一昨日はカミさんが勤めていた安曇野のシャロム・ヒュッテという宿に泊まりました。
ここの営業は3月中旬頃から晩秋までなので、今はお休み中です。
まだスタッフもやって来ない、のんびりとした中で過ごさせていただきました。
ここでの話も書きたいけれど、これはまた次の機会に・・・。

さて、昨日、面白い飲食店に行きました。
長野県飯田市にある「天神坂」さんです。
店主・松永モモ江さんが書かれた本をカミさんが大好きで、
前から「行きたい。行きたい。」とねだっておりましたので、
今回の旅の帰りに立ち寄りました。

事前に電話すると、普段は夜だけの店で、昼は予約制とか。
カミさんから聞いた話から、「自然食料理研究家」というイメージが出来ていたので、
「何で夜の店?」と怪訝に思いましたが、ともかく昼の予約が取れたので向かいました。

いざ着いてみると、店は街の中心近くにあり、店構えも普通の居酒屋です。
少々拍子抜けです。
店内に入ると、おばさんが一人で準備してました。松永さんです。
「どうぞ、どうぞ。今日はあんたたちだけだから、広く座ってね。」と
とても気さくです。
私の姿を見るなり、「あんた、商売人かい?」と聞かれました。
たしかにこの先、店をやろうとしていますが、
こういうタイプの店とは全く異なりますので、
とりあえず「いいえ。」と答えておきました。

さあて、いざ席に座ると、とにかく陽気でよくしゃべる方です。
でも手はしっかりと動いている。
出てきた皿を書き出します。
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・ザザムシの空煎り、ノビルの味噌和え、ナズナのサバ缶和え(写真)
・サワガニの甘煮
・フキミソ
・馬刺し
・馬肉ステーキ
・セリの根の天ぷら
・長芋の豚肉巻き揚げ、ちじみほうれん草の油揚げ巻き揚げ
・ちじみほうれん草とキノコのソテー
・モロコの揚げ煮
・生ピーナッツのかき揚げ
・ネギヌタの海苔わさびマヨネーズ和え
・フキノトウご飯
・豚入り味噌汁
・タクアン

お見事でした!料理も美味いし、話もうまい。
「遊びの心が大切よ。旬の食材で遊び、器で遊び、会話で遊ぶの。」
「その日に授かったものを出すのよ。私は客の顔を見てから何を出すか決めてるわ。」
「水も油もその場で使い切る程度しか使わないし、使い回すのよ。」・・・

いちいち感じ入ります。それをまたいちいちメモをとるものだから、
やっぱり普通の客じゃないと思ったかもしれません。
でも全く嫌な顔をせず、逆に
「あなたたち、店を開きなさいよ。教えてあげるから。」と言ってくれました。
いやぁさすがです。

もともとは床屋だったのが47歳で調理を始め、52歳で今の店を出し、現在61歳とか。
床屋の性分で、「すぐに仕事を終わらせなきゃならない」ところが
今の店で生かされているらしい。
私的にはちょっとしゃべり過ぎる人かなという印象も持ちましたが、
でもこれから頼りにしようかな?
月に二回はマスコミに登場するという松永さん。
あっちこっちに引っ張りだこらしいですが、
私もこれを機にいろいろ指導をしてもらいたいです。
ご馳走様でした。
日・月と信州に家族で行っておりました。そしてまた素晴らしい出来事が続きました。
まずは、ついに薪ストーブをお願いする人が見つかったことです。

その人とは、長野県生坂村のKさんです。
17年前から薪ストーブを作っているというKさん。
売りは「オーダーメード」と「コストダウン」です。
長野県の職業訓練校の講師もしていたということで、
そのノウハウはかなり蓄積されていると見ました。

まずはKさんからいただいた手紙の一部をご紹介します。

・・・・
「薪ストーブはお金がかかる!」と多くの方が思われています。
それは一部の業者などによって輸入ストーブや煙突部材の供給に
カルテル的な価格調整が行われてきたからではないかと思っています。
・・・私は煙突部材の直販や施工方法のオープン化によって
無駄な費用の削減をはかってきました。
ストーブ本体よりも煙突代・工事代が高いのは私自身面白くありませんから。
と同時に、ストーブや煙突について
使い手自身が施工を通じて理解していただけることが一番の安全だと考えています。
その結果、費用面でもストーブ・煙突・周辺工事等の総額として
低く抑えることができます。
・・・薪ストーブは、ほんの2・30年位前まで学校や家庭で
日々のくらしのなかで普通に使いこなされてきた生活用具ですし、
薪が太古の昔から変わった訳でもありません。
雑誌の情報は「売る人」の情報CMですから過剰な『雑誌知識』に振り回されず、
生活用具として簡単にシンプルにお考えいただきたいと願っています。・・・

これを読んでいただいただけで、
私達が気に入ってしまったことはお分かりかと思います。
ご本人はこのイメージそのままの方でした。でも全然「がんこ親父」風ではないです。

さて話し合いの結果、以下のようなスタイルに仮決めしました。
・下を燃焼室(45cmの薪対応)とし、ガラス面を大きくして炎を見られるようにする。
・上をオーブンとし、室内高さを15cmに押さえ、ピザを二段で焼けるようにする。
・燃焼室の熱をオーブン全体にまわすことで
 オーブン上面にも十分な熱が伝わるようにする。
・ストーブに足をつけるのではなく、ボックスタイプにして、
 一番下段には薪や小物を入れられるようにする。
 (これによってストーブの重量が面的にかかるため、床への負担が減る。)
・煙突はストーブの真ん中には付けず、左右どちらかに寄せる。
 (これによって天板に多くのものを置けるようになる。)
・天板はやや大きめにして左右どちらかを長めにはみ出させる。
 (これによって天板に温度差ができ、置き場所を変えることで様々な調理ができる)
・天板の角を取る。また少しふちを付けることで、
 モノを落ちにくくする。(子ども対策)

これらのわがままを聞いてくれた上で、概算予算は私達の想定内でした。
ありがたいです。
さてここまで書きながら、
こんなにKさんを宣伝するようなことを書いてしまって良かったのか、少々悩んでいます。
実はご本人、仕事が増えるのが嬉しくないようなのです。
本当はご自身がやりたいことは別にあるのですが、
薪ストーブの注文があり過ぎて、ままならないのだとか。
(例えば今作っているのは、直島のベネッセ施設に置く暖炉、などなど)

本人がやりたいこととは?そして彼の本性とは?
ここからのくだりが面白いところなのですが、この続きはまた別の機会に書きます。
とにかく、私達が望んでいた薪ストーブ・パートナーが見つかりました。
そして、彼の宣伝はしません!(あんまり説得力ないか?)
2006.02.26 苗代作った!
先日、地元の産直市場にて黒米のモミがついたままの穂が売られていました。
それを見たカミさんが、「これって育つのなら買ってみようか?」と言い出しました。
「あぁ、いいんじゃない。」と答えながら、内心「何か変だな?」と感じておりました。

というのも、昨年こちらに移住して間もない頃、
私が「田んぼもやりたいなぁ。」とつぶやいた時、
「そんなのまだ先、先。それまでにやらなきゃならないことが山ほどあるでしょ!」
と却下したのがカミさんだったからです。

まぁいいや。
その場の思いつきであっても何でも、これで田んぼを始めるきっかけができました。
ただし、買ったのはほんの少し。ホントにほんの少しの黒米です。
両手に軽く一杯程度かな。まるで家庭菜園レベルです。
でもそれくらいの方が気が楽だし、実験的で面白いです。
とにかく「米」というものに手を出してみることが大事ですし、
この程度なら周りも見逃してくれるでしょうが、
あまりに大々的にやると生産調整に引っかかる。

さて米づくりの仕方ですが、私は知りません。(ハッキリ!)
全てカミさんの指示通りに動きます。
今回は私も以前カミさんについて会いに行った、川口さんの自然農法でいくらしいです。
正確には、「川口さんの自然農法を学んだ人が勧める方法」です。

そして今日は仕事初め、「苗代の準備」です。
私は本当に全く知らないので、
今から書くことがどれだけ一般の農法と違うのかも分からないのですが、
とりあえず今日やったことを書きます。
ともかく、苗代期間の2ヶ月は水を必要としないそうです。

・今私達の手元にある種籾の分量から、苗代の面積は1.2m×4mとなりました。
・まず、田んぼの一角にこの面積分の目印をつけ、その場所の草を取り除きます。
・次いで、冬草や夏草(雑草とは呼ばないらしい)の種子を取り除くために、
表土を薄くはがします。
・ただし、今回の場所は数年使っていなかったので結構草の根が張っていました。
 ですので私の判断で少々スコップを入れ、土を軽く崩してから根を引き抜きました。
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・米ぬかを少々振り撒きました。
・テキストによると、「ここでワラを綺麗に並べて」とありますが、
 ワラがないので、段ボール箱を解体して敷きました。
 このあたりの発想はパーマカルチャー的です。
・最後に家の片隅にあった昔の瓦で段ボールを押さえておしまい。これが苗代なのか?
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この状態で、4月の種おろしの頃まで待つそうです。
とか何とか言って、私、やっていることの意味をあまり理解しておりません。
うちの棟梁(カミさん)は指示だけして、
あとはU太を背負って家の中に入ってしまわれたので、
私もテキトーに仕上げて、「こんなものかな?」という程度です。
もしかして、近所の方が見たら「何じゃこれ?」と思われるかも。
ま、いいや。こんな気楽に米づくりが始まるのも愉快です。
2006.02.25 すごいなぁ!
今日の新聞で、家本さんという方が紹介されていました。
彼の半生をひもとくと、

・小6の時に原因不明の発熱や頭痛に襲われ、
 いつ終わるとも知れない長期入院生活が始まる。
・退屈しのぎに新聞を読みあさり、経済や株欄にも目を通すようになる。
・中1でパソコンを買ってもらい、
 独学でプログラミングを勉強して株価の解析ソフトを作成。
・中2の時に更なる苦難が降りかかり、首から下が動かなくなる。
・リハビリで上半身は動くようになるが、下半身は戻らず。
・中3で退院。貯金100万円を元手にIT会社を設立し、車椅子で営業する。
・18歳の時に奇跡的に足指が動き出し、リハビリの結果、両足とも回復。
 身体障害者手帳を返納。
・ホリエモンからの出資要請を断り、今はソニーや松下電器産業などと取引。
・東京・大阪・台湾・ソウルを拠点に持ち、年商5.5億円。従業員40名の半分は外国人。
・体系的な勉強をしていなかったからと、2001年に慶応大学入学。
・現在は社長にして大学生、NHK改革懇談会委員の24歳。

すっごいねぇ。まだ24歳ですよ。
そして、「孫さん、三木谷さん、堀江さん・・・。
僕らの強みは、上の世代の成功も失敗も見ているから、
それを参考に大切なものを見極められること。」と言い切る大胆さ。
孫さん達が先人になってしまいました。
いやはや驚きました。

カミさんにこの話をしたら、
「自分が興味あることをやり続けるってすごいね。」という感想。
確かにそうだね。
本人が関心を持って続けられたら、才能がどんどん育って、
短期間で大きなことが達成できるんだな。
そういや、荒川静香さんも24歳でした。すごいな、こんな若者が育ってきているとは。

それに引きかえ、私なんて七転八倒の人生ですよ。ものすごく回り道しています。
それはそれで楽しかったし後悔はしていないけれど、こんな人たちの人生を見ると、
「もう少し突き抜けて生きてこられなかったかな?」なんて考えてしまいます。

そしてU太を見て、つい「こいつはどんな人生を歩むのだろう。」と思います。
親として過大な期待や強制をするつもりはないけれど、
できることならばU太のもつ才能を早くから見出して、
それが自由に大きく育つような手助けをしてあげたい、という気持ちはあります。
もちろん本人が好きでやることが前提だけど、そのバランスが難しいのかな。
家本さんや荒川さんの姿を見て、つい彼らの親のお話を聞いてみたくなるのは、
こちらが歳を食ってきたせいなのでしょうね。
2006.02.24 今日の成果
今日はまたいろいろありました。
・総合事務所で加子母のパンフを入手。でもあまりいいものは無し。
・オリジナル大福で客が並ぶ養老軒で、「ふるーつ大福」食う。恵那の川上屋の勝ち。
・道の駅でワサビの苗を買う。うまく育つかな?
・カミさんは美濃加茂で母乳マッサージ。私は待合室でマンガ『土を喰らう』を読破。
・自然食レストラン「明ハウス」で昼食。これで二回目。やっぱり美味い。
・建材アウトレットショップ「建材市場」下見。あまりイメージと合わず。
・業務用厨房機器リサイクルセンター下見。
・食品衛生協会の人に「どうやったら楽に保健所をクリアできるか」相談。成果無し。
・お隣のタケオさん来訪。母屋の瓦替えと、田んぼの畝たてについて助言あり。
・銀行が来訪。事前審査用の必要書類リスト示される。あまりに多くてうんざり。
・これから3ヶ月にやるべき外仕事と家の改修仕事をリストアップしてスケジュール化。
 ホントにできるのか?と二人とも焦りだす。

とまぁ、いいこともそうでないこともありましたが、
せっかくなので私にとって一番良かったお話を。
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業務用厨房リサイクルセンターに行った時のことです。
ここは今まで行ったどのリサイクルセンターよりも品揃えが良く、値段も手頃でした。
ところで、今回の厨房リフォームで購入しようとしているのは、
ざっと以下の通りです。
・二層式と一槽式シンクをそれぞれ一台ずつ
・ガス台、ガスレンジ
・調理台
・業務用レンジフード
・小型洗面台2個
・冷蔵庫

ガス台と冷蔵庫は家庭用を買う程度にしておこうと思っていますので、
今回はそれ以外のものの下見でした。
大体のものはチェックできたので、
「では次回はトラックの手配をして来ますから。」と伝えたところ、
きっと社長の奥さんなんでしょうね、はっきり言っておばあちゃんですが、
とても愛想良く、ショールームの奥の場所に連れていってくれました。

そこにはいろんなガラクタ(失礼!)が積まれていました。
「これはね、店をたたむときに要らないからと言われてもらってきたものなんですよ。
うちも要らないから、どうぞ自由に持っていってください。」
と言い残して去っていかれました。
きっと私達を上客と踏んでのことなんだと思いますが、
そう言われてからよく見ると、意外にいろいろ上物があるではないか!

カミさんも途端に目の色が変わり、物色し始めました。
とにかく今日いただいてきたのは、せいろ7台、寿司桶、
シーリングマシーン、ラミネートマシーン、計量カップ、空き瓶10個。
これだけでも新品だったらそこそこするよね。おばあちゃんの太っ腹に感謝!
でも、もうこれはここで厨房機器を買うしかありません。おばあちゃんの作戦勝ち!

他にも食器、調理具などがズラリ。百均ショップ並みです。これらが全てタダ!
「レジまであるよ~。」「そんなのは要らん!」
次回、きちんと買い物した後は、しっかりと小物をいただく算段です。
これで一通り揃うかも?

おばあちゃん、ありがとう! また来るね!
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昨日、カミさんから一言、
「瓦を替える時に雨どいも替えるよね。だったら雨水タンクを置かない?」
おお、そうであった!よくぞ気がついた。
雨水を利用するのはパーマカルチャーの基本のキ!
今はとりあえず半分に切ったドラム缶で雨水を受けていて、
畑の水やりに使っていましたが、
瓦を替えるこの機会に雨水利用をいろいろ考えるべきでした!

そこでまず浮かぶのが水洗トイレ。
トイレで使う水って馬鹿みたいだと思いませんか?
何でこんなのに上水使うの?意味ないでしょ。
うちのトイレでもいつも水を流しながら、
こんなことに水道代を払うことを馬鹿らしく思っていました。

そこで雨水登場!こいつを使えばタダ!
前からやりたかったんですよね、こういうテク。
ついでに洗濯や風呂にも使えないかなと考えますが、それは次のステップとして、
とにかく雨水利用をするためのタンク探しをしました。

するとあるわあるわ、いろんなメーカーがあれこれ出してます。
その性能はさておき、私はついネーミングに惹かれてしまいました。
これも職業病か?とにかく面白いんです。
以下に分類してみます。

【「くん」系】
雨水くん、雨音くん、雨水たまる君、用心くん、たんく郎(番外編)
【熟語系】
天恵、水神、竜神、樽王
【シンプル系】
水タンク、雨ボトル、雨水コレクター
【思い入れ系】
恵みの水、楽しき雨音
【英語でイメージアップ系】
レインポット、ホームダム、レインバック、RAIN TANK、レインオアシス
【ゴロ合わせ系】
雨ニティー、トイレ雨水システム「レインジャー」、㈱雨らら、マイレイーナ

すごいですねぇ。考えつくだけ出てきた気がします。
これら、本当に世に出ているブランド名ですよ。
例えば「カップヌードル」とか「宅急便」みたいに抜けたブランドではなくて、
まだこのジャンルは創世記だなぁと感じるネーミング揃いです。

でも他にもすごいのがありました。【意味不明系】です。
・雨水取り出し口「バッコン」
 すごいですねぇ、何でバッコンなのかよく分かりません。
そして私的にはとても受けたのがコレ、
・魔法の「エコちゃん」

私はどう間違ってもこういうネーミングはしませんね。
だって、注文を受ける時に「ハイ、『魔法のエコちゃん』3セットですね!」
なんて言いたくないもん。
これはセンスの違いだと思います。
昨日もいろいろありました。
その一つ、薪ストーブ選びに新たな展開がありました。
くどいかもしれませんが、最近の薪ストーブ選びについて整理しますと、
・母屋の瓦替えに合わせて、薪ストーブを置くことにしました。
・何だか思い入れがあり、キッチンストーブから探し始めました。
・でも輸入品は高いし、デザインが気に入らない。
・国内でキッチンストーブを作る人を探し、片っ端から問い合わせメールを送りました。

そしてその後の反応です。
・本命だった北澤アートさんからは、
 「今から注文すれば、納品は2008年3月になる」との返答がきました。
 さすがに2シーズンは待てないです。断念!
・三河屋さんは、
 「今は他の作品づくりに追われていて、会えるのは5月後半になってから」とのこと。
 ここはここで、いつか訪問したいです。
・縄文炎さんは、何度かメールを送っていますが、返答なし。その気がないのかな?
・安保式ストーブはペレットが主体なので、私達のニーズとは合わないかなと。

そうこうするうちに、「本当にキッチンストーブが欲しいの?
優先順位を見直そう。」との機運が高まってきました。

そんなこんなのやり取りをしているうちに、新顔さんが登場しました。
「山林舎」さんと言います。
最初は何故か検索でも挙がってこなかったんですよね。
そしてたまたま見つけた時も、失礼ながらやたら文字が多くて、
そういうのはつい飛ばしてしまいまして(すいません)、
載ってる写真もちょっとイメージと違うかななんて思ったものですから、
候補に挙げていませんでした。(本当にすいません)

でも一応問い合わせのメールを送るとすぐに返答してくださったし、
資料も送ってくれました。
で、カミさんがよくよくHPを見ると、
「結構まともだよ。(本当にとてもすいません)」と言うので、
改めて文章を読ませていただくと、
何だ、私達が求めていた人じゃないかと気づきました。

薪ストーブに対する想い、それは個体としての薪ストーブに対してだけでなく、
日本の山林を守ろうという想いから始まる、日本古来の風習と暮らしのあり方、
そして今時の環境問題にまでつながる奥の深いところでの視点をお持ちです。

また薪ストーブ作りのノウハウもしっかりとお持ちです。
以前にもブログに書きました、職業訓練校の講師をしていた人でした。
そしてオーナーへの期待というか注文。
薪ストーブのオーナーたる者、こうあるべきという考えをお持ちです。
それらのことごとくが、私の考えと一致しました。
しかもオーナーのニーズに何とか応えようという柔軟な姿勢をお持ちです。
私達はすっかり気に入ってしまいました。

ので、会うことにしました。
で、電話して、26日(日)に家族で会いに行くことになりました。
うまく相性が合いますように。とってもワクワクです。
こんなことで家族揃ってワクワクできる人生って、とっても愉快です。
請うご期待!
2006.02.21 もう満足!
トリノオリンピックは日本人選手が活躍しないためか、
今ひとつ盛り上がりに欠けているようです。
私はもともとナショナリズムがあまりないというか、
「がんばれニッポン!」の意識が少ないものですから、
そのこと自体はあまり関心がありません。

それよりも、私にとって開会式が今回のオリンピックの最高の盛り上がりでした。
それは、「ルチアーノ・パバロッティ」が登場してくれたからです。
舞台の幕が上がり、もうとっくに引退していたと思っていた
パバロッティが最後に現れた時は身震いしました。

私はほんの一時だけオペラにはまった時期があります。
(お金が続かなくて止めたけど。)
きっかけはミーハーですが、
イタリア・ワールドカップの閉会イベントでの「三大テノール」初舞台です。
古代遺跡をバックに朗々と歌い上げる男達を見て、
この世にこんな人間がいるのかと驚きました。
そのLD(懐かしいですね。今でもソフトとか売っているんでしょうか?)
を手に入れ、大音響で聴いた時の感動は忘れられません。

しかもそのアルバムの中で大好きだった、
『トゥーランドット』の『誰も寝てはならぬ』という曲。
今回、パバロッティはしっかり歌ってくれました。
たしかもう71歳でしょ?すごい音量と存在感です。

カミさんの実家で朝の番組で見たんだけど、思わず立ちすくみ、
演奏が終わった時は目に涙が浮かんでしまいました。
その姿を見たカミさん、お義母さん、妹は
「いったい何事か?」と笑っておりましたが。
いいんです、全くの自己満足の世界なんだから。

その翌朝だったか、朝日新聞「天声人語」にその話題が取り上げられました。
パバロッティは、舞台に立つ直前の心境を次のように述べていたとか。
「今こそ最悪の時だ。やるべきことはすべてやった。・・・
ついに舞台へ出る時がきた。最後の死の行進が始まる。」
かなり舞台がかっていますが、でもすごく重いセリフです。

私もかつて幾つか大仕事を迎えた時、まさにそんな心境だったのを思い出しました。
「やるだけの準備はした。もうジタバタしてもはじまらない。」
そんな時は、晴れやかな気分と、この「最後の死の行進」の気分が半々でした。

今回の開会式でもそんな気分だったのかな?
だから歌い終えた時のあの達成感に満ちた顔ったらなかった。
私にとって、あの瞬間、トリノオリンピックは最高潮を迎え、終わりました。
まだ応援している人には、どうもすいません。
2006.02.20 新しい出会い
昨日、また新しい出会いがありました。
有機農法で育てた農作物を会員制で宅配していらっしゃるNさん一家です。
「きっとあなた達と気が合うわよ。」とお互いに伝えてくださった方がいて、
そのおかげでご縁がつながりました。

自宅はご主人の手作り。外観は一見洋風ですが、中は和風の趣です。
取り壊された古民家の廃材をもらってきたとか。
大きな梁が使われていて落ち着きがあります。
やっぱり家を自分で建てるっていいよな、とまたも心が揺らぐ私。

そしてNさん宅には薪ストーブがありました。
私が八ヶ岳で使っていたのと同じ、ダッチウエストのコンベクションヒーターです。
中古品を安く買ったそうですが、やっぱり薪ストーブはいいなぁ。
すぐに暖まるし、炎が綺麗です。
とにかく私達も手に入れることは本気で決まり!

今回は特別に目的があったわけではありませんでしたので、
まさにご対面だったわけですが、私達が質問攻めにあいました。
「何故ここに来たの?」「何をするつもり?」「何をしてきたの?」
私達はこんな時用に、お互いの『自己紹介シート』と『私達の将来ビジョン』というのを
A4版で各1ページずつ作っているので、それを見せながら説明します。

2年前にオセアニアに行った時に、どうせ英語で十分な自己紹介もできないだろうからと、
英語版を作ったのがはじまりです。
これが現地で結構重宝しまして、
おかげで私達のことを楽に理解してくれる人が増えました。

そこで帰国後にそいつの日本語版を作ったというわけです。
最初は「こんなの作って偉そうに」なんてとれるかとも思ったのですが、
私達の生い立ちや今の暮らし、そしてこれからの夢など、
簡単には伝わりにくいものが多いので、新天地探しや、移住後も活用しています。

今回もこれらのシートを眺めながら、その上でいろいろご質問がありました。
「よくぞこの地に来たものだね~!」
「よっぽど何か縁があるんでしょうね。」と驚かれました。
そうかな? そんなに驚かれることかな?
私達にとれば自然な流れだったのですが、客観的に見ればそうかも?

NさんはUターン組で、この地で数年過ごされています。
既に生計を立てて地に足を着けていらっしゃる方の言葉として、
いろいろいただいたアドバイス、しっかりと頭に植えつけておきます。

また、奥様は三人目のお子さんを吉村医院で生んだのですが、
何と翌日には退院して、自宅の引越しを手伝い、
その翌日にはトラックに乗って農作物の配達をしていたとか。
すごい豪傑ですね。うちと大違い。思わずカミさんと顔を合わせてしまいました。
カミさんは出産後の数日間は立ち上がりもせずに、
ずっと四つんばいで過ごしていたのに。

とか何とか言いながら、ちょっとお邪魔するつもりが2時間半も過ごしてしまいました。
またこれで地域のお知り合いが増えました。それもかなりパワフルな家族っぽいです。
これからいろいろ教えてください。
ここにきて公私とも、とても忙しくなっております。
仕事の方で動きが出てきたことに加えて、
地元地域の活性化に関して考えるよう、期待され始めました。
それらに関する本や資料だけで、目の前に20冊以上が積まれています。
この状況を職場の同僚に話したら、
「人ごとですけど、聞いているだけで胃がキリキリしてきますね。」とのご感想。

プライベートの面に目を移せば、何と言ってもリフォーム計画です。
母屋の屋根替え、厨房のリフォーム、薪ストーブ選び・・・
そうそう、確定申告の準備もせねば。
その後は銀行と金を借りる交渉。地主と土地売買契約を交わすこと。

そういや最近どぶろくを仕込んでなかった。
注文していたキノコの菌が到着すると植菌せねば。
畑づくりも馬糞移しも途中だったし、山の湧き水を引き直す作業もしたい。
何よりも薪づくりを急がねば。来冬は使うペースが早くなるからね。

そしてもう少しすると、いよいよ山菜の季節がやってきます。
来春から山菜を使った店を出そうという以上、
「どこに何が出るか?」を今年のうちにつかんでおく必要があります。

さぁ、時間がないぞ! どうする?
決して慌てないつもりだけど、
冷静に考えても今のままではどれも中途半端になります。
「よし、睡眠時間を削ろう!」
なんてタンカを切るほどでもないんです。私はとってもよく、そして長い時間眠るのです。
一日8時間以上寝てます、はい。
でもこれって、人生の1/3寝ているんだよね。少しもったいないです。

そこで、これからは「就寝22時、起床5時」でいきます!という宣言。
これでも7時間寝てるんだから、全然えらそうじゃないでしょ。
そして山にいる時は、朝は山に入ることにします。
まだろくに採れないかもしれないけれど、山に入る習慣を取り戻したいから。

では日中はその他の作業をしようかと考えていたら、
カミさんがmixiに誘ってくれて、例によってマニュアルなど読まずに
「こりゃどうするんだ?」なんてやっているうちに2時間経ってしまい、
おいおい時間が無いぞ!
それでも今日はどうしてもやりたいことがありました。

それは薪割り。
ここんところデスクワークが多かったから、
何か外作業をしないと精神的に落ち着かないんです。
「せめて1時間でも薪割らせてくれ~!」と誰も止めてないのにいそいそと外へ。
本当に1時間だけやって気が晴れて他の作業に移りました。

それにしても、時間管理を本当にうまくやらないと、すぐにバランスを失いそう。
健康管理もね。
2006.02.18 犯罪の匂い?
一昨日、親父と話していた時のことです。
親父は昔、JC(日本青年会議所)という組織に所属していました。
この組織は40歳の年齢制限のグループで、
地域に対して何かを起こしていこうというもので、
だいたい各市町村単位でできています。

そしてその上部団体として、都道府県レベルのブロックがあり、
その上に地方ブロックがあり、
そのまた上に日本JCという最上組織があるという構造になっています。
私の親父は近畿ブロックに入っていたそうですが、
その時にこんな出来事があったそうです。

親父達の世代で、昭和9年生まれの人達で「のらくろ会」というものを作っていたとか。
いぬ年生まれからその名がついたそうです。それにしても時代を感じます。
ある時、そののらくろ会で一つの提案がありました。
「会員一人当たり1万円を出資してプールしよう。
そして、最後に生き残った者が、
プールされた総額を手に入れることにしようではないか!」

この話を聞いた時、私は久しぶりに大笑いしてしまいました。
よくぞそんな馬鹿みたいな提案をしたものだな。そしてよくぞそれを実行したものだ。
そうなのです。うちの親父は1万円出したそうです。
「で、趣意書とかあるの?」「ない。」
「領収書は?」「ない。」
「どれだけの金額が集まって、誰が管理してるの?」「誰も知らない。」
何それ?これって詐欺じゃないか?

でも親父は本気です。もしかして本当に最後の一人になったら、
大金が手に入ると信じていないか?
と同時に、私は犯罪の匂いを感じました。
だってそうでしょ。もしこの話が本当にまだ生きているとしたら、
そしてそのお金を管理している人がどこかにいるとしたら・・・。
うちの親父は今年72歳です。まだ大勢残っているかな?
でもあと10年ほどしたら、どうなっているか分からない。

で、その時にもしも親父が最後の3人なんかに残っていたらどうする?
おお、これは相当なミステリーだ。ネタを売り込もうか?
「この話、誰が知っているの?」「わしは知っている。」
「そんなの何の証明にもならんよ。」「よし分かった。」
と、親父、昨日、JC事務局に電話したそうです。

でも、事務局の若い女性に「のらくろ」なるものを説明するところから
始めたそうでして、こりゃ道は遠いわ。
当然ながら、「そんな話は聞いたことがありません!」ととても驚かれたそうですが、
まったく邪険にはされなかったらしい。
一応調査して知らせてくれることになったとか。
でもこれで過去の出来事が明らかになり、もしや犯罪が起きたら・・・
なんてワクワクしている(失礼!)のは私だけか?
さて今日はお待ちかねの(?)キッチンストーブ選手権です。
私が今までチェックしてきた中で、絞り込んできたキッチンストーブをご紹介します。

まずはエントリーナンバー1、長野県富士見町は北澤アート!
もともとご自身がキッチンストーブを探し求めた結果、
好みに合うものが無かったので自分で作り始めたという、筋金入りの方です。
下に燃焼室、上にオーブンというスタイルはバランスがいいです。
オーブンがガラス扉になっており、調理過程を見られるのもポイント!
また、天板が広いのがgood! 鍋を4つ置けそうです。

こちらは私にとって本命です。というのは、北澤さんを知っているのが大きいです。
八ヶ岳時代に既に会っており、その作品はもちろんのこと、お人柄も気に入っております。
紹介してくださったshappyさん、ありがとう。
初めて彼の作品に出会った時、思わず「ロビタ!」と叫びました。
意味が分からない人は、手塚治虫『火の鳥・未来編、復活編』を読んで下さい。
(こちらも参考に) 
でも、ネックもあります。ご免なさい。
まず価格が私の想定よりやや高めなこと。そして人気のため、納品が間に合うかどうかというところ。
また、オーブンが上にあるというのも実はひっかかっています。
パンとか焼くのには、熱は上からかかる方が良いのでは?
それに湯を沸かすには、燃焼室が上にある方がいいのでは?という疑問があります。
この点はこれから勉強すべきところです。
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お次は対抗馬、三河屋さんです。その名の通り、愛知県安城市で鍛冶屋をされています。
何と言ってもこのフォルム、いいですねぇ。
『山岡の森のストーブ』と名がついております。
まるで機関車みたいな雰囲気です。
燃焼室の隣にオーブンがあり、輸入物によくあるタイプです。
既に一度コンタクトを取っており、
「masanの生き方に共感しますので、少々割引します。」とまで言われております。
是非一度伺って、オーナーとお話したいところです。ネックは重量か?
20060217051916.jpg

も一つの対抗馬、山梨県大月市は岡部製作所の作品です。
こちらもフォルムが気に入りました。三河屋さんと同じタイプです。
ただ、この画像モノは特注らしく、
窓をダイヤ形にした型を量産されているのがひっかかります。
私はこの画像モノがいいのですが・・・。
20060217052102.jpg

最後が長野県茅野市在住の森の鍛冶屋さん
こちらは上が燃焼室、下がオーブンというスタイル。
はたしてこのスタイルがいいのかどうか、まだ分からないのですが、
そしてお値段が分からないのが今のところネックです。
20060217052246.jpg

このように、どれも魅力的で迷ってしまいます。この先まだ見つかるかもしれないし。
でも大切なのはお値段です。
今までざっと見てきたところで、よくある輸入物の場合、
普通のタイプで本体価格35万円~、キッチンストーブで60万円~です。
これが国内の鍛冶屋さんものでは、普通のタイプで25万円~、
キッチンストーブで50万円~というところです。

これに煙突代がかかります。
私は以前のブログで「煙突代はカルテルで高くされている!」と糾弾しましたが、
その後の勉強により、やっぱりそこそこかかることが分かりました。
でも実際には煙突の取り付け方や屋根の位置などで条件がかなり変わるらしく、
うちの場合、まだ何とも言えませんが、35~50万円ほどかかると思われます。

すると、煙突工事代を一番安くみて、キッチンストーブで比べると、
輸入物で95万円~、国内鍛冶屋物で85万円~ということになります。
ところで私の想定予算は、「煙突代込み、消費税込みで80万円未満」です。
この根拠は、この冬のうちの暖房用灯油代がざっと見積もって8~10万円です。
このうち、せめて4万円分くらいは薪ストーブでまかないたいというのが望みです。
そして私がこの先自分で樹を切って薪を作ることができるのは、あと20年か?
そこで、4×20=80万円という数字が出てきます。

樹を切るチェーンソーの燃料代やオイル代は無視していますので、
とてもいい加減なのは承知しています。
要は、言い訳わけわけなのですが、とにかく80万円で収めたい!
もちろんそれより安けりゃなお良しです。

なんて言ってたら、何と輸入物で思わぬ大穴が登場!
その名は『ピキャン』。変な名前です。
燃焼室が上、オーブンが下のタイプで、税込み35万円。
ということは、煙突工事入れて70万円か?
しかも量産型ということは、それなりに品質は維持されている?オーブンがガラス扉だし。
もっと調べると、オークションで少し小さい型が税込み26万5千円で出てるゾ!
20060217052515.jpg

う~ん、ますます悩みそうです。

そして実はウルトラCもあります。それは「職業訓練校」です。
これは私の大好きなギャラリーtraxに置いてあったやつなのですが、
そいつは長野の職業訓練校で生徒が作ったのを格安で買ったとか。
そこでキッチンストーブを作ってくれるのかどうかは知りませんが、
そしてそいつの性能がいいのかどうかも分かりませんが、
実はまだまだ探す道はあるのかと思わせる話ではあります。

しかもしかも、今オークションを調べたら、中国製で10万円とあるではないか!
あと16時間で締め切り!

さあ、どうしよう?
連夜、薪ストーブ探しの旅に出ております。
今までの経緯を整理しますと、
「厨房を改造するなら、キッチンストーブを置きたい!」に始まり、
→でも輸入物はデザインの趣味が合わないし、値段がとても高い!
→国産でとなると、なかなか情報が入らない。
→考えているうちに「厨房にはガスオーブンを置く方が効率良く調理できるぞ」と。
→だったら、薪ストーブはむしろ母屋の真ん中の部屋に置くか?
→ならば、別にキッチンストーブでなくてもいいや。
→でも、母屋の瓦替えをする時まで薪ストーブはおあずけ・・・。

ということで、話がしぼんでおったのですが、
その瓦替えの話が急に出てきたので、再び薪ストーブ欲しい病が出てきたわけです。
で、何故かやっぱりキッチンストーブから探しております。

厨房にはオーブンを置くことにしたのだから、
別に調理できるストーブでなくてもいいのに。
何でだろう?自分でも不思議なのですが、
心の奥底に「キッチンストーブを持ちたい」欲があるようです。

前回、相当探して分かったのですが、キッチンストーブでなければ、
国内の鍛冶屋さん作でそこそこの値段のものが手に入りそうです。
輸入品よりは何割か安いかな?
でもキッチンストーブとなると、同じく何割か安くなっても、やっぱりまだ高い。

う~ん、どうしよう。断念するか?
でもなぁ、どんな薪ストーブを買っても、きっと一生ものになるだろうし、
後で「やっぱりあれが欲しかった」なんて思いたくない。
でも金が、金が・・・。

その気配を察してか、以前は値の張る買い物に顔をしかめていたカミさんが、
「本当にキッチンストーブを買いたいのだったら、別にいいよ。」
と言ってくれました。
ホント?
顔ではまだ平静を務めながらも、心の中では一筋の光を見つけておりました。

で、俄然キッチンストーブ探しを再開しております。
やっぱり情報は少ないけれど、ごちゃごちゃ言っても仕方がないので、
インターネットで手に入る限りの情報から幾つかに絞り込んでいます。
明日、経過を発表します。
一旦中断していた母屋の改修計画がここ数日で一気に盛り上がっております。
これまでの経緯は次の通り。
・来春には週末だけの自然食レストランを開きたい。加工食品の通販も始めたい。
・それには今の厨房では保健所を通らないので、改修が必要。
・改修の時期は次の冬が来る前に。でも夏から秋は外仕事も虫も多いから、その前に。
・ならば4月に一気にやるか。でもお金が無い!
・宅地を買うための借金をするので、一緒にリフォームローンを組もう。
・農協に事前相談したら、小額なら大丈夫との返答あり。

ところが、懇意なN社長と会った時にこの話題になり、アドバイスをもらいました。
・金を借りるなら、N社が長く付き合っている銀行を紹介するから、そこから借りたらいい。
・必要ならN社長が保証人になる。
・厨房リフォームもいいが、masanの家はまず屋根の瓦を替える方が先決だぞ。

そうであった。
寝室として使っていた洋間の天井が雨漏りして、今は客間で寝ているのでした。
すっかりこのパターンで落ち着いていたのですが、
店を始めるとなると客間は空けなければならない。
それに、もしN社長の声がかりで、もう少しお金を借りられるのならば、
厨房リフォームと合わせて屋根の瓦替えもするか。

ならばならば、これもまた一旦盛り上がりながら中断していた薪ストーブもつけようか?
この冬は早くから寒くなったこともあるけれど、灯油代が馬鹿にならないです。
うちは隙間も多いし、毎年こんなことが続くのならば、
さっさと薪ストーブを主暖房にする方がかえって安くつくかも。
ということで、一気に話が盛り上がってきました。

そしてもう一つの流れが。
今までは、解体、水道工事、床工事、厨房器具設置と、
できるだけ自分で改修するつもりでいました。
ところが、ここにきて事情が変わってきました。
「やりたい」と考えている自分達の暮らしに加えて、
地域から「やってくれ」と依頼されることが増えてきたのです。
それは地域の行事だけでなく、産業について。いわば地域の活性化に関してです。
これは一筋縄ではいかない。それなりに時間を取られそうです。
時間とエネルギーの配分をしっかりとしないと、どれも中途半端になりそう。

そんなことをカミさんとも話し合い、
これからは「何でも自分で」という発想から方向転換しようということになりました。
で、早速昨日は水道屋さんに来ていただきました。
今朝は瓦屋さんにも来ていただきました。
どちらもN社長から紹介をいただき、
「うちの会社を通さずに直接に交渉しろ。その方が安くなる。」と言われてのことです。
また、N社長から連絡を受けて、銀行も先程やってきました。
とにかく金を貸す方向で審査してくれるとのこと。

さて、これからはリフォーム計画でも大忙しです。
早速昨夜から薪ストーブを改めてチェック。
カミさんもオーブン選びに取り掛かりました。
今年からはクッキーやパンなどの販売を始める予定もあり、
それはそれでフル稼働になりそう。
販売ルートについては、一昨日、道の駅の責任者の方と会い、
「是非置かせてください!」と快諾をいただきました。

さぁ、いよいよこちらも動き出しました。
2006.02.14 広がる広がる
昨夜は地元で講演会がありました。
加子母村が中津川市に編入合併されてちょうど一年が経ち、
その記念として「まちづくり講演会」が開かれたのです。
もともとこういうテーマは大好きなので、夜7時半に行ってきました。

講師は岐阜経済大学教授の鈴木誠氏。前と今の県知事のブレーンだそうです。
お話はとても分かり易く、これはもう慣れたパッケージになっているなと感じました。
失礼ながらとても簡単にまとめさせていただくと、
全国的にどこでも起きていることですが、市町村合併が進んでいく中で
新市は予算がないし、職員も減らさなきゃなりません。
だから今後は地域住民が自分達でできることは自分達でやって下さいというお話でした。

格好良く言えば「地域の自立」ですが、
要は地域住民の自治組織を作りましょうということです。
これは私も以前からその視点で考えていましたし、
懇意にしているN社長も「NPOかしも」を早く作りたいと常々言っています。
今回こういう話をされたのも、そういう意図があってのことだと思います。

この講演会、100名弱ほどが集まりました。
聞けば加子母の住民は昔から地域に関して熱心で、
こういう集会にはよく人が集まるそうです。
また、合併特例法に関連して、各地域で「地域審議会」なるものを作り、
地域住民の声を新市に反映させることになっていますが、
加子母では今まで計12回開かれたそうです。

これは鈴木教授によると「脅威的なこと」で「全国的にもまれなこと」らしく、
他では1~3回、もしくは開いていないところもあるらしい。
そんなことからも、地域の人たちが郷土を愛し関心を持っていることがうかがえます。

さて講演会が終わってから、
鈴木教授を囲んで車座で話し合う二次会を開くとのアナウンスがありましたが、
ほとんどの人はゾロゾロと帰っていきます。
と、私を見かけたN社長、
「masan、ちょっと残ってなさい。皆に紹介するから。」と一言。
そのまま待機します。

さてその場に集まった皆さん、前村長、前収入役、新中津川市の助役、
加子母から唯一選出された市会議員、PTA会長、総合事務所長などなど、
この地域の重鎮ばかりの10名ほど。ちなみにN社長は商工会会長です。
そして市の職員の方で、私が是非お知り合いになりたいと思っていた
TNさんもいらっしゃいました。これはラッキー!
私についてはN社長が紹介してくださり、僭越ながら一座の一員に加わりました。

その場でカンカンガクガク話された内容は、
今後この地域のあり方を考えるのにとても参考になりました。
要はこのままではいかんということなのですが、
同時に私なりに解決の方向性も感じました。
でも新参者の私がいきなり偉そうな発言をするのは控えました。
こういう機会はこれからもあるでしょう。

それよりも今回は皆さんがこの地域をどう受け止めているか、
じっくりと聞かせていただきました。
そして私がこの地で何かお手伝いできることがあれば、できる限りのことをしたいです。

それにしてもここ数日、ものすごい勢いで地域の人々との出会いが広がっています。
カミさんも、「これからどんどん忙しくなるね。」と驚き喜びながらも、
少々心配顔になっています。
うん、これからは時間管理をしっかりとせねば。
あまり間口を広げすぎて、つぶれないようにしないとね。
本当にいよいよコトが始まった予感です。
さてまずは最初のきっかけをいただいたSさん宅へ。
村人もめったに登らないという山道を車で行きます。
うちの周辺とは違って、まだ雪道です。しかも半端に溶けているので危ない危ない。
慎重に進みます。

ようやく到着してお宅訪問すると、とっても素敵な建物です。
玄関の右手がアトリエ、左手が住居です。
数年前に建ったらしいけど、まだ木の香りがする。
住居スペースは天井が高く、広々としたスペースで、
暮らしの機能がコンパクトにまとまっています。
聞けば昨日会ったN工務店の仕事とか。なかなかやるじゃないかと感心。

Sさんのご主人とご対面しました。もしかしてこれから仕事の縁があるかも。
そして、その場にHさんも呼んでいただきました。
実はお隣にお住まいなのですが、家の前が凍っているので、
冬の間はあまり行き来をしないとか。

Hさんはしっとりとした優しい趣きの方でした。
私達夫婦のことは既に他の人から聞いていたとのことで、
こういうところはさすが田舎です。
いろいろお互いのことを紹介し、質問して楽しく過ごしました。
Hさん、音楽中心にいろいろ活動されているようでして、例えばこんなのも。

私達がこれからやろうとしている暮らしについては、
「是非応援します!」と言ってくれました。
また、吉村先生の講演会や、パーマカルチャーの地域展開など、
これからやりたい地域での活動についてお話したところ、
「この話だったらAさんがいい、その話はBさんにしたらきっと乗ってくれるわよ。」
と教えてくれました。

帰り際、かしものうたのCDを5枚購入しました。
こういうものって、一度作った後、
次のをとなると結構エネルギーがかかるものですから、在庫があるうちにゲットです。
一枚500円というのも手頃です。

私は頼まれた訳じゃないけれど、そして当然私にアフィリエイトもつきませんが、
このCD、是非お勧めします。在庫僅か!問い合わせてみてはいかが?
・・・(かしも通信社)
そして私達はSさん、Hさんと出会いがつながり、
ますます広がる予感を感じて帰宅しました。
今朝は地元の通称アトリエ村に行ってきました。
アトリエ村とは、加子母が村だった頃にできた場所でして、
住居兼アトリエの建物が4棟あります。
そこにアーティストを招き、暮らしながら活動してもらおうという試み、
前の村長さんの発想らしいですが、素晴らしいことです。

アトリエ村の住民(?)さん達のことは移住する前からちらっと伺っていました。
きっと何か共通点があるだろう、会ってみたいなとは感じていましたが、
移住してしばらくの間、実はつい最近まで、自分達の暮らしづくりに追われ、
なかなか動き出せませんでした。

きっかけは子どもです。
今年度子どもを産んだおかあさんの集まりがあって、そこにカミさんが行ったところ、
アトリエ村に住むSさんと出会ったのです。
その場で自己紹介をするうちに、カミさんに興味を持ったのか、
Sさんがうちに遊びに来てくれました。
Sさんは陶芸家。ご主人はデザイナーということですが、プロデューサーに近いかな?
次はSさん宅をお邪魔しようと話していたら、また次のきっかけが。

アトリエ村住民でピアニストのHさんが中心となって、
地元の子ども達と一緒に加子母の歌を作っておられました。
タイトルは「かしものこころ」「ささゆりが好きだよ」
「帰ろう、加子母 ふるさとへ」などなど。
この曲はナント毎朝・昼・夕に、加子母全域に流れているのです。

私達はこれらの歌が大好きです。
私なんて時折涙がこぼれます。何となく懐かしいんですよね。
加子母の住民になったばかりなのに。
だからこれらが入ったCD『MY SONG KASHIMO かしものうた』が発売されたと聞いた時、すぐに購入しました。

やがて分かってきたのは、こういう活動をしている人たちが集まり、
「かしも通信社」なるものを立ち上げ、
毎月「かしも通信」を発行していることです。
かしも通信は、毎月の常会で配布されていたので知っていましたが、
有志で発行していることは知りませんでした。
彼らの活動は昨年の朝日新聞・天声人語にも紹介されました。

そしてある時、かしも通信社のブログをチェックしていたカミさんが、
「CDプレゼントキャンペーン」なるものをやっているのを発見しました。
抽選で5名に当たるとのこと。
既に持っていたけど、思わず申し込み。そして当たってしまいました。

このいただいたCDは先日吉村先生にプレゼントしました。
そしてこんなことが続き、次第に「この歌を作曲したHさんに会いたいなぁ」
との思いが募り、今日訪問したという訳です。
なんていきさつを書いているうちに、随分と行数を食ってしまったではないか!
昨日は普段からお世話になっているN工務店・N社長の自宅を訪問しました。
私達が初めて加子母(かしも)の地にやってきた時、
最初に出会ったのがカズニさんというとても面倒見の良い方と、N社長でした。
その場で私達の夢を語り、その夢を実現できる場所を探していると伝えた時、
「じゃあ、あんたの学んできたという山菜料理をわしらに食わせてくれ。」と言われ、
その場で20種ほど採ってきて調理し、食べてもらいました。

いわばテストだったのですが、その場で皆さん
「こんなものが食えるのか!だったらこの村で山ほど採れるぞ。」と驚かれました。
そして「是非この村に来てくれ。加子母とあんた達の仲人にならせてくれ。
あんた達が住むのにいい家を探すから。」と言ってくれたN社長の熱意にほだされ、
やがてすぐに願い通りの家を見つけてくれました。
だから今私達はこの地にいるのは、カズニさんやN社長とのご縁のおかげなのです。

その社長と今日はいろんなことを話し合いました。
その中でも盛り上がったのは、これからの加子母についてです。
私がパーマカルチャーについて説明し、
最近手に入れた、知人が訳した「子ども達が作った食べ物の森」という本を見せ、
「こういうのを加子母でやりませんか?例えば薬草で。」と誘うと、
「いいな。わしはもともと子ども達と果実園をやりたかったんだけど、
これから考えよう。」ということに。

また、社長が「わしはこの地域のために何ができるかとずっと考えて
『地域産業』をやってきたつもりだ。会社を伸ばせば良いというものではない。
人はいかにして一生をまとめるかどうかだと思う。」とおっしゃるのを聞き、
まるで吉村先生と同じじゃないかと感じたので、先生のことを紹介しました。

すると、「よし、吉村先生を呼んで講演会をやろう。会場は心配するな。
宿は、うちが先日移築した古民家があるから、そこに泊まってもらおう!」と即答。
これで一人、協力者ができました。あとはやはり女性のパートナーを見つけたいです。

他にも、以前社長が続けていた「加子母を語る会」を復活させようとか、
加子母の幼稚園と小中学校を合わせて
12年間の一環教育システムを作る教育特区を申請している話とか、
この地に移住してきた多彩な人々と交流を深めようとか、
話題は尽きず、3時間半も話し込んでしまいました。

最後に社長から、「あんたもいずれは人を使うようになるだろうし、
是非そうなってもらいたい。その際には是非若い女性を使ってほしい。
男性は力仕事ができるが、あんたには女性を知的仕事で育ててほしい。」
と言われました。

ほう、そんなことは考えたこともなかったです。
つまり社長はこの地で人材を育てたいんですね。
「加子母の一番の財産は人だ。」と口癖のように言っている意味が一つ分かりました。
そう、財産は育てるものなんだ。お金よりももっと価値があるものを。

ここ最近、吉村先生との問答もあり、
「私は何のために生きているか?」と自問し続けていますが、
だんだんと、「家族や、この地(加子母)の人と自然のために」
という答えに集約されつつありました。
まさにそのタイミングに合わせて、実現に向けてのレールが現れたかのようにも感じ、
「いよいよコトが動き出したか?」とワクワクしてきました。
2006.02.12 土地購入交渉
昨日は地主さんと土地の売買についての交渉をしました。
現在借りている1500坪のうち、宅地340坪分については
早目に自分達のものにしておきたいという気持ちが強かったので、
借金してでも購入することにしたのです。

金を借りる可能性については、事前に農協と話ができているので、
あとはできるだけ安く買えるかどうかです。
去年から地主さんとはそれとなく会話をしてきましたが、
「この辺りの相場で」とおっしゃる地主さんの言うことはごもっとも。
「それを何とかもう一息」とお願いするのが私達の立場です。

大阪で買い物する時だったら、最初はかなり低目を言い出して、
「そんなむちゃくちゃな!」というところから徐々に妥協点を見つけるのですが、
ここは岐阜です。風土が違います。
しかもこれから住み続ける土地の買い物ですから、
あまりゴリ押しをして印象を悪くしてもいけない。
「さてどうやって切り出すか?」と何度も思案して交渉に臨みました。

とは言っても、もともととても人が良く、私達の暮らしを応援してくれている方なので
(そうでなければ家を買うことはできませんでした)、
交渉そのものはとても友好的に進みました。
結局、相場に比べて坪単価にして約2300円安くしてくれました。
2000円安を着地点と想定していたので、私も納得です。
これから売買契約を結び、改めてお金を借りる申請をしていきます。
一歩一歩前進です。
ごたいめ~ん
CIMG0376-2.jpg

ようやく本題に入りました。ここに来るまでに2日が経ってしまった・・・。
その日、吉村医院に行くのは診察ではなく遊びでした。
だから診察が一通り終わるのを待ってから吉村先生と面会ということになります。

本当はオフの時間帯にお邪魔して、雑談でも酒盛りでもしたいところなんだけど、
自然分娩をしているお医者さんって、自分で時間管理できないんですね。
出産の誘導を全くしないので、いつ赤ん坊が生まれるか分からないから。
つまりオフが無い。ものすごくハードな仕事です。私にはできません。

一昨日も、聞けばその朝までお産があったとかで、
しかも朝から16時までぶっ通しの診察中と聞き、こりゃ長話は無理だなと感じました。
また、診察でもないのに医院の待合室にいるのは、
受付の人たちにも申し訳ない気持ちで一杯でしたが、
皆さんまるでそんな表情は見せず、U太を見ては歓声を上げてくれました。
「かっわいいわね~」「他の子とは目つきが違いますね」「後光が射してますね」
だんだんと表現がオーバーになり、嬉しいやら、嬉しいやら。

当のU太はいろんなものが見えるようになってから初めての外出で、
しかもここに来るまでにいろんな風景にキョロキョロし続けたせいか、
ちょっとお疲れモードで、いつもの満面笑顔は出してくれませんでした。
それでも不機嫌な様子はなかったので、何とかもってもらいたいところ。

さて診察室に入り、久々のご対面です。
開口一番、先生が「本当に幸せそうなご家族ですな。」とニコニコ顔。
U太を見て、「この子は本当にかわいいね。」と感心してくれました。
嬉しい限りです。

U太の体重の伸びが一般のデータに比べて今ひとつであることを伝えましたら、
予想通り、「データなんて気にすることありません!」とのご返答。
これを聞きたかったんですね。
親としてはもうこれで何も心配することありません。してなかったけど。

で、案の定、それをきっかけに先生の医者非難が始まりました。
「今の医者には哲学と宗教がありませんな。あるのは科学と技術だけだ。
学会で私が発表しても、すぐに『データを出せ』と言う。
『そんなものは無い!』と答えると、『無茶苦茶だ!』と言います。
人生は無茶苦茶なんですよ!そんなこともわかっとらん。」
吉村節、絶好調です。

また、以前のブログに書いた「何のために生きているか?」については、
「人のためである」ということで意見が一致しました。
つまり、人のためを真っ先に考える時、人は我(欲)を捨てねばならない。
だから人のために生きることが最も崇高なのだと。
そして先生は自分がその境地に入ったと自覚したのは、ほんの数年前のことだそうです。

そしてそして、今度先生を紹介するDVDができるそうですが、
その中に私達の写真も掲載されるそうです。やったね!
そのDVD、第一弾はあの福岡正信氏だそうで、吉村先生は第二弾なんですと。
これもすごい話です。
本当にすごい人と親しくさせていただいているんだなと、こんな出来事で改めて実感。
吉村先生って、いつかガイア・シンフォニーに登場するんじゃないかな?
そんなこともふと考えました。

他にもいろいろ話したいこともあったけど、先生はかなりお疲れの様子だったので、
これにておしまいにさせていただきました。
先生、何度も「あなた達の住む加子母に是非呼んでくださいよ。行きたいなぁ。」
とおっしゃいました。

それを聞いたカミさんは、「先生の講演会をしましょうよ。」と軽く言うけれど、
そういうことをする段取りをすぐ考えてしまう私には、
結構ハードな作業が目に浮かびます。
誰かもう一人、地域にいる方が協力してくれればなぁ。
一応頭の隅に置いて置きましょう。願えば叶うって言いますからね。
また先生に会える日を楽しみにして、名残を惜しみながらお別れしました。
実はこの日はまだ続きがありましたが、日が過ぎてしまったのでこのへんで。
次に向かったのは、「ティア 佳織の店」です。今回で二回目です。
岡崎の隣、豊田市にあるレストランで、
近頃急に増えてきた有機食材を使ったバイキングのお店です。
私達はこの系統の店が大好きで、これまでにもいろいろ周りましたが、
二人とも今のところこの店が一番の評価と一致しました。

まず感心するのは食材のこだわりと調理です。
決して高級料理ではないけれど、コストパフォーマンスが高い。
つまり値段の割りにいけます。
例えば人参ジュースなども、商品として売っている瓶をそのまま出しており、
これを飲むだけで満足です。

次に値段構成。大人1500円、中高生1300円、小学生800円、幼児500円、3才以下無料。
だから子連れがものすごく多い。小学生だったら軽くモトをとるだろうな。
店の作りもおしゃれで、天井高が高いのでゆとりがあります。
とても繁盛していたので、U太は人の多さにびっくりしたかも。
ちなみに男性客は5%以下です。

このティア、正確には「土と命に愛ありて ティア」で、
Tuchi・Inochi・Aiの頭文字をとってティアらしいです。
確か大手ファミレスを経営していた人が独立して、
九州から始めたチェーン店だったはず。
少し宗教じみている雰囲気がありますが、まぁ良しとしましょう。
同じ敷地に「ダーシェンカ」という美味しいパン屋さんがあるのだけれど、
そちらまで口が向かわないのが残念です。

ところで、朝の母乳マッサージの際、
先生からは「ご飯を中心に、油は少なく、・・・」といろいろ指導を受けておりました。
その話を聞いた直後にこういう店に行くのは何だか失礼な話なんだけど、
「今日だけ、今日だけ」とせがむカミさんの姿にほだされて、
つい連れてきてしまった私。

さすがにかなりセーブしたらしいカミさんですが、
それでも何と一晩経ったらまた乳房が固くなっていたとか。
食い物、恐るべし。
きっとカミさんはすぐに固くなるタイプなんだろうな。注意が必要です。
これからまた食事に配慮しような。私も協力するから。
昨日は長い一日でした。順を追って残していきます。

朝はマイナス13℃! 素手で外に出ると指先がピリピリします。
この日は朝からいそいそ。
冬の普段着はジャージ姿の私ですが、十分に厚着して作務衣に着替え。
そう、吉村先生に会う日なのです。先生に会う時はやっぱり作務衣です。
そして向かった先は愛知県岡崎市。

でも最初に行ったのは吉村医院ではなく、母乳マッサージをしてくれるところでした。
母乳育児を続けるお母さん達にとって、
おっぱいが出にくいとか詰まるというのは結構あることらしく、
そういう人にとって桶谷式と呼ばれるマッサージ術は救世主のようなところらしいです。
カミさんもすぐに乳房が固くなるので、前回は美濃加茂市のところに行きましたが、
今回は吉村先生に会う口実をつくるために、岡崎市の助産所を選びました。

到着後、前回は男禁制だったのでカミさんとU太だけを降ろし、
私は別の場所で時間を過ごすことにしました。
ところが携帯メールで「同席してもいいみたいよ。」というので、途中から合流。

部屋に入ると、「いらっしゃ~い。」と明るいお出迎え。
いきなり「聞きましたよ。二人の出会いからいろいろ。素晴らしいご主人ですね~。」
と、カミさんのおっぱい揉みながら声を掛けられました。
たった40分ほど席を外しただけなのに、その間中カミさんを質問攻めにしたようです。
とても陽気で楽しい人ですが、よく話す方です。施術中、ずっと話していました。

「私はね、吉村先生に出会って人生が変わったのよ。
そして4年半ほど一緒に勤めさせていただいたの」だそうです。
こういう人は結構多いでしょうね。医者はなかなかついていけないらしいけれど、
助産婦さんは共感して実践している人が多いかも。

それにしても母乳マッサージ、すごいテクニックです。
右手で乳房を優しく揉みしごきながら、左手の指先で乳首をいじるようにクネクネ。
私がやってあげられるものならばお金もかからなくていいかと考えていたけれど、
これは無理っぽいです。
しかもこの先生、ずっとしゃべりながらやってます。
まるで「右手を時計回りに、左を反時計回りにまわしながら、首も回す」というような、
私が苦手とする体操を見ているようで、感心してしまいました。

予定よりも長めに揉んでいただいて随分と乳房が柔らかくなり、
乳の出が良くなったカミさんですが、まだ左乳房の奥にしこりがあるらしい。
これはマメに通う必要があるかも。悠太の成長のためにも。
ご飯を食べる時に、おひつや鍋にこびりついた飯粒をどうしますか?
私は以前からわりとマメにしゃもじでへつっていた方ですが、
最近はそれに加えて、最後はスプーンですくったり箸でつまんで食べています。
こういうのは世間の常識では「はしたない」行為なのかもしれませんが、
二年前から私の認識が変わりました。

ニュージーランドのレインボウ・バレー・ファーム
(もしくはこちらに)に滞在していた頃の話です。
オーナーのジョーは、かつて100カ国以上を放浪するうちに世界中で飢餓に苦しむ人々と接し、
食べ物に恵まれることのありがたさを痛感したとかで、残飯を決して残さない人でした。
だから食事の最後はスプーンで鍋底をすくって食べていました。
私にはその姿が美しく映りました。だからうちではその行為を真似しているのです。

でも最近になってふと思うのは、
「この姿をU太に見せて良いものなのだろうか?」ということです。
食べ物のありがたさを伝えることはとても大切だと思うのですが、
この行為をあたりまえのこととして身につけて社会に出た時にギャップが大きいかな?
たぶん子供同士の社会に触れた時からそういう戸惑いが出てくるかも。

そういう視点で見ると、うちの暮らしは世間と違うところが結構あります。
白米は出ないし、味噌汁のだし用昆布や鰹節はそのまま具として入っているし、
テレビは観ないし、薪風呂だし、お父さんは坊主頭だし(関係ないか)・・・。
一つひとつについて私達夫婦は納得づくというか、むしろ美徳だと感じているのですが、
U太にそういったことがうまく伝わるかな?

そんなことを考えているうちに、カミさんが敬愛する版画家・江崎満さん
のご自宅を訪問した時の会話を思い出しました。
「美術や芸術をやるのではない。自分というものを思う存分やりたい。」
とおっしゃる江崎さんは、作風そのままのとても豪快かつ素直な方で、
子育てものびのびとされていました。
「うちの子らは二階の窓から小便をしよる。ある時は玄関の前に野グソをしておった。」
とカラカラと笑っておられました。

そうだよな。いちいち気にしていたらきりがない。
むしろ私達が納得して自信を持って生きている姿を見せることが大切で、
きっと子供はその背中を見ていてくれるだろう。
それにしても、しつけってどうしようかな?まずは自分を見つめる必要があるな。
そんなことを考えながら、今日もまたご飯をへつっております。
2006.02.09 仙人小屋放映
先日放映された、仙人小屋のビデオを見ました。
登場したのは私が知らない人達ばかりだったのですが、
3人の案内人が小淵沢駅でコメントし、
「今日はノープランで小海線を旅します!」と強調していました。
こういうのを聞いて冷めてしまうのは私だけでしょうか?

私は今から20年近く前、ある新スポーツを普及する団体を設立し、
その初代事務局長になりました。
その時期はバブル直前。何か新しいものを求める風潮に満ち溢れていました。
案の定、あらゆるマスコミから問い合わせがあり、
主要新聞社や全てのキー局の取材を受けました。

NHK・NC9では星野さんがキャスターとして紹介してくれました。
ニュースステーションでは久米さんも紹介してくれました。
テレビ朝日で生番組に出たこともあります。
CNNで全世界(?)に放映され、アメリカから問い合わせを受けたこともありました。
そして最初のうちは私が全て対応していましたが、
次第にパターンが見えてきて、他の人に任せるようになりました。

そのパターンとは、
・マスコミは、取材する前からシナリオを組んできていること。
・そのシナリオに合った情報しか取材(撮影)しないこと。
・シナリオと現実が異なる場合、シナリオに合わせるように要求する(いわゆるヤラセです)こと
・どこかに、「俺達がタダで宣伝してやっている」という雰囲気を感じることです。

今回も映像を見て、そこかしこにそのような名残を感じました。
例えば、紹介者が山を歩いていて、
崖にへばりついて山菜を採っている仙人を見かけるシーンです。
「あなたが仙人ですか?」「ハイ、そうです。」
そんな出会いがノープランで実現するわけがありません。
しかも撮影時期は正月です。仙人の苦労が偲ばれます。

店で出されたメニューを拝見して、さすが仙人、
よくぞこの時期にここまで揃えたなと思いますが、
同時に苦労も想像できます。
せめて3月頃に取材に来れば良かっただろうに。
マスコミのわがままが垣間見られます。

ところで、番組の中でも紹介していましたが、
フキノトウを春の山菜だと考えている人は多いと思います。
でも実は年末から既にできているんですね。
私も修行時にこれを知り、驚きました。つまり冬の山菜なんです。
こんな小さな驚きを視聴者が感じ、何かを得てもらえたなら、
この番組も成功だったのだろうなと感じます。
将来、もし私達が取材を受けることになった時も、
そしてそんなことよりも現実に店を出すことになった時に、
この感覚を大事にしたいです。
2006.02.08 ありがとう
シンヤンへ

この度、ブログ「自然と暮らす出張所」閉鎖の案内をいただき、
ありがとうございました。
改めてそちらに行こうとしたら、既にそのページは無く、
改めて閉鎖という出来事を実感しています。

私が八ヶ岳にいた時期にホームページを立ち上げた頃、
まだブログなるものが無かった時代ですが、いわゆる日記をつけておりました。
その時は、自分の日記に対してあれこれ言われるのが嫌で、
コメントを受け付けることも、掲示板をつけることも、
カウンターさえ拒否していました。

その後ブログが登場し、コメントを受け付けるのが当たり前と言うか、
むしろ双方向のコミュニケーションを生かすことこそが
ブログの意義であるかのような風潮に押され、
とりあえず始めてみたものの、見ず知らずの人からコメントを受けることについて、
初めのうちはとてもぎこちなかったです。
そんな時期にシンヤンが登場し、
とても配慮のきいたコメントを返してくれるようになり、
次第にコメントをやり交わすことに喜びを感じるようになりました。

何でも物事を始めた時期に出会った人との関わりというものは、
後々までその後に影響するものですね。
その点、私はシンヤン始め、多くの素敵なコメンテーターに出会えて
良かったと感じています。
見ず知らずの人と出会い、コミュニケーションを深めることのできるブログ。
ひょっとして、私の身近な友人よりも
もっと深く多くのことを知ってくれている友人かもしれない。
それもきっと、ひょんなことからたまたま知ることになった縁でね。

私は今や、ほぼ毎日ブログをつけるような習慣がつき、
毎日100アクセスをいただくようになり、日々コメントもいただき、
とても充実した暮らしを送っていますが、
それというのも、シンヤンのようなとても良心的なコメンテーターに
育てられたおかげではないかと感謝しています。

ありがとう。

そして、ビジネスブログは一旦閉鎖されても、
これからも個人として関係をつないでもらえたら嬉しいです。
私自身、今こんな文章を書いている心境そのものが不思議なんだけど、
これが新しいメディアの持つ力なのかなとも感じます。
これからもヨロシク!
2006.02.07 最近のU太
この頃、U太はどんどん変化しています。
一時、ものすごく人見知りがすごくて、
カミさん以外の人間は全く受けつけませんでした。
私も全く駄目。抱いた瞬間に泣かれました。
ところが、カミさんが抱いた途端に泣き止む。
さすがだなと思ったものです。

それが、ここ数日、また変化しました。
今度は私を見つけると笑うのです。カミさんにはあまり笑いかけないらしい。
きっと、カミさんはU太にとって身体の一部なんだと思います。
だから変化の対象じゃないんじゃないかな?

私が「U太!」と言いながら顔を近づけると、「ニー」と笑います。
ホントかなりの確率で笑います。
時には身体をバタバタさせて反応します。
これは正直嬉しいですね。
やっぱり子供の笑顔にはかないません。もうメロメロです。

また最近のパターンとして、飯を食う時に私達夫婦が並んで座ります。
そして二人の間にU太を置きます。すると落着いている時が多いです。
私とカミさんの顔を交互に眺めながら、「ハブーッ」とか言ってご機嫌です。
ただ、この座り方、私達が玄関に向かって並んでいるので、傍から見ると相当変かも。
ま、いいや。私達が良ければと、半ば開き直って並んでいます。

私達に挟まれて
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2006.02.06 薪づくり
松の樹一本分
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一昨日、昨日と、朝はマイナス12℃。久しぶりに冷え込みました。
そして私は暇を見つけては薪を作っていました。特に昨日は終日薪の日です。
もともとこの冬用に十分な薪を準備していたはずなのですが、
予想より減りが早く、春用にと思っていた分にまで手を出すようになりました。
そいつらはまだ割っていない、丸のままのがほとんです。
年末に割るつもりでいたのが、雪のために作業できずにいたのです。
ということは、まだ十分には乾いていません。

だからここ数日は、風呂を沸かすにも
くすぶりながら燃える薪をだましだまし使っていたのです。
最近は風呂沸かしもカミさんがするようになっており、
乳飲み子を抱きながら薪割りをするカミさんが不憫で、申し訳なく感じていました。

昨日の午前中はそういった丸の薪を割る作業を黙々としていました。
これが結構面倒。特に直径4cm以下となるとまずなかなか真っ直ぐに立たない。
しかも私が真っ直ぐに斧を落とすのがヘタだから、なかなか芯に当たらない。
これはセンスがないから仕方がないと、
能力の無さはコツコツ続けることでカバーします。

すると、地主の弟・エイジさん登場。
「お、やってるね。ところで薪はまだ要るかい?」「はい、もちろん!」
「じゃあ、午後から取りにいくか!」
エイジさんはよく立ち寄っては、私達の田舎暮らしの面倒を見てくれます。
今回も私達のために松の木を一本切ってくれるとのことで、
ありがたくエイジさんの山についていきました。

さて現場に到着。「こいつを切るからな。」という樹は20m以上はあるかというやつ。
本当にいいの?と言う間もなく、テキパキと準備して、
あっと言う間に倒してしまわれました。
「じゃあ、後は自分で胴切りして持っていきなさい。」とのことで、
ありがたくいただき、さぁとばかりにチェーンソーで切り始めます。

ところで、以前もブログで書きましたが、私はチェーンソーの刃を研ぐのが下手です。
でも最近になって電動の研ぎ器を手に入れ、こいつのお陰で調子良く切れていました。
今日もこの時に備えて万全の構えです。
なのに、最初の胴切りの途中から刃が進みません。
何故だろうとエイジさんに見てもらうと、
「こりゃ石に当たったな。研がなきゃ駄目だ。」。

何てこった!せっかく研いできたのに、早々に研ぎ直しかよ。
しかもここは山中、電動研ぎ器は使えません。持ってきてないし。
やむなくエイジさんのヤスリをお借りしてシコシコ研ぎ始めます。
でもそもそもこれが下手だから電動器を買ったんだよね。

案の定、エイジさんが見てられんという顔をして近づき、
「あのね、こうやって研ぐんだよ。」と教えてくれます。
ああ情けない。でも初めて研ぎ方を教えてもらい、それはそれで勉強になりました。
そして私が研いでいる間、
エイジさんは自分のチェーンソーでずんずん切ってくれました。
結局ほとんどの作業をしていただき、ものは私がいただいて恐縮しきりです。

その後、家に運び込んで置くのも一苦労。
やっとの思いで作業が終わったのが17時半。
冬の間の午後は作業時間が短いと諦めていたけれど、
気がつけば日の入りは遅くなっていたんだね。
そういや冬至よりも春分の日の方が近いではないか。

一日を振り返り、自分がした作業は大したことではないのだけれど、
それでも終日、外で肉体労働したのはホント久しぶりで、心地よい疲労感です。
その後の風呂がとても気持ち良かった。

それにしても、道具のメンテをもう少しきちんとできるようにならねば。
この地域は林業が盛んだから、
木の扱い、つまり道具の扱いやメンテに長けている人が多いです。
私も早く追いつかねば。まだまだ道は遠いけど。
昨日の夕方、久しぶりに吉村医院に電話しました。
年末に吉村先生から「会いたいね。」と電話をいただき、
早く行けたらと思ってはいたのですが、
なかなか時間を取れないでいました。

ところで、カミさんは先月、美濃加茂で「おっぱいマッサージ」なるものを受け、
その後順調におっぱいぴゅーぴゅーだったのですが、
やはり日が経つと出が不規則になるようで、また行こうかと話しておりました。

ところがよく調べると、岡崎にもおっぱいマッサージをしてくれるところがあります。
だったら来週にでも岡崎に行こう!そして吉村先生と会おう!という具合に話が進み、
先生の都合を聞くために電話したのでした。

昼過ぎに電話した時は、ちょうど診察が終わって先生はお休み中とのことでした。
でも受付の方が私達のことを覚えていてくれて、「夕方また電話してください。
きっと先生は喜びますよ。お話したがっていましたから。」と言ってくれます。
受付の方にまで私達の仲が知れてしまっているのか。
何だか嬉しいような、照れ臭いような。

そして夕方、そろそろ電話をしようとしたその時に、先生から電話あり。
以心伝心とはこのことか。
先生、少々お疲れの様子でした。「最近、難しいお産が多くてね。」とため息。
私達が伺いたいと願った日は、
「その日は医院にいるよ。いつもは3時頃まで診察がかかるけど、ちょっと早めるかな。」
なんて、診察に来る人には申し訳ないコメントです。

聞けば、最近はますます一人ひとりにお話する時間を多くかけているそうです。
「お産は一時の出来事じゃないですからね。人生そのものなんです。
だからその人生の送り方について、ついつい話をしてしまうのですよ。」
「でも先生からマンツーマンでそういう話を聞ける人は幸せですね。」「そうかね。」

また、話の流れでこんなことも。
「世の中の医者に対して、『あんたは何のために生きているのか?』と聞いて、
答えられる医者はどれくらいいるでしょうかね。」
私は何とも返せないでいましたが、先生は続けて、
「例えば、道端で同じ質問をしても、きっと答えられない人が多いでしょうな。
情けないことです。昔の人はそんなことは当然のように分かっておった。」
そんな話を聞きながら、「はて、私だったらどう答えるだろうか?」と思案してしまいました。

電話を切ってから改めて考えるに、私だったら次のように答えるかなと。
「まずは妻や子供のために。次は自分の夢の実現のために。ひいては社会にご恩返しをするために。」
別の見方では、「肉体という衣をいただいているこの生を精一杯生きるために。」

同じ質問をカミさんにしてみました。すると、
「masanとU太をしあわせにするために。それがイコール自分がしあわせになる。」
と返ってきました。
私と同じようで違います。しあわせに「するため」なんだそうです。
ほう、なるほどと感心しました。
加えて、「『しあわせ』はひらがなよ。」と念を押します。
こういうところもカミさんらしいです。

さてさて、来週うまく吉村先生と会えますように。
失礼ながら、その時だけはお産がないことを祈ってしまう狭量な私です。
2006.02.04 速報
明日2月5日朝7時からフジテレビ「晴れたら良いね」で、
私の師匠が経営する仙人小屋が紹介されるそうです。
よろしかったらご覧ください。
うちはBSしか映らないので、親にでも録画してもらいます。
ではでは。
先日、お金を借りる相談をするために、農協に行ってきました。
私達の住む建物は安く購入しましたが、約1500坪の土地は借りています。
本当は最初から買えればよかったのですが、そんなお金、まるでありません。
そこで、「将来的に少しずつ買い増していく」ことを地主さんに期待してもらって、
まずはお借りした次第です。

でも、母屋の建つ土地くらいは早目に自分達のものにしておいた方が、
この先安心して暮らせるだろうということで、
宅地の340坪分は早々に購入する話を地主さんと始めています。
それでもお金がないことには変わりはありません。
そこで借りる先を探す時、今の生活費の口座を持ち、
火災保険や自動車保険も加入している農協が良いだろうと交渉先を定めました。

実は昨年末にも同じ相談をしています。
その時は、平成17年の源泉徴収票がないと検討できないということでしたので、
年が明け、そいつが手元に着いたところで、改めて相談に行ったわけです。
さて応接室に案内され、副店長さんとご担当の方が目の前に座ります。
前回も一度会っていますので、多少は気心が知れていますが、
それでも先方からすると私は未知の人間です。おもむろに質問がありました。

「masanはいつから加子母に来られたんでしたっけ?」
「昨年の5月末からです。」
「ということは今の家に住み始めてまだ数ヶ月ですね。」と、
マニュアルを覗きこみます。どうも期間が短くて不利らしい。

「ところで、お仕事は何でしたっけ?」
これがいつも返答に困るんです。一応、定番の答えをします。
「今は文化事業のコンサルティング的な仕事をしています。」
これを聞いて、「なるほど!」と言う人は誰もいません。
たいていは、「はぁ~?」と気のない返事をして、ちょっと小首をかしげます。

今回も典型的なパターンのご反応でした。仕方ないですね。
そこで、差し支えのない程度で、もう少し詳しく説明します。
それでもなかなか理解してもらえないのが、今の仕事です。
決して悪どい商売ではないのですが・・・。

「とりあえず、お話を伺ったままに、本部に上げてみましょう。」
ということになりましたが、どうもこのままでは却下になりそうな気配。
ご担当の方も何とか審査を通してあげたいと考えてくれているのですが、
まだ説得材料が少ないようです。

そこでふと思いつき、「そう言えば、今回の宅地とは関係ないのですが、
周辺の農地を借りるのに農業委員会の許可は得ているんですよ。これがその書類です。」
ほれとお見せしました。すると、突然担当者が身を乗り出し、書類をつかみます。

しばらく眺めた後、隣の副店長に一言、「これがあれば、立派な『農家』ですよね?」
それを聞いた瞬間、私は全てを飲み込みました。
続けてこちらもほっとした顔の副店長が、
「うちは農協ですからね。農家の方が最優先なんですよ。」

そうだ、その通り!ここは農業の協同組合ではなかったか!
そして私は農業委員会から許可を取って土地を借りている以上、
農家だったのだ!忘れてました。

その後書類は本部に送られ、どうも借りることができそうだとの返答をいただきました。
正式な許可を得るには地主さんとの契約書が必要ですが、
今回の事前承諾なしに契約も結べなかったので、まずは一息です。
合わせて厨房のリニューアル費用も借りることができそうで、
ようやくお金の面で一歩前進しました。

あまり借金はしたくありませんが、今年のうちに少しでも前に進んでおきたいし、
まだ大した金額でもないので、家賃を払うつもりで借りてみます。
さてこれから正式な手続き交渉に入ります。
ようやくスタートラインです。