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2012.08.25 滝行に学ぶ
8月18日、文月が近づいた頃、
これまでとは異なる感覚に包まれました。

「新しい時代がいよいよ始まる・・・」
そんな予感です。

その変化に向けて、私自身の内側で、新たな感覚が生まれました。
そして決心しました。

「一度、死のう。」

実際に肉体をそのように仕向けるということではありません。
気持ちの上で、一旦リセットする気になったのです。

私は生まれてから、様々な経験を通して、善しも悪しきも、
何事に対して、ある経験軸(ものさし)を持っています。

そのおかげで、現実の暮らしで生かされることがある反面、
自分自身の枠を外すのに苦労する場面も数多くあります。

つまり、オギャーと生まれてから、何かと色がついているのですが、
その色を外す生き方をするのではなく、
もう一度オギャーと生まれかわり、
真っ白な状態から生き直してみようと考えたのです。

いわば、還暦です。
「十三の月の暦」では、52歳が還暦だとか。
私、来年3月に52歳になるので、良いタイミングです。

★★★
では、どうやって死ぬのか?

咄嗟に浮かんだのが、滝行でした。
そこで、文月初日(8/18)の夜明け頃に、
最近通っている滝に向かいました。

その滝は、高さ2m弱の低いものです。
滝壺も数十cmなので、辿り着くのは比較的楽です。
他にも好きな滝はあるのですが、
最近はこの滝のお手軽さが気に入って、通っていました。

さて、いつもの通り、大山神様にご挨拶してから、
渓谷に入ります。

この日は、夜明け時に滝行をするのが初めてだったので、
ただ「滝行すること」に意義を感じて、入らせていただきました。

だから、特に何かを期待してはいなかったのですが、
この日の滝は、力強く、愛に溢れており、そして厳しい存在でした。

1滝行20120818

滝に打たれている時、ひと言聞こえました。

「あと何回か来なさい。」

この言葉、「あと7回来なさい。」
とも聞こえたので確かではないのですが、
ともかく、その程度の回数は通う方が良いのだな、と感じました。

★★★
翌々日(8/20)、宿泊客と共に、再びその滝壺に向かいました。
ところが、18日にすごい大雨が降ったためなのでしょう、
いつもの倍ほどの水量に増えていました。

私はともかく、滝行そのものが初めての方もご一緒でしたので、
場所を変えて、少し水量の少ない滝を選びました。

それでもこの日の滝は、結構すごいものでした。
何よりも勢いがありました。
おかげで一つ穴が開いて抜けた感があり、
その抜けたものが水に流されたような感覚がありました。

その夜、うちゅうまんが降りて来る、
ゆうこちゃんと電話で話し合ったのですが、その際、
「まぁさん、何だか『抜けた』感じがするね。」と伝えてくれました。

★★★
その翌日(8/21)、三たびいつもの滝に向かいました。
前日よりは水量が減っていますが、それでも結構なものでした。

2滝行三回目20120821

入ってしばらくして、ある言葉が降りてきました。
滝から出た後も、言葉がしばらくの間、続いていました。
その内容を要約します。

「人は求める時、背伸びをする。
その時に、自分の軸足からずれる。ぶれる。
何も求めることはないのだ。

人は『天』という言葉を思う時、空を見上げる。
その時に背伸びをして、軸足からずれる。ぶれる。

天は空にだけあるのではない。
天は目の前にある。
天は自身の内にもある。

今を生きろ。
将来に大きなことをしたり、作ったりするよりも、
日常の暮らしの中に、得るものがある。
満たされるものがある。」

この言葉を噛みしめながら、渓谷を下りました。

★★★
そして8月23日、4回目でした。
この日はU太とFUKUも一緒でした。

渓谷を登る際、私は何ともいえない喜びに見たされていました。

「私の人生にはいろいろあった。
にも関わらず、今こうして、愛する家族やスタッフに囲まれ、
やりたいことをして、人々が集ってくださり、
そして結果的に暮らしていけている。
何よりも私自身がいつも至福に満たされている。
こんなに幸せなことはあろうか!」

そんなことを思い浮かべながら、大好きな滝壺に到着しました。
この日は篠笛を持参していたので、
その滝壺の傍で吹くことにしました。

この時、滝の傍に立ち入ったのは私一人で、
他の方は入らずに、カメラでの撮影をお願いしました。

いつもの通り、笛を両手に抱き、滝に向かって礼をします。
そしておもむろに吹き始めました。
この日の笛はとても心地よく、私はずっと目を閉じたまま、
最後までじっくりと吹かせていただきました。

私が滝壺の脇で篠笛を吹く間は、龍神様が出てきている。
過去にそう言う人が複数おられましたが、私には分かりません。
ただ、大いなる存在に見守られている感覚は感じました。

★★★
やがて演奏を終え、私たちは場所を変えて、
いつもの滝に向かいました。

この日の滝は、行をするには程よい水量で、
大らかな愛を感じました。
そして滝に打たれている最中でした。
突然に、たったひと言が降りてきました。

「よし!」

えっ?「よし!」?
まさかね。耳を疑い、咄嗟に訊ねました。
「本当に『よし』なのですか?」

すると再び声がしました。
「そうだ。よし!だ。」

3滝壺で立つ

もっと滝行を重ねないことには、そのような言葉を聞くことはない。
などと考えていたので、ありがたく感謝する半面、
「本当にこの程度の私でいいの?」と不思議な感じがしました。

やがて滝の傍から離れ、カメラを持つ人々の元に戻りました。
すると、彼らが興奮しておりました。

「まぁさん!さきほど滝壺で撮った写真がすごいんです!」

「そうか。それは帰宅してから見せてもらうよ。ありがとう。」

私はその写真がどれほどすごいものなのか想像もせず、
むしろ私自身が受けた言葉の意味を考えて下山し始めました。

その時、再び声がしました。
「よし!と言うのは、これで全て完了という意味ではないぞ。
むしろ、いよいよこれから始まるということだ。
そして、これには終わりはない。」

なるほど。
道は続き、一つの通過点を越えたということなのですね。
そういうことなら納得です。

★★★
こうして一人納得して、心満たされた気分で帰宅しました。
そして撮っていただいた画像をパソコンに移してビックリ!
思わず声を出しました。
それがこの画像です。

4私のカメラで光の中に

私は普段から、自分が光の玉の中にいる情景をイメージしています。
特に《整体》をする際は、その玉が直径2〜3mほどになり、
その玉の中に人をお招きしています。

私が《整体》する際は、もちろん施術をさせていただくのですが、
一番大切にしているのは、
その玉の状態を保つことです。

その玉には、私の内から溢れる愛を満たしています。
いわば「愛の気のお風呂」のようなものに、相手の方に入っていただき、
そうすることで、私の目指す《整体》、
『体が整い、心がゆるみ、魂と会話する』
ということが成り立つのだと信じています。

上の画像を見た時、
まさにその「光の玉」が姿を現したかのように感じました。

普段意識していて、確信してはいるものの、
こうして客観的に見せてもらえると、励まされます。
ありがたいことです。

上の画像は、私のカメラで撮っていただいたものなのですが、
もう一つ、同行されたお客さんのカメラでも、
同じ様な画像が映っていました。

5荒川さんのカメラ-1

別のアングルでは、このような映りでした。

6荒川さんのカメラで光の中

どちらのカメラを構えていた人も、
実際の目ではこのようには見えていなかったそうです。
いやぁ、驚きました。

そして、驚きはこれだけではありませんでした。
最初に私が声を上げた画像ですが、
少し不思議に感じて、トリミングして拡大してみました。
それがこの画像です。

7光の中の私は別人?

エッ?これが私なの?
頭の形や、醸し出す雰囲気が、
自分で認識しているワタシではありません。
まるで、誰かが乗り移ったかのような・・・
私を守ってくださっている存在であろうか?

こうして、不思議な、そして貴重な体験をさせていただきました。
今の心境は、ただただ感謝です。

今まで生かさせてくださり、ありがとうございます。
今や幸せな暮らしをさせていただき、ありがとうございます。
そしてこのような至福の時に置かせていただき、ありがとうございます。

私の道はこれからもずっと続くことでしょう。
この道を歩む中で、実に心強い支えを見せていただきました。
本当にありがとうございます。
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