FC2ブログ
私は幼い頃から不思議に感じていたことがありました。

例えば、ヒーローもののテレビ番組を観る時、その冒頭に定番とも言えるパターンがあります。

「○○星の○○星人が、美しい地球を侵略しようとやってくる」

私はこの出だしから違和感を持っていました。

「○○星って、同じ人種の人が暮らして、同じ言葉をしゃべっているの?」
「高度な意識や知識を持った○○星人が、何故わざわざ遠く離れた地球を“侵略”しようとするの?」

同じ星に暮らしながら、人種が異なることで争ったり、所有権を競ったり、自分たちが暮らす星を痛めつけている地球人の現状をみるに、わざわざ関わってくる○○星人の気がしれなかったのです。

地球が美しいから?
美しいものを自ら所有したいと願い、高度に発達した○○星人さんたちは本当にそのように思うだろうか?

ずっと不思議でした。
その疑問に、先日読んだ「アミ 小さな宇宙人」は答えてくれました。

でも、それを読んで、私の気分がスッキリしたかと言うと、さにあらず。
私も含めて、「まったく地球人ってのはねぇ・・・」と、少々考え込んでしまったのです。

今も、まさに今も、地球人は同じ星に暮らす同士で争っている・・・

加えて、月の土地の分譲が始まったとのお話も最近知りました。
月の土地の所有権なんて、一体だれが管理しているの?

でも今の人類がしてきたことを振り返ると、そういう発想もありえるのかもしれません。南極だってそうでしょ?

★★★
私はどうかと言うと、いまだに「私が」という“我”から抜け出せていません。
だから他人の言動について偉そうなことも言えません。

ただ、今でしたら【もりのいえ】をここ数年やってきて、訪れてきてくれた人びととの交流を経て、それなりに実感していることがあります。

それは、私や【もりのいえ】と関わりを持ってくださることで、これまでよりもより広がりを持つ人生を拓くきっかけを持って下さる人が、少しずつ増えているということです。

最近では、三ヶ月半過ごしてくれた大ちゃんや、先日旅立ったヨッシーなど、ビジネス社会で疑問を感じてリセットし、何のご縁か【もりのいえ】を訪れてくれている人びとが、帰り間際に残してくれるメッセージが身に沁みます。

ヨッシーは言ってくれました。
「【もりのいえ】に来られて、本当に良かったです」

IMG_2359.jpg

私はきっと、そう言ってもらえることで人生の達成感を得ているのでしょうね。
そしてそういった経験が、これから生きる勇気を与えてくれます。

みんな、ありがとう。
スポンサーサイト



2014.08.21 幸せは足元に
先日、傘寿(八十歳)の誕生日を祝った親父との食事会の写真をプリントアウトしました。

スライド1

ここ最近、プリンターの調子が悪かったのですが、ようやく復帰したタイミングでの印刷です。今日はそれを持って、親父ではなく、老人施設で暮らすお袋を訪れました。

二年前に脳梗塞を患って、今は施設でお世話になるお袋。本来ならば傘寿の当人である親父に写真を渡すべきところですが、施設で独り暮らすお袋にまずは届けたくて持ち込みました。言葉少なでしたが、お袋は嬉しそうな顔をしてくれました。

私はその後、自分の会社の決算書類作成に集中するため、恵那の両親宅に移動。今もそこにいます。すると夕刻、お袋から親父に電話がありました。今朝、私がこの写真をプレゼントしたことを、ことのほか喜んでのことだったそうです。

こんな会話があったそうです。

お袋「この写真なぁ、上手に撮れているねん」
親父「誰が?俺か?」
お袋「いいや、私が」

笑えます。実にお袋らしいです。
そして親父にも「ありがとう」と語ったとか。親父も喜んでいました。

今日の夕食は親父と二人で食しました。両親も私の家族も、仲違いすることなく過ごせていることって、本当にありがたいねと語り合いながら飲み交わしました。

幸せってなんだろうと考える時、まさに幸せは、この足元にあると感じ入っています。
2014.08.21 懐かしいメモ
先日、家の資料を整理していたら、懐かしい紙切れが現れました。
昔のプラン-1

これは、八ヶ岳で「もりさんち」なる陶芸フリースペースを開いていた頃に、「次なるステップ」をイメージして描いたラフスケッチです。「もりさんち2」と書いたファイルに入っていました。たぶん、2002〜2003年頃の作でしょうね。

陶芸だけでなく他のアートもできる工房、ギャラリー、ショップ、コテージ、石炉、畑、林、駐車場などを配置して、別紙にはオーナールームやコテージの間取りも描いています。懐かしいなぁ。

昔のプラン-2

当時の私は、最初の妻と別れ、独り身で八ヶ岳の仙人の元で修行を受け始めた頃でした。財産も多くの友人も失い、まさにすってんてんの中、なんの収入の道も目処もないのに、「将来はこれくらい広い土地で、自分の思う場を運営したいものだ」と想像して、このような絵や図面を何度も描いていたものでした。「願えば叶う!」と信じて。

その後、りえさんと出会い(正確には再会し)、共に歩む決心をして八ヶ岳を離れました。そして二人のライフプランとして2004年に「もりのいえ」という将来ビジョン(夢)をまとめ、そのビジョンを実現できる地を求めるうちに加子母(かしも)と出会い、今に至ります。

それからも実に様々なことがありました。今こうして、かつてのマイプランを眺めるに、これまでにできたこともあり、できていないこともあり、当時の想像以上に実現したこともあり、現在進行形のものは多々あり、・・・。いずれにせよ、まぁよくぞここまで生かされてきたものだと感慨深いものがあります。

この絵を描いた頃から約12年。当時には想像できなかった今の私の姿があります。これから先を眺めた時、次なる12年どころか、一年後の姿も想像できません。そんな中、当時と異なることは、愛する家族がいて、新たな友や見守ってくださる方が大勢増え、今を生きる意識が強くなったことかな。

ありがたいことです。