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突然ですが、私の両親が住み慣れた大阪を離れ、
岐阜に移住してくることになりました!

この2行の文章を書くのに、これまでにどれだけのエネルギーをかけたことか。
その時々の旬のネタをブログに残す身ですが、
戒厳令が敷かれていたため、途中経過を書くことができませんでした。
ようやく厳戒令が解かれたので振り返って発表します。


「わしらもそろそろ岐阜に行こうかと思うんやけど・・・」
との相談を受けたのは昨年の5月頃でした。
ちなみに私は一人っ子です。
その私が八ヶ岳を離れて一旦関西に戻り、丹波篠山で仮の暮らしを始めた頃は、
きっと両親も大阪を離れるつもりはなかったと思います。

ところが私たちが「終(つい)の棲家」を求めていくうちに関西を離れ、
岐阜の山里に腰を下ろしたものだから事態は急転。
「もう息子は関西には帰ってこない。」と悟ったのでしょう。
加えて初孫が生まれ、彼らの背中を押したに違いありません。
「では、わしらが行こう!」と。
孫パワー、恐るべし。

その決断には私も助かりました。
だってこの先ずっと関西に通うことができるかなんて保証できませんからね。
でも決断の後が大変でした。
「わしらが住む場所を、お前が探してくれ。」ということになったのです。

今でこそ笑って思い返せますが、当時は大変でしたよ。
ただでさえ仕事が忙しい時期に、
しかも5月末には『わらべ村』のイベント出店を控えて準備に追われ、
そんな中、方々に「良い物件はないですか?」と声を掛け、
候補が見つかると現地に飛び、写真を撮り、周辺を調査し、
地主や仲介者と交渉し・・・・・これを何度も繰り返していました。
その過程は面白いのですが、何せ時間をとります。

「何をそこまで根を詰めているの。もう少しゆっくりと探せばいいのに。」
と言いたげなかみさん。
でも私は過去の経験から、ある読みをしていました。
「こういう土地や家探しというのは、その話が出たタイミングで一気に動くものだ。」と。
そして、最初のうちはさほど良い物件が出なくとも、
それでも動いているうちに、良い出会いがあるものなのです。

局面が動いたのは、まさに『わらべ村』のイベントの当日でした。
かみさんが先に知り合っていたtenderさんがお店にやってきました。
その時の私は山菜弁当用の天ぷらを揚げるのに必死でした。
その「必死のパッチ(関西ではそう言います)」の合間に、
ほんの数分だけtenderさんとお話し、物件探しを依頼したのです。

その数週間後、tenderさんの三代ファミリーとお会いし、
ピックアップした数件の物件を案内していただいたのが運命の日となりました。
最初はこちらの希望に合わせて土地を案内していただいたのですが、
正直言ってピンときません。

そんな時、tenderさんが話題を変えました。
「お探しのタイプではないのだけれど、一つご案内したいところがあるんです。
それはマンションでして、実は友人が急にそこを出ることになって、
つい最近、『誰か買ってくれる人はいないかしら?』
と相談を受けたのですけれど・・・」とのこと。

正直言ってマンションは眼中にありませんでした。
でもお世話になった人のお誘いをむげに断ることもあるまいと、
「とりあえず見に行きましょうか。」とついていきました。

そのマンションは恵那駅から少し離れた高台に建っていました。
実はそこに向かう頃から私はドキドキしていました。
というのも、tenderさんに依頼する前に一人で土地探しをしていた頃、車を留めて、
「こんなに景色のいい立地で良い物件があればいいのだけれどな。
でも何のあてもなくては厳しいよなぁ。」と思案していた場所のすぐ傍だったのです。

マンションは建ってから1年も経っていませんでした。
その最上階の角部屋の4LDK。
『日本百名山』の恵那山脇から太陽が昇り、西の空に沈むまでを
ずっと眺めることができる部屋でした。もちろん日当たりは最高。
北側の窓からは中央アルプスと、遠くに木曽の御岳山を望むことができます。
まるで『天守閣』。気分は殿様です。

室内を見ると、バリアフリー設計で床暖房。窓はダブルガラス。
床材はころんでも怪我をしないように柔らかい素材です。
そして『オール電化』。
オール電化は私たちのライフスタイルからすると、ちょっと抵抗感があるのですが、
年配者にとれば確かに安全・安心ですよね。
これら上に挙げた内容は、まさに両親の希望通りだったのです。

「いいんじゃないの?」とひと目で納得の私。これまでの怪訝な顔はどこへやら。
早速両親に報告しました。
両親もマンションは想定していなかったのですが、
すぐに飛んできて現物を見て納得。
そして一言、「契約はお前が進めてくれ。」

そこで、売主との折衝や契約文の作成と取り交わしまで、ほぼ一切を仕切らせていただきました。
これも日常の仕事をこなしながらですので、実は結構きつかったですが、
何とかノー・トラブルで契約終了。
両親の新たな住まいを確保したのでした。

その後もいろいろありましたが、
ともかく今月中旬には両親がやってきます。
これまでの人生で初めて関西を出て暮らすことになる両親。
その心中いかほどにと察しますが、ともかくもよくぞ決心したよね。
そしてご縁をいただいたtenderさんご一家、ありがとうございました!

ということで、これからは我が一族は全て岐阜県民です。
不思議なものです。
こんな人生が待っていたなんて、ほんの数年前までは想像もしていませんでした。
この先もきっといろんなことがあるのだろうな。
でもそんな過程も楽しみながら、そして真剣に生きていきたいものです。

という、エイプリルフールでした!

というのは嘘です。本当のお話ですよ。

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