ところで、私の物忘れの凄さは、ますます磨きがかかっております。

覚える →忘れる →思い出そうとする →悔しくなる

この循環を断ち切ろうと、最初の「覚える」ことをやめて久しいですが、それをいつから始めたのかも忘れました。

ありがたいのは、忘れることに罪悪感を持たなくなったことです。
ですから平気で「あぁ、忘れちゃった〜」と言えるようになりました。

今週末、整体師養成コースが【もりのいえ】で開かれます。
今回は二期生の一年間コースの最終回です。
そして、最終試験を乗り越えられた人に、開業への道が拓かれます。
受講生の皆さんの成功を祈ります。

それにしても懐かしいなぁ。一年前の私もそうでした。
(卒業したことは覚えていますが、どうやって卒業したのかは忘れました)
そして整体院を開業して、大勢の方々にお越しいただきました。
ありがとうございます。

ところが、今や、その整体術もほとんど覚えておりません。
最近では、例えば子どもが怪我したり、調子を崩した時には、その部分にしばらく手を当てて、「いたいのいたいの、飛んでけ〜」とやるだけです。

そう言えば、かつて毎朝していた活元運動ですが、今や最初の呼吸法の仕方も忘れました。あれほど熱心にしていたのにね。

理恵は私に整体をしてもらいたがっていますが、具体的にその部分をどうこうしようにも、術を忘れました。
今はただ、私が傍にいるだけで、あるいは離れていても思いを寄せるだけで、回復してくれれば良いと願うばかりです。

それにしても、この忘れ方はどういうことか?
例えば、7/29、理恵が事故に遭う以前の暮らしを思い出せません。
まるで、それ以前の暮らしは、前世のようです。

前世や過去生を知りたがる人が多いと思います。
私もかつてはそうでした。
でも、今や私は今生に生きながらにして、幾つもの前世を抱えているかのようです。

先日も、手元の資料を整理していたら、ビジネスマン時代に作った企画資料なども出てきました。
その文面を見て、「いったい誰がこんなのを作ったんだ?」と、まるで他人事のように見ている自分がおりました。
そう、それはきっと前世の私が作ったのに違いない。

また、ある時に私はもったいぶって、お話を始めました。
「私が尊敬する人が岡山にいらっしゃってね、」
その続きを待つ人びとの前で、私は、
「・・・・・誰だっけ?」

これから話題に出そうとする、「尊敬する人」の名を忘れてしまうほどの私です。

こんな調子ですので、過去に大勢の方々から様々な教えをいただいたりもしたのですが、すっかり忘れてしまいました。
どうもすいません。

でも、忘れてはしまったものの、その数々の教えをそのタイミングで下さったおかげで、今の私があります。
ありがとうございます。

そして、私が忘れてしまったことで、ご迷惑をおかけしていることも多いかと思います。
ごめんなさい。

その上で、実は今の暮らしを気に入っております。
覚えないことには忘れようがないので、上に挙げた循環は無くなりました。

覚えず、あまり先のことは考えず、ただ、今を生きております。

理恵を見舞い、子どもたちと向き合い、家の中が片付いたところで、ひと息ついて幸せに浸っております。

そして、ファイヤー!、黒にんにく、黒にんにくペーストを作って、会う人にお配りして、共に楽しんでおります。

昨夜、けんちゃんが言いました。
「忘れられるって、芸術だよね」

なるほど。ならば私は、忘却の芸術家か?
ま、ただの物忘れのひどいオヤジだよね。格好つけることはない。

それにしてもこの忘却の生き方の彼方に、一体何が見えるのか?
楽しみなことです。