友人「お前、わがままなヤツやなぁ!」
私「それがどうした?」
私の若い頃の会話です。まさにそんな生き方をしていました。
「俺が、俺が」の我(が)で生きていました。
そして二十数年が経ち、いろいろ心境が変ってきました。

例えば自分が川の片側・A地点に立っているとします。
そして反対側に渡りたいとする時に、当時の私は真っ直ぐ見た反対岸、
つまり最短距離にあるB地点に何とか着こうとするタイプでした。
川を渡るのには船がいる。でも流れは結構速いので、
それなりに馬力のついたエンジンが必要だ。
そしてA地点から見て、B地点より川上を目指して進まないと流されてしまうだろう。

「結果的にA地点からB地点に真直ぐに向かうために、
どれくらいの馬力のエンジンで、どの程度の角度で川上に向けて進めばいいか?」
というのを一生懸命考えて頑張るのが好きでした。
これってまさに目標達成型のビジネスマンモデルですね。昔の私のパターンです。

それが10年ほど前から、
「別に最短距離で行かなくてもいいじゃないか。」に変ってきました。
エンジンは積まず、小船でそろりと岸を離れます。
そしてしばらくは流されるに任せます。

ただし、まるで流されっぱなしというのでは芸がない。
そのままどの岸にも着かずに干上がってしまうかもしれない。
だから櫂(かい)か棹(さお)を持ち、
時々「ちょいちょい」と漕いだり突いたりして、
次第にB地点のある側に辿り着こうとします。

当然A側からB側に行く間に結構流されるわけですが、
「周りの景色も見られて良かったわい。」ととらえることにしました。
また、流されているうちに、
「無理してB側に行くこともないか。だったらA側に戻ろうか。」
となるかもしれない。
それもありじゃないかと考えるようになりました。

もうお分かりかと思うのですが、この川が「世間」とか「社会」とかいうもの。
川をどうやって渡ろうかと考えるのが「生き方」「ライフスタイル」。
そして流れに身を任せながら「ちょいちょい」として進むやり方の一つが、
例えば人付き合いなのかなと。

でもこのちょいちょいのさじ加減が時と場合によって変ってきます。
川は蛇行したり、急に岩が多くなったり、流れが変る時もあります。
それは例えば都会暮らしや田舎暮らしの違いと言えるかもしれない。
そんな時はやっぱり漕ぎ方を変えた方が安定して進めるでしょう。

ましてやこれまでは一人で小船に乗っていましたが、今では二人増えました。
だから漕ぎ手の腕を上げないと、もし転覆したら申し訳ないし、
一緒に漕ぐとなると息を合わせる必要がある。

そんな状況の変化によって都度あれこれ考えながら、そして心も揺れながらも、
やっぱり「ちょいちょい」程度でうまく進めたらいいなというのが、
今の私の「自然体」なのかな、と考えています。
てらまちさんに「トラックバックします」とか書いておきながら、
実はトラックバックってやったことなくって、後であたふたしてます。
そして、てらまちさんからは「まだ着いてないですけど」とか言われてます。
私の人生、こんな人生です。
とりあえず言っちゃってから考えてます。

で、これでいいのかな?
てらまちさんのことは以前からカミさんは存知あげていて、
いつかはお会いしたいと思っていました。
田舎暮らしの大先輩ですね。
まずはブログで知り合いになり、これからもいろいろ教えていただきたいところです。

本当にこれでいいのかな?
2006.01.29 まっすぐ夢へ
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この陶板は今から5年ほど前に唐津で買ったものです。
話は十数年前にさかのぼりますが、ひょんなことで萩・唐津・有田の旅に出ました。
それまで焼き物には何の関心もなかったけれど、
振り返れば思いっきり陶芸の里めぐりですね。

正直言って萩では全然ピンときませんでした。
でも唐津に行った時に何か違う感覚がありました。
特に閉店間際に入ったあるお店で、
そこの女主人がとても丁寧に焼き物の見方を教えてくれました。
2時間以上滞在したかな?その時以来、焼き物のとりこになってしまいました。

その後、益子、瀬戸、美濃、常滑、九谷、立杭、備前、壷屋・・・
いろんなところを巡りました。
でも当時は焼き物を見たり買うのが楽しみなだけ。
「いずれは焼けるようになりたいなぁ。」程度でした。

それが1996年に八ヶ岳に移住後、勤めていた知的障害者の施設で、
障害者の芸術活動を支援することになって、陶芸担当になりました。
そして施設の倉庫に埋もれていた陶芸用の窯を譲り受け、
自費で修理して、合わせて自宅に工房も作り、
「年中無休、24時間開放、完全無料」の陶芸スペースを開くまでに展開。
土代も釉薬代も焼き代も一切いただかず、
ただ身体一つで工房に来てもらえれば陶芸を体験して自分の作品を創ることができる。
そんな場を作ることになりました。

私の今の人生があるのは、あの工房を開いた時が大きなきっかけだと思います。
心が開放された瞬間っていうのかな?お金を稼ごうなんて、まるで考えなかった。
その工房のおかげでいろんな人との出会いがあったし、
何よりもカミさんとの出会いがあったしね。多くのものを得ました。
でも元をたどれば、そもそも陶芸に関心を持ったのは唐津がきっかけでした。

その唐津の店に久しぶりに訪問した時に出会ったのが、冒頭の陶板なのです。
その時期はその時期で、その先の暮らしについて色々思案していました。
「陶芸家になろうか?」なんてのも選択肢の一つにありました。ウソみたいだけど。
数年ぶりに主人に再会し、「陶芸家なんて食べていけないわよ。」と諭され、
ふと目にしたのがこの陶板。
「そうだよな、私にはもっと夢があった。素直に自分の夢を進もう。」
と目が覚めたのでした。

この陶板、今はうちの便所に掛けてあります。
小さいものですからね、母屋に掛けておくと目立たないんですよ。
でもトイレだと存在感バッチリ!
いつも座り込んでは「よし、『まっすぐ夢へ』だ」と唱えています。
うちに来る方は是非トイレで唱えてください。
夢が叶いますよ。きっと。
右は市販の卵
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一昨日に烏骨鶏の初卵をゲットできたのに、私の体調不良のためブログを書けず、
悔しい思いをしておりました。
ところがうちの烏骨鶏ぴーちゃん、今朝も生んでくれました。
2羽いるから交互に生んでいるのかな?

でも実は本当に烏骨鶏の卵かはまだ確実ではありません。
他にも赤鶏ぴーちゃんがいますが、
こいつの卵は赤いし大きいからすぐに違いが分かります。
問題は名古屋コーチンぴーちゃん(うちはどの鶏もぴーちゃんです)の卵かどうかです。
もしかしてこいつが2日おきに頑張っているのかも。
でも小さいし、白いから(説得力がない?)、
この卵は烏骨鶏ぴーちゃんらのものと勝手に決定!

では早速食卓に。実は自家製の卵を食べるのは初めてです。
昨年末にぴーちゃんらをいただいてから、
これまでに赤い大きな卵が3回生まれているのを確認しました。
しかし、いつも中身を食われていたのです。
「こらぁ、子食いをするなぁ。」と声を掛けますが、
どいつが食ったのかも分からないし、
これではエサ代かける甲斐がないなと、少々がっかりしておりました。
毎日の残飯を食ってくれるのはありがたいですけど。

でもようやく口にできた自家製卵。しかも烏骨鶏卵!
買えば高いのは一個500円ほどします。嘘みたいに高い。
早速割ってみると、おぉ、見事にぷりんぷりん。黄身が盛り上がっております。
お味の方は、「甘い!」。こりゃ美味いわ。
でも一個500円ほどの価値があるかどうかは微妙なところですが・・・。
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こうなると俄然「烏骨鶏を増やしたい欲」がムクムクと湧いてきます。
早速調べてみると、ありました、「自然卵ネットワーク」。
初回費500円、インターネット年会費500円、出資金一口2000円で会員登録され、
卵はもちろん雛の購入もできるらしい。早速入会申請しました。
春になったら少しずつ増やそうと、もうソワソワし始めております。
昨日午後からほぼ寝て過ごし、カミさんの看病もあり、今朝には随分回復しました。
夕方に出されたコンニャク温湿布が効きましたね。
4cmほどのぶっといコンニャクを茹で、ビニールとタオルで巻いて腹に当てました。
最後に首の後ろに当てて寝たら、すーっと眠りにつくことができました。

病気の症状がひどい時は、まずは病院に行き薬で最悪の状態から脱してから、
自然治癒力で回復するのが私のパターンだったのですが、
今回はひどい症状が出る前に養生する時間があったので、
全面的にカミさんのやり方に委ねました。
ポイントは、「身体の毒気を出し切ってしまうこと」のようです。

熱が出ればそれを抑えずに、熱によって毒気が去るのを待つ。
お腹が痛い時は何も食べない。
とにかくじっとして待つということらしいです。
そして昨日から書いているような自然処方でサポートする。
野生動物は病気になったらじっと寝ている。
そんな時に薬や過分な食事を採るのは人間だけというわけですな。

そのお陰か、今日は爽やかな気分です。
それともう一つ今回の疲れの原因がありました。
新しい仕事の依頼があり、
それをどうこなすかとあれこれ考えているうちに「頭ぐるんぐるん」状態になり、
寝ても覚めてもその仕事のことを考えていたのです。

私は「頭ぐるんぐるん」になると身体が火照り、目はパッチリ。
でも結局その後で寝不足になって調子が狂うんです。
今回はその状態が結構長く続きました。
実際のところ、昨日布団の中にいても頭をよぎるのは仕事のことばかり。
夜中になってある程度頭の中が整理でき、
少しだけ起きてこれからの段取りを整理したものをメモ書きし、
ようやく気持ちが晴れました。
言わば産みの苦しみのようなものでした。

振り返って見れば、身体にとっても、頭の中を整理するにも良い時を過ごしました。
でも油断は禁物。ぼちぼちと復帰していきます。
昨日の朝早くに目が覚め、ブログを更新し、止めりゃいいのに仕事を始めてしまい、
結局日中はネムネム状態で過ごし、夜中に帰宅しました。
今朝からなんだか腹が重いなと感じていたら、バリバリの水溶便でした。
最近また仕事が忙しくなってきたこともあり、
疲れが溜まっていたのが出てきたのかもしれません。
身体全体の代謝というか免疫力が落ちてきている気がします。

こんな時は何もせず、ゆっくり寝ていようと思ったのですが、
こんな日に限ってブログネタは満載です。でも書くのは諦めます。
う~ん、残念!
タイトルだけ挙げておきます。
「烏骨鶏の卵がとれた!」「ショック!どぶろくがカビた!」
「オークションで碍子(ガイシ)ゲット!」などなど。

ところでカミさんは俄然張り切り、矢継ぎ早に看病してくれます。
まず梅醤番茶のくずゆを作り、
私が足湯をしている間は蒸しタオルを首の後ろと目に当て、
レメディ(ホメオパシーの処方の一つ)を与え、
楽健法という足で踏むマッサージをしてくれました。
おかげで少し身体が軽く気分も楽になりましたが、今日はこのまま休みます。

昨日までのメールに熱いコメントをいただき、ありがとうございます。
あとでお返ししますので、すいません。
ではでは。
先日の念仏講の際、区長さんとゆっくりお話する機会がありました。
私が「こういう伝統行事が残っているって、いいですね。」と言うと、
区長さんはニコッと笑って、
「残っているんじゃないよ。残しているんだよ。」と答えられました。
それを聞いて、ハッとしました。

「私が子供の頃はね、こういう伝統は途切れていたんだ。
でもやっぱりやろうということでね、昔を知る人たちが始めたんだよ。」
そうだったのか。
やはり伝統行事って、意識して続けるものなんだなと再認識しました。

同時に、この伝統行事をいつまで残していけるのだろうかと、つくづく思います。
念仏が終わった後に、地元の長老がポツリとおっしゃった言葉が響きます。
「皮肉なもんだな。masanのような外から来る人の方が関心を持って入ってくれて、
地元の若いもんは見向きもせん。」

そんな言葉を聴きながら思うに、
私は自分の育った環境に「残していくもの」がほとんど無かったから、
かえって「残すことに関わりをもつこと」に関心があるのかもしれません。
それでも若い頃はそういうことが「古いしきたり」に見えて、
しばられるのは嫌だと感じていました。
それが変ってきたのは、やっぱり歳を食ったからかなぁ。
特にカミさんが妊娠してからは、
「私達は次の世代に何を残せるんだろうか?」と真剣に考えるようになりました。

また、直接的な理由として、U太が地元に受け入れてもらうためには、
親も入っていかねばという気持ちもあります。
だから今まで以上に地元の行事に参加しようとしていますし、
当然地元の人々との関係づくりにもより配慮するようになりました。
そしてそういう私達の意思を、
何よりもここの人たちが優しく受け入れてくれているのが嬉しいです。
特に年配の方がとても上品で腰が低くて、こちらが恐縮するくらいです。

地元との付き合いについて、文字通り「付き合いだから」とか、
「仕方ないから」ではなく、
自ら「付き合いたいから」と関わっていくことが大切かなと思います。
「いやいや」「我慢して」付き合っている人の態度は、
受け手が一番敏感に感じるものでしょう。
何かのご縁があって近くに暮らすようになった仲ですから、
良い付き合いを続けていきたいものです。
これは何よりも自分自身に向けてのメッセージです。

さて今回は「地元(田舎)とどう付き合うか」について考えてみました。
話の軸が定まっていなくて、まだまだ言い足りないところがあり、
またかえって語弊を招くかな、というところもありますが、
自分の頭を整理するためにもまとめてみました。
ご意見いただければ嬉しいです。
新しく移ってきた人は、本人が感じている以上に見られています。
私が八ヶ岳に移住した頃、地元の人々と話していて、あることに気づきました。
誰も自宅に招いていないのに、みんな、うちの間取りを知っているのです。
やがて事情を知りました。
家の建築中に、誰もいない時に入ってきて、既にチェック済みだったのです。
まるで「買ってきた新品のパンツを穿こうとしたら、既に誰かが穿いていた」
かのような感じがして、嫌な気分がしたものです。

今の家に越してからも、こんなことがありました。
ある時、お隣のタケオさんが笑って言いました。
「最近な、『お前のところの隣に越してきた人は、物を片付けない人なのかの?』
とよく聞かれるんじゃ。」

というのも、私達が越してきた時、その前に住んでいた人の荷物がそのままだったので、
その片付け作業は、それはもう大変でした。
でも一気に捨てることもできず、
少しずつゴミ袋に入れては家の道路脇に置いていたのです。
その溜まったゴミ袋を見て、
「あの家は家中ゴミだらけにしている」と勘違いされていた訳です。

「だからな、『片付けないのではなくて、片付けているからゴミが出ておるんじゃ。』
と説明してやったわ。」
このように周りに伝えてくれる地元民がいらっしゃると助かります。
その方の一言でみんな納得してくれますから。
でもそれからは、余計な勘繰りをされぬ様、マメにゴミを出すことにしています。

また、最近感心したことに、地元の総合事務所(元村役場)に電話をすると、
声色だけで私が誰か分かるらしいです。名前を言わないのに理解しています。
この情報分析力には全く驚きます。

これらの話を聞いて、「あぁ嫌だ」と思う人がいるかもしれませんが、
自分がもともと田舎に住んでいる人間だと想像してみてください。
やっぱり興味深々なんですよ、新しく来た人が何者なのか。
そして地元とうまくやっていける人なのか、心配でもあるんです。
その辺りの感覚がようやく私にも理解できるようになりました。

先日の念仏講で地区を廻っていた時、ある家の前で、
「この家の人は地元の行事にちぃ~とも出て来ない。」と言われていました。
その家の人たちがどういう暮しをしているかは分かりませんが、
結果的にそのような印象を持たれてしまうのは残念です。
現実にはなかなか参加できなくとも、せめて行事への参加の意思を示すことって、
大事なことじゃないかと感じるこの頃です。
だってお互いに良いコミュニケーションを取りたいではないですか。
八ヶ岳に移住した際、
「地元の区長さんには挨拶しておいた方がいいよ。」とアドバイスされたので、酒を持って訪問しました。
その時の区長さんはとても理解のある方で、
「何も無理に区に入って地元の行事に付き合うことはないよ。」と言ってくれました。
そしてゴミステーションにゴミを出すことは了解してくれました。
区に入らないとゴミを捨てられませんでしたので、この配慮は嬉しかったです。
その後も、年末に酒を持っていくことと、ゴミステーションの使用料を支払うだけで、
それ以上の行事参加要求は無く過ごせました。

ところで、八ヶ岳はあれほどリゾート化されているのに、
一つだけ驚く風習が残っていました。それは「土葬」です。
喪服姿の一団が墓地にいるのを見て、最初は不思議だったのですが、
つるはしで掘って、棺おけを埋める作業をしていたのでした。
お年寄りしかいない区に移住した50歳ほどの知人は、
「若い衆、墓を掘ってくれ」と頼まれ、真冬にガチガチに凍った土を掘ったとか。
これも地元のお付き合いの一つですね。

さて田舎でのお付き合いについては、
そこに移ってくる人のマナーもよく指摘されるところです。
丹波にいた頃、次のような話を聞きました。
田畑を含めた土地を購入したある女性、
「移ってきたら畑仕事もやりたい。」と言っていたので、
地元の人々は農作業を教えてもやろうと大いに期待しておりました。

ところが彼女が移ってきてすぐに、ブルドーザーが入ってきて整地し始めました。
見ていると、細かく分かれていた畑を一つにまとめています。
やがてそこで整然と黒豆の栽培が始まりました。
この時点になってようやく地元の人々は事情が分かりました。
彼女は都会にある菓子会社社長の娘で、その土地で収穫した黒豆を使って、
「丹波黒豆入り」の菓子を製造販売することが最初からの目的だったのです。

さてそれを知った地元の人々は怒りました。
最初から親の会社の業績を上げるためだったのか、裏切られた、という訳です。
先祖代々守ってきた土地を勝手にいじくられ、しかも皆が苦労して育てた
「丹波黒豆」のブランドが傷つけられたという思いもあったでしょう。
では、彼女のやったことは許されないことかというと、そうとも言えません。
極端な話、「自分の土地で好きなことをして何が悪い。」という理屈でしょう。
でもそんな姿勢では田舎ではやっていけない。

要は、事前に話の筋をつけていなかったことに問題があったのだと思います。
全ての人に説明することは無理でしょうし、
時が経つほどに事情が変ることもあるでしょう。
それでもやっぱり、地元の人からすると「よそから来た人」が何をし始めるのか、
とても関心があり、また不安に思うのも当然です。
ですから、「自分達がこの土地でどんな生き方をしたいのか」
を説明できるようにしておくことは、移ってくる者のマナーの一つだと思います。
その姿を見て地元の人たちも安心し、付き合い方を選んでくれると思います。
下方真ん中が我が家です
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今日から何回かに分けて、田舎に移住する際の人付き合いについて考えてみます。
最初にお断りしますが、その土地の風土やお互いの人柄の相性などにより、
人付き合いの形は千差万別でしょうから、
「これが正しい」という見方はないと思います。
今回はあくまでも私が見聞きしたことから感じていることを書き連ねるだけですので、
あしからず。

最初に嫌な話を書きます。
10年前、私が八ヶ岳に移住して間もなくの頃、ある女性から伺った話です。
その女性、Aさんとさせていただきますが、とある土地の素敵な林の中に移住し、
念願のおしゃれな喫茶店を開きました。
オープンしてしばらくした頃、地元の人らしき男性グループが入ってきました。
その後、その中の一人の初老の男性が店に通ってくるようになりました。
その男性、人当たりが良く、親身に話を聞いてくれるので、
Aさんも気軽に会話をするようになりました。

さて、数日が過ぎた頃、その店にはその男性とAさんしか店内におりませんでした。
そこでやおらその男、こう言い出したのです。
「なぁ、俺がこの店に来るのは5回以上になる。そろそろいいだろ?」
最初は何のことか分からず、「そろそろって何ですか?」と尋ねるAさんに対し、
男は、「この辺りじゃみんなこうやって付き合っているんだよ。」
と言いながら厨房に入ってきました。
ようやく意図が分かり、とっさに目の前の包丁を持って、男を追い出したそうです。

またある時には別の客が、「この店には焼酎はないのか?」と訊きました。
「喫茶店ですから焼酎は置いていません。」と答えると、
「地元と付き合おうとするのならば、地元客の要望に応えるのが店だろう。
どれ、俺の知っている酒屋を紹介してやろう。」と強引に話を進めようとしました。
その時は丁重にお断りしたそうですが、その話を後で聞いた友人から、
「断って良かったよ。もし受け入れていたら、
きっと貴女はその客の傘下に入ってしまうところだったよ。」と聞かされたそうです。
つまり、酒と一緒に、男もついてきたかもしれないという訳です。

他にも同じようなことが続き、Aさん泣く泣くお気に入りの店を手放したそうです。
「郷に入れば郷に従え」というのは美徳だと思うのですが、
それを逆手に取って、個人のエゴを「地元のルール」などと履き違えて振りかざされ、
結果的に夢を持ってやってきた人々が失望して去っていくとなれば残念なことです。
それにしてもコーヒー5杯で身体を要求する輩(やから)がいるとは、
同じ男として恥ずかしいです。

私は大阪市内で生まれ、
三歳の時に親父が町工場を郊外の町に移した際、家族で移住しました。
今ではこの町は住宅街ですが、当時は田舎そのものだったようです。
「地元の行事毎に何かと集金にきて、地元民よりも多く取るくせに、
いつまでもよそ者扱いする。」と親父はよく怒っておりました。
私も近所の子供達から「あいつは気取っている
(大阪弁で『あいつはイキリや!』と言います)」と言われ、
子供心に違和感を感じて育ちました。
戦時中、疎開をした人たちが受けた様子に似ているかもしれません。

そんな家庭環境もあり、
「田舎の人付き合いはやっかいなもの。」という印象を持ち続けていましたので、
冒頭のような話を聞いた時、驚きながらも
「あぁやっぱりやっかいだ。」と思ったのは事実です。
ですから、「田舎暮らしはしたいけれど、地元との付き合いはほどほどに。」
というのが当時の基本姿勢でした。
2006.01.22 念仏講
今日は念仏講の日でした。本当は先週末の予定でしたが、
その時期に葬式が出たので、今日に延期されました。
朝7時半に集合です。いつもの念仏練習会に参加する人に加えて数名現れます。
そして今日の主役は子供たちです。地域の小学生達が10名ほど集まりました。
いつもならもっと大勢集まるらしいですが、
一週間ずれたことで集まりが悪かったらしい。
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今日は念仏練習会とは違ったやり方で進めます。
まず道具が違う。大きな数珠が出てきました。
直径1mものと1.5mものの二つ。ほとんど大蛇です。
うちの地区は6班に分かれますが、この全ての家を、
川をはさんで二手に分かれて周ります。
私の家は川の東側なのですが、コトの流れで西側の組に入りました。
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各家に近づくと、鐘を持った少年が二回鳴らします。
そして玄関に近づいて子供たちが「おはようございます!」と声を揃えると、
家の主が出てきます。そこで大きな数珠(「すず」と呼んでいました)を取り出し、
子供たちと家の主がそれを持って、念仏と鐘に合わせて手回しします。
念仏の文言や節回しは、普段の私達がやる方法とは違い、簡易式です。
やがて念仏が終わり、挨拶が済むと、主から寸志をいただきます。

そうやって各家で念仏を唱えて周るのが念仏講なのです。
途中、移動する間、他の班の人が私に訊ねてきます。
「masanはIT関係の仕事なんですってね?」「いいえ、違います!」
よくあるんですね、噂でゆがめられることって。
ある時には、「今度、寿司屋さんがやって来るって聞いたんですけど。」
と声掛けられた時は面食らいました。私が坊主頭だからといって、寿司屋にするな!

二十数件回った後、地区のお堂に集まり、合同で念仏を唱えました。
こういう行事に子供たちが関わる意味って大きいと思います。
この先、この子達がどれだけ残るか分からないけれども、
今こうやって伝統行事に携わっていることは、きっと糧になるはずです。
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子供達に小遣いとおやつを与え、帰らせた後は、大人の宴会です。
十数名の男と女が、何故か別室で集まり、宴会が始まりました。
私は地区の区長さんの隣に座らされましたが、かえって良かったです。
この区長さん、村が合併する前は助役だった人で、見識が広そうです。
おかげでいろんな話をすることができました。

宴の途中で、お隣のタケオさんが、
「うちの班はmasanのような若い衆が来てくれて良かった。」とおっしゃりました。
それを聞いて他の班の方が、
「そりゃええわ、若い人が来てくれるのは何よりだ。」と喜んでくれます。
それはそれでありがたいのですが、うちの地区で6班あるうち、
今日参加した中で私の世代は他に無し。勿論、その下はいません。
それでもうちの地区はまだ熱心に伝統行事を残している方らしくて、
本当にこの先どうするのかなと思います。
今日も私以外は軽く一回り以上のお歳です。
一抹の不安を感じながらも、私は私、
できる範囲で学んでいくしかないかと考えた次第です。
2006.01.21 新たな展開?
地元で大変お世話になっているカズニさん(確か元農業委員長)とお話していたら、
傍を通りかかった人をカズニさんが突然呼びとめました。
「あんた、この人を知っとるかい?」この人とは私のことを指すらしい。
紹介されたその人は、地元の森林組合長のKさんでした。
実はこういう立場の方とお知り合いになるのを待っていました。

私は今後、暇があれば山に入り、春は山菜採り、秋はキノコ狩りをして、
将来その恵みを使ったレストランを開こうとしています。
かつてこれらの知識を学んだ八ヶ岳は国定公園でしたので、
ある意味で自由に山に入ることができました。

でもここ加子母周辺は個人の山が多いので、
了解無く山に入ると叱られるのではと考えていました。
だから、事前に山関係の人と知り合いになって、
筋を通してから存分に入りたかったのです。
Kさんの方も私の噂は聞いていたようでした。何せ小さな村ですからね。
山に入ることについては、「松茸以外は問題ないよ。自由に入ったらいい。
あんたはもう村の人間なんだし。」とのお話です。

その後、やおら話題が大きく外れ始めました。
・この地域はもともと飛騨の流れを組んでいること。
 例えば小郷(オゴウ)という地区名は、「飛騨の小さい里」という意味であること。
・かつて飛騨地方から移ってきた一族が、
 飛騨の川下にあるこの地を「かわしも→かしも」と呼ぶようになり、
 その後、「加子母」と字を当てたらしいこと。
・またこの地域は尾張藩の飛び地であったが、
 何故尾張藩がわざわざこの地を治めたかというと、薬草が採れたから。
 約300種採れたと文献にもあり、
 これは伊吹山の200種よりもはるかに種類が豊富であること。
・源氏一族とも深い関係がある土地であること。
などなど、いろんな話を一気にされました。

こういう話は嫌いじゃないのでワクワクして聞いていましたが、
それにしても初対面の相手に唐突です。
すると、「いやね、つい最近も仲間と話しておってな、
この地の歴史や文化や自然の恵みを次の世代に残していきたいのだが、
残す相手がいないと嘆いていたんだよ。
だからあんたのような人達が跡を引き継いで欲しいんだ。」とのことでした。

嬉しい限りです。まさに望んでいたことでしたから。するとカズニさんも続けて、
「masanはな、例えば森林組合の現状や、皆が各々考えておることを整理して、まとめて、
その上で『こういう方向に進めばいいんじゃないですか?』と
示すようなことができる人なんだよ。」と説明してくれました。
Kさんも、「そうと分かっていたから、さっきからこんな話をしておるんだ。」
と返します。身に余る光栄です。

今回は初対面ということもあり、ご挨拶程度でしたが、
これから村のことに関わる場面が増えるかもしれません。
一体私に何ができるかまだ見当がつきませんが、カズニさんが言ってくださった通り、
確かに物事を整理してまとめることだけは得意です。
それをうまく生かして、この村のお役に立てられればこんな嬉しいことはありません。
そして将来、私がこの地の語り部になれたらいいな。
今後がますます楽しみになる出会いでした。
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昨夜は布団に入ってもなかなか眠つけませんでした。
数ヶ月に一度程度、そんな夜があります。
そういう時はたいていいろんなことを考え、
思いが頭の中を巡って次第に身体が熱くなります。
この状態を「頭ぐるんぐるん」と呼んでいます。

昨夜は、仕事の資料をまとめるのにある面白い発想を思いついたのがきっかけで、
その資料の中身を考えたり、客先の会議での盛り上がりを連想したりしているうちに、
頭ぐるんぐるんになってしまったのです。結局布団の中で2時間半経過。

「いかん、こういう時は一旦起きて、何か他のことをしよう。」と
ふいに思いついたのが、「ホリエモンのブログを覗く」ことでした。
きっと彼のことだから、こんな窮状でもきっとブログを更新して、
それへのコメントも殺到しているのではないか。
賛否両論だろうが、いったいどれくらいの比率かな?と興味が湧いたのです。

久しぶりにライブドアサイトを開けると、すごいですね、
自前で「ライブドアショック特集」を組んでます。さすがです。
そしてホリエモンのブログですが、17日は三回書いていました。
それに対するコメント総数、何と4900!すごい!
しかも彼は全てに目を通しているらしい。
ほとんどが激励コメントでしたが、正直言ってあまり内容のないものが多かったので、
ここではあれこれ言いません。

そんなこんなで結局寝たのが1時過ぎ。その分、朝が遅れました。
朝食後にようやくエンジンがかかり、
まず始めたのがどぶろくの瓶詰めと「二回仕込み」です。
この意図は17日のブログで書きました(そんなにおおげさじゃないか。
要はタダでもう少し酒を多く造ろうという魂胆)が、
その作業をやってみたわけです。

まずは既に出来上がったものをザルでこし、
こされたどぶろくを今回は一升瓶に詰めました。
もともと2升取れるように仕込んだのですが、
今回は絞らなかったので、カスに酒が残り、結局出来たのは1升と6合でした。
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そして残ったカスにぬるま湯を足し、
念のためにドライイーストを加えて、再び保温します。
9時間経った先程にチェックしてみたら、結構いい香りで発酵していました。
期待ムンムンです。

次は明後日の夜に瓶詰めする予定です。これでうまくいけば本当に儲けものです。
今日の夕食時には自ビールと自酒(どぶろく)でほろ酔い気分。
こんなに簡単に安上がりで良い気分になれるなんて今まで知らない世界でした。
ありがたや、ありがたや。
2006.01.19 出雲の阿国
過去のブログをご覧になっている方はご存知かと思いますが、
私は「出雲の阿国」に少々肩入れしております。
以前、出雲地方の仕事をさせていただいたこともあり、
「歌舞伎の始祖」と敬われる阿国はもっとメジャーになってもいいのでは、
と常々願っています。

有吉佐和子著の「出雲の阿国」もドキドキしながら読みました。
これはかなり創作したところがあるようにも思え、
私としては話半分で理解していますが、
それでも、戦国時代から江戸時代への変革期に、
ただでさえ庶民の女性が自己主張するのは難しかったであろう時代に、
結果として名を残すほどの存在感を示した阿国という人は、
一体どんな人だったのだろうかと思いを馳せています。

そんなことを考えておりましたら、何とNHKでドラマが始まりました。
毎週金曜日の6週連続ドラマとかで、その名もまんま「出雲の阿国」。
有吉佐和子作をベースにしています。
我が家ではテレビが映らないので親に頼んで録画してもらい、初回分を観てみました。

さて観ての感想ですが、とても微妙です。
正直に言います。菊川玲(阿国)、堺雅人(三九郎)、
その他どのキャストも私のイメージとは離れていました。
私にとって阿国はもっとグラマラスで存在感バリバリのイメージでした。
たとえ踊らなくても、その場にすくっと立っているだけでドキドキする感じ。
三九郎はこんな優しい人じゃない!もっと上昇欲とコンプレックス一杯の人のはず。
ストーリーも何だかはしょっている感じです。

先に原作を読むとこうなっちゃうんですよね。
最近ではハリー・ポッターがそう。どの映画も中途半端に見えてしまいます。
ナウシカだって本当はもっともっと深いメッセージがあるのに。
その昔、確かムツゴロウさんが子供にムーミンのテレビアニメを見せた時、
その子供が「ムーミンはこんなんじゃない!」
と拒絶したという話を聞いたことがあります。

文字よりも明らかに動画の方が情報量が多いのに、
かえってそのことで人の想像力を破壊してしまうことってあるんだな、
と今回もつくづく感じました。
もちろん動画の持つ力は重要です。でもそれだけに頼らず、文字の力、
例えば新聞やブログの存在感もあなどれないぞと再認識です。
いずれにせよ、テレビ版「出雲の阿国」。
乗りかかった船なので、一応最後まで観てみます。
菊川玲さんがどこまで化けてくれるか、一縷(いちる)の望みをかけて。
ブログランキングお試し「ポチッと」キャンペーンに多数のご参加、
ありがとうございました。
(だんだんネーミングが大げさになってます。)
現在のところ、「エコロジー」ジャンルで310ポイントをいただき第1位、
その上の大分類「ライフ」で第3位、そして全てのジャンルの中で総合第137位です。
普段のアクセス数のうち、2割程度の方が押してくださるかなと考えていたので、
大体読み通りの反響がありました。
改めまして、「ポチッ」と押してくださった方々に感謝します。

さて再度考えるに、やっぱりこのランキングはおかしいと思います。
そこで話を簡単にして考えてみます。
ここのランキングでは、一人が「ポチッ」と押すと、10ポイント増えます。
私は「エコロジー」ジャンルに100%登録しています。
仮に今の私のブログが90ポイントだとしますと、
9名の方が押してくれたということになります。

一方、同じジャンルにいるBさんが11ポイントで下位にいらっしゃるとします。
ではBさんのブログは人気がないかというと、さにあらず、
Bさんは「エコロジー」には10%しか割り振っていないでしょうから、
一人の推薦で1ポイントしか増えない。つまり11名の方が押してくれたというわけです。

これが「現在10ポイントゲットして、Bさんの下にいるCさん」となると複雑です。
Cさんが「エコロジー」に100%の人だと、たった一人が押しただけ。
でも、10%割り振りだとすると、10人が押しているので、私より多いことになる。
つまり、同じ土俵に立っていないのです。
しかもお互いの割り振り率は調べなければ分からない。
これってランキングと言えるのでしょうか?

同じケースを、世間で探してみました。例えば、
「あるJポップアーティストが新曲を出して、Jポップのジャンルでは上位に入った。
ところがその曲はクラシック的でもあるので、
レコード店はクラシックのフロアーにも置いてみた。
でもそこでは売れない。
結果として、クラシックファンからは高い評価を得なかった。」という具合か?
いい線いってるけれど、ちょっと違うかな?

ではこれはどうだ。
「ある会社の営業部に所属するAさんとBさん。
AさんはBさんの10倍の売上げをし、部内では高い評価を得ています。
ところがBさんは実はその営業以外の場面で活躍しており、
結果として会社への貢献度はAさんと同じ。
それを知っているのは、Bさん本人と社長のみ。」
まるで「釣りバカ日誌」の浜ちゃんみたいですね、Bさん。

いずれにせよ、世間ではあまりないようなことが、
このランキングでは基本の仕組みになっているように思います。
私の勘違いなのかな?
ともかく、私の気持ちはこれですっきりしましたので、
これからは「ポチッ」の勧誘はしません。

でもバナーは貼り続けます。
というのは、今回の私がそうだったのですが、
「このジャンルにいる人ってどんなブログを書いているの?」
と覗かせていただき、視野が広がりました。
だから読み手の側から見て選択肢が増えるのであれば、
このまま残しておこうと考えたのです。
そんな訳で、これからもさりげなくバナーだけは付けさせていただきます。

繰り返しますが、押してくださった方、ありがとうございました。
そしてこれからもヨロシク!
数日前からFC2のブログランキングに登録しています。
たまたまそういうニュースを見つけて、
「じゃ、まぁ一度登録してみるか。」と手続きを始めたのはいいのですが、
もともとアナログ人間の私、
画面で説明している内容の意味をなかなか理解できません。
いつものことですが、「どうとでもなれ!」とか言っているうちに勝手に登録されて、
知らぬ間に始まりました。

でも蓋を開けると意外や意外、
結構ポイントが集まって、登録しているジャンルで現在第一位です。
何だか分からないけど、
見ている人が大勢いてくれるのは気分のいいことだと満足しておりました。
ところが、よくよく見ていると、私のポイントって、10レベルで増えていきます。
変だなとマニュアルをみておるうちに、やっと仕組みが分かりました。
一人が投票すると、それだけで10ポイントがつくんですね。

そう言えば、最初に登録する時に好みのジャンルを問われ、
一人5ジャンルまで選べました。
それもそれぞれ重み配分できるということで、
例えば「エコロジーを10%」と登録すると、
誰かが推してくれた時に、1点だけつくんですね。
それが私の場合はエコロジーだけに100%登録しているので、
同じケースでも10ポイントがつくわけです。

ということは、現在私のブログは130ポイントですので、
何と13名が推してくれたことになるわけです。
決して130名が推してくれたわけではないのです。
この事実をつい先ほど理解できました。
と同意に、ふ~っと肩の力が抜けました。何だそういうことか。
とっても温かい気持ちになりました。
まだまだこのランキングは創成期なのですね。
これで、この先ランキングを気にする気も失せました。

そこで、この際だから、ちょっと実験したくなりました。
ありがたいことに今やこのブログを一日平均80~90名近くの人が読んでくれています。
そこで、今から一日だけのお願いですが、
今日のブログの最後にある「Blog Ranking」というバナーを
ポチッと押してもらえないでしょうか?
これでどれだけのポイントが上がるか試してみたいと思います。

このような催促は、今後一切いたしません。
「ここを押してね」とか「これに一票!」なんてこともこの先は言いません。
もともとこういうのは苦手なんです。
でも今日一日だけ、どこまでいくか、遊んでみたいと思います。
「何を馬鹿なことを」とそう思わずに、ご協力をお願いします。余興としてね。
そして結果を共に楽しみましょう!
では、皆さん、ポチッとね!

↓ポチッ
昨日の話になりますが、またまたどぶろくを仕込みました。
同じパターンだともう随分と手馴れてきましたね。
配分とかも結構いいかげんになってます。
でもこのいいかげんは「良い加減」。
調理でもそうですが、「小麦150g、塩大さじ1杯」なんて
レシピ通りに作っている間はまだおっかなびっくりという感じですが、
慣れてくると結構いいかげんにやるくせに、その方が美味しかったりします。
だから今回の余裕は良い兆しです。

さて今回は新しいパターンに挑戦です。名づけて「二回仕込み」。
日本酒造りでは、よく「三段仕込み」と言いますが、
これはもろみを作るのに、
あらかじめ造った酒母に、麹(こうじ)、水、蒸米をそれぞれ、
初添(はつぞえ)、仲添(なかぞえ)、留添(とめぞえ)と
3回に分けて仕込んでいく方法です。
手間がかかる分、パワフルな発酵が進むのでしょうね。

今回の私のやり方は、この逆をいくものです。
最初は今まで通りのやり方で発酵させます。そして瓶に移す時に、
今までならもろみも一緒に入れるか、もしくはさらしで絞ってこしていました。
それを今度はザルでこします。絞りません。
こしたのはもちろんそのまま瓶詰めしていただきます。

問題はザルに残ったやつです。実はこいつに水を加えてもう一度発酵させるのです。
二番だしを取るような感覚ですね。
何かの本にこの方法が紹介されていたので、今回やってみます。

言わば、「三段仕込み」が三段ロケットでガンガン飛ばすパターンであり、
「二回仕込み」はシャトルで使いまわすエコパターンと言えるでしょうか?
これで一回目と変わらぬどぶろくができれば大笑いですな。今回は一升分の儲けです。
そして最後に残った酒かすは、カミさんがパン作りに使います。
これで万全!
2006.01.17 田舎の社長机
田んぼの雪も解け出した。まるで地球のランドサット衛星画像のよう。
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昨日一日のアクセス数が初めて100を越えました。
多くの人に読んでいただき、感慨無量です。
これからもよろしくお付き合いのほどを。

さて昨日は大きな荷物がやってきました。
親戚が亡くなった後、誰も住んでいなかった家を処分することになり、
その家の家具などを親族その他に分けていただくことになったのです。
言わば形見分けのような感じです。

今回、私達がいただいたのは、ソファーとテーブルのセット、食器棚、
そして書斎机と椅子のセットでした。
亡くなった伯父さんはそこそこ大きな会社の社長さんだっただけあって、
お宅も立派だったし、家具調度類も相当なレベルです。まず一つ一つが大きい。
ソファーは憧れのラブチェアーどころか、それ以上の存在感です。
長い方は177cmの私が寝ても頭がつかない。
総皮張りで、何故か両側の肘掛部がそれぞれ30cmもある。
テーブルも一畳分あり、これで一族が集まっても揃って団らんできそう。

食器棚も3段式で、立派なものです。
店を始めたらもう一つ食器棚が欲しいと思っていた私達にはとりあえず十分です。
そして書斎机と椅子の立派なこと!
ソファー類はおとなしく眺めていたカミさんも、こいつには驚きの声を上げました。
「何これ!社長さんの机みたい!」そりゃそうでしょ、社長さんの机だったんだから。
それにしてもこの家には大層もったいないレベルです。

まさかこいつらも、晩年をこんな田舎で過ごすことになるとは思わかっただろうな。
なんてことを考えていたら、カミさんが一言、
「この机に合う服って、うちはどこを探しても無いわね。」
どういう表現じゃと思ったけれど、全くその通り。
私は仕事に出る時はスーツ姿ですが、家の中ではガラッと変わります。
春から秋は作務衣が中心ですが、冬の服装たるやほとんど毎日ジャージの上下です。

「あまりにも合わないわね。」とクツクツ笑うカミさん。
そうね、今まで、家具と言えば「カラーボックスの積み木」だった私達にとって、
「猫に小判」とはこういうことを言うのでしょうか。
ま、仕方ないです。まさか家の中でスーツを着るのも変だし。
それこそ近所に驚かれてしまう。
せいぜい田舎の社長気取りでブログでも書いていきましょう。

ともかく、伯父さん、叔母さん、いただいた家具とこれから仲良く暮らしていきます。
そして大英断をしてくれた、いとこのアッちゃん、ありがとう。大切にするね。

机だけ社長
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昨日は抽選会からの帰宅後、家のこまごまとした作業をしました。
まずは前日に消えていた浴室の照明修理です。
その日は寝室の雨漏りはするわ、朝から断水だわ、
そして夜は浴室の照明が点かないわでおおわらわでした。
夕方には雨漏りは止まり、断水も戻り、さて残すは明かりです。

ところで我が家は築100年以上、もしかして江戸時代からかという古民家です。
その典型的なパターンの一つとして、「電気系がガイシ」になっています。
引っ越して最初に苦労したのがこの電気系でした。
例えば客間二部屋に一つもコンセントが無い!
他の部屋もあってせいぜい一箇所です。さてどうするか?
ガイシを扱ったことがないので電気の取り方が分からず、
ドラム型の延長コンセントを家中に置いておりました。

電気店に行ってもガイシは扱っておらず、
店員に聞いても「さぁ、どうすればいいんでしょ。」とつれない返事。
そんなこんなで、電気系はずっとお手上げ状態だったのです。
でも浴室が暗いのは嫌だ。ので、とにかく頑張ってみることにしました。

まずブレーカーを落として、今の照明器具を外します。
だいたいこの照明も幽霊みたいな風情をしていたので嫌だったんだよね。
次に線をカットし、手持ちの延長コンセントとつなぎます。
これで一応配線は済んだはず。
最後にコンセント式の明かりをつないで、ブレーカーを上げると、
あっけなく点きました。

何だ、簡単じゃん。
つまり、線が見えているところはどこでも分結できるってことですね。
すごい便利じゃん。
こんなことで今まで悩んでいたなんてウソみたいです。
もちろん、ガイシは漏電しやすいと聞いたことがあるので注意が必要ですが、
これからは自分でできそうです。自分でまだできそうにないのは水周りだけかな。
あぁ、あとは屋根関係。瓦替えはどうしよう。
ちなみに今の浴槽の明かりは山小屋ランプタイプです。なかなか野趣があってよろしい。

昨日はその後、屋根裏に登って雨漏りをチェックしたり、
(無事、雨漏りはしていませんでした。
帰りに屋根から下りる時は雪ですべって相当やばかったけど)
チェーンソーや斧で薪割りをしたりして、こまごまとしたことがはかどりました。
やれやれです。
今日は本当なら「念仏講」という行事があって、
地域の家々を子供たちと一緒に念仏唱えながら廻っていくことになっていました。
早朝から廻りだし、行く先々でお小遣いをいただいて、
その資金で酒を飲む段取りになっているとか。
私は初めて参加する立場、
つまり念仏を唱える側に立つ予定だったので楽しみにしておりました。
でも一昨日、近所で葬式が出たので急遽延期に。来週に行うことになりました。
こればかりは仕方ありません。

そんな訳で一日ポッカリと空いてしまったのですが、それでもやることは満載です。
まずは地元の抽選会に参加。年に一度のイベントです。
「かしもカード」というのがありまして、地元で買い物をするとポイントがつきます。
それが500点になると満額になり、500円の買い物券として使うか、
あるいはこの抽選会に参加できるのです。
毎年1500点ほど景品を用意していても、すぐになくなる人気だというので、
なけなしの一枚の満額カードを持って会場に向かいました。
すると、朝から殺到していたのか、会場に着くまでに相当数の車とすれ違います。
「これは既に景品を持っていかれたか?」との疑念が高まり、現場に急ぎます。

会場は元村役場の隣。多くの人がわらわらと会場から出てきます。
そのほとんどが「ティッシュ5箱セット!」
「あれだったら、500円の買い物券の方がいい!」と心配顔のカミさんを促し、会場へ。
そこは相当熱気に溢れていました。年に一度のイベントですからね。そして受付へ。
そう、ちゃんと受付があるのです。そしていよいよ抽選券を選びます。
カミさんが念を込めて選んだ券は、5等!

普通の抽選だと5等ならティッシュですよね。でも加子母は違います。
何と海産物セット!
いろんな種類から私達は選んだのは「金目鯛の一夜干し10匹セット」でした。
時価1000円程度かな?上出来です。
因みに1等はテレビ、2等はたらば蟹、以下海産物が続きます。
今年のくじ引きはじめ、まずは上々ということにしましょう。
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さて若尾助産院を後にして私達が向かったのは、
「明(メイ)ハウス」という自然食レストランです。
美濃加茂市のお隣、可児市にあります。
ここは二人とも初めてだったのですが、今後の店づくりにとても参考になりました。
建物は新築でとても収まりがよく、
隣に蓮池があって、花が咲く夏頃はきっと素敵でしょうね。
ランチは二種類あり、私は高い方の「薬膳ランチ」を注文しました。

まず前菜として、手作り豆腐とひじき麺が来ました。
豆腐はとても柔らかく素材の味がして美味しかったです。
このまま蜜をかければデザートになりそう。
麺は鰹出汁を使っていましたが、とてものど越しが良いです。

メインは次の通り、
・切干大根のパリパリサラダ
・キャベツ味噌炒めの油揚げ焼き
・蓮根バーグと温野菜(大根・人参)サンドに、豆腐ソースがけ
・大豆団子のもち粟あんがけ
・薬膳玄米ご飯
・味噌汁

どれもとっても美味しかったです。ボリュームも程良い感じ。
一つ一つの皿の味付けがしっかりしていると感じました。
特に薬膳ご飯は秀逸です。参りました。

そしてデザート。
・無農薬りんごムース
・ハーブと漢方入り薬膳ティ
これで1575円は安いです。
カミさんの注文した「Meiランチ」は、薬膳ごはんの代わりに玄米ご飯で、
一品少なく、デザートも違ってタンポポコーヒーでしたが、
何と1050円!これは安過ぎる!
こんだけ頑張って、この値段はないでしょという正直な感想です。

レジでオーナーらしき女性に、「薬膳はどこかで学ばれたんですか?」と訊ねたら、
「いえ、私は健康フリークでして・・・。」とはにかんでおられました。
でもね、オリジナルブランドの販売コーナーもあり、かなりやり手と見受けました。
同じ県内でこんなに頑張っている店を発見し、とっても刺激を受けました。
これは私達も相当のレベルでいかないと笑われそうです。
よし、やるぞと。

さて自宅の雨漏りを気にしながら家路を急ぎ、
恐る恐る寝室を覗き込みましたが、無事雨漏りは止まった様子。
とにかく最悪の事態は回避した模様ですが、全然解決はしていません。
これから思案です。
その日は浴室の明かりも点かず、家の不備がいろいろ出た日でしたが、
いずれにせよ翌日に雨が上がってから考えることにしました。
寝床を客室に移し、「まるで旅館に来たみたいだね。」と旅気分で床に入り、
ぐっすりと眠り込みました。
2006.01.14 大納得!
さて桶谷式を指導する若尾助産院に到着しました。
見かけは普通の家。でも中に入るとかなり古風な病院です。
私は待合室で待たされ、カミさんとU太だけが診察室に入りました。

待合室には既に診察(マッサージ)を終えたお母さんがいらっしゃいました。
しばし雑談。
私達がかなり遠いところからやって来たことを知り、そのお母さんから、
「何故ここに来られたのですか?」と訊ねられました。
「いやね、本人は納得ずくで母乳育児とかやっているんですけど、
外野、特に医者がうるさくてね。」と答えると、
「全くそうですね。でもここに来ると安心ですよ。
まず、驚くくらいあっという間に乳が出てくるんです。
それにね、『母乳だけで絶対に大丈夫!』という安心感を与えてくれるんですよ。」
ととても幸せそうに教えてくれました。
続けて、「私も医者からは『ミルクをあげるように。』と言われていますが、
『はいはい』と答えて、無視しています。」と笑っておられました。

私はこの話を聞けただけで、もう満足でした。
待ち時間の間、たまたま本棚にあった、
『土を喰らう』というマンガを読み、ますます納得。
さて、数十分後に部屋から出てきたカミさん、とても晴れやかな顔をしておりました。
聞けば、「何故こんな簡単なマッサージで?」という程度のことで、
乳が飛び出したそうです。
その後、乳房がふにゃふにゃになったとか。
そしてU太を診て、「この子はお母さんの栄養がまず脳の活性化に使われたようですね。
その証拠に、普通は5~6ヶ月で人見知りするのに、4ヶ月で既にしています。
しかも表情がとても豊かです。体重の増えについては全く心配ないですよ。」
ということだったらしいです。

多少のおべんちゃらもあったかもしれませんが、これほどの後ろ盾はありません。
大満足で助産院を後にしました。
そんな経緯を経て我が子を見ると、確かに理知的な顔をしておるではないか!
もともと顔色、身体の様子、表情では何の不具合も感じておらず、
ただ体重の伸びだけが不安の種だったので、
もうこれでひと安心と、すっかり大納得の私達でありました。
(このつづきは明日に)
今日は大切な約束がありました。カミさんのおっぱいを揉んでもらいに行くのです。

話は三ヶ月前にさかのぼります。
近くの病院の小児科でU太の体重を量ってもらったところ、
平均より伸びが低いと指摘されました。
その時の先生から「もしかしてお母さんは菜食主義じゃないですか?」と訊ねられ、
「ほぼそうです。」答えると、
「あぁやっぱり。最近多いんですよね。そういう親御さん。
でもね、ご本人はそれでもいいかもしれませんが、
その結果、お子さんが成長しないで発育不良になってもしりませんからね。」
と半ば軽蔑するような目で「指導」されたのです。

その時はその医者の態度にむかついて、その後病院を代えたのですが、
一ヶ月前に新しい病院で量った時も平均より低く、しかも、より伸びが悪い。
その時の先生は決して強い指導はしませんでしたが、やんわりと
「できるならば、母乳だけでなくミルクも飲ませてあげてください。
このままだと発育不良になり、脳に障害が出る恐れがあります。」
と「助言」されました。
さてその帰り道、夫婦で議論です。

私はこれまで子育てについての方針は概ねカミさんに任せてきました。
決してほったらかしにしていた訳ではなく、
カミさんのやり方で良かれと賛同していたからです。
そして、ずっと子供についている母親と違い、
男親には別の役割があると考えていました。
その日、私がカミさんに伝えたのは次の様な主旨です。

「母乳だけで育てることにせよ、予防接種を拒否することにせよ、
何も世間一般の『常識』にとらわれることはない。
私達が良かれと思う判断をしていい。
ただし、「ただ何となく嫌だから」というのは止めよう。
自分で意思決定できない子供の代わりに私達が判断するのだから、
私達が納得できるような、将来子供にも説明できるような情報を入手しよう。
これはある意味で理論武装だ。これができないと、
これから先、いろんな周りからの『指導』に振り回されることになる。
そしてもし私達が十分な情報を得ず確信を持てないでいて、
このままU太の体重の伸びが悪いようなら、
世間一般でいうところの方法(例えばミルクをあげる)も考えに入れよう。」

これを聞いて、カミさんは泣いておりました。
そしてそれからカミさんは一生懸命勉強しました。
それまでも漠然と調べていたようですが、より真剣に理論武装し始めました。
そして出たカミさんの結論。
「母乳のみというのは正しい。
でも、私のおっぱいはもしかして詰まっている部分があるかもしれない。
つまり、U太が一生懸命飲もうとしても十分に出ていないかもしれない。
ところで、桶谷式という母乳育児推進の方法があり、
その方法を指導しているところでは、
詰まった乳腺を開通するようなマッサージをしてくれるらしい。
だからそこに行きたい。」というものでした。
ならば行ってみようと伺ったのが、桶谷式一期生でもある、若尾助産院でした。
場所は美濃加茂市。うちから車で1時間半です。
(またまたつづく)
昨夜から雨が降り出しました。久しぶりに聞く雨音です。
「これで随分と雪が解けるだろうね。」と喜んで眠りにつきました。

ところが、真夜中に妙な音で目が覚めました。雨音がいやに近いのです。
「もしかして雨漏りしている?」一度気になると目が冴えて眠れません。
意を決して起き出し、寝室の周りや玄関を見て回ります。

すると玄関の軒先の内側から水がボタボタ。
今までも少しは落ちていましたが、今度は結構多いです。
「この分だと、もしかして母屋の天井裏にも染みているかも。」
と不安がよぎりましたが、夜中にそれ以上心配しても仕方ないので、
床に戻って再び眠りました。

さて朝になり、今日は家族で出掛ける予定があったので、
いそいそと準備しておりますと、寝室からカミさんの悲鳴が。
行ってみると、天井から雨漏りしております。
「ついにこの時が来たか!」
この家を買った時から、近い将来、こういう目に合うと予想していました。
数箇所からポタポタと落ちる様子を眺めますと、まだ落ち始めのようですので、
夜中に私が聞いたのは、きっと屋根裏から天井に落ちてくる音だったのですね。

早速バケツで水を受け、部屋の布団類は全て別室に移して、
とりあえずこの部屋は使用不可に。
それにしてもやばいです。もしかしたら他の場所でも水が染みているかも。
本来ならばすぐにでも屋根裏に行って調べるべきですが、もう出掛ける時刻だ。
と、今度は蛇口をひねっても水が出ない。
役場に問い合わせると地域一帯が断水とのこと。
これは仕方ない。とにかくさっさと家を出ることにしました。

さて道中も、「これからどうしようか?」と思案一杯です。
今年は厨房を大改造する予定ですが、もしかしたら屋根替えが第一優先になるかも。
そうなると資金計画が・・・。
年明け早々、試されているようです。
(つづく)
カミさんが自分のブログで公表しましたので私も書きますが、
カミさんはB型肝炎のキャリアです。
本人も妊娠中の検査で初めて知ったようです。
詳しいことは知りませんが、B型と言ってもいろいろタイプがあるようでして、
カミさんのは感染力が弱いとのことです。
でも一緒に暮らしているわけですし、
カミさんが虫に刺された時、毒を吸い出したりしていましたので、
年末に念のために病院で検査してもらいました。

結果はまだ感染していないとのことでしたが、
医者の説得に応じてワクチン注射を予約しました。
このお医者さん、ナイナイの岡村似なので、勝手に「オカムラ」と呼んでおりますが、
このオカムラ、見た目だけでなく言うこともどうも頼りない。
検査の時も、私達は事前に調べていて保険がきかないと覚悟していたのですが、
「いえ、大丈夫。保険ききますから。」さらりと言ってくれます。
急に期待が膨らむ私達。
でも、後から看護婦さんがやってきて、
「先生はああ言ったけど、実はききませんから。」と教えてくれました。

さて昨日、ワクチン注射の日でした。予約を入れたのに1時間待たされました。
(オカムラは明らかに他の医者より時間がかかってます。いや仕事が丁寧です。)
ようやく呼ばれて診察室に入ると、オカムラ早口で一方的に、
「masanはワクチン注射ですね。では今日はまず採血してきてください。
はい、行ってください。」とまくしたてました。
「採血?前回した採血とは違うんですか?」
「そうですね、抗体ができているか診ないといけませんからね。
まず採血して、済んだらこちらにまた来てください。」

何か腑に落ちなかったのですが、
「そりゃ前回の検査から今日までの間に感染しているかもしれないしな。」と解釈し、
診察室を出て採血場に向かっていたら、
またもや看護婦さんが追ってきて、
「すいません。masanは今日が初めての注射ですよね?」
「そうですけど?」
「でしたら抗体がある訳がありませんので、採血は不要です。
もう一度診察室に来てください。」
「やっぱりそうでしょ?」
「ええ、私も変だなと思って聞いていたんですよ。」

再び診察室に入ると、さすがにオカムラ、バツの悪い顔をしておりました。
別室に案内され、名前と注射の種類を何度も確認され、
ワクチンの入った小瓶のラベルまで見せてくれ、
「痛いですよ~。」とおどされて筋肉注射されました。
大した痛さじゃなかったけれど。

その後、会計に向かおうとしてカルテを覗き込んだら、
「希望のため自費」と書いてあります。
そこで内科の受付さんに
「私は自費を希望したわけじゃないんだけど?」と訊ねると、受付さん慌てて、
「申し訳ありません。ワクチン注射は全て自費なんです。」と解説します。
つまり、「私が希望して注射を打ったため、自費」なのだそうです。
分かりづらいよ。ちゃんと書いてくれ、オカムラ!
案の定、会計で「本当に自費でいいんですか?」と訊かれました。もううんざりです。

それにしてもです。
病院の先生ってもう少し信頼できて権威あるイメージだったのですが、変わりました。
昨年末、U太に注射を打った時もそうです。
あらかじめ予約していたのに、何とその日はワクチンが無いと言う。

小児科の先生、この人はジェントルで信頼できそうな人でしたが、
「誠に申し訳ありませんが、現在ワクチンの在庫がありません。
先ほど問屋に問い合わせたところ、あと1時間半ほどでこちらに到着する予定です。
もう少しお待ちいただけるでしょうか?
本日は私どもの不手際で大変ご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありませんでした!」
とやおら立ち上がり、深々と頭を下げられました。

まるで、「治療ミスが発覚して、記者会見で頭を下げる院長」
みたいなことを目の前でされて面食らいましたが、
お医者さんも大変な時代になりましたね。
ご苦労様です。
2006.01.12 歯医者再考
昨夜、高校同期で歯医者をしているSに会いました。
7~8年ぶりかな?最近は昔の友人と会う機会もめっきり減りました。
かつて育った街の駅で待ち合わせ。やってきた車は1970年式のベレットです。
そうだった、こいつは昔からこの手の車だった。
助手席に座ると、「ドロドロ、ボコボコ」音を立てながら進みます。

最近は人と会うと質問攻めにされる私ですが、昨夜はこちらが質問を連発していました。
「歯医者ってやっぱり儲かるの?」
「今、通っている歯医者のやり方はこれでいいのか?」
そして以前私が門前払いされたという話をして、
「本当に治療拒否する歯医者っているの?」等々。
前から知りたかったこと、友達だから許されるかとぶしつけに聞いてみました。

まず、最後の質問の答えですが、症状を見て、
「こりゃやばい。俺には出来ない!」と頭を抱えることは確かにままあるそうです。
「それにしても、」とS、「俺だったら、完全な治療は無理としても、
まず目の前で痛がっている状態を少しでもましにしてあげる方法を考える。
そして、どこに行けばより良い治療を受けられるか、紹介する。
『ごめんな、ごめんな』って謝りながらな。」
おお、私もそういう対応されたら嬉しかったぞ。ちょっと歯医者を見直しました。

次に二つ目の質問について。
専門的なことは分からないのですが、
今治療を受けている歯は既に神経が抜き取られています。
ところが、歯の根っこの先から歯茎の一部が這い上がってきて化膿しているので、
歯医者さん、ギザギザのついた針金のようなもので何度も何度も掘って
取り除いてくれるのですが、その作業がなかなか終わらない。
「もしかして1日で済む作業を3日に増やしていないか?」との疑惑が湧いていたのです。

さてS曰く、「その作業は正しい。でもな、俺はその作業が嫌いやねん。
詰め物とって、シコシコ掘って、また詰めるのが面倒でな。
だから一発で治療する方法を求めて、高い授業料を払ってノウハウを学んできた。
だから俺はそんなに回数をかけない。」
なるほど、私はお前にやってもらいたかったぞ。

さて、いよいよ最初の質問です。果たしてどれほど儲かるのか?
これは一般のサラリーマンと比べるような話ではないと思います。
ただ言えるのは、歯医者も過当競争の時代に入っているということ。
なかなか環境は厳しいようです。
そして基本的に「待ち」の商売ですので、
自分からビラを配って宣伝するわけにもいかない。
結局は、今のお客さんにどれだけ気に入ってもらって、
口コミで紹介してもらえるか次第というわけです。
「俺はお客さんのことを『信者』と呼んでいる。」とSは茶化して言っておりましたが、
要はそれくらい信頼される対象になれるかどうかということなんでしょうね。

ちなみにSは、日曜祝日以外は毎朝9時半から夜8時まで診療し、
その後、要望があれば往診もするらしい。
「今まで来ていた人が来られなくなったり、お客さんから
『うちのばあさんを診てくれんか』と言われたら断れないからな。」とS。
何だ、頑張っているじゃないか。それも夜の街をほとんど知らない。
昨夜も「村さ来」でした。一人1600円でワリカン。しかもSは酒を飲まず。

Sの言葉で印象に残ったのは、
「一般には医科歯科とひっくるめて言うけれど、俺は最初から歯科希望だった。
でも世の中にはもともと医科希望だったのに
偏差値で厳しいから歯科に流れてきたというヤツらが大勢いる。
そいつらはやっぱりどこか甘い。」と怒っていたこと。
実態は私には分かる術もありませんが、
昔の友人が仕事に誇りを持って生きているということは伝わりました。
高校卒業してお互い四半世紀。いろいろあったよな。
これからも刺激し合って生きて生きたいものです。
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昨日の午後、仕事を終えて難波近くにおりましたら、
同僚から「えべっさんに行きませんか?」と誘われました。
そう言えば十日戎の日じゃないか。しかも今宮戎神社はすぐそこです。
ではと、立ち寄りました。

大阪で生まれ育った私にとり、えべっさんは身近な祭りです。
「しょーばいはんじょで、笹持ってこい!」の掛け声が神社を中心にこだまします。
去年買った笹を持っていって、また新しい笹を買うということしか知らないのですが、
子供の頃は家族揃って出掛けるのが楽しみでした。
でも最近行ってなかったので、随分久しぶりです。

道端には、エビス様の張りぼてを付けた縁起モノの熊手や籠を売る店がずらりと並びます。
子供の頃はその縁起モノを欲しいとは思わなかったけれど、店の風景を見るのが好きでした。
歳を食って改めてみると、つい原価を計算してしまう自分がいます。
聞きはしなかったけれど、きっとものすごく高いのだと思います。5万とか10万とか。
でも原価率はきっと1割切っているだろうな。いや5%以下か?

境内に入ると、ただの笹だけを配っていたので、それはもらいました。
でも一旦笹を手に入れると、飾り物を付けたくなるもの。
大抵、みんな3~4個は付けています。エビス様人形、プラスチックの鯛、
金の米俵、今年の干支・犬の人形とかです。
大きさはまちまちですが、平均して15cmサイズかな。
では何か一つでもと思ったけれど、神社内の店はどれも一律1500円!
高い、高すぎる!3つ買えば4500円じゃないか!こんなの全部百均で揃うぞ!

「いいもん。うちは飾り物を自分で作ってぶら下げるから。」
と気取ってみたものの、周りをみてもそんな笹だけを持つ人は一人もいません。
カバンにはさんで運ぶことにしました。

帰り道、「ちょっと温まっていこうか?」ということになり、屋台奥のテーブルで一息。
お酒の熱燗とおでんを頼んで、さて乾杯。
ところが皆、首を傾げて一言。「この酒、薄くないか?」
「何だか湯が混じってますね。」「お湯割か?」
「やられたね。」
そう、まんまとはまってしまったのです。
でもここでゴネるわけにはいきません。変に騒ぐと怖いお兄さん達がやってきて、
翌朝、大阪南港に浮かぶことになるかもしれない。
「騙された私たちが馬鹿だったんだ。」と黙って湯割りをすすります。

早々に店を出てしばらく行くと、別の店ではワンカップを湯せんして売っていました。
「こういうのを確認してから店を選ぶべきだったな。」と頷きあう私達。
「いい勉強したね。」
そう、えべっさんの「商売繁盛」の掛け声は、神社とテキヤさん達のためにあると、
大人になってやっと分かったのでありました。
2006.01.10 嬉しい知らせ
今日、懐かしいコメントが届きました。
一昨年、ニュージーランドで共にパーマカルチャーを学んだザックからです。

ザックはアメリカ人。以前稚内でNOVAの教師をしていたとかで、
片言の日本語をしゃべります。
2週間ぶっ続けで英語の授業を受けていた私達にとって、
彼の存在がどれだけありがたかったか!
特に、週の半ば、私達はヘトヘトに疲れておりました。

先生の授業だけなら何とかついていっていたのですが、
一人生徒が質問すると、日本とは違って他の生徒がそれに対して持論を述べます。
それに対してまた他の生徒がコメントし、なんてことを繰り返しているうちに、
一体何の話をしているのやら?と混乱してしまいます。
しかもそのお蔭で授業時間が少なくなり、先生も早口になったりして、
もう私達はお手上げ状態になっておりました。

当時私はコンタクトレンズをつけておりましたが、充血で目は真っ赤。
カミさんもストレスで毎晩泣きっ放しでした。
そんな時に助けてくれたのがザック。
彼が一言、「いろいろ生徒が質問しているけど、ほとんどがくだらん質問ばかりだよ。
だから全てを理解しようなんて考える必要はないから。」と慰めてくれたのです。
目からウロコとはこのこと。それから私は度数の低いメガネに代え、
「今理解できないことを無理して理解しようとしなくてもいい。
分かることだけ見ていよう。」と割り切ることができました。カミさんも同じです。
それからは随分気楽に授業に臨めるようになり、結果的に良い学びができました。
そういう意味でザックは恩人なのです。

そのザック、さすが日本にいただけあって、日本人のことをよく理解しています。
例えば、参加者に、「Ruthie」と「Lucy」の二人がいたのですが、
ザックは「日本人にとれば二人とも『ルーシー』だよね。」と笑っていました。
その通り。結局最後まで二人の名前の発音の違いは分かりませんでした。
片方は「ルゥースィー」だったのかもしれませんが・・・。

コースの別れ際、
ザックは「君達が夢を叶える時がきたら一緒に手伝いたい。」と言ってくれました。
いつかまた彼と再会して、お互いの夢を語り合いたいです。
今はグアテマラにいるらしいけど、また日本にやって来いよ!
2006.01.09 トリをさばく
今朝はマイナス13℃、昨日は14℃でした。
これだけ冷えると空気が痛いです。で、散歩の時には私の最終兵器が登場です。
通販生活おススメ「南極隊員も着ているダウンジャケット」です。
ダウンが二重になっているので暖かい、
というか、マイナス5℃までなら着ているうちに暑くなります。
こいつのお蔭で寒い朝も平気ですが、見た目は相当悪いです。ミシュラン君みたい。

昨日はトリをさばきました。うちのぴーちゃんです。
年末いただいた5羽のうち、2羽のアカと呼ばれる種類は普通よく見る鶏ですが、
エサに一番に飛びつき、よく食うわ、平気で寄ってくるわで、かなり順応性があります。
でもその分、他の種が追いやられているように見えます。
1羽の名古屋コーチンはアカと組んでいますが、
どうしても小柄で神経質な烏骨鶏がいつも隅の方でウロウロ。

私達は普段からそれほど卵を食べるわけではなく、
どうせならいいものを少しいただきたいタイプです。
また、将来的には烏骨鶏の料理を売りにするという手もあるので、
これからは烏骨鶏を中心に育てようという考えにまとまってきました。
ではアカは先に食べてしまいましょうということで、早速にいただいた次第です。

ところが小屋に近づいてびっくり。1羽のアカの羽根がボロボロになっています。
きっと他のぴーちゃんらにいじめられたのでしょう。
この1羽だけが逃げるように別の止まり木にとまっています。
前日に見たときにはそんな様子もなかったのに。
それもまさかアカが最初にやられるなんて。
こういう光景で烏骨鶏がやられることを覚悟していたので驚きました。

で、迷わずそのアカを食べることにしました。
どうせこのままだといじめ抜かれるだけでしょうから。
小屋から出し、首を切り、血抜きをします。
血が完全に抜けるまでの間に薪で湯を沸かします。
約70℃になったところで大鍋にトリを入れて数分。取り出してすぐに羽根をむしります。
綺麗にむしったら、首と足を落とし、内蔵を取り出します。
そして各部位にさばいて完了。
久しぶりだったので少々時間がかかりましたが、何とかできました。
昨夜は鍋で美味しくいただきました。今夜はソテーでいただく予定です。

解体の作業、一昨年にニュージーランドの
「レインボウ・バレー・ファーム」に滞在した時に学びました。
このファームはパーマカルチャーでは世界的に有名なところでして、
世界中の憧れのファームです。
普段から鶏やアヒル他が放し飼いにされており(200羽以上?)、
あちらこちらに産まれる卵を拾うのが日課です。
そしてある日にまとめて十数羽つかまえて内臓を取るまでしたところで冷凍し、
都度食べていました。

こういうことを書くと、「残酷だ」と思う方がいるかもしれませんが、
私はこう考えます。
完全な菜食主義の人以外なら、誰でも何かしら動物を口にしています。
その一つが鳥料理。
でもまさか焼き鳥が庭を走り回っていると考える人はいないと思います。
また、魚の切り身や鰹節が海を泳いでいるわけでもありません。

つまり、誰かが殺し、さばき、加工しているから、
そのお蔭で私達は口にできるわけです。
私は「物事の最初から最後まで見届けたい。」といつも考えていますので、
自分が口にするものも最初から関わっておきたいという気持ちから、自分でさばきます。
決して殺戮を楽しんでいるわけではありません。
ただし、さばくときには感情は入れません。
そして恵みをいただけることへの感謝は忘れません。

この話、まだ続きがありますが、今日はこの辺にしておきます。
これまで育ててくださったkazさん、ありがとうございました。
そして同じく育ててくれた大地にも感謝です。
2006.01.08 思わぬ出会い
例えば街角で、自分の知っている人が紹介されているところを見て、
ちょっと驚くことがあります。

例えば高校の同級生だったTさん。
付き合っていたわけではないけれど、卒業後も時々お茶や酒を飲む仲でした。
彼女はテレビ局に就職しました。その後しばらくして飲んだ時、
「この前、上岡龍太郎に口説かれた。」などと笑っておりましたが、
やはり住む世界の違いからか、次第に会わなくなりました。

その後、「パネルクイズ・アタック25」で彼女がクイズを読んでいるという噂を聞き、
「うまくいってるんだな。」と喜んでいましたが、
私と同級生ということは同じ歳を食っているはずなので、
もう今頃は若手に場を譲っているのだろうと思っていました。

ところが昨年末に地下鉄の社内吊り広告を眺めていたら、彼女が紹介されていました。
今はラジオのパーソナリティをしているらしい。
今でも活躍している姿に嬉しくなりました。

さて実はここまでが序説です。最近、結構刺激的な驚きがありました。
どぶろく造りが高じて、麹や本格的日本酒造りに興味を持った私は、
大手書籍店を覗いておりました。
そこでふと目についた平積みの本を見て、
「あれ、この著者名、どっかで聞いたことあるなぁ?」としばし思案。
表紙に写る著者は丸坊主でしたが、確かに見覚えがある。「そうだ、あのYさんだ!」

時は20年ほどさかのぼります。私は今からは想像もできませんが、
当時は東京で戦うサラリーマンをしていました。
時代はバブル直前、多くの人々が新しい潮流に何かを感じ、
従来の殻を破ろうとしていました。
私もその一人でして、ある異業種交流会に参加していました。
その会では親友のエビサワ氏他、
今でも良いお付き合いをしている仲間ができましたが、
確かその会に何回かYさんが来ていたのです。

毎回、新潟から東京にやってきて、「田舎はいいぞぉ!」と熱弁をふるうYさん。
田植えの会とか、都会に住む人々を田舎に誘うイベントを仕掛けていたように思います。
でもなかなか思うようにはコトが進まなくて、
主催者から「ただ田舎がいいと言っても、誰もついて来ないよ。」と言われ、
唇を咬んでいたYさん。
当時は長髪ヒゲ面で、かなりあくの強い印象を覚えていたので、
「その後あの人はどうなったんだろう?」とたま~に思い出すこともありましたが、
そのYさんが今、大手書籍店の平積みの表紙にいる!

タイトルは敢えて言いません。
特別に共感して皆さんにお勧めするというわけでもないので。
でも、アマゾンでの著者からの紹介文を載せておきます。
「不食実験3年目の事実がここにある! 食べるって本当に必要なことなの?
不食には、食べる以上の歓びがある! 常識を疑え!
食べなければ疲れず、病気せず、若返る!
不食の魅力にとりつかれた著者から1億3千万人への提案。 」

続いて、出版社からのコメントです。
「これまで誰ひとり、食べずに生きられると言った者は、いなかった。
著者の不食宣言は、日本で初めてなされた「人間が食べなくても生きられる」
という驚嘆すべき、人類初のメッセージである。一読後、否定できるか難しい。 」

その後、彼は、眠らないでも生きていけるというような本とか、
従来のセックスの概念を超えた愛の形についての本を出したらしい。
この愛の本を斜め読みしましたが、これもかなり濃い表現です。
彼が到達した愛の表現方法や境地について書いてあります。
半日から一日かけてセックスするらしい。

繰り返しますが、私は彼や彼の著作物を宣伝するつもりはありません。
考え方には一理あるところもあるので、全く否定もしませんが。
ただ、以前知っていた人が、
「ここまでいっちゃったんだ。」という単純な感動を覚えたのです。
私より十歳年上のYさん、これまでもいろんなことがあったのだろうな。
その上で、今こうやって本にするぐらいの境地にまでなったのだろう。
この先どうなるのか、遠目に楽しみに見ておこうと考えた次第です。