保健所も無事クリアし(したはず)、ようやく店づくりが本格化しております。
「衛生管理を徹底するぞ!」と繰り返す私に、
「育児だけでも大変なのに、果たしてやりきれるだろうか?」と、
少々心配気味なカミさんです。
でも「食」を預かる商売をする以上、衛生管理は生命線です。
ここは頑張りどころと捉えて、何とか続けていかねば。一緒にやろうな。

そんな最中、わらべ村の「アースマーケット」に出店するかどうか?
という話題になりました。
美濃加茂市の「わらべ村」は、老舗の自然食品&ナチュラル雑貨の販売店です。
そこで毎年5月末に行われるアースマーケットは、
言わばナチュラル系の人たちの一大イベントです。
かの中島デコさんも出店していた時がありました。

過去2年、見学するだけだった私たちですが、
「店を始めるようになったら、是非出店したいね。」と話していました。
今年は5月26・27日に行われるそうですが、さて出店するかどうか?

私は、当初、「拠点の店がオープンせず、準備も営業経験もないうちに、
外のイベントに出店するなんてまだ早いでしょ。」と感じていました。
でもその話をすると、途端にシュンとしてしまったカミさん。
もっと軽いノリで「出せたらいいな」と考えていた様子です。

そこで私も考えを改めました。
「そのイベントに出店するつもりで、それに合わせて段取りを組むことで、
かえって準備が進むのではないか?」と考え直したのです。

ではと、カミさんと作戦会議です。これから何を詰めていくか?
・当日販売する商品と、レシピの確定
・試作と、試し販売の予定組み
・包装形態、商品ラベルデザイン、表示ラベルデザインの検討
・メッセージカード(あるいは名刺)、ちらしデザインの検討
などなどを考えていくことにしました。

これらは商売しようとしたら、どっちみちせねばならない事です。
だから、お尻(の日程)が決まっている方が、むしろ前に進めるでしょう。

また、話し合ううちに、
「コーポレート・デザイン」の検討が必要だねということになりました。
例えばトヨタなら三つの円を重ねたマーク、森永製菓のエンゼルといったものや、
一筆書き調のグリコのロゴマークといったものです。
この基本デザインをカミさんに考えてもらうことにしました。

そしてついに本店(大げさな)の仮オープン日を決めました。
4月1日(日)!エイプリルフールです!
この日だと、本当にオープンできなくても冗談で済むでしょ?
という訳ではありませんが、
これから準備していくのに順当なところかな?という時期です。
山菜も真っ盛りでしょうから、食材を賑わすこともできるでしょう。

ということで、これもまだ仮ですが、初日にオープニング・パーティをやろう!
などと大胆なことも言い出しております。
とは言うものの、あまり大げさには考えていません。
身近な人が三々五々来てくれて、駄弁って過ごせればなんてイメージしています。
とにかくスタートのキリをつけましょうということだけですので、
実際にはそろりと始めたいです。

でも、ついに発表してしまったぞ。
さて、粛々と準備を進めましょうか。
昨日の朝はクレソン狙いで出かけました。
昨年見つけた採り場に着くと、ありました!
想像していたよりは少な目だったけれど、しっかり採取。
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夜は先日届いたソーセージに付け合せて、腹一杯いただきました。
う~ん、美味い!U太も親の真似して、顔をしかめながらも食べていました。
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ところでこのソーセージ、
先日紹介した時にお問い合わせをいただきましたので、改めてご紹介します。
実は売っているのです。製造販売元は『源ファーム』と言います。
こだわりの製法で作られたソーセージ。最高に美味いです。
私は「日本一」の称号を授けます。是非お試しを!
何がすごいかって、商品の表示ラベルをご覧あれ。
このラベルを見て驚かない人は、最近の食肉加工情勢をご存知ないです。
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ただし、難点が一つだけあります。
北海道から取り寄せるので、送料が高いのです。
半端な量を注文すると、送料の方が高くなるほどです。
こういう時の解決策はたった一つです。それは、「たくさん買うこと」です。
ということで、興味を持たれた方はご近所と声掛け合って、まとめ買いしましょう!
「岐阜の人のブログを読みました。」と言えば、
サービスしてくれるかどうかは分かりませんが、
きっと愛情込めて送ってくれるでしょう。


さてクレソンの話題に戻って、実はこいつら、根付き方がちょっと変です。
育っている場所は明らかに公有地の、水が流れる土地なのですが、
しっかりと根付いてはいません。
どちらかというと「たまたま水の流れがよどむ場所に引っかかっている」様な感じです。
だから引っ張ると根っこごと抜ける様に取れてしまいます。

そういえば、このずっと上流で、クレソンを育てている人がいました。
ということは、その方のクレソン畑から流れてきた根が、
たまたま水がよどむ場所で引っかかって大きくなったということ?

こういうのって、「野草」と呼べるのだろうか?
以前飼われていたものが野に放たれて野生化したという意味では、
確かに野草かもしれないけれど、
もしかしたら「野草歴数ヶ月」かもしれない。
どうも微妙だな。養殖マグロみたいですが、まぁ良しとしましょう。

今回、食べられるところだけを残して、
根の部分はうちの庭の水気の多いところに置きました。
うまく根付けばいいな。これは栽培そのものですけれど、これも良しだ。

ところで、今回、セリの群生地を二ヶ所見つけました。
まだ小さかったので採りませんでしたが、見て思ったのは、
「きちっと水耕田を作って、それから移植した方がいいな。」ということ。
昨年は空いていた湿地にセリやワサビを移植しましたが、もう既に空きがありません。

湧水は裏山から出ているのですが、それをきちんと田に引く道ができていないのです。
「これは湧水の採り口から、きちんと整備しなさいということかもしれない。」
元々今年の大きなテーマに挙げてはいましたが、俄然その気になってきました。
ただまだ水は冷たいので、今は無理ですが、
仕事が落ち着くであろうGW後からぼちぼち始めますかな?
そこで募集です。
「湧水を引いて、水耕田や岩魚の池を作りたい人、集まれ!」
以前、「木工作家・大橋義博さんが遺した材を活かしたい」ネタを書き
経過報告も少し書きましたが、その後の動きです。

昨日、弟さんご夫婦と再び会いました。今度はカミさんとU太も一緒です。
話はしていたけれど、実際に大量の材を目の当たりにしてカミさんビックリ。
こればかりは本物を見ないと臨場感が伝わりません。

さて今回の面談では、これまでの経緯とポイントとこの先の方策について、
収支計画も含めて私の方で簡単な検討資料を作っていきまして、
ざっくばらんなお話をさせていただきました。
細かい事情についてこの場では書けませんが、結論としては次のようになりました。

・早い時期に材と機械類を処分し、倉庫と工房を解体する。
・儲けるつもりはないが、全体でみてマイナスが出ないように努力する。
・義博さんのメモリーをどう表現するかは、全てが片付いてから改めて検討する。
そのため、残された作品は売却せず、全て保存する。

とにかく、諸々の解体費用が結構かかりそうです。
このままでは相当のマイナスを覚悟せねばなりませんので、
僅かでも収入確保が命題です。

そして材の処分方法ですが、これまでは、「要る材だけ持って行って、
要らない材が残されるのは困る。一括で持って行って欲しい。」
とおっしゃっていました。
しかし全体で4t車10台分以上ありますので、
それだと個人や中小の業者さんでは対応できません。
そこで「価値のある材の売却」と「価値の無い材の廃棄」を分けて考えることを提案し、
了解いただきました。以下の手順で段階的に進めていくことにします。

①材の価値を見出してくれる木工作家やグループを探し、売却交渉する。
各方面に声を掛け、基本的に早い者勝ちとする。
②その後、製材業者さんを呼び、残った材のうち価値のあるものを買い取ってもらう。
③買い取り後に残された材については、
本当に価値のないものから順番に、焚き物(薪)として処分する。
④まだ僅かでも価値が残っていると思われる材については、少し加工した後に、
ネット・オークションや、私の店などでの預け売りで「古材」として販売する。

地元はもちろん、最初のブログ掲載時にアドバイスいただいたところも含めて、
これから木工作家へのアプローチを開始します。
(ということでshappyさん、伊那の方と話をつないでくれませんか?)

ちなみに、今回の件で相談料の申し出がありましたが、
私は一銭もいただくつもりはありません。
義博さんの生き方を意気に感じ、その巡り合せに感謝し、
出会うことなくすれ違ったことを残念に思い、
今回相談を受けたことに対して礼儀を尽くすだけです。
そして、最後の最後に残った、
価値のない焚き物用の材を少しいただければありがたいと考えているだけです。
今回の出来事がきっかけに、お金以上に得るものが多かったですからね。
それで十分です。

そして今は、
「関係する人々にとって、何とか良い方向性が見つかればいいな。」と願うばかりです。
古材の良さを受け止めてくれる作家さんが現れるかどうか。
関心を持ち、見に来てくれそうな人がいたら、是非ご紹介ください。
(例えば、飛騨のオークビレッジの方をどなたかご存知ではありませんか?)
宜しくお願いします。
分かってはいたんですよ。「もう春だ」って。
だって周りは結構緑色ですからね。
でも見て見ぬ振りをしていたのです。「仕事が忙しいから」って。

でもね、道端でこういうのを見かけたら、つい採りたくなりますよね。
特に花が咲く直前の締まったヤツ。
こいつの天ぷらを食った瞬間に、はじけました。
「山に行かなきゃ!」
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ということで、行ってきました。今年初の山菜採りです。
とは言うものの、今回は主に調査です。
昨年のブログを見直しながら、まずは定点観測の場所へ。
すると、ノビルが10数cm。なるほど、昨年より約2週間早いかな?
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道端も早くもいろいろ出ています。
これはヒメオドリコソウ。もうつぼみが出ている。
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ニンジンみたいなシャクも若芽が出ています。
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ではと、この辺りでは一番日当たりの良い場所に行くと、
ありました、十分に成長したノビルです。
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今回はこれだけに絞って持ち帰り。
軽く下ごしらえすると、う~ん美味そう。思わず生のままかじりました。
臭いけれど美味いです。腹が洗われそう。
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この後、火がついた様に畑へ。
元々あった大きな3株のウドを、昨年20株に分けました
そいつらは順調に成長し、さて今年はどうなったかな?と掘ってみると、
やっぱりもう芽が出ていました。
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慎重に全て掘り返して、また株分けします。
今年は合計56株になりました。
一株平均2つの芽が出ていますので、100本以上にはなりそうです。
これで今年は「ウドのかぶりつき」ができそうです。
味噌をつけて食うと美味いんだな、これが。

庭のコンポスト脇には、私の大好きなタネツケバナがたわわに育っています。
こいつはワサビの香りがしてとてもよろしい。
お昼も、むしりながらいただきました。
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一方、鶏のピーチャンらも元気です。
(カミさんは「こっこちゃん」と呼んでいますが。)
暖かくなって、ようやく卵を産むようになりました。
早速目玉焼きにしてご飯にのっけ。プリンプリンしています。
甘くて美味い!
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手持ちの自ビールが減ってきたので、仕込みもしました。
ペット用カーペットの上で、毛布に包まれて熟成中のビール。
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泡もしっかり立っています。今回はイギリス製のドイツ・ピルスナーです。
さてどんな味に仕上がりますか。
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そうこうするうちに、北海道の友人から手作りのソーセージが届きました。
今回は自信作とか。
ではということで、ショウゴ君一家をお呼びして一緒に賞味。うんまい!
添えたタネツケバナとも良く合います。もちろん自ビールにもピッタリ!
持ち込んでくれた大吟醸やブリの柵もとても美味し!
カミさん手作りのフキミソや、ノビルの味噌添えもよろし!
とてもとても贅沢な夕食でした。
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ということで、物事が動き始めました。
何だか春が始まったような気配です。
2007.02.24 久々の温泉
「2月中の金曜日は、下呂の温泉が無料だから行こうよ!」
とカミさんにせがまれて出かけました。
ご近所のえびカニさん母娘もお誘いして、「善きかな号」で出発です。

向かった先は、「飛騨川温泉・しみずの湯」
昨年、この辺りは植樹祭で天皇がやって来たとかで大騒ぎだったとか。
着いてみると、無料の日は終わっていて、これはまぁご愛嬌ですが、
それはそれとして結構良い風呂でした。

実は私にとればリベンジの温泉でした。
と言うのは、怒涛の仕事ラッシュの後、
水曜の夕方に「よし、温泉行くぞ!」
と気合を入れて行った付知の温泉が臨時休業しておりまして、
全くガックリして帰宅しておったからです。
だから、有料だろうが何だろうが、
とにかく温泉でゆったり過ごすことが最大の課題でした。

以前にも書きましたが、私は「サウナ→冷水」のクールを繰り返すのが大好きです。
7クールで1kgダウンが、目標ペースです。
今回もそのペースを目指しましたが、
あまりに久しぶりだったためか、4クールでフラフラ。
それでも0.8kgダウンしたので、良しとしましょう。
ただしサウナが混んでいたので、
大好きな「寝ながらサウナ」ができなかったことだけが心残りです。

ところで、私が「温泉」と言えば思い出すのが「ほったらかし温泉」です。
山梨市の山中にあり、遠くに富士山を臨み、下界を見下ろしながらゆったりと入れます。
その醍醐味は、何と言ってもその名の通り
「ほっとかれている」様な感覚の風呂場です。
脱衣場を出ると、そこはまるでヌーディストビーチ!みんな裸です。(当たり前か?)
360度開放された空間で、素っ裸で歩くと、とても不思議な感じがします。

画像いただきました。
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私が大好きだったのは、「ぬる湯」です。本当に低い。
その湯に立てかけてある、半畳ほどの石にもたれかけ、
下界を眺めながら湯に1時間ほど浸かっていると、
別世界に行ったような気分になります。

この「ほったらかし温泉」、個人が博打的に穴掘って出てきたらしく、
できて以来人気沸騰で、そのお陰か、いつも拡張工事していましたが、
久々にHPを見たら、新しい風呂もできたとか。
また行きたいなぁ。
そんなゆったりとできる時を早く作りたいものです。
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営業許可申請を受けて、昨日、保健所が検査に来ることになりました。
ということで、朝から大掃除であります。
実は一週間前から段階的に掃除してきました。
グリーストラップという下水管につなぐ手前の槽なんて、
設置してから9ヶ月経っていましたので、もう汚いの臭いのって!(書くことないか)

そうやって着々と「Xデー」に備えてきたわけですが、
それでもいざ当日を迎えるといろいろあるものです。
「エプロンがいるぞ!エプロンが!」「そういや三角巾やマスクも要る?」
「手洗い場にタオルを掛けておいた方がいいかな?」・・・大わらわです。

一方、私たちが掃除や片付けに集中していると、
U太が「もっと構え~!」とわめき出しました。
カミさん、あえなく途中からリタイヤ。
仕方あるまい。ガンガンに片付けモードに入る私。
「検査に行きます。」と言われていた時刻の30分前に準備完了。
さぁ後は何でも来い!ってな気分です。

実は保健所検査そのものは大したことはないと読んでいました。
これまでに何度も相談に行っていたし、
周りの店と比べても遜色ないレベルになっていると自負していました。
それでも敢えて片付け&掃除に燃えたのは、「これを習慣にしたいから」。
「お客さんが来ると掃除する」って言うじゃないですか。そのノリです。
「保健所が見ても問題ない状態」にいつもキープしておきたい。
その意識と行動を維持するために、気合を入れたわけです。

さて通知時刻ピッタリにやって来た保健所さん。
地域の食品衛生協会の方2名も一緒に来られました。
厨房に入って、一つ一つチェックしますが、全くクレーム無し!
同行した方々も感心した顔つきでした。えっへん!
ということで、5分で終わった検査。全く何事も無く済みました。
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いやぁ、嬉しいですね。
思い起こせば長い道のりでした。ブログ掲載日で振り返ると、
昨年の2/15 厨房リフォーム計画本格的に。でもあれこれあって、どうまとめる?
3/21 保健所に相談。ようやく具体的になってきた。
3/24 基本プラン始まる。やれやれ。
5/1 厨房機器買出し。大わらわでしたが、いい買い物できた。
6/11 旧厨房解体。前は本当にひどかったなぁ。しみじみ。
6/26 リフォーム着々。いい感じだぞ!
8/20 ほぼリフォーム終了!

その後、何故今まで遅れたのかというと、
保険を通すに必要な細かい残工事(作業)に手間取ったことと、
夏から秋にかけは「笛」のおかげです。
秋祭りに向けて集中していたので、他のことはストップしました。
そして「薪ストーブ。晩秋はこいつの話題一辺倒でした。
そうこうするうちに冬が来て、何故か仕事が忙しくなり、家に関して思考が止まり、
いよいよ年が明け、「3月までに申請せねば!」モードになったのです。

というのも、3月になると、隣の畑で糞がまかれます。
すると一斉にハエが出てくるのです。
だからその前に許可を取る必要があったわけです。
正確には週明けに許可証が出るそうですが、まず問題ないでしょう。

ようやく、本当にようやく「もりのいえ事業部」が開始し、「店持ち」になりそうです。
何よりもここはカミさんの土俵(居場所)です。
この形になるまで、二人で本当に何度も何度も話し合いました。
どちらかというとせっかちな私についてきてくれたカミさん、ありがとう。
そしてこの土俵で気持ちよく過ごしてもらえたらいいな。

そして私は、気分的にも「春が来た!」モードになりました。
今年の第二ステージに入ったという感じです。
山菜採りに、田畑の整備に、キノコの植菌に、湧き水の整備に、・・・
やりまっせ!
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今週前半は、怒涛の日々でした。
月曜は朝5時から夜10時まで、打ち合わせ3本入れて動きっぱなし。
火曜は4時半起床で大阪へ出張。
クライアントの意向でその日のうちに横浜に移動することになり、
最終の新幹線に飛び乗って缶ビールと駅弁でささやかな夕食。
桜木町のホテルに入った時は日付が変っていました。
水曜は9時から鎌倉で打ち合わせ。
帰りの新幹線でレポートを作成し、その日のうちに加子母に戻ってきました。
さすがに病み上がりにはきつかったですが、何とかこなせてほっと一息。
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最近はこんな動きをすることが増えたので、名古屋駅はよく通過します。
その際の楽しみは駅のホームの立ち食い「きしめん」です。
大阪生まれの私は、若い頃は「麺と言えば『うどん』でしょ!」派だったのですが、
その後上京し、蕎麦の味を知り、やがてきしめんにも出会うことになりました。

初めてきしめんを食ったのは名古屋ではなく、有楽町でした。
駅前のくせに何故か野暮ったい「交通会館ビル」というのがありまして、
そこの地下にあるカウンターだけの店に、上司に連れられて行ったのが最初です。
24年前のお話ですが。
その時に「太い麺のくせして、意外にいけるな。」とは感じたものの、
しばらくは縁が切れておりましたが、今や楽しみにしているのだから
時の流れは面白いものです。

その名古屋駅ホームきしめんですが、各ホームに店舗があります。
聞くところによると、通は「何番ホームが美味い」と通っているそうですが、
私はいつも、「電車が着いたホームの店」に入るだけです。
でも確かに店毎に味が違う。

最初のうちは何故だか分かりませんでしたが、
最近になって一つの法則が見えてきました。
それは、「人によって違う」のです。
同じチェーンのお店で、同じ調理システムでも、
店員によって動きが違うのじゃないかと気づいたのです。

麺はどの店も同じ冷凍麺ですから、素材は同じ。
茹でるタイミングが違うかもしれませんが、
立ち食い店の場合どこも早さ勝負仕様ですから、それほど差が出ることもない。
でも、美味い店の「人」はそれ以外のところでポイントを稼いでいたのです。

例えば、
・出汁の鍋はどこも火をつけっぱなしなのですが、
ある人はマメに味をみて、煮詰まらないように注意しています。
・また、きしめんと言えば天ぷらですが、
その人は事前に軽く揚げしていて、注文を受けてから二度揚げしてくれます。
だから食べる時にはカリカリです。

そして先日、その「人」に当たりました!
見ていると、その人の動きはテキパキとしていながらもゆとりがあります。
店の雰囲気もゆったりしているように感じます。

もう一つ気づいたことがありました。

お客さんが食って出て行く時、
(たいていの場合、無愛想に出て行く客が多いのは不満でして、
私はいつも大声で「ごちそうさま!」と言って出ていくのですが)
ほとんどの店員は「ありがとうございました!」と声を掛けます。
でもその人は続けて、「いってらっしゃいませ~!」と言うのです。
大事だなぁ、こういうの。心のゆとりがあってこそだと思います。
自分達の店づくりにも参考になります。
偶然かもしれませんが、一昨日は駅員も二人、楽しげに食っておりました。

この「人」、少し茶色に染めたパーマの、小柄な方ですが、
残念ながらお名前は分かりませんでした。
特徴をしっかりと覚えておこうと、
マジマジと見つめる私を不気味に感じたかもしれません。
またいつか会えますように。
ちなみに一昨日は7番ホームにいらっしゃいました。
2007.02.21 またも再会編
いきなりオゲレツな話で恐縮ですが、
大阪には次のような歌詞の歌が語り継がれております。

♪大阪なんばの高島屋♪
♪透明パンツの売出し中♪
♪安くて薄くてよく見える♪
♪ねえちゃんいっぺんはかしたろか?♪
♪はくのが嫌なら脱がしたろか?♪

タイトルはそのまんま、『大阪なんばの高島屋の歌』です。
大阪のガキは、この歌を大声で歌いながら、なんばの街を闊歩したものです。
ホントですよ。
地域によって多少メロディや歌詞が異なりますが、
初めて会った者同士でも一緒に歌いだすことができる歌なのです。

何を言いたいのかと言いますと、
なんばの高島屋が地域から愛されているということです。
そして昨日、ふらふらとその店に入った私でした。
元々はある調査で「道具屋筋」と呼ばれる厨房関係の問屋巡りをしていたのですが、
高島屋の前を通りかかった時、
ふと「もしかしてここに探し物があるかも」と思ったのです。

エレベーターに乗り、6階に到着。
私が降りると、そのフロア-で待っていた女性が入れ違いに乗り込んできました。
その女性を見て、「あれっ?」
「もしかしてあの人?」

よく似た状況を数日前に経験したばかりなので、まさかと思いましたが、
確かに「あの人」だ。でも咄嗟にお名前が出てこない。
仕方がないので、「う~う~」言いながら、
エレベーターに乗った彼女を見つめておりました。
本当に知人だったら、相手も気がつくだろうと思ったからです。
でもその人は私の視線に気がつきニコリとして、
「下に行きますよ。」と声を掛けたきり、ドアを閉めて行ってしまいました。

ここで止めておけば良かったのですが、何だかひっかかりました。
だってその人は陶芸家で、私が降りたのが陶芸売り場のあるフロア-だったんだもの。
そこで傍にいた店員に「今、何か陶芸の企画展をしていますか?」と尋ねてみました。
「やっているとしたら、この辺りですが・・・」と案内されたコーナーで、
いらっしゃいました。
同じく陶芸家でご主人の村岡修至さんでした。

修至さんと奥さんの由梨さんは、1990年に八ヶ岳に移住し、活躍されている有名人です。
私は八ヶ岳に移住する前からお二人の工房を何度も訪問し、
移住後も何かとお世話になりました。
何と言っても、私が陶芸工房を開く時に指南してくださった「先生」でもあります。

でも私が八ヶ岳を降りてからお会いしていませんので、4年ぶりかな?
聞けば、昨日は企画展最終日だったとか。
ギリギリのタイミングで会うことができたのですね。
それにしても、由梨さん!私があんなに見つめたのに、何ですか!水くさい!
もっともスーツ姿の私なんぞ見たことなかったでしょうからね。
まさかと思われたのかもしれません。

同級生との四半世紀ぶりの再会といい、
「ふらっと」入ったところで知人に出会うことが続きました。
この「ふらっと」感覚が大事なのかも。何かを暗示しているのかもしれません。
今度はどんな出会いがあるのかな?
ご機嫌U太
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最近の我がブログを眺めていて、あることに気づきました。
「画像が無いではないか!」
ということで、お決まり・画像付き親馬鹿ネタであります。

まずは先日の親父との会話から。
私「あのな、U太は僕が帰宅すると真っ先にドアを開けてくれるんやで。」
親父「ほう、U太は他の子とは違うなぁ。」
「ほんでな、僕が咳をしてたらな、遠くにいても近づいてきて、僕の胸や背中をトントン叩いてくれるんやで。優しいやろ?」
「ほう、やっぱりU太は違うなぁ。」
「こないだなんかな、食事中に僕のおかずが欲しくなって、身体を伸ばしながら机の上に這い登ろうとしたんやけど、『U太、机の上に登っちゃ駄目だよ。』とたしなめたら、ピタッと動きを止めて元に戻ったんやで。」
「ほう、やっぱりU太は違うなぁ。」

これはもう相当親馬鹿&爺馬鹿が入ってますが、最近また新ネタが加わりました。
いつもはソファーに這い上がるように登っていますが、ある時、真っ直ぐ足を上げて登ろうとしていました。
でも流石にまだ足が届かない。
すると、傍にあった木の箱を持ってきて、踏み台にして登ろうとしたではないか!
・・・驚くことはない?サルでもする?

じゃあこれはどうだ!
U太は「待て」ができるのです!
犬じゃないんだから、「待て!」は変かもしれないけれど、本当なんです。
これが証拠です。
夕食を前に、全員が食卓に揃うまでずっと待っているU太です。
私はただ「U太、お父さんとお母さんのご飯が来るまで待っててね。」と言っただけです。
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待つこと2分。ようやくみんなの仕度が揃い、一緒に「いただきま~す!」
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そして食後はお皿をお盆に重ねてくれました。
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どうです!やっぱりU太は違うでしょ?
新しい出会いが増え、つながっていく様(さま)に最近よく遭遇します。
今回もありました。

まず、故大橋義博さんが遺した材をどうするかという話がありました。
この話を、懇意にしているN社長に相談したところ、
材を販売する店の店長と、製材業者さんが見に行ってくれました。

ところが厳しい答えが返ってきました。
・4t車10杯以上ある材のうち、価値があるのは僅か。
・残りは全て廃棄するしかない。その廃棄代に結構かかる。
・また、材をどかせると倉庫はつぶれる。倉庫の撤去代もかかる。
・機械類はまだ使えそうなものもあるが、それらを売却してトントンというところか?
という結論でした。

話は変って、先日地元の銀行主催の場で、私がお話する機会をいただきました。
その中に、建築設計事務所を経営するタイスケさんという方がいらっしゃいました。
タイスケさんのお父様は早川謙之輔さんとおっしゃり、
人間国宝・黒田辰秋氏の薫陶を受けた
「現代の名匠」と呼ばれた木工家だったそうですが、一昨年に亡くなられました。
また謙之輔さんは義博さんの師匠でもあったそうです。
そしてタイスケさんは義博さんを兄のように慕っていたとか。

さて義博さんが遺した材について相談を受けた私としては、
状況を整理して方向性を提案する礼儀があると考えています。
ビジネスライクに考えるか?あるいは情を大切にするか?
私のブログに対していただいたコメントにも有意義なヒントがありました。
そこで今回、まずは「木工家の気持ち」を感じとりたくって、
ご自身も木工をやるというタイスケさんに相談することにしました。

昨日、お弟子さんと一緒に来られたタイスケさんと、いろいろ話しました。
謙之輔さんや義博さんのお人柄について聞く度に、
会わずにすれ違ってしまったことが残念でなりませんが、こればかりは仕方ない。
材の件は、おかげで私なりに考えもまとまってきたので、
近々弟さんご夫婦とお話させていただくことにします。
貴重なアドバイスをありがとうございました。

ところで、私たちは物販用の部屋をどうするかと思案しておりました。
地元の業者さんに見積をお願いしたところ、
「とんでもございません!」という金額です。
私たちはもう「すっからかん」ですからね。
(だったら見積なんか取るな!と言われそうですが。)

「いよいよ自分達で材も探して、やるしかないかな?」なんて覚悟していたのですが、
ちょうどタイスケさんたちが来られたので相談してみました。
すると、「工夫すればもっと安くできますよ。」
そして、「やり方を教えるので、masanも一緒にやればいい。」とのこと。
実は、「プロに教えてもらいながら、自分もやる」パターンを昔から願っていたのです。
夢が叶うことになりそうで、思わず顔を見合わせる私たち。

実際にどういう風に仕上げるかですが、私からお願いしたのは一つ。
「綺麗に仕上がらないようにしたい。」というものです。
カミさんは「楽しみながら作りたい!」という希望。
そして、「カミさんの食事と、私の自ビール付き」という条件を加えました。
二つ返事で了解してくれたタイスケさんとお弟子さん。ありがとうございます!

ということで、いろんなご縁が重なり、つながってきました。
コトが進む時って、こんなものですね。
先日の救急車騒動が好評をいただいたからという訳ではありませんが、
またしても「病」ネタです。

先日運び込まれた瑞浪の病院からの招待状を持って、近所の医院に行きました。
受付で、「先日、尿管結石で・・・」と説明し始めたら、
「はい、みんなでブログ読んだので知ってますよ。」と明るいご返事。
そう、そこは瑞浪で出会った先生のところだったのです。

診察室で再会。「先日はど~も~。」と、和やかに始まりました。
先生「ところでね、あそこの救急隊員に指導したのは私でね、
『嫌がられても、とにかく質問し続けろ!』と言っていたのです。
だから気分を害したとしたらすまんね。」と、言い訳わけわけ。
「いえいえ、『意識がはっきりしているかどうかの確認もしているのだろう』
と思っていたから大丈夫ですよ。」
こうやって、ブログ内容を介して会話が進むケースが、最近増えてきました。

そしてまたこんな会話も。
先生「あんた、大阪の人かい?大阪のどこだ?」
私「天王寺の生まれです。
先生「私は天王寺中学だ!」
私「あ、でも幼い頃に藤井寺に越して、両親はそちらにいます。」
先生「俺の親は河内松原(藤井寺のすぐ近く)だ!どこまで私の後をついて来るんだ!」
そんなこと知るか!
でも、先生も私と同じく、しょっちゅう大阪に行くらしいので、
今度は向こうで会ったりして。
いずれにしても、深いご縁で、この先ここが「かかりつけ」になりそうです。

そんなこんなで診察以外の会話で盛り上がっておりましたが、
私は実は気になっていることがありました。
2/5にインフルエンザになり、薬をもらって翌日には熱が下がり、
ほどなく治ったかに見えたのですが、何故か咳と痰だけが止まらない。
というよりもひどいです。
特に緑っぽい大きな臭い痰が一日に何度も出ます。
最近は色も臭いもましになってきたけれど、まだ残っています。

そのことを話した途端、先生の目が少し曇ったのを私は見逃しませんでした。
「そうか、尿管結石よりもそちらの方をしっかりと治そうな。」
何だか神妙です。
「インフルエンザの後遺症かもな。ふむふむ。」
おいおい、歯切れが悪いな。何だか妙だぞ。
咳と痰を治すのにしては気合の入った処方をされ、
「しばらくは体力勝負ですよ。頑張ってください。」と送られました。

怪訝に感じながらも指導通り過ごしていますが、
昨日、ニュースで「タミフルを飲んだ中学生がビルから落下して死亡」
という記事を見つけました。
私も今回インフルエンザになった時、タミフルを飲みました。妙な予感。
そして昨晩、笛の練習の際にカツシ師匠がこんな話をしてくれました。
「僕の友だちがタミフル飲んで結石になって、今でも泌尿器科に通っているよ。」
ガーン!もしかして、もしかして・・・

そそくさと帰宅し、調べまくりました。
「タミフル 後遺症」「タミフル 副作用」「タミフル 結石」「タミフル 痰」
・・・
いろいろ調べた結果の一部を並べます。

・6歳 女の子 2005年2月10日高熱。診察、検査してインフルエンザB陽性、タミフル5日間服用。15日咳が止まらず痰が多く再診。肺炎と診断される。

・タミフルの服用によって熱が下がっても、気道分泌物(痰など)からのウイルス放出は続いており、咳やくしゃみでまわりの人にうつす危険性があります。

・主な副作用は腹痛、下痢、吐き気で、量が多いと、ふらつく様なめまい感があります。肺炎の他、意識障害などの精神症状が現れることもあります。

・主に尿中に排泄されるため、腎臓の悪い人では急性腎不全をおこしたり、過敏な人では血小板減少などが起こることがあります。

・腎臓機能に問題のある人は、タミフルの排出が遅れる可能性があるので、医師にその旨を伝えることが必要です。最悪の場合、急性腎不全になる可能性があります。

私の症状と関係があるような、ないような。
どちらかと言うと、このタイプの文章が多かったです。

・タミフル(オセルタミビル)の添付文書には、「精神・神経症状(頻度不明) 精神・神経症状(意識障害、異常行動、譫妄、幻覚、妄想、痙攣等)があらわれることがあるので、異常が認められた場合には投与を中止し、観察を十分に行い、症状に応じて適切な処置を行うこと。」と書かれてある。

・厚生労働省安全対策課も死亡例の一つを副作用として把握しており「異常行動の結果、事故死する可能性もある」としている。

変ったところでは、こんなのも。

・タミフルの製法特許のかなりの割合をアメリカの前国防長官のラムズフェルド氏が持っているという話は有名で、以前のタミフルフィーバーでかなりの利益を手にしたと報道されました。

私が一人で早合点して結論づけることはしないでおきますが、
もしかしたらこういうこと?
「インフルエンザにかかった→タミフル飲んで熱は下がった
→もともと気管が弱いこともあり、いつまでもウィルスが残っている
→実は腎臓も強くはなく、タミフルの排出が遅れている→結石にも影響?
→いまだにウィルスの残党がいて、そのせいで咳と痰が止まらない?」

あれこれマイナスに連鎖想像しても人生つまらんので、これ以上はしませんが、
ただただ家族に移すのだけは避けたいところです。
三年前に肺炎になりかけたこともあるしね。

今回、タミフルを飲んだこと、
もちろん処方されたことについてとやかく言うつもりはありません。
ただ、何かと話題のタミフルについて、
あまりにも自分の知識が浅かったなと反省しております。

私は病になった時、
「薬を使ってでも最悪の状態は脱して、その後は自然治癒力で治す」派なんだけれど、
今回の様に後遺症で悩んでまた薬を飲むようなことになると、ちょっと考えてしまいます。
とにかく自分自身の免疫力を高めなきゃね。
昨晩、「ケベック交流会第1回理事会」なるものが開かれ、
私も呼ばれて行ってきました。
その会場が「タッチ」という店だったのですが、
地元の人間がその名を聞けば、
「成程、『会』の名を語った飲み会か。」と納得してしまうような状況です。

実際、その会に参加するうちの4名の奥様方は、
「全く、なんだかんだ言って飲みたいだけなんでしょ?
だったらその時に私たちも集まりましょう!」ということになり、
我が家で薪ストーブ・ピザパーティを開いておいででした。

さて時刻に会場に着くと、集まったのは私を含めて7名。
加子母の文化スポーツ課長さん、行政の担当でU太の同級生・ゲンタロウ君のお父さん、
地域の英語教師で先日一緒に飲んだジャスティン、中学校の校長先生、
天声人語にも紹介された地域新聞「かしも通信」の編集長、
そして笛のライバル・ショウゴ君です。
(ショウゴ君は中国語、奥さんのヒロコさんはフランス語を話せるという、
バイリンガル夫婦です。)

最初に、ゲンタロウお父さんからこれまでの経緯説明がありました。
2003年秋 日本人アーティスト59名が、カナダ・ケベック州サンソーバーという町で、
「第1回サンソーバー・日本彩り祭」に参加。町をあげて歓迎してくれたそうです。
2004年春 サンソーバーの町から60名のアーティスト達が来日。
彼らを呼んだのは大阪のアーティスト達でしたが、受け入れ態勢が十分でなく、
困っていた時に助け舟を出したが、加子母・N工務店のN社長。
全員を加子母に受け入れて、地域の人々と交流を深めました。
2004年秋 その歓迎に感激したケベックの人々が、
今度は加子母の人々を招待しようと言ってきたのですが、こちらの調整がつかず、
N社長夫妻のみが訪問。
その時に、「これから先、毎年かわりばんこに訪問しよう。
その地域に行くまでの旅費は自費。到着後の経費は受け入れ側が負担する。」
という約束が交わされました。
2005年春 音楽家を中心に30名が加子母に滞在。
明治座でのジャズコンサートなど、より深い交流がなされました。
2006年秋 今度はこちらから行く番でしたが、日程などが合わず、誰も行けませんでした。
2007年秋 「そちらが来ないのならば、行けない」という返答が来ました。

さて、「このままでは、一旦育ちかけた交流の芽が摘まれてしまう。
どうしたらよいか?」を考えるのが昨晩の議題でした。
ゲンタロウお父さんとジャスティンがそれぞれのプランを発表。
(これまでこの交流は二人が支えていたのです。)
要は、「加子母に受け皿(組織)を作って、地域の人材や資金を確保し、
交流を継続したい。」というものでした。

でも問題点は、
「受け入れるのはまだしも、ケベックに行くとなると最低一週間はかかる。
それだけの休みを取れる人が加子母にそうはいない。」
「旅費だけとは言っても、2年毎に誰かが行くような資金を貯めるのは大変。」
「どうやって人数が集める?」
「サポーターやスポンサーを増やしたいが、どうすればいいだろう?」・・・
いろいろ出てきます。

一通り説明を聞いて、私は「このままでは無理だな。」と感じました。継続性がないです。
・まず、相手は主にローレンシャン地方と呼ばれる、
世界でも有数の紅葉で有名な地域ですが、
広くケベックという一つの国レベルの地域から人々が集まるらしい。
かたやこちらは、岐阜県の、中津川市の、そのまた一地域の加子母です。
物事を対等にやりとりするには負担のかかり方が違い過ぎます。
一言で言うならば、「加子母はケベックを背負えない」ということです。
・「旗印」がない。「互いの交流を継続する」というだけではきっと息切れします。
・上に挙げた中で、特に「時間」が問題です。
そんな時間を取れる人が、2年毎に加子母で大勢出てくるとは思えません。

感じるままに上の内容を話したところ、
皆さんも「そうだよなぁ。無理があるよな。」と困り顔。
沈滞ムードになりかけたところを救ったのが、編集長の一言でした。
「私はやっぱり『アート』という切り口を生かすべきだと思う。
それに、何も加子母だけにこだわることなんてないじゃないか?
海外で発表したいアーティストは一杯いるけど、金が無くて困っている。
でも旅費さえ出せばチャンスがあるとなれば、乗ってくるんじゃないかな?
そしてそのツアーに加子母の人々が便乗すればいいじゃない。」
それを聞いた時、一筋の光が見えました。きっと皆さんも同じだったと思います。

その話を受けて、私が続けました。
「加子母の組織が事務局になって、全国のアーティストに声かけしてはどうでしょう?
つまり、「加子母発、全国のアーティストたちよ、一緒にケベックに行こうよ!」です。
旅費は各自負担。日本側の段取りは加子母がやる。
現地での滞在費はケベック側がみてくれるとなると、
確かにアーティストには魅力的なはず。
そして、特に加子母の子供達が一緒に行けるとなると、国際交流だけでなく、
国内のアーティストたちとの交流で刺激を受けることができますね。」

それまで、「どうせ行くなら中学生くらいの方がいい。」と会話していたので、
校長も「それはいい。そういう大義名分があれば、子供のために親も金を工面するぞ!」
と乗り気です。
ショウゴ君「受け入れる場合は加子母がやるということで責任は果たすし、
都会の組織ではできない交流ができますよね。」
私「そのことで、国内のアーティストたちが加子母にやってくるきっかけも掴めるし。」
編集長「そう。アーティストにとって、加子母って魅力だよ。
こういうことを私はしたかったんだ。」

私「そういうことならば、マスコミ受けするかも。
それはそれで広報活動の一環と受け止めればいい。
それに、今企業はCSR活動をしたがっているから、
うまくリンクすれば企業スポンサーが見つかるかもしれない。
そうなれば旅費や会の運営費についても、若干の余裕が生まれてくるかもしれません。」
文化課長「なるほど。加子母から日本を語るという発想はなかった。面白いね。」

ということで、一気に場が盛り上がり、ようやく乾杯が始まりました。
名物料理ケイチャンも登場し、和気あいあいに。
その後も真面目に「これからどうするか?」と議論しながら宴は過ぎました。

私は特に国際交流に関して持つ持論があります。
「世界の中心はどこか?ニューヨークでも、東京でもパリでもない。
今、自分が立つ位置が、世界の中心である。」というものです。
これは決してオゴリでもなく、ホラでもないです。

リンゴに爪楊枝が一本刺さっている図をイメージしてください。
爪楊枝はあなた自身です。もちろんリンゴは地球。
「どこにいても、自分は地球にすくっと立っている」
という意識を持って、世界と接したいです。
特に最近のネットの発達が、その行動を可能にしました。
だから今回のプランについても、私はその姿勢で臨みたいです。

加えて、先日地元の経営者の方々にもお話した「エリア・ブランディング」の考えも、
今回合わせてさせていただきました。
「地域全体のブランド力を上げる。」
今回の国際交流もそのための大きな柱になりうるはず。

さぁ、今回見えた一筋の光。これを具体化していってこそ意味があります。
それには紆余曲折があるでしょうが、
「ともかくこういう会を続けましょう!
そしてビジョンをまとめ、趣意書を作りましょう!」と決まりました。
かの湯布院も、「ダムに沈む」という危機の中、
地元の有志が毎晩のように語り合っては様々なアイデアを実践し、
今の姿を築き上げました。
加子母も是非そうなってもらいたいです。

このように、「どうせ酔っ払って朝帰りでしょ。」という奥様方の予想に反して、
とても真面目に、しかも10時に解散して帰宅した私たち。
短い時間でしたが、とても有意義な時を過ごせたと私は感じました。
店づくりについて、二人が出会ってから二転三転、四転五転、七転八倒しております。
もともとは私が仙人小屋で修行していたこともあり、
私自身は「仙人小屋ののれんわけ」的な店を考えておりました。
「春は山菜、夏は川魚、秋はキノコ、冬は獣」料理の飲食店です。

でも、修行中にカミさんと出会い、一緒になり、
お互いの夢を合わせて形にしていく中で変化していきました。
まず、店の経営についてはカミさんを中心に考えることになりました。
と、簡単に書きましたが、ここに至るまでには当然ながら紆余曲折がありました。
とにかく、店のコンセプトから機能、運営形態、メニュー構成、調理、ちらしまで、
そしてそれらを決めるペースも、全てカミさんの意向を中心に据えることにしました。

事業体制ですが、
株式会社森本研究所の中に「もりのいえ事業部」なるものを作りました。
その担当がカミさんというわけです。当然ながらカミさんが店長です。
その手始めが「菓子製造業」と「飲食店」、平行して「物販業」です。
やがては「宿泊業」や「ギャラリー運営」、「イベントスペース運営」、
「工房運営」という風に広がればいいなとイメージしていますが、全く慌てていません。
あくまでも私たち家族のペースで進めていきます。

厨房については去年からメイキングを紹介している通り、少しずつ改造してきました。
そして来週保健所の検査があり、通れば2/28から開業可能となります。
実際に何から始めるかですが、カミさんの様子を見ていると、
まずは「菓子製造業」から入るかも。
最初はクッキー等を焼いて、店で出したり販売したり、
産直市や道の駅などに置くことをイメージしているようです。
ある程度コンスタントに焼けるようになれば、インターネット通販を始められるかもね。
でもそれもカミさんのペース、特にU太の育児のペースに任せます。

「飲食店」に関しては、最初はこれがメインと考えていたのですが、
最近はちょっとペースダウンしています。
「ナチュラルフーズ」であることは間違いないでしょうが、
どの程度のものを揃えるかはまだ検討中。
いきなりコースで出すということはなく、
「カフェ」的に軽食からスタートするんじゃないかな?

いつオープンするかも未定。週末にするか?平日の方がいいか?期間限定にするか?
献立は?価格設定は?食器は?・・・決めることはまだたくさんあります。
だから少なくとも今年一杯は看板を上げません。
知人にサービスを提供して、アドバイスをいただきながら決めていくことになるかもね。
そして私も、例えば「山菜をたくさん収穫せねば」とは考えていません。
手に入った時に、入っただけをうまく生かしてもらえればというスタンスです。

最近、飲食店よりもカミさんが関心を向けているのが「物販業」です。
例えばこだわり素材の油とか調味料とか食材です。調理器具も入りますね。
これらを、そんなに品揃えよくするというのではなく、
私たちが気に入って使っているものを
「おすそ分け」するという姿勢で売ろうとしています。

最近はそういう物品を扱う問屋と交渉なども始めたようです。
一からそんな段取りを組むのが初めてなので戸惑っているところもあるようですが、
この経験が何よりも大切だと考えていますので、
私はほとんど口出しせず、見守っています。

この物販業のスペースですが、最初は「飲食店のついで」くらいにイメージしていたので、
あまり考えていませんでした。
でもここにきて、それなりに場所を作ろうということになりました。
そこで急にクローズアップされてきたのが、母屋の「四畳半の物置部屋」です。
この部屋は、「きっと最後に手をつけることになるであろう」と
イメージしていたのですが、
いきなり「物販業の店」に昇格したので、ここ数日は片付けに追われておりました。
そしてようやくすっからかんにすることができた次第。
20070216064147.jpg

でもこの部屋、私は「床」「壁」「天井」全てが気に入りません。
そこで、改造することにしました。
先日業者さんに見てもらいました。近々見積が出てきます。
その金額によっては、材だけ仕入れて、後は自分達でやることになるかも。
いずれにせよ、棚は自分達で作ることにしています。
天井裏から出てきた材とかを使ってね。
それはそれで楽しいんだけど、最近仕事が込んできている私は、時間との勝負です。

そして店名ですが、『ナチュラルスペース・もりのいえ』となりました。
さっき決まりました。まだ仮称ですけど。
物販業だけでなく、例えば「子供と一緒に手仕事を楽しむ会」も
始めたいと考えておるようです。
さぁて、これからどうなるか?ぼちぼちと育てていきます。
お楽しみに。
一昨日の唐突な出来事のおかげで、「店」の話が飛んでしまいました。
ではと思いきや、またしても割り込みネタの登場であります。

その前に、一昨日のその後の話から入ります。
医者からは「救急車で運ばれてきたような人が、出張には行くな!」と
釘を刺されましたが、
どうしてもこなしたい仕事が2件あったので、大阪に向かいました。
(それ以外はキャンセルして実家で安静にしていましたが。)
ということで、その日の午後2時から2時間ぶっ通しでしゃべっていた私。
よくぞ腹痛が再発しなかったものです。

そして昨日、午後の仕事を終えて、さぁ加子母に帰ろうかとしたら、
別件でトラブル発生との電話。大阪駅のコンコース辺りで対応しておりました。
すると17時の時報を合図に鐘は鳴るわ大音響のBGMが流れるわで会話ができない。
やむなく目の前のシティホテルに飛び込み、入り口付近で電話。

そろそろ用件が終わるかというタイミングの時、
ふと顔を上げると目の前をある男女が通り過ぎました。
その女性がさっとこちらに顔を向けた瞬間、「あっ!」と思いました。
「あの人だ!」

あの人とは、豊島美雪さん。
かつて「パネルクイズアタック25」でクイズを読んでいたりしましたが、
今はラジオのパーソナリティをしています。

さて電話も終わり、私もホテルを出ると、先程の二人が挨拶をして別れるところでした。
きっと何かの打ち合わせを終えたところなのでしょう。
そして彼女はそのまま行ってしまうかと思いきや、
何故かその場でしばし考え事をしています。
「どうしよう?このままほっとくかな?」
何もしなければ、もうこんなタイミングで会うことなんてないでしょう。

もし人違いだったら失礼なんだけれど、
「えい、ままよ。恥のかき捨てだ!」とばかりに近づいていきました。
のそ~と近づき、「あの~」と声を掛けた私に、一瞬戸惑った顔を見せた彼女でしたが、
すぐにパッと笑顔を見せ、言ってくれました。
「もしかして、『も・り・・・・くん?』

当たり~!
私たちは高校の同級生なのでした。
高1の時に同じクラスで、卒業後も何度か会う仲でした。
付き合っていたわけではないけれど、夜も何度か飲んだね。
「なんば百番」なんて、汚ったない店で騒いだこともありました。

当時から明るくて元気だった彼女、大学には行かずに
「アナウンサー試験を受ける!」と宣言した時は、
「彼女らしいな。でもそんなに簡単にいくだろうか?」と思ったものですが、
なんのその、スイスイと受かってしまいました。

その後はまさに「別世界」に行ってしまった彼女とは会わなくなってしまいましたが、
計算してみたら、それから25年間会ってなかったのです。
つまり、昨日、四半世紀ぶりに再会したというわけ。

お互い次の用事があったので、簡単な立ち話で別れましたが、
別れしな、「ニッ」と笑って彼女は言いました。
「あのね、今度いろいろ聞いてもいいかな?
そしてもし良ければ、私の番組に出てほしいんだけど。」
「別にいいけど、話すネタなんてないよ。」
ま、とにかく私のブログを読んでみて、
関心を持ったなら連絡ちょうだいと言って別れました。

タイミングって不思議ですね。
「もしあの時にこの判断をしてなかったら・・」の連続の後に、
こんな素敵なタイミングが現れたりします。
一昨日は初対面の同級生に尻穴を攻められ(まだ言ってる)、
昨日は本当の同級生と再会しました。
人生ってのはこんな出会いがあるのが楽しいですね。
2007.02.14 救急車騒動記
2007年2月13日、4:30起床。
前夜は「薪の廊下」に接する部屋で、家族揃って眠りました。
ヒノキの香りが立ち込めて鼻がスースーし、とても気持ちの良い目覚めでした。

5:40 自宅を出発。
大阪に出張する時はいつもこんな時刻に家を出ます。
もちろん外は「夜」。星がとっても綺麗です。昨日は三日月もくっきりでした。
その後に起きる騒動など微塵にも感じない、爽やかな出勤でした。

途中、コンビニでカップスープと肉まんを購入。
実はこれが冬の朝の楽しみになっております。
身体がほかほかして、いざ駅へ!

6:30 あと数分で駅というところで、急に腹痛が!
「きっと下痢だろう。でも何でかな?」
前夜は禁酒しておりました。だから飲み過ぎではない。
さっき食った肉まんが当った?それにしても早すぎる。
「もしかして胃潰瘍?」最近何かストレスが溜まっていたか?
いろいろ考えます。

どうでもいいけど、腹の左下が相当痛い。
「もしかして胃に穴が開いた?」結構マジで想像しました。
胃に開いた穴から肉まんがにゅるにゅる漏れる図を。
うぅ、ますます激痛が走ります。

6:40 中津川駅に到着。
しばらく車を止めて横たわります。結構きてます。
腹をタオルの様に絞られている感じ。呼吸も浅い。
駅外のトイレを探すが、丁度改装工事中!なんてこった!

しばらくするうちに治まり、歩けるようになったので、とにかく改札を通る。
中津川発の電車が到着。逡巡したがとにかく座る。当然電車は発車する。
すると再び鈍痛が始まる。しばし我慢。
恵那駅を通過。途端に激痛が走る!ますます痛みが増していく。
「どうしよう?しばらくは無人駅だ。」そこそこ大きい駅まで我慢することにする。

瑞浪駅に到着。這う様に電車から降りる。相当ヤバイ。
駅員に声を掛ける。「救急車をお願いしますぅ・・・」
(結果的にこの駅にして良かった。病院が駅のすぐ傍だった。)

ほどなく救急車が到着。担架に乗せられる。
駅では人々が見つめる。「あぁ、担架で運ばれる私。」
でも実際は痛みをこらえるのに必死。

救急車に乗せられ、三人の救急隊員が口々に尋ねる。
「お名前は?」「住所は?」「どういう症状ですか?」
「いつからですか?」「身分証明証を出してください。」・・・
「そんなことに答える余裕がないくらい痛いから救急車を呼んだんだろうが!」
と怒りがこみ上げるが、じっと我慢。

そうこうするうちに病院に到着。緊急口から運ばれる。
待ち構える医者。私の症状を診て、上と同じような質問をして、
「これは九分九厘、尿管結石だね。」と一言。
その時にようやく合点がいきました。

今から5年ほど前、初めて腹のスキャンをしてもらった時、
「3㎜ほどの石があるよ。今は育ってないけれど、
将来やんちゃをするかもね。」と聞かされていました。
それが今、やんちゃをしているのか。
この時まで原因不明の痛さに戸惑っていましたが、
ようやく落ち着きを取り戻してきました。

そこに、担当の医者以外にもう一人の医者が登場。
私の住所を見て、「何だ!あんた加子母か?加子母のどこだ?」と訊ねてきます。
「二渡です。」と答えると、「そうか、私は河村医院の医者だ。」
何だ、加子母の医者か。先週、インフルエンザでも世話になった医院の医者でした。
「何で加子母の石持ちが、瑞浪なんかに運ばれてくるんだ?」
「先生こそ、何で瑞浪なんかにいるんです?」「俺は非常勤だ!」

「実はな、今あんたの面倒診てる看護婦さんも加子母なんだ。」と医者。
「へえぇ、加子母の何処ですか?」
「万賀(地区)です。」とはにかむ看護婦さんが耳元でそっと聞きます。
「あのね、生まれ年があなたと一緒なんだけど、見覚えがないのよ。
元々加子母の人かね?」
「いいえ、二年前に越してきました。」「なあんだ、そうか!」
なんて、腹が猛烈に痛いのに、妙にのどかな会話をしておりました。

その時、「まだ痛むだろう?座薬を入れてやれ。」と唐突に指示する医者に言われて、
私の尻をめくり、穴に座薬を突っ込んだ、万賀の看護婦さん。
う~ん、強烈!痛さよりも、
初対面の「同級生」から尻穴に突っ込まれた体験にのけぞる私。
「結構ショックかも。」
「本当の同級生だったら、もっとショックよ。」
「そうだね、一生言われるだろうな。」なんて軽口をたたくほどの余裕は出てきました。

その後、注射にレントゲンにといろいろやられて、やってきたのが「CTスキャン」
「これ、初めてなんだ!」とはしゃぐ私に、
「今回初めて続きですごいね。」と合わせる万賀の看護婦さん。
まるで「2001年宇宙の旅」のような世界で検査され、ちょっとワクワクな私。
でもやっぱりさっきの尻穴の方がインパクトが強かったかも。

最後に、お腹にジェルを塗って蒲鉾板みたいなのを当てて調べるスキャンで検査。
画面を見ていると、見つかりました!石が!6㎜ほどだそうです。
「あぁ、これか。もう膀胱のすぐそばにまで降りてますね。」と別の医者。
私は知らなかったのですが、腎臓から膀胱までの尿管が直径5㎜ほどと細く、
そこを石が通る時に激痛が走るのだとか。
私はてっきり、膀胱から性器を抜ける時が痛いのかと思っていましたが、そちらはマシなのだそうです。
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このスキャン担当の医者、何をしているのかと思えば、例の蒲鉾板をコネコネして、
何とか石が膀胱まで抜けるようにならないかと努力してくれたらしい。
「う~ん、難しいですね~。」なんて言って諦めたようですが、
医者って結構お茶目だね。でも私は痛いんだけど。

そうこうするうちに薬が効いてきたのか、痛みも治まってきました。
「喉元過ぎればなんとやら」とはまさにこのこと。
それまでは「とにかく痛くてたまらん。何とかしてくれ~!」だったのに、
「早く診察が終わらないかな?出張に行きたいんだけど~。」モードになっております。
全く現金ですよね。

診察の時にはすっかり痛みも治まり、元のスーツ姿になって現れると、
「あんたが今朝救急車で運ばれてきた人かい?」と訊ねられてしまいました。
それでも、完全には石が抜けていないので、この先また痛む時があるそうです。
でも今度は大丈夫。原因が分かっているから。
「胃に穴が開いて、肉まんが漏れてきている」様な図を想像しなくてもいいです。

そんなこんなで、人生初体験の「石の痛み」、堪能しました。尻穴も・・・
皆さんも気をつけましょうね。
(最近、病ネタが多いなぁ。)
2007.02.13 薪束が来た!
昨日書いたネタの続きですが、
もう一つの製材所さんがわざわざ薪材を運んできてくれました。
休日に、しかも社長さん自らクレーン車を運転して、恐縮です。
これだけの束、クレーンでなければ結構大変です。
ありがたや、ありがたや。
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あっと言う間に我が家の脇に納まった薪材たち。
針金で留めてあるので、端からチェーンソーで切っていけば薪になるはずです。
でもこの一束でどれくらい持つかなぁ。
目算ですが、10日から二週間分くらいしかないかも。
つまり、この二束でも一ヶ月持たないという訳です。
薪づくりは永遠のテーマですな。
20070213045757.jpg

ところで、アルミサッシの窓のうち、右の方の向こう側が「薪の廊下」です。
左側はというと、今までは物置部屋でした。
でもここ数日の夫婦の会話により、
その場所が『ナチュラルショップ・もりのいえ(仮称)』になることになりました。

その話は明日また書きますが、今お話したいのは、このアルミサッシです。
嫌なんですよ、私。
ついでに言うと、壁のトタンも嫌いです。
こちら側が道路に面しているので、我が家のイメージがここで決まってしまいます。
さっさとこれらを剥がして、土壁と木窓に換えたいのだけれど、
お金とヒマがありません。
「いずれはきっと、みておれ~。」と、この面を見る度に思う私なのであります。

「み・て・お・れ~!」
2007.02.12 薪だ!第二弾
先週、二ヶ所の製材所から連絡がありました。
「木っ端が出たぞ~!」
丁度出張中だったので、そのまま置いといてもらって、昨日取りに伺いました。

一ヶ所は、前回と同じくヒノキの柱の切れ端です。ウホウホといただいて帰宅。
前回いただいたものは随分乾いてきたので、半分に寄せて、
空いた場所に持ち帰った分をばら撒きます。
一段と「薪の廊下」らしくなってきました。
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午後には陽も差して、ヒノキの香りが強烈に立ち込め始めました。
二つ隣の部屋まで香ってくるくらいです。
ヒノキの花粉症の人はうちには来られないかもね。
その前に、加子母に居られないか。村中ヒノキだから。

もう一軒の方は、丸太から柱を取った後の側の部分をいただくことになりました。
断面は半月のような感じです。皮つき。
長さ2mほどあるその材を集めた、直径1m分くらいの束を2ついただくことにしました。
週明けにも届けてくれるらしい。ありがたいことです。
これはもちろんそのままでは薪にはならず、チェーンソーで切る必要がありますが、
結構分量があるので、将来の分として生かせそうです。

今回のご好意により、本当にようやくこの冬の分の目処が立ちました。
これから先は、同じように少しずつ分けていただき、来年の冬に備えます。
今から10年前、初めて八ヶ岳で冬を越した時も、最初は薪の手配に苦労したものです。
でも年を経るにつれて次第に入手ルートが見えてきて、段取りも良くなっていきました。
今回も同じようなパターンかな?
それにしてもヒノキの薪を使うなんて贅沢な暮らしになるとは思いませんでしたが。

そして薪の目処が見えてくると、いよいよ山や田畑の方に目が向かい出します。
暖冬だったせいか、既に山菜が目につきますし、
田んぼの畦の修復や、畑の準備の方もそろそろ意識しなきゃね。
でもこういった分野での「しなきゃ」というのは、実は「したい!」の裏返しです。
幸か不幸か今はデスクワーク系が山場に入っておりますが、
何とか自然系の方の自分を工面したいと画策しております。
最近、人と会うと、「いつ店を始めるんだ?」とよく訊ねられます。
「いよいよか?」という気配が漂っているんですかね?
そこで、混乱を避けるために、今日この場ではっきりさせておきます!
なんてタンカを切るほどではないのですが、基本的な考え方をお伝えします。

保健所には「2/28に開店します。」と伝えております。
この話を聞いた知人は、「よし!初日に行くぞ!」なんて言っておりましたが、
残念ながらその日に来られても店はやっておりません。
翌日になってもきっと開いていません。
「じゃぁ、いつ開いているんじゃぁ?」とお叱りを受けそうですが、
そこらへんについて解説します。

まず、「少なくとも今年中は看板を挙げません。」
つまり、「知る人ぞ知る」店として、知らぬ間にスタートします。

それから、「こちらの都合で営業させていただきます。」
特に食事に関しては予約制とし、
仮にその日の予約が無くても、他に用事がある時はお断りさせていただきます。

「何て勝手な!」と叱られそうですが、それには理由があります。
まず、家族のペースを第一に考えたいからです。特にU太の育児が最優先です。
また、特に私がこの春は別の仕事で忙しく、十分に対応しきれそうにありません。
ですから、当面はご予約の電話をいただいても、
「ゴメンナサイ」と言うケースが多いと思います。
どうかご理解の程、宜しくお願いします。

でもそれではあまりにお客さんにストレスが溜まるでしょうということもあり、
ともかく「ショップ」の方を始めようかとしております。
俗に言う「ナチュラルショップ」というやつですね。
こだわりの食材や調理器具などを販売するつもりです。
これもあまり在庫を置かずに、私たちが普段使っている食材を中心に、
「おすそ分け」するような感覚で販売できればと考えております。

しかも「店舗スペース」は当面は無く、少しずつ作っていきます。
現在物置になっている部屋を改造して、「店」らしくしていくつもりです。
でも、それも私の時間がなかなか取れないこともあり、
ぼちぼちということになるでしょうね。

「皆さまとともに成長するお店」なんて言うと聞こえが良いですが、
要は亀のようなのろまな店づくりになりそうです。
どうかご理解の上、お付き合いいただければと願っております。
宜しくお願いします。
「店を出す!」と唱え続けて数年が経ち、ようやく保健所に営業許可申請してきました。
ここまでの道のりは長かったなぁ~~。

まず、「自宅を改造して店用の厨房にする」というのは何かと障害がありました。
「家庭用の厨房と分けろ」とか、「出入り口を全て半自動以上にしろ」とか。
特に古民家は、衛生面に目をつけられているように感じます。
だから床材とか、排水設備(グリーストラップと呼ばれる油水分離槽)の設置も、
指導通りにしました。

「他のところはそんなに厳密にせずに、楽して取ってるよ。」
という声も聞こえてきます。特にカミさん方面から。
でも今回私は「優等生」に徹しました。
というのは、ここで変に誤魔化して、後になってからあれこれ言われたくないから。
この先U太が大きくなった時に、
「あいつの店はいいかげんにしている。」とは言われたくないです。
だから結構真面目に厨房を作りこみました。

そのおかげもあってか、申請書類や図面ではノーチェック。
でも、ある書類で担当者の目が留まりました。
今回唯一カミさんに任せた部分で、菓子製造の方法についての説明箇所です。
この書類を担当者が、それこそ穴が開くかというくらい凝視し、
そしてため息をつきました。

さてそこで問題です。
以下がその文章ですが、担当者はこれを見て何を指摘したでしょうか?
実は彼は4箇所指摘しました。
よ~く考えてみてください。

・・・・・・・・・・・
取り扱い品目: クッキー
原材料:
小麦粉、オートミール、砂糖、菜種油、塩、はちみつ、ナッツ(くるみ、胡麻)、
ドライフルーツ(レーズン、干しいちじくなど)、水、りんごジュース
製造工程:
①粉類(小麦粉、塩、砂糖、ココア、スパイスなど)を混ぜ合わせる。
②①に菜種油を加え、混ぜ合わせる。
③ナッツ、ドライフルーツを加える。
④水分(水、りんごジュース、はちみつ)を加え、まとめる。
⑤成型する。(型で抜く、切る)
⑥オーブンで焼成する。
⑦冷めたら包装する。
<表示ラベル>
名称: オートミールクッキー
原材料:  小麦粉、てんさい糖、菜種油、オートミール、くるみ、水、塩
消費期限: 19.4.1
保存方法: 冷暗所で保存の上、お早めにお召し上がりください。
製造者:   ㈱○○研究所 『もりのいえ』
       岐阜県中津川市加子母○○番地
・・・・・・・・・・・

分かりましたか?
ちなみに、これはサンプルとして書かれていた事例(まんじゅう製造)を
元にして書きました。
いわば、その通りに書いただけなのですが、
それでも担当者は「4箇所まずい」と指摘したのです。
では回答いきましょうか?

指摘①
添加物の有無について書いていない。
原材料に添加物を含む場合は、そのように明記すること。

指摘②
乳製品や卵についても同じ。「原材料に乳(卵)を含む」と書くこと。

指摘③
内容量が書いていない。○○g、あるいは何個と書くこと。

指摘④
クッキーの場合、消費期限ではなく、「賞味期限」である。

ということです。
①②については、私がその場でこう答えました。
「うちは添加物も乳も卵も使わないのでこういう表示にしました。
でもなかには知らないうちに原材料に入っている場合もあるかもしれないので、
それは逐一調べて、あった場合は表示します。」
これでクリア。

③は、サンプルに書いてなかったからですが、
「書けばいいんですよね。」でクリア。
④もご指摘の通り訂正します、でクリア。
ということで、次回、検査に来られる時に修正して出すことになりました。
やれやれです。

ということで、あとは検査を待つばかり。
当日が楽しみです。
ちょっと仕事の話になりますが・・・
昨夜、地元の経営者の方々が集まる会に呼ばれ、
「何か話をしろ」と言うので、してきました。

ことは三週間ほど前に遡ります。
メインバンクの支店長さんがうちに来られ、上の様な用件を伝えていかれたのです。
その時、私は不在だったので、その後はメールでやりとりしたのですが、
用件は、「これからのネット社会でどうビジネスしていけばよいか、
ヒントを出してくれ」というご依頼らしい。

それが分かれば今頃私はIT長者になっているのでしょうが、さにあらず。
それでも、せっかく地元の経営者の方々に会える機会なのだからと、
とりあえずお引き受けした次第です。

お話した内容は、「私が何者か?」「Web2.0とは?」
「これからどうしていいたらいいか?」の三部構成にしました。
第一部は大切です。皆さん、「私」という存在が不思議でしょうからね。
「どうやってあいつは食っているんだ?」という疑問とも言えましょう。
でもこの点については等身大の私を話せば良いので、ある意味で楽でした。

二つ目が難儀です。
集まられた皆さんが、普段どの程度ネットに慣れていらっしゃるかが分からない。
中には「何を今更」という人もいるだろうし、
「何語をしゃべっているんだ?」という人がいるかもしれない。
皆さんの顔色を見ながらしゃべっていたら、余計に時間がかかってしまいました。

最後は私が一番話したかったこと、
「地域全体のブランド力(魅力)をいかに挙げていくか?」についてです。
本当はもう少しじっくりと話したかったけれど、
時間がオーバーしていたので軽く流しました。
だから話終えた時は、ちょっと不完全燃焼。
まだまだ私も若いなぁ。

果たして皆さん分かってもらえたかしら?
何かしら満足なり、得るものがあっただろうか?
自己分析すると、ちょっと微妙です。
ま、今回は名刺代わりということで、私を知ってもらえただけで良しとしましょう。

また何かご縁があれば新たなつながりが出てくるかもしれませんね。
そしてこういうことを繰り返しながら、人は成長していくのでしょう。
なんて、いい歳くったオヤジは自己納得しております。
今回機会を下さった支店長さん、そして商工会長さんはじめ参加者の皆さん、
ありがとうございました。
今朝は便も快調。無事病気をやり過ごせたかな?
これまでもお見舞いコメント&メールをありがとうございました。
そして、何かと世話をかけたカミさんに感謝です。
しばらく相手ができなかったU太もゴメンな。昨夜は久しぶりに遊んだね。

さて、ここ数日、家族とは別の部屋で寝ておりました。
初めてその部屋で寝てみて、大きな発見がありました。
というのは・・・

以前、ひのきの木っ端を薪材としていただいた話を書きましたが、
この木っ端、少し湿気ておりました。
しばらくは口の開いた袋に入れていたけれど、なかなか乾きません。
そんな時はカミさん得意の思いつき攻撃です。
「縁側で干したら?」
これが今回当たりました。

我が家の縁側は南に面して二部屋分ありますが、
南西の角の部屋には西側にも縁側らしきものがあります。
ただしこのスペースは「縁側」と呼ぶには情けない造りだったので、
どのように利用してよいか、少々手持ち無沙汰だったのです。
これまではただの物置化しておりました。
でも実は、我が家で一番西日が強烈に入ってくる場所でもありました。
一週間ほど前、そこに木っ端をぶちまけたのでありました。
20070208110717.jpg

すると、ほどなくひのきの香りがムンムンと立ち上がってきました。
そうです。今回私が寝た部屋が、「ひのき森林浴部屋」になったのです。
その香りたるや、結構すごいです。日中はもちろん、夜も気分爽快!
実際にひのき林の中にいるよりも強烈かも。

そしてもう一つの楽しみが。
午後、その縁側に陽が差し込み始めると、
「パキッ」「ピキッ」という音がそこかしこに響き出します。
木っ端が乾燥していく音なのです。
その音を聞きながら読書をしていると、とても幸せな気分になります。

この部屋の隣部屋を店の客間にしようとしているので、
来られたお客さんにも香りと音が届くでしょうね。
良い気分になりますよ~。

また、もしお望みならば、お客さんに木っ端を持ち帰ってもらいましょう。
少し穴を開けて一輪挿しにしても良いですね。
私はそのまま車に一つ置いて芳香剤にしています。
また、このようにブックエンドにもなります。
20070208110923.jpg

今回のカミさんの思いつき、思わぬホームランとなり、
この先ずっとこの縁側はひのきの木っ端乾燥場とすることにしました。
乾いた木っ端は横にずらして貯めておき、また新しい木っ端を並べていきます。
名づけて「薪の廊下」の誕生です。
2畳ほどの小さな空間ですが、思いのほか良いスペースができました。
2007.02.07 ええと・・・
たまたまなんだけど、こんなのを見つけました。
何ともコメントを書くこともできず、
ただ残しておきたくって・・・
出張をキャンセルしたことで連絡しているうちに、あることが分かってきました。
先週、ある会社の社長さんにヒアリングしたのですが、
その際に同席していた上司のAさんがインフルエンザだったらしいです。
彼はヒアリング間際まで自宅で寝ていたとか。
今回の私の症状を伝えると、「あ、それは俺のだな。」と一言。
あんたか!

でも原因はそれだけではなさそうです。
実は一週間ほど前からU太の下痢が止まらす、熱も39℃にまで上がっていたのです。
夜は何度も起きて大泣きしておりました。
その相手をしていたカミさんも調子を落とし、ずっと咳き込んでおります。

U太の熱はほどなく下がり、その後発疹が出てきたので医者に相談したところ、
「突発性発疹」だったらしいです。
これは二歳くらいまでの赤ちゃんならば一度はかかるそうでして、
U太も通過儀礼したということでしょうか?
でも、最初、下痢から始まったのが気になります。白っぽいヤツだったらしいし。
もしかしてノロかロタも合わせて持っていたのかもしれません。
いずれにせよ、最近の我が家にはよからぬウィルスたちが蔓延しているのでしょう。

そこで、ここ数日の私の動きを検証してみました。
2月1日:上司Aと同席し、インフルエンザウィルスを受け取る。(潜伏する)
  2日~3日:何事もなく過ごすが、家中のウィルスが隙を狙っていた。
  4日:デスクワークがひと段落し、気分が緩んだところで宴会に。

最初はこの時に食った鹿肉に当たったのかと思ったのですが、
「鹿肉でインフルエンザにかかった」という話は聞いたことがないので却下。
また、2・3日と禁酒していたので、「酒のたたりか?」とも思いましたが、
要はリラックスしたところでの暴飲暴食が引き金を引いたようです。
そこで弱った身体を、手ぐすね引いていたウィルス達が攻撃してきたという訳です。

そのインフルエンザですが、随分治りました。
病気以前よりも元気になったかも。睡眠十分だし。
でも直らないのが下痢。これはインフルエンザではないような気がします。
ノロか?ロタか?はたまた他のウィルスか?
(「ロタは子供の病気よ!」とカミさんのツッコミあり)
これこそ鹿の呪いかも、とか。

ということで、全く腹痛を伴わない下痢だけを除き、見た目は元気になりました。
昨日はデスクワークをして過ごしました。
他にもいそいそと家の用事を済ませたりしていると、
「本当に病人なんですか?」とカミさんから呆れられております。
本当は薪づくりをしたかったのだけれど、さすがにこれはぐっと我慢。
さて今日も一日空いております。病気がくれたボーナスです。
何しようかな?
昨日の朝5時からの仕事を一つこなして帰宅し、
ブログを送った直後から、体調が悪くなりました。
急に代謝が落ちたというか、「あぁ、落ちていくわ・た・し」という感じ。
トイレに行くと、見事な水便。
悪寒もするので、そのまままさに倒れこむ様に布団に入りました。

昼前に起きてみたものの、ますます具合が悪い。
下半身全体が痺れたような感じで、冷え切っています。
咳はたまにしか出ないけれど、一度出ると吐くような咳で、身体全体が飛び上がります。
相変わらず悪寒はひどく、体温を測ってみたら、何と38℃!

私は平熱が36℃を上がることがなく、
38℃なんて、人生を振り返ってみてもほとんどありません。
そしてその体験はいつも「ほとんど死にそう~」てなもんです。
こりゃやばいぞ。夕方からは会議があるというのに。薪も補充したかったのに・・・
何て言っている場合ではありません。
でもその時点では、まだ「重い風邪でしょ。」と思い込んでおりました。

だから、とりあえず熱が下がるまで待とうと、
会議は欠席させていただき、午後はおとなしくすることにしました。
でも午前中にしっかりと寝てしまったので、何となく続けて眠る気にならない。
そこで私は考えた。
「こんな時こそ、借りていた漫画を読もう!」

ということで、
えびカニさんが貸してくれた『バガボンド』を読みながら時間を過ごしました。
でもこの漫画、面白いけれど、
人を斬るシーンが多いので、はたして病人に合っていたかどうか?
そのせいでもないでしょうが、夕方になっても熱は下がらず。さてどうするか?
ここにきてようやく「もしかしてインフルエンザ?」という疑念が湧き上がり、
ネットで調べてみると、ほとんどその症状ではないか!
しかも、特に幼児には移すなと書いてある。本当だったらまずいな。

そこで、とにかく村の医者に行ってみることにしました。
症状を聞いたおばあさん先生、最近の医者らしからぬのんびりした応対で、
まるで縁側で膝の上に猫なんか置いて、お茶をすすりながらお話しているようです。
「そうねぇ。それはそれは大変ねぇ。では点滴をうちましょうか。」という感じ。
点滴のセットをしてくれたのは、近所のタカシさんの奥さんでした。
同じく看護婦らしからぬアットホームな対話にしばし和みます。

さて、その時の診断では「インフルエンザではないでしょう。」とのことでした。
ほっと一息。
「でも、2時間後にもう少し詳しい結果が出ます。
まれにその時になって判明することもあるのですよ。」ですと。
「私って、そういう『まれ』に当たることがままあるからなぁ。」とは思いながらも、
普通の風邪用の薬をいただいて帰宅。

するときっちり2時間後、電話が鳴るではないか!
何やら不吉なBGMを頭の中で流しながら受話器を取ると、
「インフルエンザA型の陽性反応が出ました。」とのこと。
あぁ、やっぱり「まれ」に当たってしまった。

「ところで、夕方お渡しした薬はまだ飲んでないですよね。」
「食前の咳止め用の薬だけ飲みました。」
「あぁ良かった。それは大丈夫です。他の薬は処方が違うので飲まないでください。」
「はぁ。」
「そこで、インフルエンザ用の薬を今から持っていきますので。」
「はぁ?」

いくら看護婦さんが近所だとは言え、薬を持参してくれるとはね。
田舎の医者はなかなか良いものです。
やがてやってきたタカシさんの奥さんと、薬の交換をしました。
「ところで、お代はどうなるのでしょう?」
「ええと、そうですね。またいつかの時に払いに来てください。」
おおらかな対応でますます気に入りました。

そんなこんなで我が家のインフルエンザ騒動が始まり、
とにかく家族には移さないようにと、一番離れた部屋で一人寝た私。
将来じいさんになったら、こんな感じで隠居生活を送るのかな?
などと想像してしまいました。

さて今朝は無事熱も下がり、下半身の痺れもかなりおさまりました。
でも油断は大敵、今日は一日家でおとなしくしておきます。
居たらいたで、やることはあります。
漫画はもう読んだので、1月の会計と、確定申告の準備でもしようかな。
悲しいけれど家族とは別の動線で家の中を動きながらしばらく過ごします。
皆さんも、くれぐれもお気をつけください。
獅子舞・伊勢神宮奉納の旅の時に知り合った人たちと再会し、
酒を飲み交わしました。
その旅には大勢の人が参加したのですが、
その中でお互いが初めて出会った三人が、ちょっとしたきっかけで会話が弾み、
「今度飲もう!」ということで再会したのでした。
「出身地の違う人間がこうやって出会えるというのは楽しいね。」と、
楽しい宴を過ごしました。
縁というものはつくづく不思議なものです。

ところで、その席の一人、Kさんが鹿肉を持ってきてくれました。
お父さんが手に入れたばかりのものをもらってきたとかで、
冷凍もされず、とてもフレッシュです。
早速刺身でいただき!これは背ロースですかね。うんまい!
20070205082127.jpg

「他の部位は鍋用かな?」なんて言っているうちに、ついつい手が伸びて、
結局ほとんど刺身で食ってしまいました。
お店のご主人も一緒に舌鼓。みんなご満悦です。
20070205082201.jpg

久しぶりだなぁ。さばいたばかりのフレッシュな鹿。
とってもさっぱりしていて、柔らかくて、ジューシーです。
アメリカ生まれのJさんが、「こんな鹿肉、初めてだ!」と感嘆の声を上げていました。
Kさんのお父さん、ありがとうございます!

さて鹿肉を満喫して帰宅し、ひと心地してから、ふとある思いに辿り着きました。
「そういやぁ、全く猟をしていないな。」
師匠の仙人の元でして以来、ここ3年ほど猟をしていません。

私は好んで猟をするわけではありませんが、
「春は山菜、夏は魚、秋はキノコ、冬は獣」狩りという暮らしに憧れて、
仙人の元で修行したのでした。
出来の悪い弟子でしたが、
新天地が決まったのだから、あとは自分で開拓せねばならないのに・・・
普段の暮らしの忙しさにかまけて、すっかり本分(?)を忘れてしまっておりました。

「都会の仕事と、田舎暮らしをバランス良く両立させるのが私らしさ」
とここ数年言い続けておりますが、最近は仕事の方に引っ張られ気味です。
仕事のピークが過ぎる(はず)の梅雨時からは、また舵を切り直そうか。
そんな思いに耽る夜でした。
昨日の獅子笛練習会は次の段階に入りました。
面倒を見てくれている清介あにい
(この辺りでは先輩のことをそう呼ぶらしい)が相当気合が入っており、
太鼓の実演と合わせて練習をすることになったのです。
例年はこういった合同練習は4月頃に始めるらしいので、気合の程が分かります。
それもこれも、私とショウゴ君の笛の練習に合わせてくれてのことと思うと、
恐縮しきりです。

さて私はといえば、1/24に挙げた「試練その一」はクリアし、
「その二」に入ったところです。
その段階で言うのならば、
今回の練習会はいきなり「その四」「その五」の場設定となります。
それでも、心の中では「まぁ何とかなるだろう。」と思っておりました。
まだ不安定さは残るものの、調子が良い時はいい感じで吹けていたので、
「そこそこついていけるだろう。」とタカをくくっていたのです。

でもいざ始まると、とんでもない!
太鼓は長老の域に入ろうとしているミドルさんが合わせてくれたのですが、
太鼓のテンポを気にしだすと全く吹けない!音さえ出ないのです!
二回目、気を取り直して吹いたら、今度は音が出たけれど、とっても震えています。
要は唇が震えているのです。

私ってそんなにプレッシャーに弱かったかなぁ?
そう言えば、同じような状況が去年もありました。
秋祭りの総練習会の時に「吹き切り」役を仰せつかったのだけれど、
いざその場ではろくに音が出なかった苦い思い出があります。
やっばあ~。

そして三回目、太鼓も無しで、一人で吹かせていただきました。
数名が見つめていますが、目をつむって吹いていると、
いつもの一人での練習の時と同じ状況なので落ち着いて吹けました。
ようやくそれらしい音が出て納得。
皆さんも「今の段階でこれだけ吹ければ良し。」と言ってくださいました。
ほっ。

でも最後のは太鼓はおろか、周りを一切見ておりません。
こんなことでは獅子が加わったらなお大変。
しかも当日はギャラリーが多いし。
そして屋内と屋外では全く状況が違い、風が強いと自分の音も聞こえないとか。

要は場数が必要ということを実感しました。
そこで、「試練」を前倒し。これからは人前でがんがん吹きます。
まさか駅前で吹いたりはしないけれど、(ものすごく不気味。私は虚無僧か?)
これからは行く先々で聴いてもらうことにします。
こういう谷や山を越えて、人は成長していくのですね。と一人合点。

ところで、これは何でしょう?
今回私が練習している曲「油單」ではありませんが、
その次に学ぶ「弊(ヘイ)の舞」という曲の楽譜です。
これを見て聞いて、今までの人たちは伝えてきたのです。
「オヒリトチーのところからもう一回」という具合に。
ほぼ口伝ですね。ちょっと感動です。
20070204084445.jpg

昨夜は今週二日目の禁酒を達成し、宣言を守っております。
さぁ今夜は飲むぞ~!てか。


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今度我が家にやってきた「善きかな号」は、「Living Saloon EX」というタイプです。
こいつが世に出た平成五年の時には、きっと上位クラスだったのでしょうね。
立派なカタログに颯爽と紹介されていたりして、値段も相当高かったのかも。
それが今回1/10ほどの値段で取引され、彼は今どういう心境でしょうか?

こいつの引渡しの時に、モータースのご主人が装置の使い方を説明してくれました。
「エアコンは前と後ろにあるんですね?」
「はい!ダブルエアコンです。『リィービング・サルーーン』ですから!」

「これは何?」
「サンルーフのスイッチです。」
「へぇ、手動じゃないんだ。」
「はい!『リィービング・サルーーン』ですから!」

ご主人が自信たっぷりに答えてくれる、その言い方が気に入った私は、
その後も真似をしてカミさんと会話。
「これは何かしら?」
「どうもカーテンが自動で開閉するらしい。」
「すごいね。」
「はい!『リィービング・サルーーン』ですから!」

「二列目の座席は全部ひっくり返って、
三列目と向かい合わせのソファーになるみたいだね。」
「すごーい!広い!」
「はい!『リィービング・サルーーン』ですから!」
なんてことを言いながら、「実に良い買い物をした!」と言い聞かせる私たちです。

さて、この2月から、ETCの装置を購入すると助成金が出ることになったので、
早速「善きかな号」につけてあげました。
ついでに、速度取締り探知器も設置。これは必需品です。
バックミラーも幅広いものを取り付けました。
ますますグレードアップした善きかな号です。
「はい!何と言っても『リィービング・サルーーン』ですから!」

でも、何故かラジオのアンテナ出しは手動です。
つまり窓を開けて手を伸ばして、キュッキュッと引き出します。
何で?
「は、はい!何と言っても『リィービング・サルーーン』ですから?」
(答えになってない。)
伊勢神宮・獅子舞奉納の旅で振舞われた白酒。
一時間のフェリー乗船中に9升が空いたそうです。
これがまたよく効きました。
20070202062026.jpg

昨日の禁酒ネタが結構受けてくれたようです。
実際に会った人からも「断酒するんですか?」と訊ねられましたが、
「いいえ、禁酒です!週二日も!」

ということで、もう少し酒ネタを続ける気分になりました。
皆さん、いつから酒を飲み始めました?
私は酒の席についたのは結構若かったです。
覚えがあるのが幼稚園の頃。

実際には飲んでいたのかどうかは定かではないのですが、
幼稚園を卒業する記念に、
親父に大阪は道頓堀のスナックに連れていかれたのを覚えています。
その時にホステスさんからいただいたチョコチップの映像が頭に焼き付いています。

その後、小学校卒業、中学校卒業、そしてもちろん高校卒業時にも
ナンバに連れていってもらいました。
「青い灯、赤い灯♪」の道頓堀を歩き、子供心に、
「俺も大人になったら、いつかこういう店に出入りするぞ!」と憧れたものです。

実際に酒類を飲むようになったのは中学生の頃かな?
当時の私は低血圧症で、毎朝起きるのがとても辛かったのです。
それを見かねた親父が、ある時私の部屋にやってきて、
ワインの一升瓶を私に授けました。
「これから毎晩これをコップ一杯飲むように。」

親の言うことは聞かねばなりませんよね。
忠実に実行した私は、無事体調が良くなり、毎晩ぐっすり眠れて、
朝はすっきりと目覚めるようになったとさ。

また、高校時代にはこんな思い出も。
テスト期間中のある夕食の席で、その日はお袋と私だけが食事しておりました。
グラスを私に向けて「まぁ一杯やりなさい。」とビールを勧めるお袋。
「俺なぁ、テスト中なんやけど。」と断る私に、
「あんた!親の言うことが聞けんのか?」とすごんだお袋。
やっぱり親の言うことは聞かねばなりませんね。従った私です。

言っときますが、うちの両親は決してアル中ではありませんよ。
ただ、ちょっとおおらかだっただけだと思います。
でもそのお陰で、私は親公認で、少しだけ大人の世界を早く知りました。

そんな私ですが、最近は本当に無茶しなくなりました。
それでも、自分が思っているよりも酔いが早くなってきたようにも感じ、
「いよいよ歳を食ってきたなぁ。」と実感するこの頃です。
悲しいかな、酒を飲まなかった翌朝は、調子良かったりして。
良いうんちが出たりして。
本当に悲しいことですが。

さて、息子を持つ身なら誰でも思うこと、
「いつかは息子と飲みたいものだ。」
いつ実現できるかな?
カミさんは「あと15年待って。」と微妙な言い回しをしておりますが。
父さんは今から体調を維持して、将来一緒に飲める日を待っているからね。
三日間一つのテーマで書き連ねていた間にも、私の周辺環境は変化しておりました。
まず、何ででしょうね?最近は冬が忙しい。
私は「動物たるもの、冬は休むものだ。」と決めていたのですが、
ここ数年はむしろ冬に仕事が忙しいです。

でも実は、今年は本当に忙しいのは春です。
従来からの仕事の幾つかが春にピークを迎えることになったし、
最近新しい仕事も始まりました。
それに加えて、一昨日、別に新しい仕事が決まりました。
これも春に始まります。その準備もせねば。

つまり、今月から三ヶ月間ほどは、とんでもない時期に突入した様子です。
仕事があること事態は良い出来事ではあるかもしれませんが、
「さて時間管理をどうするか?」
B型人間になろうとしても、どうも限界があるような気配。(B型さん、ご免なさい)

加えて、先日ご紹介した大橋義博氏が、お酒が大好きだったことが分かりました。
それが原因かどうかまではうかがっていませんが、
義博さんが亡くなったのが48歳の時。
ちょっと考えてしまいました。
私、もうすぐ46歳になります。(3/25ですよ~)
義博さんにシンパシー(共感、同じライフスタイル)を感じる身としては、
他人事ではありません。

そこで私、一大決心をしました。
「禁酒します! 週二日!」

笑っちゃあ、いけませんよ。そこのあなた。
週一日ならいざ知らず、二日ですからね。
これはもう一大事です。

かつて私はセントラルスポーツなるところに通っていた時期がありました。
「マシンで汗かいて、時々ゴルフの練習なんぞもして、
次にプールで泳いで、最後にシャワーを浴びて、
その後のビールが最高!」なんて暮らしをしておった訳ですよ。

でもそういうリズムを維持するのって結構大変なんです。
実際にスポーツクラブにやってくると、
「やっぱりこういう時間は大切だ。よし毎日続けるぞ!」なんて心の中で宣言しますが、
面白いことに一週間はすぐに経ってしまう。
気がつけば二週間行ってなかったなんてこともザラに。

その当時悟ったのは、
「何事も週に二日やるということは、要は常に意識しておかねばできない。」
ということです。
だから何を言いたいかというと、
「常にお酒控えめを意識しますよ。」という訳なのです。
こうやって宣言した以上、わたしゃやりますよ!
やるときゃぁ、やるんだから。ホントかな?

なんてことを肩に力を入れてカミさんに宣言すると、
カミさん感動して、「じゃ、じゃぁね。私も何かする!」
「ほう、何をするの?」
「えとね、えとね。クッキーを焼く時に、それほど味見しないようにする!」
頑張ってもらいましょう!