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*このブログは、理恵が遭った交通事故と、
 その後の経緯をまとめたものです。
 その内容は、適宜、変更を加えていきます。
(画像をクリックすると、大きくなります。)

7月29日(月)午後1時40分ごろ、
理恵が交通事故にあいました。
場所は、岐阜県東白川村「つちのこ舘」のすぐそば、
加子母寄りのカーブです。

1 事故現場

その日は大雨でした。
上の画像で、こちら側(白川町方面)から
走ってきたハイエースが、
センターラインをオーバーしてきました。

そして向こう側(加子母方面)から
軽トラに乗ってやってきた理恵と
正面衝突しました。

「つちのこ館」の方が事故に気づいて近づくと、
理恵は車の中にはさまれて、
相当辛い様子だったとのことです。

まず救急車が到着。
それからレスキュー隊が呼ばれました。
結局、事故から救出されるまでに
1時間ほどかかったとか。

私に連絡があった時には午後3時を回っていました。
「白川病院に奥さんが運ばれているので、
まずはそちらに向かってください!」とのことでした。

病院に向かう途中に、事故現場があります。
一旦、車を停め、写真を撮り、
警察立ち会いのもと、相手のドライバーと会いました。

理恵の乗っていた軽トラは、
見事にぺしゃんこになっていました。

一方、相手のハイエースは、
少しへこんだ程度でした。

相手のドライバーは怪我をした様子はなく、
100%自分に責任があると認め、
ただただ恐縮した様子で、
「もうしわけありません!」と
繰り返すだけでした。

ともかく、理恵の様子が分からないので、
その場を早々に離れ、白川病院に向かいました。

病院では、治療中とのことで、
1時間以上、待ちました。

私が入室を許可されたのが、6時頃です。
理恵は顔面蒼白でした。
それから院長の説明を受けました。

「これは、雨が降っていなかったら、
ヘリで搬送されるような状況です。
とにかく出血がひどく、
特に赤血球の数値がどんどん下がって
215まできています。(通常は400ほど)
輸血用の血液を至急取り寄せているが、
いずれにせよ、血圧的に今夜が山場です」
とのことでした。

後になっていただいた診断書によりますと、
次のような病名となります。

両大腿骨骨幹部骨折
両足関節開放粉砕骨折
外傷性出血性ショック
外傷性血気胸
外傷性腹腔内出血

理恵は意識こそありますが顔面蒼白で、
マスクをつけて、ゼイゼイしておりました。

そこで、一旦家に戻り、
事情をスタッフに伝え、子どもたちを任せ、
ブログで一報のみアップし、
理恵の傍で一夜を過ごすために
急ぎ病院に戻りました。

夜の間ずっと、理恵は息苦しそうにしておりました。
私はただ傍で祈るばかりでした。

この時、不思議な現象をみました。
病室には小さな電球色の灯り一つだったのですが、
私がまぶたを閉じると、
白く明るい光の玉が、幾つも浮かんでいました。

何度か目を開けて確認しましたが、
そうすると何も見えません。
でも、まぶたを閉じると、幾つも見えるのです。

全国から、沢山の方々が祈り、
光を送っていただいていると、確信しました。
本当にありがとうございます。

またこの光景は、数日後にある映像を見つけた時に、
その冒頭シーンと全く同じでした。
これがその映像です。
この曲と映像は、その後の私の心を支えてくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=EMZ-mkLvqEg

7月30日
一夜明ける頃には、
理恵の顔は少し赤みが見えるようになりました。
病院長も「一命をとりとめましたね!」と
ほっとした様子でした。

そして、「できるだけ早く、
岐阜市内の病院に転院した方がよい」
とのことでしたので、一任して
早々に村上記念病院に転院することとなりました。

理恵は、夜の間も片言はしゃべっていましたが、
朝方になって、そこそこ長い言葉を話せるようになった時に、
次のように語りました。

「今回は本当にまずいと思いました」

まさにその通りだったと思います。
きっと、死線をさまよったことでしょう。

にも関わらず、次のような言葉を口にするのでした。

「私は過去(世)に、
他の人に同じ様なことをしたような気がするの。
だから今回、このようなことになったんだろうってね。
だから、事故直後に相手の運転手さんが近寄って来られた時、
私の方が先に『ごめんなさい』って言っちゃった」

「それで相手の運転手さんは怪我をしていなかった?
大丈夫だった?」

痛みに顔を歪めながら、こんなことを言う妻に、
私は驚きました。

また、こんな風にも語っていました。
「大好きなアフリカンダンス、
もう踊ることはできないでしょう。
でもこれからは、ジャンベ(太鼓)を叩いて、
周りを踊らせよう」

生きる力が強い人です。
私もこの姿勢を見習い、
共に生きていきます。

ともかく理恵は、気は丈夫な様子でしたので、
転院の段取りは白川病院にお任せして、
私は一旦家に戻りました。

そして今度は三人の子どもたちと共に、
岐阜方面に向かいました。

幸いに理恵の実家は転院先とさほど離れていなかったので、
子どもたちは実家に預け、
転院先(村上記念病院)に一人で向かいました。

その日のうちに両足の大腿骨をつなぐ手術が行なわれ、
夜10時頃に無事終了しました。

その夜は全身麻酔を受けた
理恵の様子を確認しただけで退室し、
翌31日に病室に向かうと、
生気の戻った理恵と再会することができました。

6 7:31大腿部手術成功翌日

「生きておればこそだなぁ」

この時ほど、その喜びを感じたことはありません。

本当に冗談ではなく、
あの事故で理恵は死んでいてもおかしくはなかったです。

実際に、事故現場を見た人や、
車を引き上げてくれた修理業者さんがおっしゃるに、
「よくぞ、あれで、生きて出られたね!」
というような状態でした。

しかも、当初少しは肺と内蔵にダメージを受けましたが、
その後は無事回復しましたので、
結局、上半身は無事となりました。
これもまた、奇跡としか言い様がありません。

生かされていることに、心から感謝です。

7 8:5手記を書けるようになる

久々に家族全員が顔を合わせることもできました。

8 8:6家族で集中治療棟へ

それでも重傷であることは変わりなく、
しばらくの間はHCU(集中治療)病棟で
過ごすことになりました。

少し移動するにも、
大勢の看護師さんたちが動いてくださいます。
本当にありがたい限りです。

9 8:6大勢で移動

8月8日
最大の課題である、両足首の手術を受けました。
理恵の足首は、折れているというよりは、
くだけているという状態でした。

無事に一命をとりとめたとはいえ、
その後の暮らしを考えると、
最大の山場ととらえていた私は、
朝から乙女渓谷で祈り、
U太がお母さんの誕生日に贈った、
手彫りの仏像を持参して祈りました。

10 8:8足首手術

手術は無事成功!
術後の写真を見せていただきましたが、
よくぞこんなことができるものだ!と、
ただ感心するばかりです。

一方、理恵はその日の夜はきつかったそうです。
翌朝に見舞いに行った時は、
顔が少々こわばっておりました。

11 8:9痛みでこわばる

またその頃から、
「腰が痛い」としきりに訴えておりました。

それはそうでしょうね。
ずっと寝返りがうてない状態でしたから、
腰、特に尾てい骨が辛かったと思います。

それでもやはり「生きておればこそ」
ただただ感謝です。

8月12日
ついに一般病棟に移りました。
それも個室に!
これは本当にありがたかったです。

12 8:12一般病棟へ

家族で揃っての写真でも、ゆとりがあります。
13 8:13家族で一般病棟へ

8/22には、U太が夏休みの工作で作っている
蒸気機関車を持参しました。
こうしてみると、良く似た親子です。

14 8:21U太が蒸気機関車で見舞う

何度も書いておりますが、
これまでに実に大勢の方々が、
理恵のことを想い、祈り、見舞ってくださっています。
中にはお逢いしたことのない方もおられます。
本当に、本当にありがとうございます。

そして、名乗り上げもせず、
ただ祈ってくだっている方がおられることも
感じています。
ありがとうございます。

皆様のお心遣いのおかげで、
理恵は確実に回復しています。

ただ、急ぐことはなく、
じっくりと回復してもらえれば良いです。
そして、その結果の善し悪しも言いません。
ただ、目の前に起きていることを受けとめるのみです。

そして、大勢の存在によって
生かされていることに感謝して、
今を過ごしています。
ありがとうございます。

☆☆☆
「何かできることがあったら、何でも言ってね!」

大勢の方から、このお言葉をいただきました。
ありがとうございます。

お言葉に甘えて、今、お願いしたいことを
記しておきます。

・住み込みで家事をして下さる方がいてくださると
 とても助かります。
・草刈りをしていただけると嬉しいです。
・子どもの相手をして下さる人を募集中です。
・薪をいただけたり、薪づくりをしてくだされば
 冬に心配しないで済みます。
・新しい生計の道をつくり始めていますので、
 できる範囲で支えてくだされば嬉しいです。

どれも、ご無理のない範囲でお願いします。


9月5日、理恵より、
これまでに支援や祈りをして下さった皆様へ、
お礼と近況報告をさせていただきました。
こちらです。

11月頃
この度の事故で体中を検査したところ、卵巣に腫瘍があることが分かりました。
ほぼ良性であろうとのことですが、実際には摘出してみないと分からないそうです。

12/17、おかげさまで理恵が退院しました。
4ヶ月半の入院生活でした。
理恵からのお礼のご報告です。

http://www.youtube.com/watch?v=TEX4Xj7wOzI&feature=youtu.be


12/20、理恵と共に村上記念病院の婦人科と整形外科を訪問しました。
婦人科では、卵巣の腫瘍について説明を受けました。
今後は県立多治見病院にてご相談することになりました。

整形外科では、当初からお世話になった先生とお話ししました。
今後も時折、その先生の診察も受けますが、主に中津川市民病院に通って怪我の処置とリハビリを受けることになりました。

どちらも東濃地方にあり、これまでよりは自宅に近くなります。
そしてより長丁場になります。
じっくりと腰を据えて向き合っていくことにします。

これまでのご支援、本当にありがとうございます。

☆☆☆
長文にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
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