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2005.12.03 津山考
今回は、大阪から一旦広島に行き、その後、岡山は津山に移動しました。
岡山駅から津山駅までの長かったこと!各停で100分かかりました。
しかも下校時の中高生に囲まれてうるさいのなんの。
宿についてその話をすると、「よく電車で来ましたね。」と笑われました。
大阪からだと、中国自動車道を使って高速バスで来る方が早いし安いらしい。
今回は広島経由だったからそれはないとしても、次からはそのパターンにしよう。

その夜は名物キジ鍋をいただき、観光パンフなんぞ読んでおりましたら、
結構面白いネタがあるではないですか。
私は最近、「出雲の阿国」の本を読んでおりました。
歌舞伎の始祖・阿国については残されている事実が少ないので、
この本に書かれていることもフィクションが多いと思いますが、
それでも事実と思われる話もあります。
それによると・・・

阿国が京で出会い、愛し合った人に名古屋山三(名護屋山三郎)という人がおりました。
この人、笛の名手ですが、元は武士。阿国と懇ろになったものの、
「いつかは一国一城の主になりたい」という思いは消えず、
津山藩の主となった森忠政(織田信長に愛された森蘭丸の弟)に
実の妹が嫁いでいる縁を頼って、阿国を捨て、津山に行ったのです。

森忠政はその頃、津山城をどこに建てるか熟慮しており、
山三は京にいた時の風潮から、「もはや戦うためではなく治世のための城が必要」
と平地での築城を提案し、忠政もその案に一旦乗ります。
その場所は今の津山城跡よりも西の場所(院庄あたり?)。
ところがそれを聞いて反対したのが、忠政の伯父にあたる井戸宇右衛門という人物。
ずっと主に従っていた人間にとり、
京から突然やってきた者に平城を提案されたのが面白くなかったのでしょう。
従来通り、戦うための山城を提案します。
かくして両者は争い、ついに山三は斬られ、宇右衛門も死にます。
結果として津山城はかつて山名氏が築いた山城跡に再度築かれることになったとか。

つまり、ひょっとして津山市は今とは違う場所に発展していたかもしれないわけですね。
「時代はその時動いた」津山編というわけでしょうか。
最近読んだ本にちなむ土地に来られたことで、何やら縁を感じました。

また、津山は洋学(蘭学)者を多く出した土地としても有名らしく、
飛び込んだ洋学資料館の館長とお目にかかり、実にいろんな話を伺いました。
そこには何とあの解体新書の原版も展示してあって、
何冊かあるうちの一つらしいけど、こんな有名なものが、
とっても素敵な、でも小さくて場末の資料館のガラスケースに収まっているのが
何とも不思議な気がしました。
津山、なかなかあなどりがたい街ですね。

「あぐり」のロケ地にもなった津山高校
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