随分ともったいぶっておりましたが、
私と私たちの新しいステージについて、いよいよ書き始めることにします。

最初に、これまでの私の軌跡をかいつまんで記します。

私は幼い頃から「私が生まれてきた意味はなんだろう?」
「私の使命って何だろう?」と、ずっと考えてきました。
特に幼稚園児の頃は、まだ考えが深く及ばないこともあり、
ノイローゼになりかけました。

そんな私を救ったのは、私の内なる声です。
「今は思い悩むことはないんだよ。ただ今を生きればいいんだ。」
その声の主は、当時は私とは別の存在のように感じましたが、妙に信じられました。
今ではそれは私自身の声(思い)であり、
同時に、私がその一部である宇宙という存在自体の声だと理解しています。

やがて私は青年になり、具体的に将来について考える時期が近づいてきました。
その際にも、「私は何ができるのだろう?」「私は何をしたいのだろう?」
と考えていました。

その際に出た一つの結論があります。
それは、「私と出会うこと、あるいは私がするコトと出会うことで、
その人なり組織が、以前と比べて何か良い(ベターな)状態になってくれればいい。」
というものでした。

例えば、
「良い情報(知識)を得た!」
「気持ちが晴れた!」
「健康になった!」
「これから生きる希望が見えてきた!」
「素晴らしい出会いがあった!」
「欲しかったものが手に入った!」
「儲かった!」
などなど・・・

ベターになるものは何でも良いのです。
とにかく、その人なり組織が「ビフォー/アフター」を比べた時に、
何かしら良くなってくれれば、それで私は満足であり、
生きている意味を実感出来ると考えました。

その考えを私は「ベター(better)論」と呼んでいました。

ベター論を具体的に進める上で、どんな分野が良いだろうか?
学生時代の私は「何でもでかいことをやりたい!」欲が強かったので、
「大きなことと言えば、まちづくり、地域づくり、そして国づくりだ!」
と焦点を絞り、土木工学科を選んだのでありました。

また、「人が快適に暮らすとはどういうことか?」を追い求め、
それを自ら実践して示すことができないものかと、ずっと考えていました。

やがて大学を卒業し、東京で経営コンサルティング会社に就職しました。
それは、「一つの業種業態に縛られず、多様な世界に触れ、
多様な人々と出会いたい!」という思いからです。

その願いは叶い、実に多くの経験をさせていただきました。
もちろんその経験は楽しいものだけではなく、酸いも苦いもありましたが、
今となれば私の人生を形づくる上で貴重な糧でした。

その後、転職や起業を重ねる中で、1995年、阪神淡路大震災が起きました。
大きな被害にあいながらも助け合って生きる人々の姿を目の当たりにするうちに、
「もう、カネやモノの時代ではない。ヒトとコトの時代だ。」と直感しました。

そして、それまで「快適」だと感じていた暮らしを見つめ直しました。
当時私は東京で戦うビジネスマンをしており、それなりの実績と評価を得て、
欲を満たすモノや情報に囲まれて満足していました。
「24時間戦えますか?」
「鬼のように働き、遊ぶ」
というような当時のCM通りの暮らしを満喫していました。
阪神淡路大震災はそんな私に冷や水をかけて目を覚まさせてくれました。

やがて私は会社を辞め、東京を離れ、八ヶ岳に移住しました。
そこで知的障害者更生施設のボランティをするうちに、
空いていたコックの立場をいただいたことで新たな人生が始まりました。

その後も転機は続き、仙人小屋での修行や、かみさんとの出会いを通して、
新たな道筋が見えてきました。

かみさんとの出会いによって、私の生き方は絞られてきました。
これまでの様々なキャリアの総決算が始まる予感がありました。
二人で作った将来ビジョン『もりのいえ』。
2004年の春に作ったこのビジョンを実現すべく、私たちの暮らしが始まりました。
今改めて、そのビジョンを掲載します。

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私たちの将来ビジョン・・・【 もりのいえ 】  (2004年春作成)

 私たちが暮らす土地は森の中にあります。そこは街中はもちろん、隣近所からも少し離れたところです。自分達の土地はそれほど広くはないけれど、周りが森や林や野原や小川に囲まれているので、まるでそれら全てが自分達の土地であるかのようです。自宅は南向きのなだらかな丘の斜面に建ち、テラスからは遠くに川や池の水面を眺めることができます。
 私たちは完全自給とは言わないまでも、普段食べるものの多くを自分達で育てています。野菜、ハーブ、果物、花、米など。それらを使った加工食品も作っています。アヒルや毎日食べるだけの卵を産んでくれる鶏も数羽放し飼いにされています。また時々山に入って、山菜やキノコといった山の恵みをいただいています。
 私たちは今のところ別の収入源を持っていますが、子どもができれば理恵はしばらくは子育てに専念することになるでしょう。そこで私たちは空いた時間を使って自分達の暮らしの幅を広げようとしています。その一つが「農家民宿」です。そこを訪れた人が畑仕事の体験をし、調理や食事をして泊まってもらうことで滞在費を払っていただきます。風呂はできれば温泉もしくは露天のジャグジーがあれば理想です。
 次にオープンスタイルのレストランを作ってみようかと考えています。例えばお客さんが自分で畑に行って、その時に食べたい分量の野菜を採り、オープンキッチンで自分でサラダを作るのです。もちろん私たちが採ってきた山の恵みを調理して提供することもできます。二人とも調理の仕事をしてきたので、そういったことはお手のものです。
 また、いろいろな芸術活動ができる工房を作ろうとも考えています。正則は以前陶芸工房を開いていました。一方理恵は漆器づくりをしていました。今は糸をつむいだり、織ったりすることにも興味を持っています。こういったことをまずは自分達が楽しむ場として工房を作り、次第に周りの人々に開放したりギャラリーを開いていけたらと願っています。
 そのような場が実際にできてきて人々が集まってくると、「何かイベントをしよう!」という声が出てくるかもしれません。ワークショップ、セミナー、ライブ、etc...いろいろ広がれば愉快です。このようにやりたいことを広げていくことで有機的な暮らしを実践し、同時に収入が増えていけば、外で働いて別の収入を得る必要がなくなってきます。「自然の中で、自然に学び、そして何よりも自然体で暮らす。」少しずつ、少しずつこの夢を形にしていければと、私たちは願っています。

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このブログで書かれている内容は、その後の私たちの軌跡です。
既に1800話を越え、よくぞここまでやってきたし、書いてきたものです。
その途中には、『もりのいえ物語』と呼ぶ小冊子も作成しました。

将来ビジョン『もりのいえ』を作った時、
私は、このビジョン(夢)を現実にすることが、
私の残りの人生全てだとイメージしていました。
だってそこに書かれていることを全て実現するとなると
それなりに時間とエネルギーが必要だと想像していたからね。

「いくら順調にいっても骨格が出来上がるまでに10年はかかるだろう。
しかもいつまでも完成という姿はない。」
そう信じていました。
こうして5年が過ぎました。

それが今、改めてビジョンを読み返してみるに、
「あらかた手をつけたなぁ。」と感じています。
もちろん全てが完了した訳ではなく、漏れがあったり、手をつけたばかりのものもあります。
また、実際のところはどれも現在進行形です。

ただ言えるのは、「この先は見える。」という感覚です。
このビジョンを書いた時は、具体的な方策はまるでありませんでした。
それが今では全てについて「この部分はこうすれば実現する。」というのが見えるのです。
つまり、後はやるだけ。たったそれだけなのです。

このように、思いがけずも早い時期に先が見えてくるようになってきた今、
「では、そのままやり続ければいいの?」という疑問が湧いてきました。
もちろん、やり続けるのは一つのまっとうな選択肢です。

ところが私たちの周りでは、当初は思いもかけなかった出来事が続き、
それによって私たちの状況や心境が大きく変化し始めていました。
その大きな一つが「解放」です。

島本さん夫妻のおかげで、まずは一人一人の感情解放を始めた私たち。
それだけでも大きな変化が生まれましたが、その後、新たな意識が生まれました。
それは、「加子母の解放」と、「【もりのいえ】の解放」です。

私たちは本当に素晴らしいご縁をいただき、加子母に移住しました。
移住後も周りの人々に支えられ、願ってもない暮らしを過ごさせていただいています。
その加子母を解放する?

誤解のないように解説しますと、
「加子母(地域)のために何かをする」とか、
「何もかも加子母でイベントをする」という制限を外したのです。

私は加子母でお世話になったことにご恩返しをしたくって、
「加子母のために何かできないか?そのことで私たちを活かしてもらえないか?」
と願ってきました。
でも、それって「おこがましいこと」だと分かったのです。

外からひょいとやってきた人間がとやかく言う前に、すべきことがありました。
私が何かをしようということと、周りが私に求めることは違ったのです。
私がしようとしなくても、必要な時に周りから「○○してくれ!」
と依頼されることを確実にすることで、事は足りているのでありました。
そしてそれ以上を私がとやかく言う事もないのでした。

そのことに気づいて以来、私は「加子母のために」とは言わなくなりました。
むしろ、【もりのいえ】に様々な人々がやってきてくれることで、
そういう人々と加子母の人々が触れ合うことで、
それが結果的に加子母を元気にしていることにも気づきました。
「地域のために」と肩に力を入れずとも、既に事は進んでいたのです。

【もりのいえ】の解放については以前ちらっと書きました。
私たちは、お互いの夢を重ねて【もりのいえ】というビジョンを掲げ、
それを実現することに、この5年間邁進してきました。
それを図式化すると、このようになります。
つまり、私たちの暮らし=ほとんど【もりのいえ】でした。
もりのいえの位置づけ1JPEG.001

そのお陰で、5年という思いがけず早い年月で、
あらかたの道筋が見えるようになりました。
加えて様々な「解放」を重ねるうちに、
「本当にこのまま(この延長)でいいの?」と感じるようになってきたのです。

実は、私たちにとって【もりのいえ】は全てではなく、一部ではないのか?
【もりのいえ】の範疇に収まらない、それぞれの生き方の部分って、
実は大きいのではないか?と感じ始めたのです。
もりのいえの位置づけ2JPEG.001

これは、【もりのいえ】に限界が訪れたという意味ではありません。
「何でもかんでも【もりのいえ】で!」
「【もりのいえ】で食っていく!」と考えることで、
自ら制限をしてこなかったか?という自問です。

例えばかみさんの場合の一例を取り上げます。
誤解を恐れずに書きますと、
かみさんは「焼き菓子が私のやりたいことの全て!」だとは捉えていません。

でも、かみさんが焼き菓子を焼いたら好評だった。
リピーターも増えた。それが嬉しかった。
同時に売上にもなった。それも助かった。
その結果、今もかみさんは焼き菓子を焼き続けています。

では、この先もずっとこのペースで焼き続けるのか?
例えば、注文が2倍3倍になったらどうなるだろうか?
売上は確かに増えます。それは経済的には助かります。
でもそれが本当の望む姿なのか?

もちろん、今でも焼き菓子づくりは好きだけれど、焼く時間がこれ以上増えることで、
かみさんが【もりのいえ】で他にやりたいこと、
【もりのいえ】以外でやりたいことを実現できなくならないか?
と言う以前に、そういうことを考える時間も無くなりはしないか?
そもそも育児を仕切れるだろうか?
それでかみさんは、私たちは幸せだろうか?ということです。

次に、私のことを取り上げます。
【もりのいえ】の制限を外して、フリーな気分で感じてみます。

「私が本当にやりたいこと、私だからできることって何?」

これまでも様々な出来事に手を出してきて素直に思うに、
「私は『まとめること』が得意だし、それが実を結ぶ姿を見るのが好きなんだな。」
ということです。

ここで改めて初心に還ります。
「そうだ。私はベター論者であった!」
私と出会うこと、あるいは私がするコトと出会うことで、その人なり組織が、
以前と比べて何か良い(ベターな)状態になってくれればいいのであった。

それをするのに、【もりのいえ】でやってもいいし、
【もりのいえ】に関係なくやっても良いのでありました。
つまり、どうでもいいのです。

この「どうでもいい」心境に辿り着いた時、
これからどのような状況や境遇になろうとも、全てを受け入れる気持ちになりました。

さぁ、とっても長い前置きでしたが、ようやく「新ステージ」の発表です!

1. 外に出て働きます!
私は外に出て仕事をすることにしました。
私という存在が活かされ、ベター論が実現できるのならば、
業種業態や立場にこだわりません。

働く場も全くこだわりません。世界中どこへでも行きます。
名古屋近辺までならば加子母から通うでしょうが、「通える範囲」を制限とはしません。
東京だろうが、北海道や沖縄だろうが、パリや北京だろうが、南半球だろうが、
どこへでも行きます。
今のところは地球から出て行くつもりはありませんが・・・

そのための就活(就職活動)をこれから開始します。
そこでまずはお願いがあります。
そんな私の就職口を一緒に探してくれませんか?

もちろん、私も自分で探しますし、既にその動きを始めています。
でも、意外に私以外の方の方が、私に合うものを見つけてくださるかもしれない。

ということで、このブログにて私の就職口を募集します!
アイデアレベルでも結構です。
よろしくお願いします!

2. 【もりのいえ】の活動範囲を変更します!
「【もりのいえ】は一体どうなるの?」「なくなっちゃうの?」
そんな心配をされるかもしれません。ご安心ください。【もりのいえ】は続きます。
私たちにとって【もりのいえ】が大きな柱であることは変わりありませんから。

でも、私が外に出ることになると、かみさん一人で全てをすることは困難なので、
活動の仕方は多少変わってきます。

例えばランチの予約は、原則的に週末&祝日となることでしょう。
また宿泊は、同じく週末&祝日とその前日からお受けすることになるでしょう。
実店舗は今まで通り、「在宅中は開店」としますが、
不在の場合が増えるかもしれません。

ネットショップについて。
「お菓子セット」を次から次へと発表するのではなく、
じっくりと作り込んでから発表することになると思います。
また、最近は着日指定の方が増えてきましたが、ご希望には添えない場合が出て来ると思います。
また、ご注文いただいてからお届けするまで、
今まで以上にお待たせする場合もあるかもしれません。

イベントは、集客や収入を意識することなく、
私たちがその時にやりたい!と願うものに絞ります。

一見、【もりのいえ】が縮小あるいは後退するかに思えるかもしれませんが、
私たちにとれば、これが無理の無いスタイルであり、より自然体の姿となるでしょう。

3. スタッフの受け入れ姿勢を変更します。
これまでは、滞在を希望する人の願いをできるだけ叶える姿勢でおりましたが、
これからは変更します。
実は既にウーフ・ジャパン上では告知しているのですが、
当面の間は外国人ウーファーをお断りしています。

日本人スタッフ(ウーファー)についても、
最近コンタクトを取ってくる人とは、既に以下のようにやりとししています。
・「【もりのいえ】での生活を体験したい。」と言うだけの人はお断りしています。
・具体的に「何をしたい。」「何ができる。」と自己表現できる人とやりとりし、
 私たちの都合や、必要とする作業をこなせそうかどうかを判断して、
 「体験」ではなく、「暮らしそのもの」を共にできそうな人に来ていただきます。

このように舵を切ることで、何が変わるか?
まず、私たちが食べていくために【もりのいえ】をするのではなく、
【もりのいえ】が、私たちがやりたいことだけを表現する場になります。
言い換えると、【もりのいえ】はより研ぎすまされた場になります。

実は最近のイベントは既に、集客や収入を意識しないスタイルで開催しています。
もちろん大勢の人が集まれば賑わってより楽しいですが、それは意識しません。
大切なのは数ではなく、満足感です。

次に、かみさんが子どもたちと向かい合う時間が増えます。
それが家族の暮らしの柱だと思うのです。

また、かみさんがやりたいことを見つめ直す時間が生まれます。
もちろんかみさんなりに既にいろいろ始めていますが、
今後はより活発になることでしょう。

そして私は自由に飛びます。
私に何ができるのか? 私に何が期待されるのか?
それは未だ分からない。
ただ言えるのは、これほど心が穏やかで、受け入れる気持ちが整っていることは、
私の過去の人生で無かったことでした。

かつて私は「マザーテレサになれるだろうか?」と自問したことがありました。
そう考える時、ついボランティアや奉仕活動に目が向きがちです。
そういった活動については、これから前向きに捉えていきます。
ただ、その活動と、「私が真っ先にすべきことや、私らしさ」の間に
ギャップを感じているのも事実です。

そして私は「私なりの道がいつか見つかるはず。」と願っていました。
その道が遠からず見つかるのではないかという予感があります。
今のところは本当に予感だけなのです。
予言と言ってもいいくらい、現実に目の前に何かがある訳ではありません。
でも感じます。

その感覚を現実のものとする前に、
私と私たちは、生き方の舵を切ることにしました。
新しいステージの始まりです。


8月28日(土)
愛農かまど火入れ式です!
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農的暮らし、宿屋(一泊二食6,000円)、
焼き菓子販売、自然良品店、通販、イベント開催&出店
もりのいえ
メールアドレス: mori★mori-no-ie.com (★を@に換えて入力してください。)
岐阜県中津川市加子母2220番地 〒508-0421
電話&FAX: 0573-79-3268
代表者: 森本正則 (携帯:090-6203-9043)
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もりのいえのお届け便
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