2013.03.19
《52歳を迎えるにあたって》

私、森本正則(まぁさん)は、2013年3月25日をもちまして、52歳となります。この歳、マヤ暦では13×4=52で、還暦ということになるようです。そんなこともあり、少し特別な歳と意識しつつ、つらつらと思うままに書き連ねました。超長文ですので、お時間がある時にお読みください。

★★★「内なる声」との出会い
私は幼い頃から、何かと疑問に感じ、迷い、不安になり、戸惑っていました。最初に感じた疑問は、「死」についてでした。
「人は死んだらどうなるのだろう?」
「死んだらどんな気分になるのだろうか?」
「死んだら、何処に行くの?」

死から始まった疑問は、次なる疑問に連なりました。
「そもそも、僕はどうして生きているの?」
「この世、この場所に生まれてきたのは何故?」
「僕が生まれてきた意味は何?」

幼稚園児がこのようなことを考えても、答がすぐに出る訳がありません。 それなのに私は、まるでらせん階段を降りるかのように悩み続けました。
「このままではおかしくなってしまう!」
子供心に「やばい!」と感じ始めた頃、頭の後ろで声がしたような気がしました。
「お前はまだそのことについて考えなくてもいいのだよ。いずれ分かる時が来るから、それまでは『生きること』をしていなさい」

今でも不思議なのですが、子供心なりに、その声を信じることができました。
「そうか!まだ『死』については考える必要はないんだ。今は、ただ生きておればいいんだ!」
そのように頭を切り替えた私は、それからはらせん階段を登り始めました。 こうして最初の危機を乗り越えた私でしたが、「死」については封印したままでした。

★★★
その後も私の人生において、要所要所で「声」がするようになりました。 例えば、中学生になって英語の授業が始まった頃にはこんなやりとりがありました。
「私は、I. あなたはYou. 彼はHe. 彼女はShe.  なのに一人ひとりは自分自身のことをIだと信じている。 つまり、私は見方次第で、IにもYouにもHeにもWeにもTheyにもなる。 ・・・すると私は一体誰だ?」
私はだんだんとこんがらかってきました。混乱は続きます。
「そもそも、『世間』って誰だ? 『世の中』って、何処にある? 『社会』を見せてくれよ! 『一般』ってどういう存在?」

再びノイローゼになりかけた時、例の「声」がしました。
「全て、『私』なのだよ」
この声に目が覚めました。 例えば親しい友が何か失礼な言葉を自分に言ったとします。 その時に、「そんな言い草は、私だから受けとめて聞いていられるけれど、世間の人は許してくれないよ!」と答えたとします。

その時の「世間」って誰? 実は自分でしょ? これって本音のところで、「私は許さないよ!」と言っているのと同じではないのか? 要は「世間」って、自分自身が作った枠であって、それを自分なりに巧妙につくろっているだけのことなんだ。 例えばそんな「気づき」も、その声は教えてくれました。

★★★生き方を変える決意
その後、私は大学を出て上京し、闘うビジネスマンをしておりました。 「24時間、闘えますか?」というCMが流行った頃でした。「鬼の様に働き、王様の様に遊ぶことが、成功者の証」だと信じていました。 そしてそれなりに成功しているつもりでした。 東京は田園調布に暮らし、ソアラに乗り、八ヶ岳に別荘を持ち、よく国内・海外旅行をして、職場でも将来を約束されていました。

そんな暮らしが一変したのが、1995年に起きた阪神・淡路大震災でした。この時に、「もうモノやカネの時代ではない。これからはヒトとコトの時代だ!」と直感しました。私は東京を離れ、人生を変える決心をしました。 職場の上司からは、「お前は一体、何の不満があるのだ?」と詰問されましたが、「会社に不満はありません。これまで育てていただき、感謝しています。ただ、生き方を変えたいのです」と答えるのみでした。

★★★「光の玉」との最初の出会い
そして翌1996年、1月2日のことでした。 大阪の実家で正月を迎え、一旦目が覚めた後、眠くなって二度寝をした時のことでした。 私は布団の中で大の字になって寝ていて、目が覚めました。目はつぶっていましたが、頭は冴えていて、自分がどのような様子で寝ているのか分かっていたし、周りの物音も聞こえていました。ただ、一つだけこれまでと異なる感覚がありました。 私は宙に浮いていたのです。 目を閉じたままなので正確なことは分かりませんでしたが、感覚的に、敷き布団から全身が20cmほど浮いているように感じました。

実は私は幼い頃から、「飛ぶ夢」をよく見ていました。飛んでいる時は実に気持ちが良く、本当に体が軽やかな感覚がありました。その後、歳をとるにつれ、飛ぶ夢を見なくなっていたのですが、その夢と同じ様な浮遊感を、この時に久しぶりに感じたのです。
そのリアルな浮遊感があまりに心地良かったので、「目を開けると、きっとこの感覚が消えてしまうに違いない」と感じた私は、目を閉じたまま、心地良い浮遊感を感じ続けていました。

やがて私は、自分自身が真っ暗闇の中に浮いていることに気づきました。今度はまるで座っているかのような姿勢です。 そしてしばらくすると、遠くの方から、一つの「光の玉」が近づいてくるのに気づきました。 その「光の玉」はあれよあれよという間に私の傍にやってきて、私を飲み込みました。つまり、私は「光の玉」の中に入ったのです。 その「光の玉」は直径2m弱ほどで、私がすっぽりとおさまるのに丁度良い大きさでした。 何よりも私が驚いたのは、その心地良さです。暑くも寒くもなく、とても快適な場でした。私は衣服を着ているわけでもなく、ただ一つの存在として、うっとりと至福感に包まれて、「光の玉」の中に佇んでいました。

やがて私は、また別の光の玉が存在することに気づきました。その光の玉は私の右手前方に、直径10cmほどの存在でじっとしていました。その光の玉をしばらくの間眺めていた私は、突然あることに気づきました。
「この玉は、地球だ!」
そうなのでした。光の玉と思った存在は、地球そのものだったのです。つまり私は、地球をそのように眺める場所に居たのでした。

そしてしばらくの間、地球を眺めていた私は、また突然にあることに気づきました。
「そうか!私は死んだら、ここにやってくるんだ!」
何故そんなことに気づいたのかは分かりません。ただそのように感じたとしか言いようがありません。それでも私は確信を持って感じていました。 そしてその瞬間です。例のあの「声」がしました。
「そうだよ。お前は死んだらここにやってくるのだ」

それはかつて私が幼い頃に封印した、「死」への疑問の答えでありました。あの封印が解かれたのです。 その直後に、私は我に返りました。私は大阪の実家の部屋で、布団の上で寝ていました。
「あれは夢だったのか?」 
でも、あまりにリアルな皮膚感覚が残っていました。そして、「死んだら、あんなに快適なところに行くのか?」という、不思議な、そして確信を持った感覚に、いつまでも包まれていました。

★★★
その当時、私はあるチャネラーさんと知り合いでした。そこで私はそのチャネラーさんに、この体験について語りました。彼女は一通り私の話を聞いた後、このように答えました。
「森本さん、あなたはとても良いところに行かれましたね。 その場所は、あなたが生まれる前にもいたところなのでしょうね」
そうか! 私は生まれる前にもあの場所にいて、地球を眺めていたのだ。 そして今のこの場所を選んで舞い降り、肉体という衣を着るようになったのだ。 そして、今生を終えたら、あの場所に帰っていくだけのことなのだ。

この気づきは大きな発見でした。 だって、今でこそ肉体という重い衣を着ているけれど、 死んだらあんなに快適な場所に身軽でいられるようになるのでしょ? 決して死に急ぐつもりはありませんでしたが、「死」という今生の最後について、見通しのつかない不安ではなく、明るい未来を見た思いがしました。

そこで私は心の中で我が半生を振り返りました。 私が生まれてからこれまで、楽しいこと嬉しいことがあったのはもちろん、悲しいこと、辛いことも沢山ありました。悔しいこと、腹立たしいこと、恥ずかしかったこと、山ほどありました。でも、これら全ての出来事を経て、今の私が存在しているのでした。言い換えると、そういった様々な出来事があったからこそ、今の私があるとも言えます。つまり、どんな出来事も意味があり、無駄ではなかったのだと。

次に私は、この先、我が身に起こるであろう出来事を想像してみました。これから先も様々な嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、悔しいことがあるだろう。  それらも全て意味があるのだ。 だから、何も不安を感じることはないのだ。 だって、不安や恐怖の最たるものである、人生のゴール「死」さえもが、あんなに快適なものなのだから。 もちろん、その時々には心が揺れ、喜怒哀楽は感じるであろう。だって人間なんだもの。でも、必要以上に感情を増幅させることもあるまい。 このような気づきをいただき、やがて私は東京を離れ、八ヶ岳に移住しました。 そして今から思えば、あの時の「夢」が、「光の玉」との今生での最初の出会いでもありました。

★★★「光の玉」との再会
その後も私の人生は波瀾万丈でした。 そのくだりは別の機会に記すとして、 ともかく私は2005年に岐阜の山里・加子母(かしも)に移住し、妻と、三人の天使のような子どもたちに囲まれて、暮らすようになりました。

そして2011年夏のことです。 ある一家が【もりのいえ】に宿泊されました。 その奥様は、事前に何もおっしゃいませんでしたが、後で聞くと、天の声が聞こえる人とのことでした。その方が宿泊された翌朝に【もりのいえ】周辺を散歩した後に、次のようなメッセージを伝えてくれました。
「【もりのいえ】と周辺は、天照(てんしょう、アマテラス)の地です」
「この地には大勢の神々が眠っておられます。 この神々が目覚めた時、この地は沖縄・久高島(くだかじま)に匹敵するかのような地になることでしょう」

私は沖縄が大好きで、これまでに30回以上も通っています。なのに、「神々の島・久高島」にはご縁がありませんでした。ところが、この時に初めて久高島がクローズアップされてきました。この島へは、その人にとって渡るべきタイミングがあるのだとか。「今がその時だ!」と感じた私は、妻と三人の子どもたちを連れて、翌週に久高島を訪問しました。まさに直感とタイミングのなせる流れでした。

★★★
久高島では、不思議な出来事が次々と起きました。その内容全てをここで記す訳にはいきませんが、一つだけお伝えします。
「久高島には、その人にとっての場所がある」 
現地に到着してから、そんなお話を聞きました。つまり、誰にとっても、その人だけの特別な場所があると言うのです。 ではその場所は、どうやったら見つかるのか? 「それは決まっていない」とのことでした。誰がどのようにして伝えてくれるのか分からず、しかるべきタイミングで分かる時が来るというのです。

これでは埒(らち)があきません。 私には関係のないことだと諦めていたら、滞在中に突然、「その時」がやってきました。 現地でたまたま出会った方が、「私の場所」を見つけてくれると言うのです。 壁にかかった久高島の地図の前に私が座り、その後ろに立った人が、しばらくの間何かを唱えた後、島のある場所を指差しました。 その場所は、島の道から数m、ジャングルに入った場所でした。名所旧跡などではなく、何もない場所です。 その場所に、久高島の女性が案内してくれることになりました。ちなみに、久高島の女性達はそこそこの年齢なると儀式を受け、神々とつながれるようになるのだとか。

「では、行きましょうか?」
気がつくと、私の家族や友人はいいとして、知らない人々が大勢集っていて、その人達も同行すると言うのです。 何故? 私の場所なのに!
「まぁ、いいじゃないですか。こういう機会もなかなかありませんから」と、初対面の方々。 まだ腑に落ちない気分のまま、結局大勢で「私の場所」に向かったのでありました。

★★★
その場所は本当に何の変哲もない場所でした。 ただ、道から数m入っただけの場所で助かりました。人によっては、ジャングルのど真ん中を指定され、大変な思いをして辿り着くとか。 大勢でその地に到着した私たちですが、私以外の人々は道に並んだままです。 数m先の「その場所」に行けるのは、私一人なのです。

促されてその地に足を踏み入れた私。 皆が見つめるのを背中に感じつつ、手を合わせて祈りました。 最初は何事も起きませんでした。 ところが、10秒ほどした後、思いもかけぬ出来事が起きました。 祈る私のお腹に、母性が生まれる感覚が生まれたのです。 私の男性性が女性性に変わったのではなく、男性性と並んで女性性が備わったイメージが生まれました。

これはあくまでも私が勝手にそのように感じただけです。 ただ、その直前までそのようなことを考えもしていなかった私には新鮮な気づきでした。 そして続いて、驚くようなイメージが重なりました。 天から「光の玉」が降りてきて、私の中に入り、お腹におさまったのです。 その瞬間、私は「受胎した!」と直感しました。 そう、私は身ごもったのです。

繰り返しますが、これはあくまでも私が勝手に感じたイメージです。 ですから、そのようなことについて周りに伝えることもあるまいと、私は黙って「私の場所」を離れ、道に戻りました。 すると、その場所まで案内してくれていた、久高島の女性が私に近づいてきました。そして次のように私にささやいたのです。
「森本さん。今、天から『光の玉』が降りてきて、森本さんのお腹におさまりましたね」
私はびっくりしてその女性を見つめました。
「貴女にはそれが見えたのですか?」
「ええ、はっきりと見えましたとも」

あのイメージは本当だったのだ!感動に震える私に、その女性は続けておっしゃいました。
「森本さん。あなたを別のある場所にお連れしたいのですが、いいですか?」
断わる理由もないので、ご案内いただくままについていきました。 その場所は「ミルクの御嶽(うたき)」でした。 弥勒菩薩のことだそうです。 ジャングルの中に突然に開かれたドームの奥に、その御嶽がありました。

その場所でお祈りしていたら、ある言葉が浮かびました。
「今、お前が身ごもったものは、しかるべきタイミングに、しかるべき形で姿を現す。 だからお前は、そのようなことを一切心配することなく、ただ育んでおれば良い。我らはお前を守ります」

その声は、かつて私が身近に聞いていた声とは異なる存在からのものでした。 その言葉に抗う必要もないので、素直に受けとめました。 やがて、その旅を一緒にしてくれていた友人が、ディジュリドゥを吹き始めました。 それに合わせて、私は持参していた篠笛を吹き始めました。

気がつくと、それまで同行されていた方々の姿が消えていました。 御嶽の前で、友と私の二人だけで演奏は続きました。 二人の演奏が終わりました。 そして目を合わせて、そろそろその場を離れようとした時、鳩のようなサイズの鳥が、私たちの足元からバタバタと飛び立っていきました。 とても不思議な光景でした。 こうして、久高島にて、「光の玉」との二度目の遭遇をした私は、不思議な体験を胸に、加子母に帰宅したのでありました。

★★★惑いと、気づきと
帰宅して数日後、私は草刈り器の刃が足に入って17針縫うという大けがをしました。 その時の出来事もまたドラマでしたが、ここでは省略します。 ともかくも意外に早くに退院できた私は、整体師養成コースを受講し、素晴らしい技と力を得る機会をいただきました。

やがて私は、整体院を開業しました。大勢の方が私の整体を受けてくださり、沢山の奇跡のような出来事が起きました。 そのうちに、私は【トーラス体操】なるものをあみ出しました。トーラス構造体と、菊の十六紋をなぞるこの体操をするだけで、体も心も整ってしまうという素晴らしいものでした。 この体操をしている時、私は自分があの「光の玉」の中にいる追体験をすることができました。 そしてこの【トーラス体操】こそが、私が受胎したものの一つだったと確信するようになりました。 また、整体をする際には、常に私自身が「光の玉」の中にいるイメージを持って臨みました。 そうこうするうちに、ある方が私の写真を撮ったら、まさに私がイメージするままに、「光の玉」の中に私が包まれていました。 
《光の玉に包まれる私》
光の玉に包まれる

このような体験が重なるうちに、次第に私の感覚が狂ってきました。「ひょっとして私は選ばれた、特殊な力を持った人間なのかもしれない。」 そんな思い上がった感覚を持つ様になったのです。 私の施術を受けて劇的に変化を遂げた人々の、私を見る目が変わっていったことも、私の大いなる過信と勘違いに拍車をかけました。 私は落とし穴にはまりました。 でもその時は、自分が道を外したことにも気づいていませんでした。 あのままでは私は「エセ教祖」への道を歩んでいったことでしょう。

★★★
そんな私の目を覚まさせてくれる出来事、人々が、私を救ってくれました。 もちろん、私自身も落とし穴から這い出せるよう努力しました。 それらを通して、「感謝」とは、感じて謝ることなのだと、心に沁みました。 「今まで本当にご免なさい。そしてありがとう」と、何度もつぶやきました。

昨年秋から年末にかけて、沢山の出逢いと学びがありましたが、その中でも年末に出逢ったある方は衝撃的でした。その方は、現役の行者でした。その行者さんから、多くの気づきをいただきました。 まず、私自身が行者であるということでした。 これまでに特別に修行者としての行を受けてきた訳ではありませんが、普段の暮らしの中でそのように生きてきたようでした。そのようにとらえて我が人生を振り返った時、腑に落ちる点が多々ありました。 

また、彼からは次のように言われました。
「まぁさんは、相手の体に触れずに整体できるはずですよ」
私にはその予感がありました。 ただ、今のところは体に触れる整体を続け、やがて段階的に成長しようとしていたのです。 そのことを伝えると、彼は一笑して否定しました。
「それだけの『光の玉』を操っているあなたが、何をおっしゃる! 今すぐ、できます! そしてあなたは、その『光の玉』で、人を助ける人を助ける時がいずれ来ますよ。 その時のために、『光の玉』をもっと研いておくと良いでしょう」

また彼は言いました。
「まぁさん。あなたには本名があるはずです。その名前は、あなた自身が見つけることでしょう」
それを聞いた瞬間に、私はある名前が浮かびました。
「あのう。早速に名前が浮かんだんですけれども・・・」
「それは何という名ですか?」
「光珠(こうじゅ)。 光の珠(たま)です」
「なるほど。 ならばあなたは今から『光珠』を名乗れば良い」
「エッ?」
さすがにそれには即答せずに別れました。 ただ、例の「光の玉」が、私にとってとても大きな存在であり、テーマであることを、より強く意識するようになりました。

★★★手放しを経て
そのような数々の惑いや気づきをいただき、2013年を迎えました。 この冬の間は冬眠期間と位置づけていた私でしたが、実際には忙しい日々が続きました。 それでも様々な出来事を通して、期待通りの時を過ごすことができました。 これには、断捨離を始めたことと、高熱を出してしばし寝込んでいたことなどもあります。 そのおかげで、身の周りも、体も、心もとても身軽になった私は、自分自身に素直に、正直に、そして自然体で向かえるようになってきました。

その結果、幾つかのことをやめることにしました。 まず、相手の体に触れずに整体する決心をしました。 例の行者さんから背中を押していただいたことを、早くも試すようになったのです。 この「触れない」という行為は、実際にやってみて、これまでの行為と全く異なる次元のことなのだということに気づきました。 

「整体を施術する」という言葉があります。 この表現からは、「私の持つ技術や力でもって、相手の方に整体を施す」というイメージがあり、実際に私はそのようにしてきました。 ところが、「触れない」ことで、私は相手の方について関知しないようになりました。 体も心も、そもそも「良い」とか「悪い」と分けるようなものではないのです。 ただそのような状態が「在る」だけ。 その「存在」と、天(宇宙、自然界)がつながるように、私はお手伝いしているだけなのです。 その際に、私は私の技術や力を行使しようとも考えていません。 ただ、私もその場に存在しているだけです。  その結果、面白い現象が起きるようになりました。 目の前の方が、自分で体を整えたり、何かしらのメッセージを受け取るようになったのです。 この行為を通して、その方が自ら自立するようになったかのようです。

この行為について、まだうまく表現することができていませんし、その行為を伝える的確な名前も見つかっていないため、とりあえず「体と心の浄化」と呼んでいる状態ですが、ともかく私自身は「触れない」ことで、新たな世界に足を踏み入れました。 これは私にとり、大きな一歩でした。

★★★
次に、「覚える」ということをやめることにしました。 今生に生まれてこのかた、私は大変な努力をして様々なことを覚えてきましたが、ものの見事に忘れるということを繰り返してきました。 物忘れのひどさは自慢できるほどで、仕事の内容はもちろん、知人の顔や名前、暮らしの様々な知識も、せっかく覚えてもすぐに忘れる始末です。

その性格にコンプレックスを持っていた時期もありましたが、次第に開き直るようになってもいました。 それでも懲りずに覚えるという努力を続けていました。 それはまるで、底の空いた袋に宝物(と信じているもの)を入れる行為を繰り返しているかごとくでした。 そのくせに、一時的に袋に入った、付け焼刃の知識をふりかざして、偉そうに人に指導するといったこともしておりました。 

ところで、私は「生」について、3つのレベルがあると感じています。 一つ目は、今生で生まれてからの「生」です。 二つ目は、先祖代々から引き継いでいる「生」です。 「血」やDNAとも表現できるかと思います。 そして三つ目が、魂レベルの「生」です。 これは輪廻転生に関わるものです。 私たちは誰しもこの三つの生を合わせて持っており、それぞれのレベルで学び成長してきた知識や経験を兼ね備えているとも感じています。

このうち、DNAや魂レベルの生に関しては、今更どうこうできる代物ではありません。 既にそのように存在しているのみです。 ですから、これらの生については、新たに覚えるとか蓄えるものではなく、敢えて書けば、「思い出す」「確かめる」といった類いではないでしょうか。 一方、今生でおぎゃぁと生まれてからの生では、沢山の経験を通して人は学び、覚え、そして忘れていきます。私の物忘れのひどさはこちらのレベルでのお話でして、まるでトコロテンのように、「入れては出ていく」を繰り返しています。

これまでの私は、DNAや魂レベルでの記憶には目もくれずに、一体何を焦っていたのか、底に穴の空いた袋に目の前の知識やモノを詰めることばかりに懸命でありました。 そして、時折袋の中を覗いては、「あぁ、また無くなってしまった・・・」と、空しくなるのでした。

それが、この冬眠期間を経て、ようやく気づいたというか、腹が決まったのです。 
「もう、覚えるのはやめる! どうせ忘れるから。 それでも本当に必要なものはきっと残っている!」 
そのように決意した瞬間、心がとても身軽になりました。 その後、講座や講習を受けても、覚える努力をすることを放棄しました。 すると、新たなことを発見しました。 学んでいる「今」が楽しいのです! 

これまでの私は、何かを学ぶ場面に遭遇する際、「これを将来、どう活かすか?」ということを常に意識していました。例えば自分が指導したり、人に施すために、学んだことを覚え、経験を重ねて修得してこそ、今の学びが活かされると信じていたのです。 でもそういう意識を持っているうちは、今を生きていなかったということに気づきました。 
「私はこれまでずっと、前ばかりみていて、足が地についていなかった!」
このことに今更ながら気づいたのです。 

つまり、私の背後には、既にDNAや魂レベルでの沢山の引き出しが在るのだから、そのことに目を向けさえすれば良かったのです。新たな引き出しを無理して作り、増やすこともなかったのです。 既に沢山持っているのに、そちらには目もくれずに、新たに手に入れようと努力しては失って、空しい思いを繰り返していた私。 これは大きな発見でした。 

同時に、これは年末頃からそのような意識状態になっていたことですが、自分を大きくも小さくも見せずに、そのまんま(等身大)でいることの気楽さにも気づきました。 「世のため、人のため」などと格好良いことを言って自分をつくろわずとも、私はただ私であれば良いだけなのです。

★★★「今」を生きる
以上の経緯を経て、ようやく次のような言葉を素直に表現できるようになりました。
「私は、私で在るだけ。 そしてただ、『今』を生きるだけ」
これまでも同じようなセリフを言っていた時期もありましたが、今は本当に肩の力を抜いて自然体で言えております。その上で、これからの生き方を定めました。

「私は、その時々でやりたいことをして、ワクワクして日々を過ごす」
要は、「好きに生きる!」と、心に決めたのです。

これまでに【もりのいえ】にて様々なコトをしてきた私ですが、実はまだまだやりたいことが山ほどあります。 例えば、
・家の前の畑のデザインを全面的に作り直したい!
・とても効率の良い畑「積層マルチ」を新しくしたい!
・「加子母百年米」を改めてじっくりと育てたい!
・マコモを育て、増やしたい!
・パン焼き用に、石窯を作りたい!
・以前やっていた陶芸工房を復活させたい!
・八ヶ岳時代にやっていた、「野焼きで縄文式土器を作る会」を復活させたい!
・ロケットストーブを完成させたい!
・以前いただいた、木のお風呂を設置して、マコモ風呂を始めたい!
・愛農かまど第二号を作りたい!
・自然エネルギー系をもう少し充実させたい!
・昨年いただいた車を、天ぷら油号として再出発させたい!
・家の裏の広場を整備したい!
・ティピやパオを組み立てたい!
・サークル状の踊りスペースを作りたい!
・野外ハンモックを設置して、夜空の星を眺めて眠りたい!
・露天風呂を設置して、お酒を飲みたい!
などなど。

こういうことを「やりたいな。やりたいな。」と言い続けて、数年経っているものもあります。これってまるで、「いつかはあの山に登りたい・・・」と眺めながら、いつまでも登らない人みたいです。これではいつまでたっても、何一つ前に進みません。現実にここ最近の【もりのいえ】は、こういう状態でした。

そこで、「好きに生きる!」方針に則って、やり方をかえることにしました。 その日、その時に「やろう!」と思ったことを、ともかく始める!というスタイルです。 以前だったら、「何月何日に○○ワークショップをします!」と告知して、募集して、準備して、・・・なんてことをしていたけれど、そういう段取りもしません。 その場のノリで進めます。 言わば、毎日がワークショップですし、無計画とも言えます。 そしてそういう暮らしに関心を持つ人が集ってきて、一緒に作業をしながらワイワイと楽しみながら過ごすことでコトが進み、その人自身も得るものがあれば愉快です。

★★★
つまり、こういうことです。
私は、その日その時にやりたいことをして、ワクワクして生きます。 その際、自分を大きくも小さくも見せません。 等身大の私です。 誰かの為にだとか、世の為にという前に、まず私が幸せに豊かに生きます。 常に「光の玉」の中に身を置き、「内なる声」に耳を傾け、日々生かされていることに感謝して、愛と至福に包まれて暮らします。 そんな私の生き様に関心を持ち、ご縁をつないでくださる方が集い、お互いにより幸せに豊かに生きられるようになれば、こんなに嬉しいことはありません。 また輝いて生きる人々が増えることで、ひいては世の中が豊かで明るくなれば、なおのこと嬉しいです。 それでも、私はありのままの私として存在しているだけ。 そのことを意識して、今を生きます。

これが、52歳を迎えるにあたっての、私の心境です。 これからもまた変化があることでしょうが、ともかく上のような心境で、今を生きることにします。 ここまで、本当に長い文にお付き合いいただき、ありがとうございました。