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私の祖母が亡くなりました。享年90歳。
私の側の、最後の世代の方でした。

数年前からは老人施設に暮らしていましたが、胃腸が丈夫なことから、
「まだまだ達者だね。」と、家族と話していました。
そのおばあちゃん、前日までスタッフの方と会話していたそうですが、
翌日の朝に亡くなっていたとか。
死因は老衰。まさに大往生です。

今回は密葬ということで、近い親族だけが呼ばれ、
私は葬式だけ出席させていただきました。
(岐阜から奈良まで日帰りという強行日程でした。)

おばあちゃんはとても和やかな顔をされていました。
90年、いろいろあったろうなぁ。
どう?いい人生だった?

おばあちゃんに比べると、私はまだ折り返し点を回ったばかりです。
つい自分の今までの人生と、これからの生き方に思いを馳せました。

以前にも書いたかもしれませんが、私は「死」に対してかなり淡白です。
「私たちという存在は『この時・この場所』
というタイミングを選んでやってきている。」と考えているので、
生と死はある意味で通過点です。
(もちろん、それはとても大切な通過点でありますが。)

だから、死を迎えても、
それは「肉体」という衣を脱いだだけという感覚があります。
何故そういう考えになったかというと、ある「体験」があったからです。
ちょっと長くなりますが、以下その「体験」をお話します。

・・・・・・・・・・
1996年1月2日の朝、私が34歳のことでした。
その日、私は当時の実家・大阪で朝を迎えようとしていました。
いや、正確には一度目を覚ましてから、二度寝をしていた時のことです。

私は仰向けに寝ていたのですが、不思議な感覚に目が覚めました。
まるで全身が布団から浮いているように感じたのです。
身体は軽く固まったような感覚で、
床から20cmほど浮いているように思えました。
でも頭は実にスッキリとしているのです!

「これはちょっと面白い感覚だな。もう少し味わっておこう。」
と考えた私は、しばらくそのままにして目は閉じていました。
すると、真っ暗闇の中に自分が浮いている様な情景が浮かびました。

「真っ暗な中に浮いている」なんて奇妙ですが、それほど不安は感じません。
やがて、近くに白い光の玉があることに気づきました。
その玉は次第に私の身体を包み込み、私はすっかりその玉の中に入りました。

玉の中は暑くもなく、寒くもなく。とても快適です。
「いいなぁ、こんな雰囲気の中でいつも過ごせたらいいのに。」と、
ふわ~とした感覚に酔いしれていると、新しい光景が目に入りました。

私を包んだ白い玉は、冒頭の通り闇の空間に浮いているのですが、
その少し先に、別の小さな玉が見えました。
最初はそれが何だか判りませんでしたが、やがて理解できました。
小さなピンポン玉のように見えたもの。
それは地球でした。

つまり、私は少し離れた場所から、白い玉に包まれて地球を眺めていたのです。
しばらくの間、その光景は続きました。
その間、私はずっと心地良い気分に包まれていました。

そのうちに、やがて私はあることに気づきました。
「私が死んだら、ここにやってくるということ?」
それはただの直感です。でもその時には確信のように感じました。

しばらくしてまた新たな発見がありました。
「ということは、私は生まれる前にもここにいたということ?」
その発想も何だか腑に落ちるものでした。

やがて不思議な体験の時は過ぎ、
気がつくと私は布団の上で目を覚ましていました。
「あれは何だったのだろう?夢?」
その真偽は今でも分かりません。本当にただの夢だったのかも。

でも、その「体験」から、確実に変わったことがあります。
それは、「死」と「不安」に対する、私の意識の持ちようです。

私は幼い頃、ある疑問をずっと持っていました。
「何故、人は死ぬのだろう?」から始まり、
「何故、人は生まれてくるのだろう?」
「僕がこの時代に、ここに生まれてきた意味って何なのだろう?」
ひいては、「僕がこの世ですべきことって、何?」・・・

幼稚園児の考えることですので、簡単に答えが出てくるはずもありません。
でも確実に私はノイローゼになりかけていました。
その時、何となくこんな答えが浮かびました。

「それはきっと大人になったら分かるんだよ。
それまではあまり考えないことにしよう。
そして、『今、生きていること』だけを考えよう。」と。

ある意味で、答えを自ら封印したのかもしれません。
でもそのお陰で私はノイローゼにならずに済みました。

やがて歳を取り、冒頭に書いたような不思議な体験を経て、
ある答えが浮かんできました。
「なぁんだ。死んだらあんなに快適なところに行くんだ。」
誤解が無いように補足しますと、決して死に急ぐ訳ではありません。
周りにも決してそのようには勧めません。

ただ、「過剰に死を恐れることもない。」という感覚が芽生えたことは確かです。
「正しい生き方をまっとうすれば、きっとあそこに行ける。」
という希望を見たという感覚ですかね。
「だからこそ、今という時を輝いて生きよう!」という気になりました。

そして、心の中で我が身を振り返りました。
これまでにいろんな出来事がありました。
楽しいこと、嬉しかったこと。
もちろん、苦しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、
悔しかったことも山ほどあります。

でも、「それらが全てあったから、それらがつながってきたから、
今の私がある。」と、心から納得できるようになりました。
つまり、今までの生き方に無駄は一つも無かったのです。
その時は不安に思うようなことがあったとしても、
それには意味があったのです。

だって、最大の不安である「死」さえも、
道を誤らなければ、あんなに快適なところなんだもの。

続いて、振り返っていた我が身を前に戻します。
そこにはこれからの暮らし、つまり未来があります。
きっとこの先もいろんなことがあるでしょう。
嫌なこともあるでしょう。

「でも、それらもきっと意味のあることなんだ。
だからいちいち不安に感じる必要はないんだ!」
と感じられるようになりました。
・・・・・・・・・・

そのような体験を経て、
その年の秋、私は東京を離れ八ヶ岳に移住しました。

ところが一旦上のような気づきがあったとはいえ、
やはりまだ生身の未熟な人間。
その時々でいろいろ気持ちは揺れ、迷う事も多いです。
それは今でも続いています。

でも、例えば今回のように、身近な人の死に触れた時、
改めて自分の生き様や生き方、信条に気づかされます。
今、このタイミングで亡くなったおばあちゃん。
これもきっと何かのメッセージなのでしょうね。
ありがとう。気づかせてくれて。
私はこれからも精一杯輝いて生きていくよ。

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