2006.03.31 文化の違い
我が家では育った環境の違いで会話が噛み合わないことがままあります。
例えば「肉」について。

「今日の鍋は肉入りよ~。」
「わ~い! んっ? 何やトリやんか。(何故かこういう時は関西弁)」
「トリ肉も肉でしょ?」
「違う! 関西ではトリは『かしわ』と言うてな、肉とは違うねん。」
「ここは岐阜よ!」
「うんにゃ。『肉』と言えば『牛肉』や!」

解説しますと、カミさん説では「トリ肉も豚肉も牛肉も、全て『肉』の分類に入る」。
私の説では、「トリ肉は『かしわ』、豚肉は『ぶた』、牛肉だけが『肉』」。

大抵は私の話に合わせてくれるカミさんですが、この件ではなかなか譲りません。
ですから、上の会話が今まで何度も繰り返されてきました。
私も自説を証明するものが岐阜界隈では無く、忸怩(じくじ)たる思いでおりました。

ところが、今朝、大阪で証拠を発見!
ほらほら、精肉とかしわを分けて書いているでしょ?
精肉の中に牛と豚を入れておりますが、これは許せます。
しかし、かしわは精肉ではないのです。これが関西の常識。(ホントかな?)
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このいきさつを両親に話したら、二人とも私の説に同意しておりました。
お袋「何でかしわが『肉』やねん?」でしょ?
でもそもそも私がそうなったのも親の教育のおかげなので、
同意するもなにもないですよね。
とにかくカミさん、これで分かった?関西ではこうなんよ。
先週、「私が家を建てようと考え始めたら、どういう行動を起こすだろうか?」
と思案してみました。

・HPで住宅会社を検索する。
・住宅展示場やモデルハウスに行く。
・新聞のチラシを見る。
・本屋で関連書籍を購入する。
あとは、知人・親戚の紹介とか、普段から気になっている家の情報を探るとか。
一般的にもこんなパターンなのでしょうかね?

そこで早速に行動を起こしてみることにしました。
まずは物語を作ります。
「大阪に住む両親から離れて岐阜で暮らしていた私。
数年前に結婚して子供も生まれましたが、最近は関西での仕事が増え、
実家で寝泊りすることが増えてきました。
ところで実家の家は築25年以上経ち、いろいろ傷みが見えてきました。
両親もだんだんと身体が弱ってきたし、
そろそろ『バリアフリー』を意識する必要が出てきました。
そんなある晩、両親と会話をしていた時に、
『何なら二世帯住宅に建て替えて、お前達もその家に住まないか?』
という話題が出ました。
そこで、実際にそうなるかどうかはこの先の話としても、
とりあえず住宅会社の情報を私が探してみようということになりました。」

この話、もちろん嘘です。でも内容は限りなく事実に近い。
で、この物語を念頭に置いて、HPを検索し、資料請求しました。
ざっと30社。

さて今週に入り、両親に聞いたところ、すごいことになっているようです。
まず、郵送してきたのは半分で、残りは持参したとか。
故意ではないのですが、実家のインターホンが壊れていまして、
押しても音がなりません。
そこで営業マン、自宅の前から電話してきて、何とか面談しようとしたらしい。

「今回の件は息子が勝手にやっているので、わしは知らん!」
と突っぱねまくった親父ですが、
それでも一応それぞれに会うことはしたらしい。
「そんなの断わればいいじゃないか。」という私に、
「でもこちらから資料請求していて、
持ってきたのに会わないのは失礼ではないか!」と言う親父。
普段からマーケット調査的なことをしていると、
そういう感覚が麻痺してきますが、確かにそれも一理あります。

「最終的にお断りするという意思は伝えるんだぞ。」という親の言うことに従い、
30社にはいずれご連絡します。ああ面倒。

それにしても各社頑張っていますねぇ。
パンフにビデオにDVDに。
こういうものの制作費が家の建築費に乗っかっているのかと思うと
多少空しくもなりますが、
あの手この手で広報宣伝する姿勢にはほとほと感心します。

また、先週には住宅展示場にも行ってきました。
同じような物語を前提にしてお話を伺ってきたのですが、
想像以上に各社のプレゼンテーションは良い出来でした。

皆さん、本当にご苦労様です。
そして全くその気がないのに伺ったり資料請求してご免なさい!
反省しつつ、とても参考になりました。
また、こんな資料を作る費用を想像するに、とても複雑な気分になりました。
家を建てるって、そしてその仕事を受注するって大変だなぁ。
最近聞いたお話で心に残ったフレーズです。
「人間、生きてるだけで腹一杯だからな。」

ご近所が数名集まって地域の人物評をしていた時に、
ある長老がおっしゃった言葉でした。
話の細かい内容は忘れましたが、
確か「人は欲をかくものではない。」というような意味で
おっしゃったのだと記憶しています。
その言い方がさらっとしていてとても心地良く、ずっと頭の中で響いています。

そうだよな、生きてるってだけで実は十分であって、
それ以上は全てプラスアルファだ。
何も「これを今すべき」だの「あれが欲しい」だの考えることもない。
そうとらえると、最近あわただしく過ごしていることが
そんなに大層なこととは思えなくなり、
肩の力がすうっと抜けていきます。

さすが長老、伊達に長生きしていません。
シンプルなセリフが、深くて、重いです。
これ、いただこう。
事あるごとに思い出すことにします。
昨日は早朝に東京を出て昼には加子母に戻り、早速作業開始です。

借りている1500坪ほどの土地は概ね4種類に分けられます。
①建物が建つ宅地、②家の前の畑(元は水田)、③荒れた茶畑が残る斜面、
④そして車置き場に使ったり栗・胡桃・柿などが育っている周辺の土地です。
パーマカルチャーでは土地を1から5までのゾーンに分けてデザインします。
うちの場合で言うと、すごく大雑把ですが、
上に書いた順番にゾーン1から4が当てはまるということになるのかな?
ちなみにゾーン5は、まだお借りしていない山林といったところでしょうか。

その分類で言うと、昨日は「ゾーン3『荒れた茶畑』のメンテ」という作業をしました。
こう書くとすごくカッコいいですが、実は大したことないです。

まず、道路に近いところにまで進出している茶と桑の株をチェーンソーで切りました。
こいつらは一度根付くと相当しぶとい樹です。敬意を表するぐらいです。
一度株を切っても次々に枝が出てくるのですが、これは根気よく相手するしかないです。

次に、そうやって空いた土地に苗を植えていきます。
今回はブドウと梅を植えました。
ブドウは痩せた土地でも育つ、というか痩せた土地にこそ力強く育つ樹なのですが、
今の土地はそれほど痩せていないので、どれだけ根付くかな?
6本の苗をできるだけ異なる環境の場所に植えました。
後で支柱も立ててやります。棚ではなく、柵のようなものにしようかと考えています。

ある場所で地面を掘ったら、ミョウガの根が出るわ出るわ。
そうなんです。我らが荒茶畑はミョウガが結構はびこっています。
私、ミョウガは大好きです。でもこいつは茶や桑並に、
いやそれ以上にすごい繁殖力を持っています。
おおよその感覚ですが、年々2~3倍に面積が増えるんじゃないかな?

洗面器くらいの面積に植えたとすると、翌年にはマンホールぐらいになっています。
その翌年には一畳サイズに。そしてそのまた翌年には車一台分、
6畳間、家一軒、・・・そしてやがて村を覆いつくす。
なんてのは嘘ですが、そう思わせるくらいの勢いです。

しかもすごく密集して育つので、他の植物を寄せ付けないです。
いくら育っても高さはせいぜい1m程度なのですが、食べられる花芽は地面に出るので、
そいつらを採る時ははいつくばります。
するとうっそうとしてまるでジャングルの中にいるみたい。
ジメジメしていて蚊やブヨがわんといるので、養蜂家のようなスタイルで採取します。

つい思い入れをして熱く語ってしまいましたが、そのミョウガの根が出てきたので、
慎重に他の場所に移しました。

そして最後に苗たちに目印を付けました。
これをしておかないと、草刈りの時につい切ってしまうのです。
草刈りはリズムに乗ってやりますので、
「ふんふんふん、鹿のふん」なんて吉永小百合のように歌ってやっていると、
本当につい苗木を切ってしまいます。
そんな時の悔しいことといったら、
まるでたかが15キロオーバーのスピード違反で捕まった時のような悔しさです。

この目印、本当はプラスチック系のものは使いたくないのですが、
自然系のものは目立たないので今回は梱包に使う青い帯を使いました。
特に理由はなく、ただ瓦を縛っていた帯をもらっただけなんですけど・・・。

ふと周りを見ると、敷地内にタラノキが20本ほど伸びています。
そのうちの数本はいずれ株分けしよう。
根を掘り出して、10cmほどずつに切って埋めると、そこから新しい株が出てくるとか。
楽しみです。忘れないようにしなきゃ。
こうやって少しずつ少しずつ土地をデザインしていきます。
昨夜、以前お世話になった方のお通夜があり、東京にやってきました。
その方は将来を期待されながらも大病にかかり、若くして亡くなられました。
ご冥福をお祈りします。
残されたご遺族の姿を見て、
私はせめて両親よりも先に逝ってしまわないようにしようと、つくづく感じました。

そして人間と犬を並べるのは不謹慎かもしれないけれど、
10日近く前に他界したファルコンのことをつい思い出してしまいました。
そこで、「もう終わりにする。」と書きましたが、
ここで少し思い出話を書かせていただきます。
お許しを。

最近、ある曲を聴くとファルコンのことをすぐに思い出すようになりました。
二村英二さんの『音楽にできること』というアルバムにある、
「バラへの三つの願い」というバイオリン曲です。
私にとり、この曲がファルコンのテーマ曲になりました。
今も聴きながら書いています。

私は1996年から2003年まで、八ヶ岳で暮らしました。
その間ずっとファルコンは私の傍にいました。

車で出掛ける時もたいてい一緒です。
軽のバンに乗っていたのですが、後部座席は常に倒し、
全てファルコン用のスペースでした。
窓から顔を出し、風になびくファルコンの長い毛。
運転する私の真横に顔を並べ、じっと前を見つめるファルコン。
それを見て驚く対向車のドライバー。

「masan、昨日○○にいたろ。
ファルコンを載せた車が走っていたからすぐに分かった。」と何度言われたか。
私よりもずっと地域に知られた存在でした。

飼い出した頃はいつも大鳴きしていましたが、
いつの頃からか、私が傍にいるか家にいる時はめったに鳴かなくなりました。
でも私がファルコンを置いて出掛けた途端に鳴き出しました。
それもすごい大声で、狼のように遠ぼえします。
「masanが出掛けたらすぐに分かるね。ファルコンが鳴き出すから。」と
離れたご近所からよくからかわれました。
ある秋、自宅から1km以上離れた場所できのこ採りをしていた時も
ファルコンのおたけびが聞こえてきました。

散歩中、決して私より前には出ませんでした。
でも他の人に綱を渡した途端、すっと一歩前に出ます。
「どこまで許されるか、こいつは相手を試している。」と調教師が言っていました。
頭は良かったのだと思います。

いつも玄関前のテラスにつないでいましたが、
家の壁におしっこを掛けることはしませんでした。
でも時々テラス側にはします。
私が外出先から帰ってくると大喜びで近寄りますが、
おしっこをした現場に私が目を向けると、即、小屋の中に逃げ込みます。
「いいよ、おいで。」と声を掛けるとまた飛び出してきて、
でも私がおしっこ現場に目を向けるとまた逃げ出す。
そんなことを何度も繰り返して遊びました。

遊びと言えばよく相撲もとりました。本当に「はっけよい」ってするんですよ。
そして取っ組み合いを始めます。もちろんお互いに楽しんでやっているのですが、
その姿を見た人は喧嘩しているように感じたかもしれません。

体重は最大で43kg、毛がふさふさしているので体重以上に見えます。
まさに雪男のよう。
こんなにデカイ身体をしていて、実はノミの心臓。
散歩中、目の前をリスが横切った時、「ヒーッ!」と鳴いて私の後ろに隠れました。

甲斐犬のゴンが幼い頃にしつけをしていた時、
私が「座れ」「伏せ」の指示を出す度に、ゴンの横で率先して繰り返すファルコン。
大きな身体を何度もバタンと倒しながら、
これ以上はないという伏せを見せ、「これでいい?」と見つめるファルコン。

北海道にも一緒に行きました。
ファルコンを連れ出して函館を歩いていたら、
「キャー」と囲まれ、私たちが観光物に。
車で信号待ちをしていたら、
横断歩道を歩く観光客が次々と近寄ってきて頭をなでていきました。
どこに行っても人気者でした。


「彼岸に逝くって何か意味があるんだよ。」と友人が言いました。
そうかも知れない。
「大往生ですね。」と別の友人が言いました。
まさにそうだな。それも見事にぽっくりと逝ってくれました。
私もこうありたいものです。

いろんな思い出、いろんな示唆を残してくれました。
ファルコン、改めてありがとう。
昨日はとっても盛りだくさんだったので、それぞれ簡潔にまとめます。
それでも長い!

4時半に起床。5時過ぎに山に入りました。
一昨日、ある方がクレソンとタラノキとコシアブラの場所を教えてくれました。
仙人修行では、「人には聞くな。」と指導されましたが、
人が「教えてやる」というのを断る理由はありません。
いそいそと出掛け、イキイキとしたクレソンを発見。
(夜明け前だからちょっと暗いか?)
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その後、タラノキ場を目指しますが、あまりまとまった場所ではなかったです。
それでもざっと200本くらいはありましたか。
これは昨年の仕業ですが、こういうのは止めて欲しいです。
きっと今年は出ません。死んだかも。
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帰宅後、朝食中から早々に瓦替えが始まりました。
作業が始まると、すすやゴミが落ちてきて結構大騒ぎです。
そそくさと朝食を済ませ、私も作業に参加。
というのも、天井裏からものすごい数の物品が出てきて、その整理が大変だったのです。
そのほとんどが薪になるような材木なのですが、
中には看板にも使えそうな分厚い板とか、
民俗資料館で展示してそうな農機具とか、いろいろです。この写真の倍出ました。
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一つ一つを紹介したいのですが、いずれぼちぼちと小出しにします。
まず最初に。長さ2mほどの、これは一体なんでしょう?誰か教えてください。
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日中はこれらの整理に終われ、ようやく終わったのが日没前。
おかげで次の冬の分まで薪材が出てきた感じ。
瓦替えの作業は着々と進み、こんな感じ。
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一昨日、近所でうろちょろしていたら、
「あんたところ、どえりゃー大仕事になってるな!」と
数名の方に声を掛けられました。

私たちはあまり意識していなかったのですが、
母屋の屋根を替えるというのは一世一代の大仕事らしい。
特にうちの母屋はこの辺りでも大きい方なので、
今回の作業そのもののが村の話題になっている様子。
瓦4000枚交換というのは、瓦屋さんの感覚としてもかなり広い方だそうです。
これがその瓦。
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そう言えば、もしこれが茅葺き屋根だったら、まんま番組になりますよね。
そんなわけで、私たちの想像以上に波紋が広がっています。
例えば、ご近所がお祝いのお酒を持ってきました。
また別のご近所が「大工さんに」とお菓子とコーヒーの差し入れ。
こんなことするの?私たちも今後気をつけねば。

そして瓦屋さんも行く先々で「あの作業はお前のところか?」
「施主は誰だ?」と質問攻めにあっているらしい。
その度に「masanはこんな人で、こんな仕事をしていて、・・・」と解説しているとか。
思わぬ場面でデビューしています。

さてやっと作業が終わり、すすでドロドロになった体を風呂で洗い、
ようやく夕食です。
昨夜はカミさん気合のバースデー料理でした。
その名も「ライスバーガー・パーティー!」
私はもちろん、カミさんも初めての試みというこの食事、こんなんです。
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・玄米バンズ
・ひよこ豆のハンバーグ
・きのことふのりのジンジャースープ
・豆腐とヒヨコ豆のフムス(フムスって何じゃ?)
・豆腐のタルタル風
・白菜、人参、大根のコールスロー
・ごぼうのキンピラ
・ひえの磯辺焼き
・クレソンとわさび葉(これは私が採ってきたもの)

例えば、ハンバーグとフムスとわさび葉を合わせるとこんな感じ。
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そしてデザートはイチゴのスペシャルパフェ
豆腐クリーム、りんごゼリー、イチゴのマリネ、そして長いもが入り、
クランチを載せた逸品でした。
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どれもとても美味しかったです。

お祝いはお手製のバッグ。作務衣に合うようにと作ってくれました。

そんなこんなで共に「どえりゃー大忙しい日」を終えて、もうヘロヘロでした。
カミさん、どうもありがとう。
2006.03.25 晴れて45歳
私、本日の朝5時に45歳になりました。

昨夜、エビサワ氏から「オジサン仲間よ、いらっ~しゃい!」
とのお祝いメールが届きました。
それを見て、「いよいよ四捨五入で50か~!」と実感しました。
私はもともと見た目が老けていますから別にいいんですが、
これで名実ともにオヤジ(オジン? ジイサン?)になったわけですね。

改めてこの歳について考えてみます。
私が社会人になってから取った歳が、社会人になるまでの歳を越えました。
お袋がこの歳の時、私は既に社会人二年生でした。
やっぱり結構歳を食ったんだなぁとしみじみ感じます。

でもそんな私が13歳年下のカミさんと出会い、(周りからは「犯罪だ」と言われ、)
昨年には子どもに恵まれ、
新天地での暮らしづくりにワサワサしてるっていうのは、
この歳にしてはこれはまた愉快な生き方をしているものだと思います。

私が若かった頃、こんな人生が待っているなんて想像もしていませんでした。
家族も、仕事も、暮らしもね。

今まで実にいろんなことに首を突っ込んで生きてきましたが、
この歳になってようやく人生の集大成の時期が始まったかなという予感があります。
肝が据わってきたというか、もう逃げられないというか。

現実にはとても忙しい日々が続き、
「スローライフってどこにあるの?」って感じですが、
とても幸せな時を過ごしています。おかげさまで。

そして、もう既に歩みを始めていますが、
この歳を期に、改めて新たな人生のスタートを切りたいと思います。
晴れて45歳です。
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ここはUFOの内部か? いや、うちの屋根裏だ。
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昨日一日で屋根の古い瓦降ろしが全て終わりました。
合わせて、瓦を支える板(名前を知りません)もはずしたところで作業終了。
最後にブルーシートをかぶせて帰っていかれましたが、
私はもう興味津々。皆が帰った後、早速屋根裏に登ってみます。

すると期待通りというか、期待以上の光景が!
ブルーシートを通した明かりが屋根の隙間を通って輝いておりました。
「おお、別世界!」と一人歓声を上げる私。

さすがプロの仕事は速いですね。
詳しいことは分かりませんが、あと一週間ほどで完成するらしいです。
あっと言う間に屋根は変わる見込みです。

一方、なかなか進まなかった、風呂を中心としたリフォーム計画ですが、
こちらも何とか「えい、やー」で案ができました。

・風呂を直焚きにする。(床面が上がるので天井が高い場所でないと無理。
 しかも焚口と煙突の配置が要検討。)
・業務用と家庭用の二ヶ所の厨房スペースを確保する。(保健所の指導)
・トイレを屋内に作る。+客用の手洗い場を作る。
・洗濯機を屋内に置く。(この冬、排水パイプが凍って苦労したから)
・食品庫を作る。
その他諸々の保健所指導に合わせるために、いやはや四苦八苦しました。

決まるまでの間、現状の風呂は食品庫になったり、トイレになったり。
最後は家庭用厨房に落ち着きました。
味噌蔵も風呂や家庭用厨房を経て、食品庫に。
決まってみると、「何で今まで気付かなかったのだろう?」と思えます。
でもまだ油断はならない。
カミさんの「ギリギリ思いつきヒット」が出るかもしれない。

またこれで終わりではなく、これから業者さんと詳細を詰めて、
保健所、消防署、行政の下水課との相談をした上で銀行と交渉せねばならない。
厨房機器の買出しも必要だし、戸板などの細かい作業を建具屋さんにお願いせねば。
やることはまだまだ満載だけど、ともかく基本的なプランがまとまってやれやれです。
2006.03.23 瓦替え始まる
昨日、瓦屋さんの奥さんがやってきて、
「明日から作業に入ります。」とご案内がありました。
事前に連絡するとは言っていましたが、それはまた急な。

私は昨夜遅くに帰宅したので、今朝はゆっくりしていたのですが、
8時頃には「おはよーございます!」とやってこられました。
それはまた早くに。

ともかく作業の確認をして、ご近所に挨拶に行き、朝食も食わずに私も手伝います。
この赤瓦ともお別れか。特に未練はないけれど、事の変化に少し戸惑いもあり。
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クレーン車がやってきてさっそく作業が始まりますが、
こうやってクレーン車を固定するんだね。
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つぎつぎとはがされる瓦たち。ただ載っているだけだったんだね。
よくぞ台風とかで飛んでいかなかったものだ。
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あっと言う間に瓦をはがされた屋根。
本当に復活するのかというくらいボロイ印象。
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はがされた瓦たち。この5倍くらいになりました。
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これらを別の場所に移す作業を手伝いましたが、結構な重労働です。
仕事としては私は無理だな。無理な仕事が多いものです。
瓦置き場はファルコンのいた場所にしました。
まさにこのタイミングに合わせて場所を空けてくれたのか、ファルコンは。

この赤瓦、全て保管して別の小屋屋根を直す時に使ったり、
ガーデニングに使おうかと考えています。
色も明るいし、地中海風の畑ができるかも。
あとは私たちのセンス次第ですね。

さてさていよいよ事が動き出しました。
風呂場の配置も早く決めなきゃ。
当初、風呂場は現在の味噌蔵に移すつもりでした。
業者さんも「天井高がギリギリだけど、何とかなるでしょう。」
と言ってくれていました。
ところが例のカミさんの「思いつきヒット」により、
風呂を五右衛門式の直焚きタイプに変更することにしました。
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この修正が新たな問題を生みました。
直焚きにするとなると、浴槽の下に炉を組む関係から浴槽が上に上がります。
つまり浴室全体が上に上がってしまうのです。

するとそれでなくてもギリギリだった味噌蔵の天井高では無理です。
しかも炉の熱が家に伝わらないように耐火煉瓦を周りに組む関係から、
結構なスペースを取ります。
さてどうするか?
なかなか良い配置が思いつかず、今のところまだ妙案は出ていません。

そうこうするうちに、母屋の瓦替えが今月末にも始まることになりました。
瓦屋さんの都合で、
「この時期ならば職人の手が空いているので、是非やらせてほしい。」と頼まれ、
もともと限りなく低価格にしてもらっているので断りきれず、
前倒しでお願いすることにしました。

でも「支払いは後でもいいから。」とは言われたものの、
やっぱりお金の段取りはしておきたい。
そのためには銀行にリフォームにかかる見積書を全て提出する必要があるけれど、
風呂場周りの計画が煮詰まらないとそれもままならない。
ここ数日で案をまとめる必要があります。

「こんなに広い家なのに、何で『狭くてリフォーム案がまとまらない。』
なんて言ってるのかね?」
「贅沢な悩みだね。」と苦笑いの私たち。
そう、本当に贅沢です。大抵の家はリフォームする場所そのものがないのに。

そう言えばと思い出したのが、先日大阪・中之島を歩いていた時のことです。
川沿いに遊歩道があるのですが、
その何ヶ所かに川に向かって出張っている場所がありました。
幅3m、奥行き1.5mくらいでしょうか。
手すりがついて川に突き出したようになっています。
そのうちの一つに屋根が掛けられ、家ができていました。
まんま占拠しているのです。
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「狭いスペースでうまいこと作ってあるなぁ。」と感心して見ていると、
そのまた隣の同じようなスペースでは廃材を組んで燃やし、
その上に鍋を置いて夕食の支度をしているようでした。
そしてその脇ではGジャンを着たオヤジが川面を見ながら
ハーモニカを弾いておりました。きっと住人でしょう。

都会のど真ん中で、何とものどかな暮らしの景色を見つけ、心が緩みました。
それに比べると、私を含めて周りの人間の何と慌ただしく、贅沢なことよ。

その光景を思い出し、リフォーム計画ももっとシンプルに考え直すことにしました。
でも金の工面を考えるとのんびりもできない。
やっぱり慌ただしいことです。
リフォーム計画が正念場にきております。
そもそもの話は、
「今の厨房が暗くて汚くて、しかも食べる人との距離があって寂しい。」
とカミさんが嫌がっていたところから始まりました。
それに店を始めるのに今のままだと保健所検査を通らないだろうから、
まずは厨房をリフォームしようと計画しだしたわけです。

それが「どうせやるなら、この機会に風呂場やトイレも考え直そう。」
「ならば洗濯機置き場や洗面台も。」「食品庫もいるのでは?」となりました。
また保健所検査を通すには自宅用と店用の二つの厨房が必要なことから、
その場所の確保も考えねばなりません。
この冬には雨漏りもしてきたので、母屋の瓦替えをすることになり、
この機会に合わせて薪ストーブを置くことにもなりました。
そんなこんなでリフォーム計画がどんどん大きくなってしまいました。

それでも厨房の方は紆余曲折を経ながらも案がまとまってきました。
先日、保健所にも行って、案の修正ポイントも見えてきました。
こちらが気にかけていた幾つかの点は意外にも楽にクリアできそうです。
例えば、指示書では排水溝を厨房内に取り付け、床に水を流すようになっていますが、
配水管を地下に埋め、床板に不透性のクッションフロアーを敷く方法でもいいらしい。

逆に指摘されたのが壁です。
うちの古民家はもともと壁が少なく、
ほとんどの部屋が襖やガラス戸で仕切られているのですが、それがいかんと言う。
隙間があると虫が入るから。
「とにかく検査を受けようとする範囲は全て壁で囲って隙間を無くしてください。
そして扉は半自動以上(開けたら勝手に閉まるタイプ)にすること。」と譲りません。

この「検査を受けようとする範囲」というのがくせ者でして、
私たちは「厨房と客室はワンセットでその範囲」と理解していたのですが、
「そう捉えてもいいし、厨房だけと捉えてもいい」らしいです。
つまり、厨房だけで許可さえ取れれば、
調理した後はどこに持って行っても構わないということです。

「例えば離れを客室にして、そこまで運んでもいいのですよ。」との説明です。
その客室にいくら蝿がいても、それは保健所が許可した範囲以外のことなので
わしらは知らんというわけです。(極端に言うとですよ。)
理屈が通っているような、納得いかないような。
でも、だから出前ができるのか。

そしてその範囲の判断は申請者がするらしい。
うちの場合、厨房だけで申請するならば、厨房を全て壁で囲う必要があります。
でもそうすると、今以上に厨房が隔離されてしまいます。
また厨房と隣の客室(今は居間)のセットで申請するならば、
その二部屋の間は現在の通りガラス戸でもいいですが、
客間を含めた二部屋の周りは全て壁にせねばなりません。
何と殺風景な客間になることでしょう!

そこで、うちでは厨房のみで申請することにし、
厨房と客室の間のガラス戸は、壁と半自動ドアに替えることにしました。
そして壁は「ガラス壁」でいこうかと考えています。
このように、厨房に関しては何とか解決方法を見つけながら事を進めています。
さて問題なのはその他のスペース、特に風呂場なのです。
(つづく)
ファルコンに気持ちが向かっていた間に、
おかげさまで15000アクセスを超えておりました。
お立ち寄りいただいた皆様に、重ね重ねお礼申し上げます。

10000アクセスに到達したのが2/2。
どうも15000アクセスを超えたらしいのが3/16。
ということは、一ヶ月半の間に5000アクセスあったことになります。
では、アクセス解析をしてみましょう、
としたところが、どうも不可解なデータが出てきました。

2月全体のユニークアクセスが2868(トータルアクセスが6080)。
3月に入って、今朝の段階でユニークアクセスが1840(同3684)。
ちなみに、2/1が107(239)、3/17~今朝が348(776)。
このページの一番下にあるアクセスカウンター数の今の数字が15458です。
この数字をどういじくったら
「2/2から3/16の間に5000アクセス増えた」ことになるのでしょうか?
私の頭では理解不可能です。

カミさんに訊ねたら、「FC2がサービスしてくれたのよ。」
まさかスーパーのポイント5倍キャンペーンじゃあるまいし。

「ユニークアクセスは、その日一日に訪ねてきた純粋数で、
トータルアクセスはのべ数」と理解していたのですが、
これがそもそも間違っているのか?
誰か教えてください。

それにしても最近驚くのは、
ある時間帯でトータルアクセスがドンッと増える時がよくあるのです。
例えば1時間の間にユニークアクセス8に対して
トータルアクセス43なんて時がありました。
これって私のブログのページをどんどんめくって、
過去をずっと読んでいらっしゃる方が結構いるということですよね。
ありがたいやら、感心するやら。

私は自分のブログを一から読み返す気力はありません。
一日あたりの文字量が多いし、今やものすごいボリュームが貯まっているし。
もう250話ありますからね。

ただし、全体を通して読んだ方がどう感じていらっしゃるのか、少し関心があります。
ということで、よろしければコメント宜しくお願いします。
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昨夜はしとしと雨が降る中、炎を眺めながらゆっくりと語ることができました。
カナダの心友・エビサワ氏からは、
日本語環境にないPCからローマ字のメッセージが届きました。
かの地でもファルコンを偲んで酒を飲んでくれているとのこと。
そういえば彼の愛犬が亡くなった時、私も同じ事をしていましたっけ。

他にもファルコンの死に対して多くのお悔やみをいただき、ありがとうございました。
こんなにも大勢に愛されてファルコンは幸せ者です。
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さて、今朝は見事に晴れました。私の気分もすっきりです。
最初は火葬をしようと考えていたのですが、風が強いため土葬に変更しました。
敷地の中で一番眺めの良い場所を選んで深く掘り、ファルコンを埋め、
土で小山を築き、石碑を置きました。
頃をみて、この傍に桜の苗を植えるつもりです。
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思うに、見事にすっきりと逝ってくれました。
最近は見るからに弱った様子でしたので、つい数日前に
「お前ももうそろそろだな。」と抱きしめながら声を掛けたところでした。
でも介助が必要なことにもならず、例えば長い闘病生活の末に、なんてことは一切なく、
あっさりと去っていきました。
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私はもともと延命処置というのはしない主義なのですが、
(これは私自身に対しても是非そうしてもらいたいと願っています)
見事にそれに応えてくれたと、最後まで感謝しています。
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過去のいろんな出来事は今でも頭をよぎりますが、
それをこの場で書き連ねることもないでしょう。
とにかく感謝の気持ちで一杯です。
ファルコン、本当にありがとうな。
お前のおかげで私は人生が変わったんだよ。
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そして今までファルコンをかわいがって下さった皆さんも、ありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。
また、いつまでも追悼ブログばかり書いていてもめめしくなりますので、
これを最後にしたいと思います。
本当にありがとうございました。
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昨日は慌ただしく時が過ぎました。
カミさんの友人が泊まりに来て、山菜採り、川でスパイラルガーデン用の石取り、
薪割りなどを手伝ってくれ、気分が紛れました。
夕食時、お隣のタケオさんから電話です。
そう言えば毎月18日は念仏講の日でした。慌てて出掛けます。
昨夜はファルコンのために念仏を唱えました。
帰宅したのは22時。ようやく一人っきりになり、通夜を始めました。

玄関前のU字溝に火を起こし、傍にファルコンを寝かせます。
まるで八ヶ岳にいた頃、薪ストーブの傍で寝ていた彼と絵がかぶり、
思わず胸が絞まります。
酒を注ぎ、炎を眺めながら物思いに耽りました。
そのうちに、ある物語を思い出しました。
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ここから先のお話は、個人情報がうんぬん言われる昨今、
問題がある内容かも知れません。
でもご当人にはとても申し訳ないのですが、ファルコンの存在を語る時、
はずせないような気がして、書かせていただきます。Oさん、お許しください。

今まで誰にもお話ししたことのない物語です。

・・・・・
Oさんは若い頃からルソーの『エミール』を愛読し、いつか自分に子どもができたら、
この本に書かれているような子育てをしたいと願っていました。
モーツアルトに惹かれ、
ついに大学の授業料を払わずにウィーンに行ってしまうような行動派のOさん、
やがて結婚し、京都でパブ喫茶を経営するようになり、経営も順調でした。
そしてお子さんも数名生まれ、数年が経った時、ある出来事が起きました。

次男のK君が筋ジストロフイーにかかっていることが分かったのです。
非常に寿命の短い難病です。
Oさん夫婦のショックは計り知れないものだったでしょう。
でもOさんはこの時に考えました。
「K君が生きているうちに『エミール』の舞台のような環境に連れて行こう!」

それから土地探しが始まり、八ヶ岳に絶好の地が見つかりました。
でもOさんにはその土地を全て購入するだけの資金が足りません。
それでも周りに熱く想いを語り、大きな借金をして、
その土地と上屋となるホテルの建設資金を調達することができました。

当時Oさんは車を持たず、
バイクのカブで京都と八ヶ岳を何度も往復して交渉に通ったとか。
やがてホテルは完成し、家族は移住しました。
そしてホテルは本物の設えとサービスが評判を呼ぶようになりました。
表向きはとても順調なホテル経営。
でもその裏側で、家族による懸命の看病が続いていました。

ある時、K君がOさんに伝えました。「大きい犬を見たい。」
その一言を聞き、Oさんは手元にあった現金を手に、家を飛び出しました。
そこで出会ったのがトトロン、ファルコンの母です。
やがて父親、ジョリーもやってきて、彼らはホテルの看板になりました。

トトロンは二回のお産で十数匹の子どもを産みました。
Oさん曰く、その中でファルコンは一番元気でやんちゃだったとか。
でも彼は最初の飼い主のしつけが甘かったこともあり、
猛烈な暴れ犬になってしまいました。

その後、縁があり、私が飼うようになって、
幸いにもファルコンはとてもおとなしい犬に変身してくれました。
その姿を見てOさんはいたく感動してくれ、ことある毎に私をホテルの夕食に誘い、
ご馳走は勿論、帰りにはヴィンテージもののワインを何本も持たせてくれました。
でもその度にいつも話題の最後はK君のことになり、涙を流すOさんでした。

数年前、綺麗にブラッシングされたファルコンを見て、
「是非K君に見せてやってくれ。
トトロンそっくりのファルコンを見たら、きっとK君も喜ぶから。」
と頼まれ、ご自宅の中に連れて行きました。
(トトロンとジョリーは既に亡くなっていました。)
当時既に自分の意思では動けなくなっていたK君ですが、
僅かに口の端が嬉しそうに動いたような気がしました。

昨年、K君は亡くなりました。この病気にしては驚異的な寿命だったそうです。
大変遅まきながら、心よりご冥福をお祈りします。
そしてOさんご家族の皆様、本当にご苦労さまでした。
奇跡だと言われたK君の長寿は、ご家族の本当に涙ぐましい努力があってのことです。
(確か入院をさせなかったと聞いています。)

そしてK君の大好きな大きな犬達が心の支えになっていたにも違いありません。
でも、ファルコンの兄弟も全て亡くなっていました。
この犬種はとても寿命が短く、
早くて6~7歳、長くても10歳以上にはなかなかならないのです。

昨日、Oさんに電話でお知らせしました。
「ファルコンは貴方のお陰でよみがえりました。
あいつは一番の幸せものです。ありがとう。」と言ってくださいました。

トトロンとジョリーの最後の子どもが亡くなりました。
ファルコンの誕生日は1994年3月27日。あと10日足らずで12歳になるはずでした。
・・・・・
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今朝珍しくブログをまとめるのに苦労し、ようやく更新して散歩に出ようとしたら、
ファルコンが小屋の前で冷たくなっていました。
ついにこの日がやってきました。
12歳になる直前にファルコンは逝きました。人間で言うと100歳前後だと思います。

ファルコンのことを書き出すと、とても一日では終わりません。
彼との出会いは私の人生の中でも最大の出来事の一つです。
かけがいのないパートナーでした。
彼なしにここ10年の暮らしは無かったでしょう。

いろんな思い出が走馬灯のように甦ります。
いろいろ書きたいけれど、まずは出会いから。
これは私の過去のHPに載せている内容をほぼそのまま転載しています。あしからず。

・・・・・
1996年、八ヶ岳に移住する直前に、知人からあるホテルを教えられました。
「甲斐大泉駅北側にある『ヒュッテ・エミール』というホテルは、
宿泊料がきっと八ヶ岳で一番高いけれど、
その値段以上のホテルだから、見るだけでも価値があるよ。」とのことでした。
移住後、早速訪ねてみたところ、確かに素晴らしいホテルです。

しかしホテル以上に感動したのが、玄関先にいた2匹の犬でした。
真っ白な超大型犬、グレートピレニーズの夫婦です。
見とれていると、ホテルのオーナーさんが近寄ってきました。
「犬が好きそうですね。今ならこの夫婦の子供で出戻りがいるのですが、
もし良ければ差し上げましょうか?」

初対面でいきなりの申し出にとても驚きましたが、
私は思わず「ハイッ!」と手を挙げていました。
でも正直なところ、当時の私は今以上にお金がありませんでした。
犬のエサを買うお金どころか、自分の食費の工面に苦労していたのです。
ですから、 「ハイッ!」とは言ったものの、
本当に飼っていけるのかなと不安がよぎりました。
でもこんな機会はそうは無いと確信し、いただくことにしました。

彼はそれまで別の飼い主に違う名前で飼われ、私が会った時は2歳半になっていました。
後で知ったのですが、この犬種は他に比べてボスになろうとする性格が強く、
そのくせ子犬の時はぬいぐるみのようにかわいいので、つい甘やかしてしまい、
結局飼い主が手に負えないほど凶暴化してしまう、飼うのが難しい犬種だったのです。
ファルコンも同じ経緯で「吠える、引っ張る、咬む」という暴れ犬になってしまい、
前の飼い主の手を離れ、調教師の元で育てられて2ヶ月が経っていました。

早速、調教師による私に対する調教が始まりました。
一度暴れ犬になったのをどのように直すか、調教の仕方を調教されたのです。
理屈は簡単です。「深く愛して、厳しく叱ること。」
子犬の時からしつけがなされておれば無理に叱ることはありません。
しかし、ファルコンのような超大型犬が暴れ犬になった以上、
叱る時はかなりのやり方をしないと駄目だというのです。

やがてファルコンが我が家にやってきました。吠えまくっています。
玄関前のテラスにつないだのですが、何も食べずに一晩中吠えていました。
安易に近づくと噛みつかれそうです。
それからしばらくは戦いでした。お互いに血を見ました。
油断した隙に近所の子供を咬んだこともありました。

その間のしつけの仕方はとても文章には載せられません。
一例を挙げると、巴投げをしたこともありました。
傍で見ていたら虐待以上の何ものでもなかったでしょう。
しかし、教えられた通り、深く愛して厳しく叱り続けました。
彼が本当に私をボスと認め、従順になったと私が自覚するまでに1年間が過ぎました。

その後に訪れる人にそんな話をすると皆さん驚かれます。信じない人もいます。
それくらいファルコンは落ち着き、誰にも愛嬌を振りまく安心できる犬になりました。
もともと賢かったのでしょう。
私の試行錯誤のしつけによく耐えて順応してくれたものだと思います。

我が家には当時陶芸の工房があり、いつもそこを開放していたので、
私が不在でも多くの訪問者がやってきました。
ファルコンは私の代わりにというか私以上に皆さんの目当てになり、
いつも愛されていました。
私にとってもファルコンはかけがえのない家族になりました。

ところでファルコンの名の由来ですが、
映画「ネバー・エンディング・ストーリー」に出てくる龍の名です。
ファルコンを車に乗せ、彼が窓から顔を出して風に毛がなびいている姿は、
あの映画のファルコンそのものです。
・・・・・
ヒュッテ・エミール前で、両親と
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最近の私には多くの「私」や「私たち」がいます。
仕事の面では、
・今いる会社でコンサルティング的な仕事に関わっている「私」
・地元企業のコンサルティング的な仕事を依頼されている「私」
・地域のために何ができるか考え始めている「私たち」
・ISOの審査員やコンサルティングおよび
CSRコンサルティングで食っていこうとする「私」

一方、田舎暮らしの面では、
・地域の行事や風習に積極的に参加している「私たち」
・山に入り、山菜&きのこ採りの知識や経験を深めつつある「私」
・パーマカルチャー的に土地をデザインし、畑を耕し、作物を育て始める「私たち」
・家の改修を進め、快適な暮らしを作り始めた「私たち」
・自分達のライフスタイル表現の場として、
店や宿や工房を始めようとしている「私たち」
・そして何よりも家族を愛し合う「私たち」

一週間の中でこれらが入れ替わり立ち代わり登場するので、
「私は多重人格者か?」と思う時もあります。
また、「本当にこれら全てをできるの?」との質問を受けることも多いですが、
今のところ何とかやりこなせているかな?
いずれにせよ、これらのことを全て同時並行で進めようとしていますので、
かなり時間一杯一杯で日々動いています。

その上で、一つ一つのことを丁寧にこなしていきたいとも願っています。
だから、その一つ一つについて
自分の気持ちにそぐわないことに構っているヒマがありません。
例えば仕事面でも自分をつくろったり、半端になったり、
ごまかしたりせねばならないような仕事をしたくない。
そしてできるだけ本物指向の人や会社と付き合ってコトを進めていきたい。

そんな背景から、最近つくづく「正直に生きたい」という気持ちが強くなってきています。

私はいつも「自然の中で、自然に学び、そして何よりも自然体で生きたい」と願い、
このブログのサブタイトルにも挙げています。
その中の「自然体で生きる」というのは、
「自分に正直に生きる」ということでもあると思います。

でもこれって実は普段の暮らしの中では「言うは易し」で、
簡単にいかないこともあります。
つい先日も会社から新しい仕事の追加を依頼されましたが、お断りしました。
当然嫌な顔をされました。こんな場面はこれからも出てくるかもしれません。

あまりに杓子定規で取り付く島もない、となってはいけないと思いますが、
「自分の気持ちに正直に生きる」姿勢は貫きたいです。
いろいろやることがたくさんあるおかげで、余計なことに気を向ける余裕がなくなって、
かえって研ぎ澄まされてきたように思います。
2006.03.17 武士道精神
最近読んだ本で感心したのが、『国家の品格』(藤原正彦 新潮新書)です。
とても話題ですよね。
まずは出版社による紹介文から。

日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。
国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、
この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。
「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。
いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、
民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。
すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。

何だかよく分からないですね。
そこで私なりに簡単に紹介させていただくと、
「ここ数世紀、世界は欧米に『してやられて』きました。
これも、産業革命がヨーロッパで始まってしまったからです。
その後、論理を追求することで世の中が仕切られてきました。
でも、それで問題が解決したわけでなく、むしろ破綻への道を歩んでいます。
論理はあくまでも自己正当化のための便利な道具でしかありません。
例えば現在流行っている市場原理主義では、
『競争に勝った者だけが全てを得ることができる』という論理がまかり通っています。
でも、それは武士道精神で言えば『卑怯』という概念にあてはまります。
このように、これからは、『情緒』や『形』 というような
武士道精神に基づく概念が時代を切り開いていくべきです。
そしてそのような精神を伝えられるのは、世界中で日本人だけなのです。」
と言ったところでしょうか。

ちょっと言い過ぎではと思うところもありますが、
言わんとするところは分かります。
思わずポンッと手を叩きたくなる点が多いです。

この著者、数学者なんですよね。
よくぞこういう読み解きができるものだなと感心します。
確かに文の組み立ては数学を解いているようにも見えますが、
扱っているテーマが「武士道精神」ですからね。大したものです。

それにしても「武士道」はブームになってきています。
昨年の秋、吉村先生がしきりに「武士道」の必要性を訴えていた頃は
本屋でもそれほど扱っていませんでした。
それが今では「武士道コーナー」ができています。

それを見て、少し不安がよぎりました。
真髄を理解せずして形だけを追っかける、
何だかファッションになりそうな予感を感じます。
日本人はそういうのも得意だから。
私はそうならぬよう、年末に買っておいた「武士道」と「五輪書」を
しっかりと読んでみます。
昔在籍していたコンサルティング会社の同僚から、U太の出産祝いが届きました。
その友人、Kと言いますが、15年以上会っていません。
私が設立したスポーツ団体の事務をお願いしていた関係で、
奥さんとは一時期雇用関係にありましたが、
彼女とも同じく十数年以上会っていません。

決して深い付き合いではないのにお祝いしてくれたことに喜びながらも、
少々戸惑いながらお礼の電話をしました。
するとKが電話口に出て、久しぶりの会話です。
「今何しているの?」「どうやって食っているの?」
毎度おなじみの質問攻めで、一応決まった答えをします。

するとK、おもむろに、「お前、そういう田舎で暮らしながら、
どうやってISOだのCSRだのといった分野の職を見つけたの?」
と真剣に訊ねてきました。
確かに不思議でしょうね。ある意味で最先端の世界に片足を突っ込み、
また片足は思いっきり田舎に軸足を置いています。

今の自分の境遇について簡単には説明できないけれど、
私にとればとても「しっくりくる」形ではあるんですけれどね。

また、昔を知っている人のその後について、Kに尋ねてみました。
すると、かつての遊び友達が超売れっ子のコンサルタントになっていたり、
その彼の上司だった人が今では彼の下にいたり、
私が辞める頃、飛ぶ鳥を落とす勢いだった同期が、すっかり元気を無くしていたり、
はたまた、私が新人教育をした2年下の後輩が、今や会社の取締役になっていたりと、
随分と様変わりしているようです。

人生って本当に面白いです。
もしその会社に私がい続けていたらなんて、
ありえないことを一瞬想像してみたけれど、
やっぱり辞めていただろうなと思います。

そしてつくづく「生きていると、いろんなバイオリズムがあるな。」と感じます。
私もホントいろいろ上がり下がりがありました。
この先の思考についてはまた明日にでも。
土地について。
私達はとりあえず自分達の住む宅地だけは購入して所有することにしており、
将来的に金銭的に余裕ができれば、
今お借りしている農地あたりは購入しても良いかなと考えています。
そんな話は地主さんと普段からしていますので、今から
「農地は好きに使っていいぞ。」と言ってくださっており、とてもありがたいです。

では、ということで私達が計画しているのは、
「この辺りを多様な種の樹からなる森に変えよう!」というものです。

と言うのも、私達の住む旧加子母村は、国土(村土?)の95%がヒノキという地域です。
そして約900世帯のうち、9割が山持ちという、山ととても縁の深い地域でもあり、
昔から林業が盛んで、ヒノキの植林が永らく続けられてきました。
伊勢神宮の主な材木も、この村のヒノキを使っているとか。
それはそれで素晴らしい文化だと思いますし、
その文化を伝承していくお手伝いをしたいと願っています。

でも、周りがヒノキばっかりというのもどうかなと思うのです。
針葉樹ばかりだと土地が緩むといいますし、現実に災害が多くなったとも聞きます。
また植生も限られているように感じます。
ですからせめて自分達がいじられる自宅周りの土地だけは、
できるだけ多様な植生を作り出そうと考えました。

ところで、針葉樹以外でもともとこの土地にあった樹は次の通りです。
■元々あった樹
梅×2、スウメ(?)×3、柿×約10、クルミ×1、ホオノキ×2、栗×3、
タラノキ×?、茶×いやほど、その他知らない樹×山ほど

そして、私達が移住してきてから少しずつ植えてきたのがこれらです。
■移住してから植えた樹
ネクタリン×2、プラム×2?、プルーン×3?、山椒×1、ビワ×1、桂×1、
リンゴ×1、カリン×1、ブルーベリー×25、ブラックベリー×2、ユリノキ×1、
スモモ×2、ウコンカエデ×1、柿×2

また、既に苗を買ってありますが、植える場所がまだ決まらない樹もあります。
■苗を買って置いてある樹
キンカン×1、ユズ×1、ブドウ×6、アケビ×1
傾向が分かります?そう、ほとんど実のなる樹です。
せっかくですから愛でて食って楽しみたいものですから。

そして昨日、またもや買ってきました。
■昨日買ってきた樹
ビワ×2、山ブドウ×1、クコ×1、ラズベリー×2、カシス×2、ハスカップ×2、
サルナシ×2、梅×1
今回はカミさんが張り切っておりました。
専門の苗屋さんを見つけたので、前から買いたかったものを入手しました。

さらに、この先にも入手しようとしているものもあります。
■これから入手しようとしている樹
ネムノキ、ニセアカシア、クロモジ、サイカチ、トチノキ、桜 などなど
結構大物もあります。

これらの樹、あまり綺麗に並べずに、あちらこちらに植えるつもりです。
特に元茶畑(今もいるんだけど野性化している)の斜面を利用して、
少しずつ増やしていくつもりです。

これらの苗木が根付いて大きく育つ頃(5~10年先?)には、
今はやや単調なうちの周りも少しは華やいだ森になるんじゃないかなと期待しています。
そんな期待を込めて、私やカミさんのブログタイトルに
『もりのいえ』と付けています。
2006.03.14 えぐかった
昨日採った山菜の中で、とても気になるものがありました。
崖から浸み出たせせらぎの傍で、若い葉がとても綺麗で輝いていました。
特に茎がみずみずしく、私の大好きなニリンソウに似ています。
周りを見ると結構生えており、そこそこまとまって採取できそうです。
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その場で少しちぎって口に含んでみました。
少し苦味がしますが気になるほどではない。ただ普通の草の味がしました。
でも歯ごたえは良かったので、もし「食」なら結構使えるかもしれない。

しかし悲しいかな私の不勉強で、何の種か分からない。
帰宅後、手持ちの本で探しても、どんぴしゃのものは見つからず、
mixiの山菜系コミュニティにも質問してみました。

でもしばらくして、仙人の教えを一つ思い出しました。
「自分の身体で覚えろ!」
そうであった。人を頼ってはいけない。
自分で食ってみて、身体の反応を見てから判断すれば良いのであった。

仙人小屋でもよくやっていました。
図鑑を作る人が教えを乞いにやってくる仙人ですが、山菜もきのこも身体で覚えた人です。
だいたい、他人から教えてもらうようなキャラではありません。
そんな仙人でも知らない種はありました。

そこで、私の修行中も、昼前になるとポンッと見知らぬ山菜やきのこが出され、
「今日の昼食はこれだ。」
「何という種ですか?」
「知らん。」という会話はよくありました。

そして翌日、「おい、どうだった?」
「腹こわしました。」
「俺もこわした。じゃぁ、あれを店に出すのは止めよう。」
という具合に学んでいました。

その教えを思い出し、早速に食ってみることにしました。
食感が分かるようにさっと茹で、そのまま食ってみます。すると、
「苦い!」
山で食った時よりも苦かったです。
特に見た目爽やかな茎がとても苦かったし、えぐかった。
う~ん、残念。でももう少し工夫すればましになるかな?
とりあえず一晩経っても身体に変化はありませんでした。
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そして早く種を調べねば。
仙人なんて新種のきのこを見つけたら、勝手に名前をつけてました。
それが数年したら、本当にみんながその名で呼ぶようになったとか。
私はそこまではできませんが、何でも挑戦する気持ちだけは持ち続けたいです。

メイキング オブ スパイラルガーデン
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2006.03.13 セリ発見!
最近は朝が待ち遠しくて仕方ないです。
いくら山菜採りが好きでも、夜が明ける前に山に入っては何も見えません。
ですから目指す場所に着く頃に明るくなるのを逆算して出掛けます。
今朝は5時半に出ました。マイナス3℃だけど気になりません。
目的は一つ、セリです。

目星をつけた地域に着き、平地から山が始まる辺りをぐるぐる回ります。
山から浸み出た水がある程度溜まっていながらも、
ゆるやかに水が流れる場所を探します。
途中見つけたミツバや、タネツケバナをほおばりながら、
それっぽい場所を見つけては入り込み、また移動を繰り返しますが、
なかなか見つからない。
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ある場所で、何となく気配を感じました。
崖の上の方からこんこんと水がくねりながら流れ、岩にはコケがよく付いています。
すぐ傍に「落石注意!」の看板。確かに登っていくと、足場が悪いです。
その途中、見事なタネツケバナと、名前の分からない種ばかりが目につきます。
それにしてもこの知らないヤツ、茎がみずみずしくて美味そうです。
実際に口に含むと普通の草の味でしたが、どなたかご存知なら教えてください。
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何となく予感はしたけれど結局セリは見つからず、その後も何ヶ所か探したけれど空振り。
「今日はミツバだけか。仕方ないからタネツケバナの株でも持って帰ろう。」と、
先程行った気になる場所に後戻り。そしてふと足元を見ると、何とセリが!
そうでした。水の溜まり場を探すべきところ、
先程は崖の景色に目が行き、足元を見ずについ登ってしまったのでした。
やっぱり勘は当たった。少しだけいただき、車に乗り込んで思わずガッツポーズ。
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その他に、これまでに書いていないものでチェックしたのは、
ナズナ、ギシギシ(こんなのは前から見かけていたけれど、
とりあえず記載。でも実は若芽は美味い)、シロツメグサ、カラスノエンドウ。
冬の間、葉を大きく開いていたタンポポも、新しい芽が出始める様子。
タンポポは花・葉・茎・根の全草食べられ、調理法も幅広く、身体にも良い優れものです。
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今日はともかくセリが見つかり、気分的にも随分楽になりました。
この調子だと、来年店を始めるにしても
3月中旬頃から山菜を食材に加えることができそうです。

これから先は、例えばセリにしても標高差の違う採り場を見つけていきます。
そうすることで、長い期間採取することができます。
もちろん、まだ確認できていない種はたくさんあります。
シュンラン、アサツキ、ニラ、アマドコロ、ナンテンハギ、ツリガネニンジン、
ハンゴンソウ、アケビ、クズ、スミレ、カタクリ・・・。

そしてパーマカルチャリストならば是非とも入手したいのがヒレハリソウです。
コンフリーとも呼ばれ、食用にも畑の栄養にも欠かせない種です。
まだこの地では見つけていないので、何とかしたいところです。
まだまだ新地開拓の旅は続きます。
2006.03.12 少しずつ収穫
今朝は小雨です。
最近は付知川水系の里方面に出ていましたが、近頃早いペースで春めいてきたので、
今のうちに山の方もチェックしておこうと、
今日はより山寄りの飛騨川水系上流に行きました。
こういう時は里用と山用の身体が二つ欲しいところです。

今日行った方面は昨年の晩春に下見をしたことがあり、
少し旬が過ぎたコゴミとウルイ、ニリンソウをチェックしていました。
それらがこれからどのタイミングで出てくるか、
これも一つの基準点になります。
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さて現地に近づくと、川辺のいたるところで建設重機が置かれています。
護岸工事をしているのでした。
その先ではたくさんの砂利が道端に積まれていました。
これはきっと、昨秋の大雨の時に被害にあった地域の修復工事なんだろうな。
でもこの辺りの川岸は結構山菜が採れそうだったところです。
護岸工事は仕方ないのでしょうが、少し残念です。
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「目指す場所は大丈夫だろうか?」
少々ドキドキしながら向かいましたが、無事以前のままでした。
コゴミなどはまだ先ですが、フキノトウが出ていました。
周辺も含めて30個ほどゲット。
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続けて林道の脇の沢でワサビを発見。
サワガニにもまた出会いました。
こいつらはその気になって探すと結構見つかるかもしれない。
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他に昨日書いた以外に確認したのは、レンゲソウ、ユキノシタ、
シャク、シシウド(まずくて、腹も壊したけれど、薬草)など。
この時期に是非とも見つけたいのは、セリです。
こいつがあれば食のバリエーションが増えますからね。
それと、ニリンソウは早目のものが出てもいい頃かなと思いますが、
家の周りで昨年チェックしていた場所にはまだ出ていませんでした。

少しずつ少しずつフィールドを広げていきます。
2006.03.11 春全開!
今朝は山入り。まずは先週行った「ノビル10cm」の場所へ一目散に向かいます。
すると15cmにまで伸びていました。
この調子だと、もっと日当たりの良いところを探せば出物があるはず。
周辺をうろうろしていたら、ありました!南斜面の高台の畑脇に立派なノビルを発見。
一株いただきました。
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しばらく行くと今度はクレソンを発見!
ただしこれは微妙な場所にあります。
休耕田で育てているのか、あるいは野生化したのか?
とりあえず隅の方のを一株いただきました。
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そして別の場所では綺麗に育ったタネツケバナの群生を見つけました。
これはどこにでもあるのですが、綺麗にまとまっているのはあまりありません。
岩から染み出た水の脇でフサフサと茂るタネツケバナ。
私はこいつの辛味が大好きです。一株ゲット。
ふと見るとサワガニもおりました。困った時はこいつもいただこう。今日はパス。

その他、今朝確認したのは次の通り。
ゲンノショウコ、ヨモギ、スイバ、アザミ、カンゾウ、ヒメオドリコソウ、フキノトウ。
これらはまだ採りません。様子を見て採取します。
明日は場所を大きく変えてみるつもりです。さてどうなりますか。

帰宅してからも大忙しです。
まずはN工務店のK建築士に来ていただき、リフォームの相談です。
屋根の軒の長さ、薪ストーブを置く場所の床下の補強、煙突を通す時の屋根の細工、
風呂の設置場所などなど、本来ならば工務店にお願いして管理してもらうべきところ、
今回は飛ばして私がしているのですが、無償でアドバイスしてくれました。
ありがたい限りです。

その後には地主さんが登場。
今日はいよいよ宅地の売買契約を交わす日でした。
事前に内容についてお互いに了解していたので
今日は署名と捺印だけですが、やはり記念すべきことです。
銀行との手続き、支払い、登記などまだまだすることはありますが、
私が地主になる日が近づいてきました。

その次は庭づくりです。まずは今朝採取した株を山に植えます。
こうやって少しずつ移植することで、
いずれは目の前の山が山菜山になればと狙っています。
ただし元ある場所の生態系を崩さない程度に少しずつコトを進めます。

そしてようやく本日のメインイベント、「スパイラル・ガーデン」づくりです。
スパイラル・ガーデンとはパーマカルチャーをやる人ならたいていはつくる、
お決まりの庭です。
その名の通りらせん状の庭なのですが、
真ん中にいくに従って傾斜をつける、つまりカタツムリのような形の山を築きます。
これによって、山の南斜面は日がよく当たり、北斜面は影が多くなります。
また、山の頂上付近は土が乾き、ふもとは水気の多い土になります。

このように、小さなスペースで様々な気象の変化(微気象といいます)
を作り出すことができます。
そして、それぞれの気象に合った作物(主にハーブ類)を植えることで、
小さなスペースから多くの作物を得ることができるという、大変な優れものなのです。

このスパイラル・ガーデン、以前住んでいた丹波篠山でも作っていましたが、
その時は直径1.5mほどの小さなものでした。
今回はちょっと欲張って大きめに挑戦。何と直径4.5m!
しかも家の前庭と畑を仕切る石段を利用して、段違いに作ってみようという新技です。

まずカミさんと喧々諤々の話し合い。とは言ってもけんかではありません。
パーマカルチャーでは「土地をよーく観察すること」を第一に指導しているのです。
だからスパイラル・ガーデンのデザイン一つについても何度も何度も検討します。
縄を張り巡らせ、ようやくイメージができて作業開始。
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地面を掘り、以前、床抜け部屋を片付けた時に出てきた石を組んでいきます。
今日のところは外周作業の途中までで終了!
前庭から畑に降りるための石階段をつけたら、
カミさんはむしろこちらに感心しておりました。(写真右奥です)
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このように、今日はいろんな作業が一斉に進み出しました。
気候も春めいてきたし、仕事に、家の改修に、畑に、山に、一気に全開モードです。
うちのカミさんはよく思いつきでモノを言います。
感性の人というんですかね、典型的なB型です。
一方、私はB型に振り回されるタイプのA型です。
理詰めでいろいろ検討して、
さてこれで段取り完了という間際になって、カミさんが思いつきでいったセリフに、
「何で今頃言うんだよ!」と思わないこともないです。

でも後で振り返るとその思いつきが結構良かったりすることも多いものですから、
内心「またか」と思いながらも、とりあえず最後まで聞くことにしています。
ところが、カミさんの方は「言ってみただけ~。」的な時もあるのですが、
言われた方の私に火がついて、どんどん深みにはまるというパターンも結構あります。
今回もその一つでした。

店を始めるにあたって厨房をリフォームする計画は予定通り進んでおりました。
それに合わせて、隣接する浴室を別の場所に移す方向で
業者さんに見積もりを頼んでおりました。
ちなみにこの時点で浴槽は普通ですが、
薪釜につないで循環するタイプを考えておりました。

そしてあと数日で見積もりが上がってくるという昨夜、
カミさんが思いついてくれました。
「ねぇ、五右衛門風呂って良くない?」
「えっ?」何を突然という感じでしたが、
最近HPで見つけた宿が五右衛門風呂を売りにしているらしい。
「そりゃいいけどね、配置の仕方とか、仕上げとか、金額とか考えてみたの?」
「ううん。」

最初は却下しました。
でも一晩経って考え直すに、確かに五右衛門風呂って魅力あるよな。
何よりも直火焚きというのは熱効率が良さそうです。今の循環式とは違うはず。
ところがよくある丸い釜タイプだと身体を伸ばすことはできません。
身体を伸ばして入れる、直火タイプの浴槽はないものか?
だんだんと真剣モードに入ってきました。

そういえば、以前泊まらせていただき、二人ともとても気に入っている
福井の萌叡(ほうえい)塾は、見た目は普通の浴槽だったけれど、
直火で焚いていました。
電話で確認するとやっぱりそうでした。
こちらの直焚浴槽(鋳物ホーローバス)タイプでした。
さらに探すと、こういうのもありました。

もうここまでくると、誰も私を止められません。
業者に電話して、これらのタイプに変えてもらうようお願いしました。
電話を切り終わった後、「やっぱり五右衛門タイプはいいよね。」
と喜ぶ私の顔を見てほくそ笑むカミさん。
まんまと今回もパターンにはまりました。
2006.03.09 東京下町の夜
昨夜は友人のO氏と再会しました。
彼は私の一つ年下、以前いた会社の同僚です。
タバコを吸う、酒は飲まない、バイクを乗り回すという、
私とは全く異なる行動パターンですが、
何だか気のおけないというか、まるで弟を見るような気分でいつも付き合っています。
本人は迷惑かもしれないけれど・・・。

今回は彼の自宅の近くで待ち合わせしました。
王子駅から都電に乗ります。乗り場に着くとものすごく人が並んでいて、
とても一回では乗れそうもなく、約束に遅れそうです。
何人かが乗車を遠慮するのを見て、強引に乗り込ませてもらいました。
その勢いのまま電車の中央まで流されます。
都電の料金は一律160円です。
きっと出口で払うのだろうと思っていたら、出口には扉だけ。
乗った時に支払うシステムだったのですね。
申し訳ないけれど、無賃で降ろさせていただきました。すいません。

降り場にO氏が待ってくれていました。歩いて商店街へ。
かつて、たけしがバックアップして盛り上がったという熊野前商店街を歩きます。
今は昔通りに寂れ、私はこういうのが好きですが、
商売している人たちはたまらんでしょうな。
そして着いたのはもんじゃ焼きの店。客は私達だけです。

関西の人間はもんじゃ焼きと触れることがありません。
言葉と断片的な映像しか知らないので、
「あのゲロみたいなやつやろ?」と言っておしまいです。
そう、見た目はゲロそのもの。私も20年振りに出会いました。
今回はもんじゃ歴三十年以上というO氏がいるので、全てお任せです。
それにしても最初はこんなにボリュームがあるのに、
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出来上がりがこういう風情なのは不思議です。4食美味しくいただきました。
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O氏とはいろんな話題で盛り上がりました。
かつて船員として世界中を回り、その後四国の養豚場では暴走した豚を止めようとして
思わず殴ったら死んでしまったということで「豚殺しのO」と呼ばれるようになった氏。
最近は出版物のディレクションを主な仕事としていますが、
私のイメージは、新幹線よりも早く走るというバイク・隼を駆って、
「風が呼んでるぜ!」と叫ぶ姿です。
バイク雑誌では、全国を走破するサラリーマン・ライターとして名も売れているらしい。
ガタイは私より大きく、見た目は怖いですが、話せば真面目ないいヤツです。
でも怒れば怖いかな?

そんな彼との会話で一番盛り上がったのが、この話。
かれが一度取材で行った「すぎのこ」という民宿に泊まった時のことです。
そこの60代ほどの女主人は、自ら山に入り、
山菜などの食材を採ってきて宿で提供してくれたとか。
その夜に話してくれたことによると、
ある日、彼女が番犬と一緒に山に入ったところ、突然その番犬がすくんだそうです。
そして犬の見る方向を見たところ、何とビックリ!
直径40~50 cmほどの胴回りの大蛇が目の前にいました。
長さは10mは軽くあったらしい。

驚いて山を下り、地元の長老に伝えたところ、「あんたも会ったか。」と言われたとか。
その大蛇はその地域の主だったのかもしれません。

この話、ウソップ物語と言ってしまえばそれまでです。
でもO氏と私、「その大蛇に会いたいね~!」と思わずハモッてしまいました。
性格は全く違うのに、こんなところは意気投合してしまいます。
次回、関東方面に来る時は、是非一日余分に取って、そちらに伺いたいものです。

道端で見た看板。下町っぽくていいですね。
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2006.03.08 面白い試み
あるハウスメーカーのコミュニケーション・スペースを訪問しました。
予約制のこの施設、綺麗なガイドさんがついて1時間半のコースです。
まず最初に、この会社の建物の耐震性能の高さを伝える、
バーチャル・シアターを見せていただきます。
画面に現れた別の女性とタイミングを合わせて、
さも実際に会話しているかのように話すガイドさん、ご苦労様です。
映像は阪神淡路大震災と同じ揺れをバーチャルに体験するもので、
結構座席が揺れ、臨場感がありました。

お次は実物大の免震ハウスの中に入り、
免震が効いている時とそうでない時を実際に体験。
割と最近見るタイプですが、私は初めてだったので新鮮でした。

最後に住まいづくりの最先端技術を盛り込んだ、近未来住宅を案内してもらいました。
これがかなり面白かったです。
まず玄関にはウェブカメラなるものがあります。インターネットに接続され、
携帯電話で、外出先から玄関周りの様子を確認し、
相手にはさもインターホンで対応されているかのように会話もできます。
しかも、宅配がやってきたら、同じく携帯で遠隔操作して玄関脇のシャッターを開け、
荷物を入れてもらえます。

玄関ドアの施錠・解錠は携帯で。
ところが携帯をかざす場所は玄関脇の壁のどこかにあり、
それは家族にしか分からない仕組み。
ハリーポッターを見ているような仕掛けです。

家の中に入ってもこの手のアイデアが満載です。
靴箱上の額縁が実はタッチパネルで、家中のあらゆる動作をコントロールできます。
お母さんは鏡台にセットされたテレビを観ながらお顔の手入れ、
お父さんは寝室に取り付けられた巨大なガラススクリーンに映し出される映像を
お楽しみといった具合。

大笑いしたのは、目覚ましシステムです。
例えば朝7時に目覚ましをセットしたとします。
すると、6時半から少しずつ部屋が明るくなっていきます。夜明けの演出というわけです。
そして7時になると、何と! ベッドの上半分が起き上がるのです!
私は思わず「強引ウェイクアップ・システム」と名づけてしまいました。

他にも、屋上でジャグジーに入りながら満天の星を楽しみたいという、都会のお父さんの希望をかなえるために作った、
「風呂脇巨大スクリーン」とか、なかなか見ごたえがありました。
これらのアイデア、まだ商品化されていないものもあります。

そしてガイドさんがおっしゃった言葉が良かったです。
「これらのアイデアは実際に住むことを考えた時、必要のないものも含まれています。
ですからこれらを設置しましょうとか、
我が社の製品を買ってくださいというつもりはありません。ただ私達は、
お客様の希望を少しでもかなえられる企業でありたいという想いを伝えたくて、
この施設を作ったのです。」

そう、それでいいんです。様々な不祥事が続くこの世の中、
企業は自分達の姿を正しく見せて説明し、想いを伝えていくことが求められています。
それが最近よく言われるようになった、CSR(企業の社会活動責任)です。
この伝えていく手段の一つとして、
この施設の様なコミュニケーション・スペースも考えられると思います。

誠に申し訳ないけれど、私はこのハウスメーカーを宣伝するつもりは全くないし、
私が考える快適な暮らしとはかなりかけ離れたものなので、敢えて企業名は出しません。
でも、一見儲けにつながらない遠回りに見えるようなことでもやっていこうとする
姿勢は気に入りました。
もし家づくりを考えている人が見に行ったら、まずこの会社のファンになるかもしれない。
そしてこの会社の商品を買うかもしれない。
それがこの会社の真の狙いなんでしょうが。
今週は仕事で東京に来ています。
目的は、カフェ巡りと、企業のコミュニケーション・スペースの視察です。
コミュニケーション・スペースという呼び名は特に定められた呼称ではないですが、
ショールームが主に商品を紹介するスペースなのに比べて、
より企業の理念や想い、経営姿勢などを伝えていくものとして、
私が勝手に区分しています。

今回の仕事、幕張・新木場・飯田橋・銀座・赤坂・六本木・表参道・二子玉川などを
ぐるりと巡り、とってもハードなスケジュールで動いているのだけれど、
はた目にはおのぼりさんの東京見物にしか見えないでしょうね。

私はかつて東京で十数年過ごしましたが、それも10年前までの話。
この間に東京も随分様変わりしました。
一言で言うと、
「何とまぁ次々と新しいスポットができるんでしょう!」という驚きです。

表参道ヒルズはオバサマ方でごったがえしておりました。
でも買い物している姿はあまり見ませんでしたね。
六本木ヒルズは何故か幼児を連れたお洒落なママが目立ちました。
赤坂見附周辺はまるで韓国街のような風情に様変わりしていました。
今回は行きませんが、丸の内・汐留・品川はいまだに賑わっているのでしょうか?
どんどん変化していく街・東京。こんな街は世界でも珍しいんじゃないかな。
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ところで、これは今回歩き回っているうちに見つけた、とても不思議なものです。
コンクリートの土台の上に、表皮を剥かない木が乗っかり、
そのまた上に奇妙な傘が付いています。
どうも街灯の様です。
すごいオブジェですね。
こんなことで、少しでも自然を感じるとでも考えたのでしょうか?
よくぞこんな奇妙なものをずらっと並べるような企画が通ったものだと感心しました。
はっきり言って不気味です。
東京は不思議です。
昨日は朝から雨。車で出ました。
どちらかというと、山菜採りよりも道を覚えるためのドライブという感じです。
私の住む加子母は、一年前に中津川市に編入合併されました。
だからというわけでもないのですが、
一応新市の範囲は知っておきたいと思っていたので、
この機会に知らない場所を走ります。

最近の数ある合併の中でも、中津川市は唯一の越境合併の市です。
これまで長野県にあった山口村、馬籠宿で有名ですが、
この村が岐阜県入りして中津川市と合併したのです。
今回はそこまではいけませんでしたが、その手前の、
旧山口村に接している旧坂下町に向かいました。

ところが選んだ道は細くてくねった道でした。
一応国道ということになっているのだけれど、「冗談でしょ。」と思うほどです。
これだとうちの前の道の方が広いんじゃないのかな。
そして峠を越えるといきなり集落が現れました。
まるでチベットの奥地に来た気分です。

駅に向かいましたが、周辺の店や住居は斜面に張り付いているようです。
でもこのこじんまりした町並みはいかにも木曽路という風情があって気に入りました。
そしてよくよく地図を見ると、別アプローチからだとさほど苦労せずに辿り着ける様子。
要は私の選んだ国道が良くなかったらしい。帰りはバイパスで一気に戻りました。

それにしても新中津川市って広いな。
これでもまだ北半分をうろちょろしているだけです。
すべてを周るのは一日では厳しいかも。
これからは山菜探しもある程度的を絞って行こう。

ところで、岐阜県は大型合併が続きました。
飛騨市、高山市、下呂市。どれもかなり広いです。
高山市なんて大阪府よりも広いとか。
これで住民は一つの市という意識を持てるのかな?
市を「自分達の生活圏」と捉える発想を変えないといけないのでしょうね。
実現するはずがないと思っていた道州制も検討されているらしいし、
時代が変わってきているな、とこんなことからも感じます。
2006.03.06 地図を作る
昨日も車で山に入りました。
一昨日、ある沢の上流に狙いを定めていたのですが、
そこに着くまでにタイムオーバーになってしまいました。
だから今回は早目に現地に辿り着きたいところですが、
やっぱり道々の様子も気になります。
やがてある所でノビルを発見。まだ10cmほどの長さですが、初物です。
少しだけゲット。
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3年前の修行では、仙人から多くのことを学びました。
その一つ、「地勢と時間の二つの地図を持て。」というものがあります。
地勢の地図はすぐに分かりますよね。普段私達が目にする地図です。
どの場所にどんな植物が育っているか、既成の地図にプロットしたり、
頭の中で組み立てます。

「時間の地図」とはなんでしょう?
これは季節の移り変わりによって、
どこで何が採れるのかを比較しながら記憶しろということです。
例えば、2006年4月1日、標高500mのA地点でタラノメが採り頃だったとします。
すると、同じ標高のB地点で同じようにタラノメが採り頃ではないかと考えるのは
「地勢の地図」からの発想です。

ところが「時間の地図」を使うと、次のような読み取りをすることができます。
・あと数日で、標高700mのC地点も採り頃になるのではないか?
・同じ時期に採れるコシアブラやハリギリも期待できるかも。
・モミジガサはもう少し後の時期か、あるいはより標高の低いD地点を探そうか。
・昨年の4/1と比べてやや出が遅いので、他の早春ものも改めて狙ってみようか。
などなど。

つまり、早春から日を経るごとに、
そして標高の低い場所から先に暖かくなるという流れと、
各々の植物の生育スピードを組み合わせて思考するのです。
もちろん例年との比較もします。
桜前線のようなものですね。

この地図がどこにあるかというと、頭の中です。
そしてどうやったらできるかというと、当たり前ですが経験するしかありません。
それを補足するために、地図に記入したり、自分だけの地図を作ったり、
複数の本を読みます。
努力すればこそ報われます。

だから今回私が採った「2006年3月5日、F町の里、10cmのノビル」という基準値が、
私の頭の中の「時間地図」にプロットされたというわけです。
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そんな小さな出来事に喜んでいるうちに、途中、倒木が遮ったり、
道路面が大きく崩れたりして、そこそこワイルドな道に入りました。
そしてようやく目的に到着。とてもいい感じの沢です。
ここはまだ何かを採るという目的としては季節が早すぎるので、
2週間ほどしたらまたやって来よう。
そして車を停めて沢登りをしてみます。
少しずつ、少しずつ、自分だけの地図ができてきます。

携帯写真だからよく分からないですね。(腕のせい?)
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2006.03.05 山の新規開拓
昨日は朝5時半から出掛けて山に入りました。
一昨日に自宅の周りを歩いて、当分は何も出てこないと分かったので、
今回は車で遠出し、以前から目を付けていた、
ある町のなだらかな南斜面を目指しました。

自宅から約20kmほど国道を下りて現地に着くと、
気温も3~4℃ほど上がり植生も違います。
まず探すのは沢や、道端の崖に染み出す水です。
「新しい土地に行ったら、最初に沢を歩け。」と
仙人から受けた指導を思い出します。

そして面白そうな沢を見つけたら車を停め、沢沿いに育つ植物を観察します。
数ヶ所面白そうな場所を見つけましたが、むやみに歩き回っても効率が悪いので、
しばらくの間は車で大きく動いて大体の地勢を見ることにしました。
だから今回は深入りせず、どんどん次に進みます。

と、ある場所で急に視界が開けました。
大規模な伐採が行われていました。
どうなんだろうな、こういう一気に全て切ってしまうやり方って。
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私はまだ詳しいことは知りませんが、こんなやり方だと山が早く崩れそうな気がします。
やっぱり面倒でも間伐すべきじゃないだろうか。
でもおかげで下界や遠くの山々が綺麗に見えました。
左奥の雪をかぶった山は御嶽山かな?

その後、林道を下っていったら、袋小路に。
下り道でこういう目に会うとは意外なり。
おかげで結構時間を食って、そのまま帰宅しました。

当面の間はこういう作業が続くと思います。
土地の人に教えてもらう手もありますが、ここでまた仙人の教えが頭をよぎります。
「人から教えてもらうくせが一旦ついてしまうと、自分で見つける力が身につかないぞ。」

だから地道に自分で見つけるしかありません。言わば新規開拓です。
仙人だって全て自分で道を開いたんだから。
とても遠い道で厳しいけれど、楽しくもある時がこれから続きます。