自然体に生きる |
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2006-01-31 Tue 06:50
友人「お前、わがままなヤツやなぁ!」
私「それがどうした?」 私の若い頃の会話です。まさにそんな生き方をしていました。 「俺が、俺が」の我(が)で生きていました。 そして二十数年が経ち、いろいろ心境が変ってきました。 例えば自分が川の片側・A地点に立っているとします。 そして反対側に渡りたいとする時に、当時の私は真っ直ぐ見た反対岸、 つまり最短距離にあるB地点に何とか着こうとするタイプでした。 川を渡るのには船がいる。でも流れは結構速いので、 それなりに馬力のついたエンジンが必要だ。 そしてA地点から見て、B地点より川上を目指して進まないと流されてしまうだろう。 「結果的にA地点からB地点に真直ぐに向かうために、 どれくらいの馬力のエンジンで、どの程度の角度で川上に向けて進めばいいか?」 というのを一生懸命考えて頑張るのが好きでした。 これってまさに目標達成型のビジネスマンモデルですね。昔の私のパターンです。 それが10年ほど前から、 「別に最短距離で行かなくてもいいじゃないか。」に変ってきました。 エンジンは積まず、小船でそろりと岸を離れます。 そしてしばらくは流されるに任せます。 ただし、まるで流されっぱなしというのでは芸がない。 そのままどの岸にも着かずに干上がってしまうかもしれない。 だから櫂(かい)か棹(さお)を持ち、 時々「ちょいちょい」と漕いだり突いたりして、 次第にB地点のある側に辿り着こうとします。 当然A側からB側に行く間に結構流されるわけですが、 「周りの景色も見られて良かったわい。」ととらえることにしました。 また、流されているうちに、 「無理してB側に行くこともないか。だったらA側に戻ろうか。」 となるかもしれない。 それもありじゃないかと考えるようになりました。 もうお分かりかと思うのですが、この川が「世間」とか「社会」とかいうもの。 川をどうやって渡ろうかと考えるのが「生き方」「ライフスタイル」。 そして流れに身を任せながら「ちょいちょい」として進むやり方の一つが、 例えば人付き合いなのかなと。 でもこのちょいちょいのさじ加減が時と場合によって変ってきます。 川は蛇行したり、急に岩が多くなったり、流れが変る時もあります。 それは例えば都会暮らしや田舎暮らしの違いと言えるかもしれない。 そんな時はやっぱり漕ぎ方を変えた方が安定して進めるでしょう。 ましてやこれまでは一人で小船に乗っていましたが、今では二人増えました。 だから漕ぎ手の腕を上げないと、もし転覆したら申し訳ないし、 一緒に漕ぐとなると息を合わせる必要がある。 そんな状況の変化によって都度あれこれ考えながら、そして心も揺れながらも、 やっぱり「ちょいちょい」程度でうまく進めたらいいなというのが、 今の私の「自然体」なのかな、と考えています。 |
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| もりのいえ 山暮らし日記 |
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