もりのいえ 山暮らし日記

・・・・・岐阜の山里での田舎暮らし。自然の中で、自然に学び、そして真剣に生きたいと願うmasanの日々の想い。

地域の葬式に思う。我が遺言。

(日)(月)と、我が班でお通夜・お葬式がありました。
班というのは一番小さな地域の単位です。
同じ班の方の葬式となると、田舎では最優先事項です。

通常、私のような新参者は、
ともかくその場にいておとなしくしておくものなのでしょうが、
私は特別な任務のため、いきなり大役を仰せつかることになりました。
それは、「鐘を鳴らしながら念仏を唱える」という仕事です。

念仏や念仏講についてはこちらこちらをご覧いただければありがたいです。
その念仏講、実はお葬式の時にお役が回ってくるのです。
いわば「お坊さん代わり」に念仏を唱える訳ですが、
通常は二名の年配者が行うところ、今回は私も加えて三名でやることになりました。

まずはご自宅から出棺される際のお見送り時に唱えます。
念仏講のメンバーは首に「半袈裟」というものを掛けているので、
見てすぐに分かります。
出会う度にご遺族の方々が丁重にご挨拶してくださいます。
半袈裟

当然ながらご遺族やご親戚には班以外の方もおられますので、
まだ私のことを知らない人も大勢います。
「あの人はいったい何者じゃ?」という視線を痛いほど感じますが、
うまい具合に周りの方が教えてくださっているようです。

中には知人もいて、「すごい後継者が現れたね。」と、
念仏講の長老に話しかけていました。
長老もまんざらではない様子。

さて無事に最初の念仏を終え、その後のお通夜には静かに参加します。
通夜振舞いではお酒飲み放題で良い気分。
意外にも若い和尚さんがお酒を注ぎに回ってきて、腰の低さというか、軽さにびっくり。
まだお若い方というのもあるでしょうが、
やはり人間こうでなくっちゃと感心しきりです。

翌日のお葬式では何と最前列脇に席が設けられておりました。
かなり目立っておりますが仕方あるまい。
粛々と唱えておりましたが、
目の前でひ孫らしきお嬢さんが泣きじゃくる姿を見て、
ついぐっときてしまいました。

そして最後は何と最前列中央に席が移動。
しかも私は真ん中で、目の前にマイクが設置されております。
でもここでひるんでおっても仕方あるまい。
ええいままよと声を張り上げて唱えました。
そして無事儀式は終了。

帰り道、「今日の念仏は最高に良かったぞ。これからもこの三人でやろう。」と、
一緒にやったTさんが嬉しそうに言ってくれました。
その言葉にとても報われた気分になりました。

また他の方からも、「あんたはどんどん地域に溶け込んでいるね。」
と声を掛けていただきました。
そのように見てくれているのもまた嬉しいです。


さて一連の儀式を終えて、ふと思います。
「私が今ここで死んだら、どうしてもらおうか?」

「葬式無用、戒名不用」と白洲次郎のように格好良く言えれば良いですが、
いざそうなったら班の人たちがほっておかないだろうな。
でも正直言って、今回のような葬式だと、いったいいくらかかるだろうか?
とてもじゃないが、残された家族のその先の暮らしを考えると、
「できるだけお金を使ってくれるな。」と言いたいところです。

そこで、夕食時にかみさんには伝えたことですが、
ここで改めて「今の遺言」を残しておくことにします。

【遺言】
「葬式は無用」と言っても、きっとやるだろうけれど、
できるだけ質素に済ませてほしい。
家族と、親しい友人、近隣の方々でこじんまりとやってもらえれば十分。
あとはブログで連絡しておいてください。
常日頃言っていることだが、
死んだ後の身体は「脱ぎ捨てた服」のようなものだから、
大層に扱うことはないです。
あなたの心の片隅に置いてもらえれば、それで好し。
でも私と築き上げてきた事で、その後の人生をしばられない様に願います。
私は自分の人生を全く後悔していません。
特にここ数年はとても幸せな豊かな時を過せたことに、心から感謝しています。
ありがとう。

上の内容を伝えた後、かみさんがポツリと言いました。
「今のあなたがとても幸せであることはよく分かっているから、
その点については何の心配もしていません。
ただ残される者が悲しいだけ。」

そうだろうね。
だから私は決して死に急ぐことはしません。
今を精一杯輝いて生きるのみです。
「死」に直面して、改めていろいろ考え、語る良い機会でした。

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