今日のタイトルを見た大抵の人の期待を外すようなお話です。

先日、親父から、ある情報を教えてもらいました。
それは次のような内容でした。
「最近、わしの知人が『気づき』という言葉で商標登録を取ったぞ。」
というものです。

この時の親父の口ぶりから、
「だから、この先は『気づき』という言葉を使うことに気をつけろ。」
という助言と受け止められました。

もう少し突っ込むと、
「例えばお前の書いたもので『気づき』という言葉を使っていたら、
ひょっとするとその使用について
何がしかの指摘や要求があるかもしれないから気をつけろ。」
と受け止めることができます。

親父のアドバイスは受け止めるとして、私はとても疑問を感じました。
そして訊ねました。
「で、その人は何の目的でそんな言葉の商標登録を取ろうとしたの?」
「うん?それはな。調べてみたら誰も取っていなかったらしい。
そして試しに申請してみたら通ってしまったということだ。」

上の回答は私の質問に応えていません。
「だから、どうして試しに申請してみたのか?」と私は尋ねているのです。
何か目的があるから、お金と暇をかけて申請したのでしょ?

私はかつて商標を申請したことがあるので、少しはその世界をかじっています。
商標登録や特許について申請すること自体をとやかく言うつもりはありません。
ある事象を発見や発明した人の権利を一定期間保護することは納得できます。
でも、一般名詞が登録されていなかったことを「発見」したことって、
権利にあたるのであろうか?

「ならば、例えば『学び』を申請して、もし通ったら、どうなると思う?」
親父に質問しましたが、黙っておりました。
そんなことになったら、教育界は大騒ぎになるのではないのか?

「いや、その人は取得したからと言って、
その権利をふりかざすつもりはないだろうから。」という見方もあります。
ならば尚更、「何故?」と尋ねたくなります。

例えば、天ぷら油を精製して作られる
「バイオディーゼル燃料」というものがあります。
その言葉の英文の略語として、一般には「BDF」と呼ばれています。
ところが、この「BDF」の商標を申請して、通った人がいます。

聞くところによると、その人はその権利を行使するつもりはないそうです。
「誰でもお好きに使ってください。」ということなのでしょう。
ところが、現実に行政では「BDFという言葉を公文書に使用しないように。」
という通達が全国に回ったそうです。
つまり、「もし、その人が将来的に権利を行使した時がやっかいだ。」
という判断なのでしょう。

さて、そこで今回の「気づき」について考えてみましょう。
想像するに現実にあらゆる場面でこの言葉が使われていると思います。
でもその言葉が既に誰かの「権利」であるとなったら、
「BDF」の場合と同じく、行政から「使用禁止」のお達しが出るのであろうか?

そして「たられば」のお話ですが、
もしどこかの組織が「気づき」という言葉を使っていて、
そのことに対して今回商標を取得した人が権利を行使しようとしたら、
大きな騒動になりやしないか?
そんな懸念が湧いてきます。

有名な話で、
阪神タイガースの優勝に関わる言葉の商標登録を取得した人がいて、
いざ阪神が優勝した時に、当の球団がその言葉を使うことができず、
話題になったことがありました。

他にも、「ロハス」という言葉の商標を取得した出版会社の話題もあります。
彼等が「十分な条件を満たしてもいないところに、
この言葉をみだらに使ってほしくない。」
というようなことを言っていたように覚えていますが、そんな言い分を聞いて、
閉鎖的な商業主義の匂いをぷんぷん感じるのは私だけだろうか?

つまるところ、これは私の意見ですが、まだ「阪神」や「ロハス」はましとして、
一般名詞を商標登録しようという姿勢そのものを
見直す方が良いのではないだろうかと思うのです。
むしろ、そういう態度はかえって地雷を踏むようなものだと思うのですけれどね。

「今回、『気づき』の商標を取得した人に伝えてください。
その人はとても危険な状況にいるということに、
まさに気づいてほしいということを。
間違っても、『これで儲けよう』なんて考えないようにしてほしい。
そして、可能ならばその権利を放棄するように伝えてください。
そうすると、他の誰もが取得することができなくなるから。」

せめての意見として、上の言葉を親父に伝えました。
皆さんはどう考えますか?