昨日紹介した「私たちの将来ビジョン」を作成した当時、
私たちは丹波篠山で仮住まいをしていました。
その地域でビジョンを実現できる土地を求めていたのですが、なかなか話が進まない。
いい空家があっても、貸してくれない、売ってくれないということが続きました。

そうこうするうちに、カミさんの本音がポロポロと出てきました。
「篠山は都会だ。もっと田舎(山)がいい。」
「できれば実家のある岐阜に近い方がいい。」

その気配を感じ、
「では少しずつ岐阜に近づきながら、探す範囲を広げようか」
ということになりました。
京都の美山に始まり、福井の小浜、滋賀の鯖街道、伊吹山、
そして岐阜に入って白鳥、山県、郡上と探し回りました。

その度に「将来ビジョン」をチラシの様に配り、
「このビジョンを実現できる場所を探しているのです。」と訴えて回りました。
そして運命の時、2004年5月後半に加子母にやってきて、
トントン拍子に話が進み、今の土地と家に出会ったわけです。

その後の動きについてはブログでいろいろ書いていますので省略します。
さて、この二年半を振り返ってみて、
随分とビジョン通りにできてきたなぁと思います。
また、思うようにできていないことも多々あります。

できていないことの原因は環境の変化です。
まず、子供ができました。
ビジョンの中でも子供ができることは想定していましたが、
それが日々の暮らしにどう影響を及ぼすかは分かっていませんでした。
そして現実には育児に相当な時間とエネルギーを取られることが分かりました。

これは決して負担ではありません。喜びです。
でも現実に他のことが思うようなペースでできません。
つまり「子供ができたらどんな暮らしになるか」
というイメージができていなかったのですね。
そしてこの先「あと二人」なんてことを希望していますので、
育児はまだしばらくの間続きます。

そして私にとれば、「これからどうやって家族を食わせていくか?」が
より現実味を帯びてきました。
要はどうやって稼ぐかです。

子供ができる前は「どうやったって食っていけるわい。」とうそぶいておりましたが、
いざ家族が増えるとそうはいきません。
全ての子供が成人するまではやっぱり親の責任ってあるよね。
こんなことも当時はあまりイメージできていませんでした。

その稼ぎについてですが、この「ビジョン」を作った時に比べて、
より具体的な「稼ぎ方」が見えてきました。
現在私は、主に
①文化事業を進める業務
②システム化・IT化に関わるコンサルティング業務
③ISO認証に向けてのコンサルティング業務
の3つに関わっています。

これに加えて、家の改修や田畑仕事、山菜やキノコ狩り、
祭りや会合などの地域の行事参加という「田舎暮らし」もしているので、
「二足のわらじ」どころか、何足ものわらじを履いています。
つまり、ビジョンを作成した時に比べて、とても具体的な場面にいます。
そのような中で、「時間」と「金」と「エネルギー」の配分が問われています。

例えば「来春に店を出す」と言い続けていますが、
最近は土日にISOコンサルティング業務が入るようになってきた中で、
本当に店のやり繰りができるのか?食材を確保できるのか?

このような現実の状況を踏まえた上で、
それでも夢を見失わずに「自分達はこうありたい!」というビジョンを
再構成する必要が出てきました。
大事なことは、
「食うために」と言う名の下に夢を諦めるような、
本末転倒にはなりたくないということです。

「私たちは何をしたいのか?」
「どう生きたいのか?」
「どうやったら生きていけるのか?」
これらのことを改めて考え直す時期がやってきたように思います。

この作業、簡単にはまとまらないと思います。ひと冬かかるかもね。
でも、こういうことを夫婦でじっくりと考え、話し合うことって大切だと思うのです。
ですから、これからぼちぼちと話し合っていきますが、
同時にぼちぼちと経過を伝えていくことにしますね。