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さて、いよいよ「雑穀シンポジウム」当日を迎えました。
正直言いまして、最初にお話をいただいた時には「雑穀?私に関係あるの?」
というような反応でしたが、今回はとても良い機会をいただきました。

まず、我が家での雑穀料理が増えました。
今までも普段の食材の一つとして戴いていましたが、
今回はかみさんも意識して料理してくれたので、
ほぼ毎食、つまり1日三食、雑穀をいただいております。
そのお陰か体調がすこぶるよろしい。体がよく動くし、うんこもよく出ます。

次に、雑穀に対する想いが深まりました。
日本ではかつて普通に食されていた雑穀。
それが今やかなり衰退してしまいましたが、
最近は見直しの機運が高まってきているのですね。

これまでも、ゆみこさん(大谷ゆみこさん)の本などを通して、
かみさんは雑穀に対して強い関心を示していましたが、
私はただ「食べる人」でした。
でもこれを機に「育ててみようか?」などと言うようになっています。

さて今回のシンポジウム。
最初にパネラーが一人ずつ自己紹介をして、
その後三人のパネラーとコーディネーターの掛け合いで1時間話し合うそうです。

その最初の分はプロジェクターで説明させていただくことにしました。
その画像をずっと整理していたのですが、
「あれも載せたい。これも言いたい。」という気持ちが先走り、
なかなか絞り込めません。
先ほど練習してみましたが、2分ほどオーバーしそう。許してくれるかな?

一方、ほんちゃんのディスカションですが、
こちらの方は、こと雑穀の話題になると知識不足は否めません。
付け焼き刃で勉強しておりますが、
そんな程度では来られる方に足元を見られるでしょうね。
だから最初から「ゴメンナサイ」で済ますつもりです。

むしろ私が語れるのは、
「田舎暮らし」
「地域とのコミュニケーションの取り方」
「地域での発信の仕方」と言ったところでしょうか。
ま、そこの辺りはコーディネーターにお任せしましょう。

と前振り(言い訳)が長くなったところで、
「雑穀」から感じたことを連ねていきます。

そもそも「雑穀」と言う名が特殊ですよね。
「雑」でみなさんは何を連想しますか?
「雑種」「雑草」「雑学」・・・
「世の中に雑草という名の草はないのです。」
と昭和天皇がおっしゃったそうですが、まさにその通り。

何故、「雑」という言葉にまるめたのか?
「ヒエ」「アワ」「キビ」「タカキビ」で良いではないか?
そういう想いがあったので、昨日わざわざ一つずつ取り上げました。
でも実は「雑」がつくものは、イコール「強い」という意味でもあると思います。
だから見方によればその名は勲章なのかな?

「何故、雑穀は衰退したのだろうか?」
最初はそんな素朴な疑問から入りました。
これは調べてみると幾つか答えが出てきました。
ものすごく簡単に言うと、まず、「割が合わなかったから」だと思います。

収穫して食べられるまでの手間や、それにかかる労力(資金)と、
需要(収入)が合わないからでしょうね。
そして「焼畑」ができなくなってきたこともあるようです。
他に、「戦後の政策だった」という説もあります。
この辺りの知識はもっと蓄えねばなりますまい。

そして何故ここにきて注目されるようになってきたか?
これまたものすごく簡単に、二つあると捉えています。
一つは、「人々が気づき始めたから」ではないかというものです。

現代って一言で言うとどういう時代だと思います?
いろんな見方があるでしょうが、こんな見方もあります。
「大量輸入、大量生産、大量宣伝、大量消費、大量廃棄の時代」
そんな時代では常に右肩上がり、つまり組織は常に拡大しておく必要があります。
そうしないと倒れるから。

「でも、それって変じゃない?」と、
いよいよ大勢の人々が感づき始めたのではないだろうか?
そしてそんなことって、
田舎のじいちゃん・ばあちゃんは、ずっと昔から知っていたのです。
そんな彼らのかつての主食が、「雑穀」でした。

私達は便利さ(楽さ)を求めた結果、大切なものを失っています。
それは「心豊かな暮らし」です。
それは決して「モノや金の豊かな暮らし」ではありません。
いよいよそういうことに気づいて、
意識と行動を変えるべき時がやってきたように思うのです。
その意識や行動を変える時のキーワードの一つが「雑穀」ではないのか?

私達が常日頃、語り合っている言葉があります。
それは「足るを知る」という言葉です。
「足るを知る」とは決して「貧乏であれ!」と言っているのではありません。
「あれこれ欲を張らなくても、とても心豊かに暮らせるネタが実は身近にある」
ということだと思います。
その思いを噛み締めることができるきっかけが、「雑穀」ではないのか?

その他、「身土不二」「循環型の暮らし」・・・
いろんな視点から見ても、「雑穀」はストンと収まりがよろしいです。

そんなことを考えておりながら、ふとある言葉が浮かびました。
「自然に帰れ!」
皆さんは学校でこの言葉を習ったことを覚えておりますか?
これはルソーの言葉です。

ここでルソーの「自然に帰れ」についての解説文を転載します。
「ルソーによれば、自然状態にある自然人は自己愛(=自己保存の欲望)だけではなく、あわれみの情(同情心)をも備えている。しかし人間が集まり社会ができると、不自由や不平等が発生する。ルソーは自然状態から社会が堕落(不平等・不平等の発生)した原因を、私有財産に求め、「自然に帰れ」のスローガンのもと文明社会を痛烈に批判した。」

成る程、歴史は繰り返しておるのですな。
そこで追随してここで唱えましょう。
「雑穀食って、もいっかい自然に帰れ!」

雑穀が注目されてきたもう一つのきっかけとして、
私はゆみこさん(大谷ゆみこさん)の功績が大だと思います。
今回資料を整理していてつくづく感じましたが、
彼女の発する言葉にはオーラを感じます。

ただ「雑穀は身体にいい」という論調の他の書籍とは確実に一線を画しています。
そんな彼女を見ていて、「やはりな」と感じました。
「コト」を進めようとする時、あるいは「コト」が進む時、ある共通した点があるのです。
それは、「信念(熱意)とビジョンを持ち、旗を振り続ける人の存在」と、
「努力(苦しさ)」だけでなく、夢(楽しさ)を遡及できるだけの方法論があること」です。

私は「何事もドラマだ」と考えています。
たとえば地域づくりもドラマです。
ドラマって何からできていると思います?
簡単に書くと、「舞台」と「役者」と「シナリオ」です。

それぞれの地域で「地域起こし」なるものが試行錯誤されていますが、
成功している地域には上の三つが揃っています。
ゆみこさんの場合は、「雑穀という舞台」で、「ゆみこさんに集う役者たち」が、
「哲学と信念と楽しさを持ち合わせたシナリオ」展開をされてきたことが、
今の「雑穀見直し潮流」を生んだと感じています。

とまぁ、つらつらと書いておきました。
その上で実際にどんな話の展開になるのか?
これもまた楽しみであります。
では、行ってきます!

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