ここ連日、「もりのいえ作り」に励む日々です。
「もりのいえって、もうできているんじゃないの?」
と言われるかもしれませんが、私たちにとれば、
「まだ人様にお見せできるような代物ではない」状態なのです。

特にこの先、飲食店や宿泊所を始めようとするならば、
それなりに設え(しつらえ)は整えておきたいもの。
(とは言っても、大したレベルではないのですが・・・)
そこで、せめて母屋の中と周りくらいは整理しておこうと
それなりに努力しているのであります。

その作業も、「最低レベル」まではもうひと頑張りのところまできました。
そして最後の作業の一つが、「風呂場周りの片付けと清掃」でした。
そのスペース、実は2005年に越してきてから
一度も手をつけておりませんでした。
はっきり言ってガラクタが散らばっていたのですが、
一つの風景として目が慣れてしまったのか、
ずっとそのままになっていました。

でも実はこのスペース、綺麗にすれば石段があって良い風情なのです。
「花やハーブを植えて、ロックガーデンにすればいいね。」とかみさんは云い、
「そうだね。露天風呂を作ればいいね。」と、私は噛み合ない会話をしております。

さて、その場所をじっと眺めること30分ほど。
「ともかく、できるところから片付けるか!」と重い腰を上げ、
目の前の木屑やビニールゴミなどから片付け始めました。
そして母屋の隣の旧ブタ小屋の軒下に
無造作に重ねられた木箱の中を覗いた時、あるものが目につきました。

「こ、これは!」
ぱっと見たところ、古い「ふるい」のようです。
1ふるい?

ところが、脇に書かれた文字を見て驚愕しました。
少しずつもったいぶって見せていきましょう。
まず見えてきたのは「二渡 徳田用」の文字です。
二渡は加子母のこの地区の名です。
そして「徳田」とはかつてのこの家の「屋号」です。
そう、ここは「徳田屋」と呼ばれていました。
2徳田

ずっと読んでいきましょう。
な、何と!「文久元年」の文字が!
つまり、この「ふるい」は、幕末の文久元年に、
この家のために作られたようです。
3文久元年

更に読むと、「皮加工、妻子村 ○○」と名が続きます。
どこに皮加工を施していたのかな?つなぎ目か?
あるいは、かつては「ふるい」ではなかったのか?
そして「妻子」とは、「妻籠の宿」のことでしょうね。
4妻子村

網には繕った部分がありました。
きっと大事に扱われたのでしょうね。
5繕い

なのに、この「ふるい」、旧ブタ小屋の軒下に、
まるで捨てるように置かれておりました。
こんな希少価値のものを、もったいない!
きっとネズミに噛まれたであろう跡が痛々しいです。
6徳田文久

ところで「文久元年」って西暦何年か分かります?
1861年ですよ。つまり148年前です。
そんなものが、まさに目の前で朽ちなんとしていたなんて!
いやぁ、冷や汗ものです。

実は、つい先日、母屋の「耐震調査」というものを受けました。
通常5万円ほどかかるのを中津川市の補助を受け、
無料で受けられるというので、申請して来てもらったのです。

その際、調査員の方が「たぶん明治初期の建物でしょうね。」
とおっしゃっていました。
ならば、やはり140年くらい前に建てられたということになります。

この家は本当は何歳なのか?
前の地主さんに訊ねた際、「軽く100年は経っているが、正確には分からん。」
ということでしたので、
私は「ならば四捨五入で約150年だ!」と適当に宣言しておりました。

ところが、その「ハッタリ」は、結構いい線いっていたということになります。
もちろん、148年前の「ふるい」が見つかったからと言って、
この家が148年前に建てられた証拠になる訳ではありません。
でもいいじゃないですか。この「ふるい」をもって、
「この家は約150歳!」ということにさせていただきます。

ところで上の「ふるい」をどうするか?
もう、うちの家宝にしますよ。もちろんです。
そしてこれからもずっとこの家を見守ってくださいな。