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この度のラダックの旅で、
私の精神面を鍛えるのに
様々な条件が揃いました。

・シャーマン(ラモ)に出逢えたこと(2回)
・占星術師(オンポ)に出逢えたこと
・ツェワンさんの解説で
 ゴンパ(寺院)を幾つもまわりながら、
 チベット仏教を学べたこと
・ミラズハウスの客室や仏間で、
 ふんだんにストレッチ・瞑想・
 【トーラス体操】・【光珠】ができたこと
・ラダックの素晴らしい景色の中で、
 他に何も考えずに過ごせたこと
・雪解け水で、滝行・湖行ができたこと
・パソコン・ネット環境に、
 三週間まったく触れなかったこと
・素晴らしい仲間と刺激し合えたこと

他にも様々な条件が揃いました。
この一つ一つについてドラマがありました。

特にシャーマンとの問答では、
もの凄い体験と学びをいただいたのですが、
書き出すと相当長くなるので、
どこかでお話する機会があれば
お伝えさせていただきます。

さて、これらの条件が揃い、
得難い体験を経るうちに、
私の心持ちがどんどん変化していきました。

その過程は省略させていただいて、
結果をまず記しますと、
私は“一人出家”することにしました。

特定の宗教の得度を受けた
ということはありません。
ただ、一人で決めたのです。

そして、私が今、
自分に課している「行」は、
次のようなものです。

「日々の暮らしの中で、
常に慈愛に満ちた心であり続け、
常に慈愛に満ちた言葉しか口にせず、
常に慈愛に満ちた行いしかしない」

この決意をしたのは、
旅をして2週間ほど経った頃です。

そして、決意してからのちの旅は、
まさに“常に”私自身が、
そのような状態であるかどうかを
確かめる日々でした。

そのような視点で我を見るに、
心と言葉と行いが、
いかに一致していないことか!
日々の瞬間ごとに
ギャップを痛感しております。

心にもないことを口にして
その場を和ませようとしたり、
心の持ちようそのものが卑屈であったり・・・

日中の意識がある間中、
「あぁ、まただ」と、
決意と現実のギャップに
驚かされるばかりです。

それでも救いなのは、
落ち込むことはなく、
「あぁ、また気づかせていただいた」
と感謝し続けられていることです。

このことをシャーマンに
二回目に逢った時にお伝えしましたら、
「それも一つの段階です。
そのことに気づいただけでも良かったですね。
でも、その段階でとどまっていては、いけませんよ」
と、励まされました。

☆☆☆
ところで、
持参した「アナスタシア」を再読していて、
水について書かれている文書を読んでいた際に、
突如、あることに大いに腑に落ちました。
そのお話をできるだけ簡潔に書いてみます。

例えば、私がよく通う乙女渓谷で、
目の前の清流に手を差し入れて、
両手に水をすくったとします。

すると、それまでは一緒に流れていた水が、
その瞬間に、私の手の中に残った水と、
指の間をすり抜けた水とに分かれます。

手にすくった水を、
私が飲み干したとします。

すると、その水は、私の身体の中に入り、
その後、体液や身体の一部に
なるかもしれませんし、
汗や尿として出て行くかもしれません。

一方、私の指をすり抜けていった水は、
その後、別の人の口におさまるか、
あるいは、工業用水として取り込まれるか、
ほとんどはそのまま海に
流れていくことでしょう。

このように、一瞬の出来事で、
運命を分けた水たち。

さて、私の身体におさまった水たちは、
かつてどこをどのような
存在でいたことでしょうか?

どのような水たちも、
いつかは蒸発し、雲を形成し、
やがて雨や雪などとなって
地上に降り立ってくると学びました。
いわゆる“循環”です。

すると、先ほど飲み干した水も、
数年前、あるいは数十年前に、
やはり私の身体に
おさまっていたのかもしれません。

でもその確率は
相当低いと想像できます。

そのように考えると、
水とは、遠い昔から、世界中で、
実に様々な経験をしてきているわけです。

例えば、都会の水は汚れているとか、
田舎の水は綺麗だと言っても、
それは、今の一瞬の状況であるだけです。

実は水は、もの凄い経験と記憶を
持ち合わせている訳です。
そしてつながっている・・・

その様々な経験を積んで、
様々な記憶をおさめた水が、
今、私の手の中にある・・・

そのように考えるだけで、
水がとても愛おしくなりました。

そして、実は水は
あらゆるものの中に含まれています。
他の動物や植物、
石や目の前の物たちにも。

つまり、
ラダックで本を読んでいる私の脇の
樹木の葉に流れる水も、
私の身体の中を流れる水も、
言わば兄弟のようなものです。

そのような視点で、
目の前の木々の葉を眺めた時、
従来とは異なる感覚を感じました。

実は私は、今回の旅で、
「植物と会話をしたい」と願っていました。

この時、
会話をするまでには至りませんでしたが、
彼らとの共通項を見つけて、
今まで以上に親しみを
感じるようになったのです。

そして私は、その植物だけでなく、
私の身の周りの全ての存在が、
つながっていることを感じました。

全てが愛おしく感じました。

今回、水を通して、
私自身の存在と、
周りとのつながりを
密接に感じた瞬間でした。

☆☆☆
この体験を経てから、
私の【トーラス体操】と【光珠】の
スタイルと意味合いも変わりました。

もう、私のためだとか、
誰のためというのではなく、
ただ、宇宙とつながっていることを
実感するのみという感覚なのです。
それは至福の時でもあります。

また、【光珠】をするのに、
時と場所を選ぶことがなくなりました。

これは冒頭に述べました
決意とも関連するのですが、
私が常に“心と言葉と行ない”が一致していて、
それが全て慈愛に満ちているとするならば、
既にそれが【光珠】の状態である訳です。

ですから、わざわざ
「今から【光珠】を始めます」と、
時を刻む必要がないのです。

つまり、【トーラス体操】や【光珠】は、
「ただ私がつながっているだけ」
「ただその状態であるだけ」
のものになりました。

言い換えると、
「ただ、私は光っているのみ」
とも言えます。

大切なのは、私自身の有り様でしょう。
奢れることも、へりくだることもなく、
ただ宇宙に身を任せるのみという感覚です。

また、私の身の傍に置く
道具たちが変わりました。

私はシンギングボウルを
手放す決心をしました。

そもそもは、この旅で
新しいシンギングボウルを
手に入れるつもりでいました。

ところがいくらお店を回っても、
ピンとくるものと出逢いません。

そのうちに、
上にお話した水との関わりから、
「私の手元に置くべき物は他にある」
と感じるようになりました。

そこで、シンギングボウルを
求めることをやめることにしました。

新たに手に入れるどころか、
日本に置いてきたシンギングボウルも、
手放すことにしたのです。

加えて、オンポ(占星術師)から、
私の守護神が、金剛菩薩であると
アドバイスを受けていました。

帰国してから調べると、
金剛菩薩にはいろいろいらっしゃるようですが、
ともあれ、一つの方向性が見えました。

その結果、今回、私が手に入れたものは、
次の通りです。

金剛杵(こんごうしょ、ドルジェ)×大小
金剛鈴(こんごうれい、ガンター)
チベタンベル(ティンシャ)
数珠
ラダック・私の買い物

どれもが、入手するまでにドラマがあったのですが、
ともかくご縁があって
我が前に来ていただいたとしか
言いようがありません。

こうして、新たな道具たちの力も借りて、
【トーラス体操】をするようになりました。

ただし、当然のことですが、
モノに依存し、
おぼれておる場合ではありません。
彼らはあくまでも私を助け支えてくれる、
一つの扉、一つの力です。

☆☆☆
となると、この先、
【光珠】をお申し込みされた方には、
どうなるのかというと、
「その光を束ねて、お届けする」
ということになるのでしょうね。

光をお届けすることで、
その方にどのような変化が起きるのか?
それを保証するものではありません。

ただ、お申し込みいただければ、
光をお届けします。
お代は求めません。

私はただ、お申し込みいただくだけの
“求め”にふさわしい存在である様に、
日々、毎瞬、己に課した行を続けるのみです。

それが、「常に、慈愛に満ちた
心と言葉と行いであり続ける」
という、“一人出家”した私の行なのです。

これが、今回の旅で、
私が得た、最大のお土産です。

ここまで、
できるだけ心と言葉を一致させて
書かせていただいたつもりですが、
あなたにうまく伝わることを祈ります。

長文にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
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