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最近は、家の中の片付けと同時に、ココロの持ち方や過ごし方についても「手放し」を試みています。以下、私が最近に手放したもの、あるいは手放そうとしているものを記します。

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一つ目は、「まとめる」という行為です。

「まとめる」とは、「現状を分析して整理し、この先どのようにしていけば良いのかという判断(段取り)を示していく行為」ということにします。英語では「オーガナイズ」という言葉があてはまるそうです。

私は、「自分は他に抜きん出た能力は無いが,まとめることだけはできる」と思い込んできました。自分自身の生き方はもちろん、【もりのいえ】のあり方や、ビジネスの世界ででも、まとめる能力のおかげで今の自分があると信じてきました。いわゆる「事務局」と呼ばれる業務は、自分にうってつけだと確信してきました。

ところが最近になって、「これは思い過ごしではないか?」と感じ始めたのです。確かにまとめることは得意です。でも私はそれが好きなのか?と自分自身に問いかけた時、「好きでやっている訳ではない」という答えが返ってきました。

要は、この社会を生き抜くために、「まとめる能力」を身につけてきたんですね。生きるための術(すべ)とも言えます。でもそれは、あくまでも術であって、私が心からしたい行為ではなかったと気づきました。

そこで、「まとめる」という行為を手放すことにしました。日常の暮らしで身に沁み付いていますので、完全に手放すことは困難かもしれませんが、必要以上に手を出すことはやめました。

例えば、話し合いの場面で仕切るとか、議長のように「要はこういうことですね」的な発言を控えることにしました。議事録作成からも離れます。できるだけ身軽になって、まずはフワフワと漂うことにします。

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二つ目に手放す決心をしたのは、理恵です。

ここ最近は、内観と同時に理恵といろいろ話し合ってきました。
その中で、これまでにずっと私が勘違いしていた、あることに気づきました。

私は理恵を、自分の思い通りの女性にしようとしていました。

つまり、私好みの人になってもらおうと願っていたのです。
モノの捉え方や言動について、私の考え方に同意し、同じ向きに歩んで、ついてきてもらおうとしていました。

それは結果的に理恵を束縛していました。同時に、願いとは異なる現状にイライラしていました。にも関わらず、「妻の好きにさせている理解ある夫」を演じ続け、結果的にストレスをためていました。それを察して、理恵も私から距離を置いているようでした。

このことが、私たちの身に起きる様々な現象に関わっていたと思います。例えば今回の事故もその一つでしょう。

そこで、これからは理恵を手放すことにしました。これは「別れる」という意味ではありません。私の中で彼女を束縛している箍(たが)を外したのです。まずは気持ちの上でそのようにしました。言動とその結果についてはこれからだと思います。

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三つ目の手放しは、インターネットです。

ネットは今や生活の要の一つです。実際にネットが無ければ、今の【もりのいえ】の生活スタイルはあり得なかったでしょう。ネットを通して日々の暮らしが伝わり、関心を持って下さる方が訪れてくださったり、買い物をしてくださることで、私たちの暮らしが成り立っています。

ところが、気がつくと私はネットにかなり依存しておりました。特にFacebookはのめり込みやすく、気づけば何人ものページを巡ったり、自分の記事への「いいね」の数に一喜一憂しておりました。

その自分自身の姿は、まるでテレビの前に座り込んでいる人と変わりはありませんでした。「この作業(行為)は必要」という意識がどこかにあって、延々とパソコンに向かっておりました。

もちろんネットの利便性は認めていますし、現実に恩恵を得ています。ネットがなければ、今のように大勢の人びととつながることはできませんでした。でも、私が今生きる上で、本当に必要なものが他にあるのではないかと感じ始めました。

今年の夏前にインド・ラダックに三週間の旅をした際は、ネットも携帯も使わずに過ごしました。それはとても快適な日々でした。何よりも心が穏やかで、自然とゆるんでいくのを感じました。当たり前ですが、ネットが無くとも私は生きておりました。あの時の過ごし方を、今の暮らしに生かせないものだろうか?

そこで、まずはFacebookを開く時間帯を制限しました。夜間と早朝のみFacebookを開き、情報発信ややりとりをすることにしました。これだけで、日中の動きが変わりました。しょっちゅう画面をチェックする行為がかなり減りました。私は相当「チェック症候群」になっていたようです。

この先どうするかはこれからですが、パソコンに向かう時間を全体的に制限しようかと考えています。「そんなことをすると、やるべき作業が前に進まない」と感じているのは、実は私だけなのかもしれません。ともかく、ネットとの関係の持ち方を見直す上で、気持ちとしては「インターネットを手放す」ことを試みてみます。

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四つ目に手放そうとしているのは、【もりのいえ】です。

理恵と私が出逢い、将来を語り合う中で2004年に生まれたのが【もりのいえ】です。

【もりのいえ】は、私たち家族が暮らす“家”であり、人びとが訪れてくださるお店や宿所やイベント会場といった“場”でもあります。そして、私たちのライフスタイルそのものでもあります。

つまり、【もりのいえ】は私たちにとって生き方のよりどころでありました。

そしておかげさまで、今や別の場所を訪れても、「【もりのいえ】さんですね?」と声を掛けていただくようになりました。私自身、名前を名乗らずに「【もりのいえ】です」と自己紹介する時もあります。

このように【もりのいえ】は多くの実績を積み重ね、多くの恩恵を得てきたのですが、実はそこに落とし穴があるのではないかと感じ始めています。

まだうまく表現できませんが、「【もりのいえ】はあくまでも看板であって、私自身ではない」という感覚です。

例えば自己紹介の時に「○○会社の△△です」という表現が当たり前のようになされています。私もビジネス社会にいた際はそのようにしていましたし、今も「【もりのいえ】のまぁさんです」と言っています。

その時、相手に自分の所属と合わせて伝えることで、より具体的なイメージを持ってもらおうとする意図があるのですが、その行為を続けるうちに、その所属に依存していって、自分を見失ってしまうのではないかと感じ始めたのです。

【もりのいえ】をやめると言っているのではありません。ただ、当たり前のように過ごしていて、知らず知らずのうちに身近な周りの存在に依存している自分自身にまず気づき、それらを意識の上で手放そうとしています。

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上に挙げたものに共通しているのは、『これは手放せない』と思い込んでいただけでなく、むしろ生きていく上で、よりどころにしていた事柄です。

これらの手放しの結果、どのような変化が起きるかはまだ分かりません。ただ、もっと身軽に、もっと自然体に、もっと素直に生きようとし始めたことは確かです。

ともかく今の心情を記しておくという目的で、上の文章を書いてみました。