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最近、理恵と話をしていて、自分で「なるほどなぁ」と感じたことがあったので、記しておきます。

私はこれまでにブログやFacebookでいろいろアップをしてきましたが、そのほとんどは、自分自身の記録のために書いています。自分の記憶力の無さを十分に認識していますので、我が人生のアーカイブを残すつもりで記しているのです。

そもそもブログの「ログ」は「記録」という意味ですし、ブログのタイトルも「山暮らし日記」です。

ですから、私は日記をつけているつもりで書いていますし、たまたまそれが誰からも見られるようにしているというのが、基本的な姿勢です。

ただし、そうでもない時もあります。例えばイベントの告知や【もりのいえ】商品の紹介など。あるいは「これは知ってもらいたい!」という時は、その姿勢で書きます。

「日記」として、つまり自分自身のために書いているのは、全体の7割〜8割程度だと、自分ではそのように捉えています。例えば今回のように「記しておく」と書いている時は、そういうパターンです。

ところが、現実にその内容は外に出ていますので、読む人にとって受けとめ方は様々です。

私の場合、特に多いのは、「この人は自己顕示している」という受けとめ方です。同時に「認めてもらいたいのね」という指摘です。

確かにそのように意識している時もありますが、周りから指摘を受ける場合は、たいてい無意識でしていることが多いです。

ここからの思考は長くなるので省略して、今の私はこのように捉えています。

「意識的であろうと、無意識でとった言動であろうと、結果的に『自己顕示だ』と受けとめられたのであれば、その思いや欲は現実に私の内に存在する」

自己顕示があることの善し悪しの話は飛ばして、今の私はできるだけ「普通のオヤジ」であろうと意識していまして、「そのような自己顕示の芽は省こう」と決めました。隠そうとするのではなく、芽を取り除くという意味です。

そのような目で眺めると、私の過去のブログは自己顕示だらけです。それをいちいち振り返って削除していく気もないので、ともかく今記している文章にそのような気配がないかどうか確認しながら書いています。

自分が記してオープンになったものの自己認識と、影響についての思慮の必要性を、今更ながら感じています。