけてかけっこ」でした。
その場に出てようやく理解できましたが、
スタートしてから5秒間はフリータイムで、右回り・左回りのどっちに走ってもよし。
5秒後に目隠しをした審判が箱から旗を揚げ、紅なら左回り、白なら右回りという指示。
当然、審判の指示と違う方向に走っていた人は後戻りするわけです。
つまり最初の5秒間は「賭け」なわけですね。だから「賭けて駆けっこ」。

こういうのも駄目なんです。
パチンコもスロットもポーカーもしないのは、決して嫌いなのではなく、
勝ったことがないから。
ほんと賭け事は苦手です。もちろんマージャンも駄目。
私はチームで三番目の出場でした。
最初の二人は紅に賭け、見事的中して上位入賞。
さて私の出番です。どうしようか?チームの若者は「紅」だと言いました。
その言葉に従っていこうとしてのですが、いざスタートした時、
他の走者につられてつい右回りに。

さて5秒後、審判の旗が揚がりました。「紅」
慌てて戻りますが、早々に一人に抜かれて、4位。
あと一人、中学生の女の子が後ろについています。
この娘に抜かれちゃざまぁないなと思い、必死で走りました。
その距離たったの50mなのになかなかゴールに着かない。
この時走りながら、「実はこれは夢で、私はうつ伏せで寝ているんじゃないか?」
と真剣に考えました。何とか4位でゴール。

終わってみてもうガックリです。せっかく同僚は紅だと言ってくれたのにね。
つくづく私は賭けに弱いんだと痛感しました。駆けもだけど。
来年は賭けと走る種目は遠慮しようかな。
でも周りを見渡して、うちの地区、若者がとっても少ないです。
だから今年も私が呼ばれたんだよな。ということは・・・
あまり考えないことにします。
特に数年後のお遊戯のことは。


今朝は寝坊しました。やっぱり昨日は疲れていたか?
出だしが遅いので、今日できることにはあまり期待せずにボチボチ始めました。

まず最初に戸板の掃除です。
居間と床抜け部屋(いつの間にかそういう名前で通ってしまっている)の
間の敷居に置く戸板をそろそろ準備することにします。
というのも気がつけば冬がすぐそこまで来ているので、支度が必要だからです。
夏の間はできるだけ戸板・障子類を開け放していたのですが、
冬は逆に部屋を区切って、暖房をする部屋を限る必要があります。

ここの戸板、板だけではなく、中間に障子が張ってあります。
障子の部分が外せるようになっていて、なかなかのアイデアモノです。
早速その部分をはずし、まずは戸板の部分を洗います。
こいつも相当年季が入っているようです。
かなり古い汚れを落とし、そのままで元の位置に置きました。
すると「間抜け」という名の通り、間が抜けていて、結構これが面白い。
隣の部屋は丸見えだけど、きっちり境界はできています。
秋の間はしばらくこうしておこう。
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一方障子の方ですが、これがかなり痛んでいて、桟がところどころ折れている。
そこで一考。
むしろこれを生かして、ちょっとアートっぽく仕上げることにしました。
カミさんに話すと乗ってきました。
でもカミさんとは感覚が違うから、きっと出来栄えが変わってくるでしょうね。
それもまた良し。
この作業は日を改めてします。乞うご期待!

ところで実家の大阪から古着物がどっさり送られてきました。
というのも、こういう話があったからです。
私はもともと身体が締めつけられるのが大嫌いで、特にネクタイが嫌いです。
ワイシャツの一番上のボタンを留めるのも嫌い。
時計も指輪もネックレスも苦手です。
大体何で高温多湿の日本でスーツを着なくちゃならんのかと常々疑問を感じていました。

そこで最近の普段着はもっぱら作務衣です。こいつは楽です。
まさに日本の風土にあっていると思います。吉村先生もこれ一本とか。
ところが私は週の半分はビジネスマンしてます。
流石に会社に作務衣で行く訳にもいかず、実は悶々としておりました。
でも思うに、元はといえば日本の正装は着物じゃないですか!
ビジネスシーンに着物で登場しても可笑しくはないはず。

先日実家に行った時、その想いを両親に吐き出したところ、
「ほんだら、うちにある着物、やろか?」と軽く返してきました。
多分両親も普段の暮らしの中でで着物を着る場面なんてないんでしょうね。
本音のところ、これ幸いと言ったところではないでしょうか?
ともかく、そういういきさつで送られてきました。
両親のや、昨年亡くなった叔父さんの形見わけとか、いろいろです。
袴もある。

ところが、こうやって希望通り、ひと通り着物が手に入ってから気付いたのは、
「これ、どうやって着るの?」
はるかかなたの若かりし時の正月に着た時以来、着物を着たことがなく、
もうすっかり着方を忘れてしまっていたのです。
さてさてどうするか?
当初の目論見では、「なんでも鑑定団」の中島さんのように
颯爽と着こなすはずだったのですが、道は険しそうです。
でも、いつかは実現するぞ!着物でビジネス!
クールビズやウォームビズが出てきたのなら、
和装ビズが出てきてもいいはず。ニッポンジンなんだから。

2005.10.14 一ヶ月検診
今日は一ヶ月検診で吉村医院に行ってきました。
ここに行く時は心がはずみます。まるで旧友に会いに行くみたいな気分です。
悠太は車の中では概ねご機嫌。ベビーシートでほとんど寝てました。
カミさんも後部座席でうたたね。カミさんのこういう姿を見るのも久しぶりです。
いつも悠太の相手していて、こいつはいつ寝てるんだという感じでしたからね。
でも悠太君、岡崎入りして早速大グソしてくれました。
しかもおむつカバーから大漏れです。その始末に時間がかかり、
もともと時間的にかなり余裕をもっていったのですが、ジャストに到着。

着くと、受付の方から皆さん、こぼれる笑顔で迎えてくれます。
早速二階に行き、助産婦さんの詰め所に。
婦長さん、お世話になったハラさん、ワタナべさんなどにご挨拶。
みなさん、お世辞もあるでしょうが、「わぁ、かわいい!」と喜んでくれました。
こういう、苦労(?)を共にした人々との再会って心が和みます。

もともとの診察時刻は11:30でしたが、ハラさんが気を使って、
今日の診察の一番最後に回してくれました。
「きっと吉村先生もゆっくりお話したいでしょうから。」とのこと。
ではと一旦外に出て昼食を取り、買い物をしていると携帯で催促あり。
いそいそと吉村医院に戻ります。

診察室に入ると、吉村先生、マスクをしていました。
聞けば、最近難産が続いて体調を崩したとのこと。
カミさんのブログに届いたコメントにもありましたが、
あんまり運動していなかった妊婦さんが続いたのか、
ここ数日、長時間にわたる出産が続いたらしい。
「私が口をすっぱくして言っても運動しない人がいてね。」
なんて愚痴をこぼしておられました。

さて診察の結果、母子共に問題なし。
悠太の体重の増え方が少しゆっくりですが、大したことはないらしい。
それを聞いて安心した、というか、確信を持ったことがあります。
実は昨日、自宅近くの県立病院で診てもらっていたのです。
その時の先生、一見して30歳前後という感じですが、本を見ながら一言、
「体重の増え方が少ないですね。もしかしてお母さんは自然食などしてませんか?」
「はい、自然食中心ですけど。」
あぁやっぱりという顔をされ、
「お母さんが自然食で母乳の場合、発育が遅れる傾向があるんですよ。
 ご両親はそれで納得されても、当のお子さんの発育が遅れると、
 お子さんに将来負担がかかります。
 お子さんの将来のためにも、肉や魚といったものもバランス良く食べてください。」
ときつく指導されました。
私は正直言ってムカッとしたし、カミさんも同じ感情を持ったらしい。
その場では「はいはい」と返事しましたが、
内心「ここにはもう来るまい。」と決めていました。

その話を吉村先生に話すと、疲れていた先生も火がついて怒り始め、
「今の医者がどれだけのことを知っているというのだ!」と持論を始められました。
私達も決して意固地になっているわけでなく、
「自然食とは言っても、確かに最近は同じものを食べる傾向があったから、
これからはよりバリエーションを増やそう。」とか、
「白身魚は母乳にもいいらしいから、取り入れていこう。」という気にはなってます。
でも、病院の医者がどれだけモノを分かって言っているのか分かりませんが、
マニュアルデータに基づいてそれを鵜呑みにして
偉そうに思わせぶりに話されるのには閉口していたので、
その点、吉村先生という方が後押しして下さるのはありがたいです。
多分大抵の人は病院の医者にあれこれ言われるとビビるでしょうね。

さてそんなくだらん話はさておき、以前先生から依頼されていた、
悠太の出産写真をお渡ししました。
出産前後から退院まで、そしてつい昨日のお宮参りの写真も一緒に。
先生、とても喜んでくれました。
特にお宮参りのものと、
今このブログのプロフィールに使っている写真には感心されてました。
「まるで心の中を見透かされてしまうような目だね。」
そうでしょう。全く親バカです。でも、
「客観的に見ても、この子は他の子とは違いますね。」に対して、カミさんが、
「そうでしょう!?」と即答したのには面食らいました。
おいおい、それは言いすぎじゃないかと思いつつ、つい私も口を合わせ、
「でしょ?」なんて言ってるのは本当に親バカですよね。

持参した悠太写真に添えた自宅の写真もとても気に入ってくださり、
「是非私を呼んでくれ。」ということから、
この地で先生の講演会を企画しようかという話にもなりました。
最後には「とにかくあなたの家に行ってもいいですか?」ということになりました。
現実に可能かどうか分かりませんが、そうなれば嬉しいですね。
最後は玄関まで見送って下さり、「本当に行きますからね。」と念押しされました。
ありがたいことです。
本当に実現されるといいな。でもそれにはもうちょっと家を片付ける必要があるか。

帰り道、とても心地良い気分で帰宅しました。
やっぱり先生は心の友だ。
ごちゃごちゃ言わなくても分かりあえるっていうのがいいですね。



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この写真は、3年前に友人のエビサワ氏とともに、
カナダはソルトスプリングアイランドに旅した時のものです。
泊まった宿の設計をしたという人のオフィスを訪れたら、
壁一面に工具が掛かっていました。
それを見て、思わず「いいなぁ!」と見とれている私です。
髪型は随分変わりましたが、ベストはおんなじです。

私はことさらに「男が、女が」と言うのは好きではないのですが、
例えばこういう道具を集めること、そしてそれらをメンテする喜びっていうのは、
やっぱり男が持つキャラクターじゃないかなと思います。
なかなか女性には理解してもらえないかも知れませんが、
私はこの時、「いつかは僕もこういう部屋を持つぞ!」と夢見たものです。

東急ハンズに初めて行った時の感動っていうんですかね。
仮にほとんど使わない工具であっても、
いざという時に役立つものを身近に揃えておく喜び、
そいつらがいつでもスタンバイしているのを見る喜び。
サンダーバードのオープニングにも似ているかもしれない。
何を書いているのか訳が分からなくなってきましたが、
とにかく、自分だけの道具部屋を男は持ちたいものなんです!

で、今回ついに完成しました!私の道具部屋!
もともとは確かに道具を置いてあった部屋ですが、それはただ置いてあっただけ。
それをより機能的に、そしてより美的に整理整頓したのです!
とか言ってほとんど自己満足ですが、
それにしても4畳ほどのスペースに
大工道具や農機具が揃っている姿はやっぱり感動です。

下の写真では詳細は分かりませんが、例えば棚には
「きる」「たたく」「けずる」「はかる」といったラベルが張ってあり、
それぞれのニーズを満たす道具が収まっているのです。
他にも「水まわり」「電気」「雨どい」といった用途別の棚もあります。

これだけの棚を埋めるだけの工具があるのかということですが、
これが田舎物件の面白いところ。何故か同じ工具がわらわらと出てきたのです。
それに加えて私がもともと持っていたものもあって、
ハサミ類だけでも10種以上になるというコレクションです。
ほとんどが安もんのさびさびですが・・・。
でも中には田舎マニア垂涎の(なんのこっちゃ)道具類もあり、
ほとんど民俗資料館の装用もあります。

この部屋の片づけが完了したことで、
私にとっての我が家の引越し作業はひと区切りつきました。
5月末に越してきてやっと到達しました。
今夜はそれを祝して、炭でサンマと厚揚げを焼き、酒を飲みました。
実のところこの先もやること満載ですが、
ともかくも大満足の一日でした。
悠太の一ヶ月誕生日だしね。
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2005.10.13 悠太の一ヶ月
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悠太が生まれて一ヶ月が経ちました。
早かったような、随分いろんなことがあったようなひと月でした。
思い返せば当たり前のことだったんだけど、
子供が生まれた瞬間から世界が変わりました。

病院だと生まれた子供と母親はすぐに分けられ、ある意味で母親はひと息つけます。
でもうちの場合、出てきた瞬間から子育てが始まりました。
最初の夜から三人で川の字になって眠り、当然悠太が泣くとカミさんは相手をし、
特に二日目は辛かったようです。
何で泣くのか?どうすれば泣き止むのか?全く勝手が分からず、
人知れず泣いたそうです。

出産後6日間入院して、すぐに自宅に戻るのも最近では少ないパターンらしい。
たいていは実家で一ヶ月ほど過ごすからね。
その方がよっぽど楽だと実感しました。
そのことについて後悔はしなかったけど、
ただ、こんなにも母親が動けないものなのかと感じたのは正直な実感。
家事全般を私がしました。私がいない時はお義母さんに来てもらいました。
私自身は労力は惜しまないつもりだったけど、予想以上に時間を取られました。
そのことを何よりもカミさんが感じていて、
時折、私が自分の時間を取れないことについて泣いておりました。
その度に私は「馬鹿もん、そんなこと気にすんな。」と突っぱねておりましたが。

最近はお互いに労力やペース配分も分かってきたので、随分と楽になりました。
例えば、悠太を抱いている時には
いくら泣いていても安心して見られるようになりました。
前は泣き叫ばれると、二人で「どうしたもんだろう?」と顔を見合わせたものです。

また、カミさんの乳をあげている間はとにかくおとなしいものですね。
ある夜、カミさんがちょっと場をはずした際に、悠太がぐずつき始めました。
さて私が相手をしようにも、悲しいかな私は乳が出ません。
でも添い寝をしていると、Tシャツ越しに私の乳首を捜そうとするではありませんか。
では仕方ない。私のおっぱいをあげることにしました。

やおらTシャツをめくり、悠太の唇を私の乳首に向かわせます。
最初は「おっ、やった!」というノリで私の乳首に吸い付く悠太ですが、
やはりイミテーションはすぐにばれ、かえって怒りを買うように泣かれてしまいました。

これに懲りて、しばらくの間おっぱいをあげるのを止めていた私ですが、
つい最近、またまた同じような状況になった時、
止むにやまれず私の指を差し出したところ、今回は意外な反応がありました。
私の手の人差し指の節が気に入ったようで、いつまでもしゃぶっています。
それを見たカミさんが真似てみますが、
これが不思議なものでカミさんの指では駄目らしい。
そんなわけで、最近は私が相手する時は、人差し指の節をしゃぶらせています。

今日はお宮参りに行きました。出産前にお参りした神社にお礼参りです。
その神社、長寿がメインですが、出産も見てくれます。
お地蔵さんもよだれ掛けを掛けています。
その後、自宅のすぐ近くの神社にもお参りし、悠太の一ヶ月の誕生日を祝いました。
これからどう育つかな?
本当に楽しみです。
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2005.10.12 ドーナツ島
今夜は体育祭の練習日でした。
8日にも予定されていたのですが、雨だったので中止に。
今日を逃すと16日の本番まで日がないということで、気を引き締めて行きました。

前もって渡された委嘱状には、
19:30~21:00まで小学校グランドで練習とありました。
大抵こういう集まりは時間がずれるものでしょうが、
常会なんかは30分前から集まりだすので、一応10分前に現地に到着。
でも誰もいないし、明かりもついてない。
真っ暗な小学校グランドって不気味ですよね。
一人で立っていると、私の居場所が無いっていうような感覚です。

時間が過ぎてようやくライトが付き、ポツポツ人が来だしました。
実際に練習が始まったのは20時過ぎ。やっぱりこんなもんです。
でも私の出る「ドーナツ島」の練習は最後ということで、
しばらくの間、他の人のムカデ競争や二人三脚やリレーを眺めていました。
こういうのまで練習するんだね。気合入ってます。

さていよいよドーナツ島です。
直径1mほどのタイヤが運ばれました。
競技開始から30秒間でできるだけ多くの人が乗り、その後5秒間静止すれば成功とか。
去年はこの地区は25人乗ったらしい。
どうやってそんなに乗るのかと思ったけれど、いろいろテクがあるんですな。

まずタイヤの穴を埋めるように、小柄な男性二人がうずくまります。
そして今度は大柄な男性4人がタイヤに立って抱き合い、芯になります。
次に女性陣が全員身体を横にして同じ方向を向いて円陣を組み、
タイヤに片足を乗せ、芯をはさんで反対側の女性と手をつなぎます。
最後に背の高い男性が囲むように乗り、手を上に伸ばして掴んでキープ。

私は一番最後に乗る役になりました。
何度かテストして、議論して、さぁ本番さながらにやろうということに。
最初は全員ドーナツから5m以上離れます。
開始の合図とともに走り寄り、手際良く乗っていきます。
最後まで崩れることなく無事成功。
今日は22人でしたが楽勝でした。あと数名はいけそうですね。
そんでもって練習も終了。やれやれです。

それにしても夜中にグランドでよくやりますね。
聞けば10地区がそれぞれ日をかえて練習してるとか。すごいすごい。
私も自分の班以外の人々と会話ができ、無事「公園デビュー」を果たしました。
あとは当日、ヘマをして足を引っ張らないようにせねば。
最初はいやいやだったけど、結構楽しみになってきました。
2005.10.11 歴史は巡る
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このベスト、確か1981年に買いました。1982年だったかな?
こいつを買ういきさつは、過去のHP日記などで既に書いているけど、
もういっぺん書きます。
私が学生時代の頃、当時の彼女と一緒に心斎橋パルコに行きました。
と、そこでウィンドウで見かけたファッション、
それはとても奇抜、というか異様なものでした。
まるで毛糸を張っつけたようなセーターとベスト。
「何やこの絨毯のような服は!」と大笑いし、冷やかしで店に入りました。
それがイッセイ・ミヤケの店でした。

入ってみて、「あの服を着せてくれ」と頼むと、即出してくれました。
その時に出たのがベスト。そいつを着てみた途端、
方々から店員が出てきて、「おお!すごく似合っている!
このベストがこんなに似合う人は見たことが無い!」と絶賛し始めました。
それまで全くの冷やかし半分だった私ですが、
この猛アプローチにたじたじになって、「そっ、そうかなぁ?」
「いやぁ、すごいですよ、お客さん、ピッタリです!」とのトークにほだされ、
つい買ってしまいました。確か当時で18,000円くらいだったと思います。

それ以来、このベストは私のトレードマークになってしまいました。
とにかく秋から春まで着ない日はない。
私のことを「毛糸の絨毯のベストの人」と覚えている人もいます。
そうこうするうちに、何と25年も経ってしまいました。
今も着ていますが、最近はさすがに毛糸が薄くなって、
真冬は厳しいのが時代の流れか。

何でこんな話を出すかと言うと、私見たんです。
新宿伊勢丹のウィンドウで、よく似たのを。
やっぱりイッセイ・ミヤケでした。
毛糸わらわらのジャケットやベストのマネキンが飾られていました。
こいつの写真を撮らなかったのが一生の不覚!
後でHP調べたけど出てこない!う~ん残念!
でも本当にあったんですよ。

要は、25年経っておんなじファッションが出てきたというわけです。
こういう世界は繰り返すというけれど、本当なんですね。
きっとデザイナーは、「昔出したやつのことを誰も知るまい。」
なんて魂胆かもしれませんが、
ところがどっこい、いまだに現役で着ている人もいるんだぞ!
いつか年老いたデザイナーに「ほれっほれっ」と
見せびらかしてやろうかとたくらんでいる私です。

でもね、このベスト、山では着れません。
いつだったかこれを着て山を歩いていると、
猟師から「おい、獣と間違って打つぞ。」と注意されました。
イッセイ・ミヤケもここまで考えていたのかどうか、
いつか聞いてみたいものです。


廃材の薪 これもアートか?
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今日は朝早くから昨日の続きです。
昼から雨が降るらしいので、急いで動きます。
廃材の中で使えそうなものは資材置き場に戻して、あとは薪に。
残りのゴミも分類してゴミ袋へ。
午前中一杯かかってようやく完了!
まだ一部残作業はあるけど、とりあえず良しとします。

積み上がった薪を眺めると、普通の薪とはかなり変わった風情です。
思いっきり生活感あふれてますね。
「薪積みはアートだ」と以前書きましたが、
見ようによってはこれもアートかも。

部屋が広がったファルコンはいたってご機嫌です。
夏の間は毛を刈っていたので、今はまだ伸びきっておりませんが、
あと二ヶ月もすれば生えそろい、新居で快適に冬を越せるでしょう。
ファルコンは来春で12歳。来年は干支でもあります。
通常、この種の犬は10年以上は生きないと言われてまして、
動物病院に連れていくと、いつも驚かれるのですが、
ここまできたら新春を迎えさせてやりたいです。
今回、ファルコンの最期の居場所づくりも兼ねて、頑張りました。
さてあとは道具部屋です。
次の晴れの日にやるとします。

片付いた資材置き場とファルコン
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私は片付け魔です。
片付けが好きかというと、好きってほどじゃないんですが、
片付いていないとウズウズしてくるタイプです。
その昔、「ぼのぼの」で「しまっちゃうおじさん」というキャラを見たとき、
「これは私だ!」と共感を得ました。
しまっちゃうおじさん、目の前のものをどんどん「さぁ、しまっちゃおうね。」
と言いながらしまっていきます。
それを見たぼのぼのは、自分がしまわれてしまうのではないかと恐れるのです。

さて今日のしまっちゃうおじさん、資材置き場に目がいきました。
資材置き場とは私が勝手に呼んでいる場所でして、
蔵とポットントイレの間の、軒が出ているスペースです。
ここにはありとあらゆる「要らないもの」が積まれております。
田舎で育った方は分かるかと思いますが、なまじ空きスペースがあると、
「いつかこいつも使う時があるかもしれない。」というようなものが
溜まっている場所があります。ここがそう。
ほとんどが端材、つまり使いようのない木材なのですが、
ようく見ると、乳母車や、今流行りの石綿煙突なんかが見えます。

このスペース、これまでず~っと気になっていました。
ここと、隣の道具部屋(これも私が勝手に命名)を片付けることができたら、
とりあえず私にとって引越しは完了だと決めていました。
秋晴れの今日こそ、こいつらに手を出せる絶好の日和です。

さて最初は何も考えずにとっとこ中のものを出していきます。
ほとんどが木材なので、風呂の薪にはなりそう。
それにしても、5畳ほどのこのスペース、
よくぞこれだけ物が詰まっていたなという代物です。
圧巻は全ての物を出した後の足元。
ダンゴムシっていうんですか、触ると丸くなるやつ、
あいつらの死骸がすごい!とても数える気にはなれませんが、
ざっとみかん箱一杯ぐらいいました。

私にとって「片付いている」とは、「何も無い」状態です。
例えば机でしたらその上にはなんにも置かれていないのがベストです。
現実には、特に引っ越した後の今の状態はとてもそうはいかないのが不満足ですが、
いずれはどこもそうしたいところ。
今回の資材置き場も全ての物を出し切ったところで、ともかく気分はスッキリ。
あとは山の様に積まれた「要らないもの」の処分です。

とにかく木材は丸ノコでどんどん切って薪にしていきました。
今日一日ではとても終わらなかったので明日も継続します。
これできっと今年中の薪は足りたでしょうね。
それはそれでひと安心です。

今回の片づけで一番得をしたのが犬のファルコンです。
今までこのスペースの隅だけが居場所だったのが、
いきなり資材置き場の半分スペースも増床!
もちろん屋根壁付きです。ファルコンスペースは約8畳にまでなりました。

それにしてもいつも思うんですが、
こういう作業をする時に、ビフォー&アフターの写真を撮っとくものですね。
後になっていつも思いつきます。
そうすれば、このブログを読んでいる人によりイメージが伝わるのにね。
つい、しまっちゃうことに気を取られてしまうんだと思います。
以後気をつけます。
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最近は小腹が空けば柿を食ってます。
借りている土地に10本程度の柿の樹があり、どれもたわわに実らせてくれます。
でもどれが渋柿かとか知らないので、食ってみては吐き出して学びました。

最初のうちは嬉しくって、ついたくさん採ったりしていたのですが、
どれも採った途端に腐っていきます。
地主さんの弟・エイジさんによると、それは農薬を使っていないかららしい。
もしそれが本当ならば、売ってる柿ってどんなの?とぞっとします。
とにかくいろいろ試して学んだのは、「柿は欲しい時に食うもの」でした。
腹が減ったら柿の樹に向かい、その時に熟しているものをその場で食す。
それが一番の贅沢だと知りました。

でも今朝はあまりに良く熟した渋柿を見つけたので、数個持ち帰ったところ、
カミさんが、「渋でも熟柿で酢ができるらしいよ。」とのこと。
ではと早速加工してみました。
加工と言ったって、とっても簡単です。
綺麗なビンを消毒して、ヘタを取った柿を切って入れただけ。
それに布で蓋をして半年ほどで酢ができるとか。
一年も置けば上物になるとも。
ほんとかなぁ?
今年の初夏、同じような方法で笹酒づくりに挑戦したけどカビらせたので、
今回はあまり大きな期待をかけないことにします。

でもこれで本当に良い酢ができるなら、来年は大量に作ろう。
もしかしたら商品になるかも?
なんてうすうす皮算用している我が身の卑しさよ。
ともかく楽しみです。
今日、カミさんの弟・かーくんが来てくれました。
かーくんがうちに来たのは三回目ですが、
今日はこれまでと目的が違いました。
我が家の壁塗りに来てくれたのです。

かーくんはプロの左官屋さんです。
これまでに我が家に来た時も、商売柄、
「この壁を替えたら良くなるよ。」とアドバイスをしてくれてました。
それが今日、雨で自分の仕事がなくなったからと、
急遽我が家に壁塗りに来てくれたわけです。
しかも「漆喰」!

作業道具一式を積んだトラックで到着したかーくん、
早々に準備にとりかかります。さすが動きがスムーズ。
早速、先日修繕した「床抜け部屋」の壁からお願いしました。
今まで塗ってあった壁土を特殊な練り物で剥がし、
下地となる土を塗り、そしていよいよ漆喰塗りです。

「masanも塗る?」
「えっ! 塗っていいの?」
「いいよ、じゃぁ仕上げをやってよ。」
仕上げと言ったって、やったことないから仕上げになりません。
「それでいいんだよ。僕らが仕上げると綺麗になりすぎるから。」
そうか、ならばと、かーくんが二度塗りしてくれた後に、
私がヘラでわざと崩していきます。
「素人がうまくやろうとしたけど、そうはいかなかった」風です。
「masanは一番難しいことをやろうとしてるね。」と、かーくん。
普通、とても綺麗に仕上げるか、思いっきり崩したがる施主が多いとの事。
半端に仕上げるのはプロも難しいらしい。
その点、私はへたっぴだから丁度良いです。

やがて背中に視線を浴び、振り返ると悠太を抱いたカミさんです。
カミさんは漆芸をやる人なので、こういうの好きそう。
「やる?」
「やりた~い!」
しばらくの間私が悠太をあやし、カミさんもチャレンジ。
やっぱり私とは作風が違います。
「何かアートっぽくしようとしたけど、今日は遠慮気味」風。

作業は今日一日で無事終了。
もともと一番駄目な部屋だった「床抜け部屋」が
一番いい部屋になってしまいました。
お礼をしようとすると、「いいよ、そんなの。」
せめて交通費だけお支払いしました。
でも、聞けば、もし普通に工務店にお願いすると、結構かかるらしい。
「大体、今時は玄関以外には漆喰塗らないからなぁ。値段高すぎて。」
それを我が家にはこれから暇をみて塗りに来てくれるとか。
「道に面したトタン外壁も剥がして、全部漆喰にしたらいいだろな。」
ととても頼もしいことを言ってくれます。
こういうプロが親戚にいると、本当に大助かりです。
この先の我が家の変貌がとても楽しみです。

漆喰を塗るかーくん、それを崩す私
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私はずっとあるものを保管していました。
それは火鉢です。
私の祖父(じい)さんの形見です。
祖父さんが死んだのが確か私が高校入学した時だから、28年前。
形見分けをしている中で、私は祖父さんが愛用していた火鉢に目をつけました。
「僕はこれが欲しい!」
「それは捨てるつもりだったから、やるよ。」といただきました。
でも使う場所がない。

私の住む場所が大阪から関東に移り、
それも木場→駒込→船橋→代々木→田園調布と転々する間、
ずっとそいつは使われることなく、ただそこにありました。
1996年、八ヶ岳に移った時、やっと使えるかと思いきや、
やっぱりログハウスには合わず、
アクリルの板を上に置いたテーブルとして使われるのが関の山でした。

八ヶ岳から丹波篠山に移っても同じ。居場所は無し。
それが今回、居間の畳を替えた部屋でようやく復活しました。
苦節28年、よう耐えたなぁ。よくぞ我慢した。
今日は午後から肌寒くなってきたので、
炭を入れてあげました。
28年ぶりの炎を抱く火鉢です。

この火鉢をいまだに持っていることを先週両親に話したら、
とっても驚いていました。
「とっくに処分されたと思っていたのに。」と親父は感慨深げです。
そして、「是非、底に稲のワラ灰を敷いてくれ。」と頼まれました。
ワラ灰は使うほどにしっくり火鉢に馴染むんですと。
その話が耳に残っていたので、今日使い始める時に思案しました。
ワラを集めて焼くとしても手間がかかります。
そこで思いついたのが、私の隠し財産です。

私は陶芸工房を開いていた時、いずれは自前の釉薬を使いたいと、
地元の農家からもらったワラを焼いた灰を持っていました。
その灰は何度もふるいにかけられ、鉢で擦られ、とても細かいサラサラの灰です。
これから長石と合わせて、即釉薬に使えるという代物を、
いつか使うことがあればと保管していたのです。
今回こいつを火鉢の底に敷くことにしました。
だってこいつの復活にこそふさわしいものじゃないですか。

そのワラ灰、固まって砂岩のようになっていました。
そいつをヘラで砕いて細かい状態に戻します。
そして炭です。
以前いただいた、竹炭を焼いて置きました。
その上にまた竹炭を置くと、パキパキと良い音がします。
28年目の、この火鉢にとって本当に久しぶりの炎の音色です。

しばらくすると、今回の家の修繕をいろいろ助けていただいている
N工務店のKさんがふらっとやってきました。
Kさん、「最近のうちの施主さんで、『薪ストーブはいらない。
 火鉢があれば十分!』という方がおられましたが、本当ですかね?」
さぁ、それは何とも言えません。
とても暖を十分に取れるとは思えないものですから。

でもね、何となく部屋がじんわりと暖かい感じがしますし、
手をかかげると心がジンとあったまるんですね。
あとはやせ我慢だと思いますが・・・。
いずれにせよ、私はこの火鉢の最後の居場所を見つけられたことに大満足です。
これからどれだけ一緒に過ごせるか分からないけど、
こういうモノとの出会いっていいじゃないですか。

28年ぶりの炎
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今回東京・横浜の百貨店を巡り、ある売り場を中心に調査してきました。
売り場の空間演出、店子、商品構成、陳列など。
デジカメで隠し撮りもしますが、これがなかなか難しい。
女性が多い売り場の中でただでさえ目立つのに、
立ち止まっていると店員から変な顔されます。
案の定、ある百貨店では、「関係者の方の撮影はお断りします。」
と叱られました。
これじゃまるでスパイだね。

私はところによってはマーケッターなどと呼ばれることもありますが、
マーケティングの勉強をしたことはないし、知識はかなり虫食いです。
でも思うに、大阪で商売をしていた親父の姿を見ていたことと、
否応なく実地で経験してきたことがつながってきているのかもしれません。
昨日書いた経営コンサルの後に入った会社では、
新規事業を企画する仕事をしていました。

例えば、「たこ焼きのフランチャイズ・チェーンを企画したい。」
と言った時は大阪に派遣され、たこ焼き屋巡りをしていました。
来る日も来る日もたこ焼きばっかり。
朝昼晩たこ焼きばっかり。(ちょっと大げさか)
その中でとても気にいった店が見つかったのでオーナーと直談判し、
意気投合して接待を受け(何故かゲイバーに連れていかれた)、
帰社後の社内会議で事業展開の企画を提案しました。
その時は「時期尚早」と却下されたけど、
最近はよく大型スーパーに入ってますね。
もしあの時の企画が通っていたら、
今頃たこ焼き親父になっていたかもと思うと、
人生いろいろだなと感じ入ります。

さて今回の百貨店巡り、結構面白かったです。
良かったのがそごう横浜店。特に地下の大食品館と10階のダイニングパーク。
空間演出に統一性とゆとりがあり、きっと女性に受けるだろうなと感心。
もっともどの店でもこれくらいのレベルはキープしてほしいなとも思います。
がっかりしたのが三越本店と銀座店。
スペース展開に限りがあるのかもしれませんが、
ごちゃごちゃしていて私には合いませんでした。注意されたし。
混んでいたのが高島屋日本橋店。意外でした。
伊勢丹新宿店はさすが平均以上。でも場所によって良悪の差が多し。
プランタン銀座店は問題外の外。オープンした頃は斬新だったのになぁ。

一つのテーマで切って比較すると新しく気付くことが多いです。
マーケッターなんてカタカナで書くと聞こえはいいけど、
やっていることはとても泥臭いことです。
何一つ買わずに同じ売り場を怪しい男がごちゃごちゃ歩き回って、
売り場の店員さんには大変ご迷惑をお掛けしました。
この場を借りてお礼とお詫びを申し上げます。
誰も読んでないか?

そごう横浜店10階 スモークたいてます
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2005.10.06 東京思い出話
仕事の関係で東京に一泊してきました。
かつては十数年暮らした街ですが、最近は随分縁遠くなりました。
1996年、東京を捨て八ヶ岳に移住した頃には、
都会に対する拒絶反応もあり、毛嫌いしていたところもありましたが、
最近はそういう気分も薄れ、「都会は都会で良いところもある」と
受け止められるようになってきています。
今回の上京は、生まれ育った大阪からのルートということもあり、
就職で上京した頃をふと思い出してしまいました。

私が最初に就職したのは経営コンサルティング会社でした。
その会社では新人は全員営業に配属されます。
そこで最初に指示された業務は飛び込み営業でした。
一人一人にエリアが割り当てられ、片っ端から会社に飛び込みます。
売る商品は、「経営コンサルティング」です。
つまり、アポイントなしで目に付いた会社に飛び込み、
「経営コンサルティング買いませんか?」と売り込むわけです。

私がはじめに割り当てられたのは、新宿新都心のビル群でした。
住友三角ビルとかに行き、まずは最上階まで昇り、
ドアがあったら入っていきました。
フロアーを一回りしたら階段を降り、次のフロアーを回ります。
それを繰り返しながら一番下まで辿り着くと、隣のビルへ移動。
どれだけ困難な仕事かは想像していただけるかと思います。

何がきついかというと、当然ながらほとんど相手にされないことです。
この世界、千三つと言って、千軒回って決まる仕事は三軒程度です。
実際私の経験で、十軒回って話ができるのが三軒、
そのうち、具体的な仕事の話につながるのが一割、
またそのうち、実際に仕事が決まるのが一割でした。
やっぱりトータルで3/1000です。
つまり、1000軒飛び込んで、997軒に断られる計算になります。

それだけ断られ続けると、誰もが陥る症候群があります。
それは「ネガティブ・ファンタジー」と呼ばれるもの。
例えば小さな会社の前に立つと「こんな小さな会社じゃお金も無いし、
きっと仕事なんて取れない」と感じてしまい、
今度は大きな会社の前に立つと、
「こんな大きな会社はきっと他社が出入りしているから、
きっとうちなんて相手にしてくれない。」と、
事を始める前から自分に言い訳をして、
結局どの会社にも飛び込めなくなるのです。

この症候群にはまってしまうと、
仕事をせずに喫茶店に出入りするようになります。
すると当然仕事は決まらない。会社での居心地が悪くなる。
実際に私の同期が一年で半分以下に減りました。
幸いに私は早い時期に仕事をいただく会社が現れたので
ネガティブ・ファンタジーに陥ることはありませんでしたが、
この当時の経験はその後の人生でとっても役に立ちました。
基礎体力がついたというんですかね。
誰と会っても物怖じしなくなりました。
会社もきっとそういうことを身につけてほしくて教育したのでしょう。

ところがその会社、わずかな基本給と歩合制の組み合わせでしたので、
当然ながら新人は薄給です。
私の初任給は7万円なかったと思います。
当時の平均初任給の半分程度だったでしょうね。
あれから20年以上が過ぎました。
いろいろあったなぁとつらつら思い出しながら、
近づく東京の風景を眺めておりました。

今夜は私は大阪の実家で過ごしています。
夜、私の従妹が末の女の子を連れてやってきました。
事前に来ると聞いていたので、帰宅前に土産を買いに行きます。
こういうのは結構悩みますね。
子供は4歳とのことですが、あまり高価なものもいけないし、
子供が気に入ってくれないとマズイし・・・。

結局、ディズニーストアーに行きました。
丁度ハロウインのシーズンということで、
牙を向いたミッキーの人形を売ってましたが、
あんまりかわいくないのでやめて、定番ミッキーを購入。
もしかしてやっぱりミニーも必要?と思い、合わせて購入。
果たして自分の子供にこういうものを買うだろうか?と
少々疑問を感じながらもつい買ってしまうのがいけないところか?

さて従妹がやってきました。
子供のイズミちゃん、最初は緊張気味です。
そこでおじさんすかさずプレゼント。
イズミちゃん、袋を見ながら、
「イズミ、ミニーが好きなんだけどなぁ。」と一言。
ビンゴーッ!良かった。
おかげでイズミちゃん、超ご機嫌でずっとミニー抱いてました。

それにしてもわが子にはこれでいいのかとやっぱり戸惑い。
加えてイズミちゃん、
最近買ってもらったニンテンドーを取り出しました。
かつてのソニーのペット系メーリングソフトを発展させたヤツを
軽々と操作します。
イズミちゃん、字を読めないのに画面の文字を勝手に判断して、
いろいろ操作を教えてくれます。
その姿を見て、私と両親はうなってしまいました。
親父は思わず、「これからの子はいったいどうなるんだろう?」
全く同感。
IT系は避けて通れなくなるんでしょうが、
それにしてもこれでいいんだろうかと一抹の不安がよぎります。

「うちはテレビをつけてないんだけど。」
「幼児のうちはいいけど、
 大きくなったら共通言語がなくて困らないか?」
そう言われると考え込んでしまいます。
現にテレビはないけど、パソコンは二台あります。
それに興味を持つなというのが無理というものでしょう。
きっと年月が解決することもあるでしょうが、
親の姿勢いかんで環境が決められることの大切さを
ひしひしと感じます。
こんなことから育児や教育方針も決まっていくんでしょうね。
うちはまだまだこれからですが・・・。