夜中にKAN太が泣いたので、目が覚めたことをよいことに、
ブログを書いております。

現在、外気は18℃。とても涼しいです。
昼間の道路沿いの温度表示では35℃でしたから、
まさに寒暖の差が激しい加子母らしい夏です。
だからトマトが美味しいと聞きました。

☆☆☆
ところで、今、本当に忙しいです。

数える気もしないのだけれど、
たぶん20程度のコトを、同時平行して進めていると思います。

そのそれぞれのコトに関して、
メールや電話や来客が続々とやってきます。
それら一つ一つに対応していると、再び反応なり返信があり、
ますます広がって、・・・

そしてU太とKAN太がお父さんモードになっているので、
何かと傍にいたがります。
家族は一番のパートナーですので、できるだけ優先します。

結果的に、昼間も夜中も、何かしている状態が多いです。

我ながらよくぞ持っているものです。
スタッフさんたちは、「まぁさん、いつ寝ているのですか?」と、
驚いて(呆れて?)います。

かつて、「忙しい」という言葉を使うことを避けていました。
それは「心が亡ぶ」と書くから。

言霊(ことだま)を信じる私は、
自らそのような意味を持つ言葉を使いたくなかったのです。

だから、忙しい時は「やれることが一杯ある!」
などと言い換えたりもしていました。

同じように、「慌ただしい」も、
「心が荒れる」と書くので、言わないようにしていました。

でも最近は、「忙しい状態」に真正面から向かうようになりました。
「忙しいを受けとめる」とでも言えばいいかな。

忙しいものは忙しいのです。

それに目を背けて、違う言葉で言い換えるということは自己逃避、
あるいは自己否定しているようなものだと気づきました。

「私は忙しい。」

ただ、それだけのことです。
「忙しい」が目の前に在る。
それ以上も、それ以下もない。

言い換えると、「忙しいと感じている私が、ここに在る。」
それだけのことです。
それを認め、受けとめるだけのことです。

また、敢えて「やれることが沢山ある!」という風に、
肩に力を入れて自分を鼓舞する必要もない。

つまり、「忙しい」=嫌なこと
と捉えている間は、忙しいことが苦痛だけれど、
「そもそも良いも悪いもない」と捉え直すと、
どうでもよいのです。

だから、
「いつになったら忙しさは終わるのか?」
などと考える必要もない。

要は、忙しくおれる(在れる)私の境遇に感謝して、
今を静かに楽しめればよいのかなと、感じている次第です。

さて、一つ一つのコトに向かっていくとするか。