旧暦の新年を迎え、私の周りでは人々に次々とスイッチが入ったかのように感じています。
私もスイッチが入りました。昨年末頃から兆候が現れ始め、年始からずっと変化が続いていましたが、昨日までの熊野・伊勢を経て、いよいよ始まった感を確信するようになりました。
この流れについて、いつか書こうとしながら時が流れていたのですが、この機会に記しておくことにします。
★★★
ことの起こりは、昨年末に封切られた映画『妖怪ウォッチ』でした。
子ども達と観に行った先で、人生の大きな変化のきっかけを得るとは思いもしませんでした。
その映画では、悪役側に「キン・ギン」と呼ぶキャラが登場します。
彼女たちは滅法強く、闘いを挑む妖怪たちが次々に負かされていきます。
そこに登場したのが、イケメン犬でした。
相手を分け隔てしない彼は、いつもの通り、「キン・ギン」に対しても「ワンダホー!」と囁いたのです。すると、キンもギンも、あっと言う間に舞い上がってしまいました。
そのシーンを観て、私は大きなショックを受けました。
「お前はここまで相手を選ばないのか!」と。
彼の相手を選ばない姿は、私には「相手がどういう状態であっても構わない」という姿勢に映りました。
そして我が身を振り返るに、それまでも「どうでもいい生き方」を指向していましたが、現実には相手を選んでいる自分と向き合うことになったのです。
それから私は、言葉通りに「どうでもいい生き方」を意識するようになりました。
「どうでもいい」とは、投げやりな意味ではなく、「どちらになっても良し」という意味です。
つまり、人も物事も全て、善し悪しはない。正しいと悪もない。好きと嫌いもない。全てはただ在るだけと受け止め、受け入れるのです。
★★★
この生きる姿勢が如実に現れたのは、妻・理恵との関係でした。
ここ最近の私は、理恵に対して次のような図式で眺めていました。
【素敵な理恵(プラスの部分)】−【できていない理恵(マイナスの部分)】=プラスが多い理恵
そんなプラスの多い理恵を認め、愛する
これは一見、うまく収まっているように見えますが、実はとてもいびつな形式です。
つまり、常に私は【マイナスだと感じる部分】を我慢して目をつむっているのです。
そして常に、「こんな些細なマイナス部分に目を向けず、もっとプラスの部分に目を向けよう」と、自分に言い聞かせてきました。
これは相当に無理があります。そしてそんな私の姿勢は、当然ながら理恵にも伝わりますので、彼女は私に対して緊張するようになっていました。
ちなみに、以前の私はもっとひどく、「プラスは当たり前」という姿勢で、彼女のマイナス部分ばかりに目がいってはイライラしておりました。
その当時の理恵は、私に対して萎縮しておりました。
★★★
さて、「どうでもいい生き方」を本当に指向し始めた私が、理恵をどのように見るようになったかと言うと、まさにどうでも良くなったのです。
つまり、上に挙げた図式を放棄しました。
「彼女にプラスもマイナスもない。ただ理恵がいるだけ」だと、心から思えるようになったのです。
その結果、どうなったか?
本当に彼女が愛おしくなりました。
私の傍にいてくれることに心から感謝するようになりました。
そして今や私たちは、超ラブラブです。
★★★
そんな「どうでも良くなった」私が、次に目を向けたのが、子ども達や周りの人々、私と関わりを持ってくださる全ての人々との関係です。
その中でも特に大きな変化があったのは、「依存」との関係です。
私は、周りの人々が私に依存することに対して敏感で、それを拒否してきました。
例えば私の整体を受けて、劇的に改善された方が、「これからも私をみてください!」と熱い目でおっしゃるような時は、「あなたの人生はあなたのものです。ご自分のカラダとココロの状態も、ご自分でコントロールしてください」とお応えしてきました。
でも、周りから依存されることを拒否する私こそ、周りに依存していることに気づきました。そしてそのことはどうでも良くなりました。つまり、「依存/反依存(自立)」の土俵から降りたのです。
★★★
その意識状態になったことで、「あいまいコース」が生まれました。
「あいまいコース」とは、毎月一度、私と会っていただくことを決めるだけで、それ以外のことはその方の意向に合わせます。
会う時間帯は2〜3時間でも、一日や一泊二泊でもOKです。
会場も【もりのいえ】でも外でもOKです。
ちなみに今週の熊野・伊勢三日旅も、あいまいコースの位置づけでした。
最大の特徴は、私からは当初は目的を設定しないことです。つまり、何も考えずに会う。そのうちに目標が見つかれば、それに向かって考えるのもOKというものです。
これは、相手の方の存在そのものや意向をそのまま受け止め、受け入れるという姿勢です。この姿勢は、「どうでも良い」という私のスタイルが生まれたことで実現しました。
現在、5名の方と「あいまいコース」が始まっています。もちろん5名とも全く異なるパターンでのお付き合いが始まっています。
また確信し始めたことがあります。それは、どのような展開や内容であれ、その方とのパートナーシップを築きつつあるということです。
そして、各々の人生に、私もどっぷりと浸かります。その内容はとても濃く、深いです。つまり、私は「まぁさん」という人生を生きつつ、5名の方々の人生も共に歩んでいるかのような状態であるのです。
★★★
このような貴重な体験を始めさせていただく中、今回の熊野・伊勢の旅を迎えました。
今回、神社大好きの女性二人と旅をすることになりました。いわば「神社ガール」との旅です。そして当初、私自身については何かを期待することはありませんでした。
言葉は卑近になりますが、「熊野・伊勢に行きたい!という神社ガールのお役に立てば本望」くらいのノリでした。
それが、旅を進めるうちに、「これは我が身にとって大変なことになってきたぞ!」と身を引き締めるような事態になっていきました。
以下、私は、いわゆる「言葉が降りてきた」という表現は使いません。ただ、「そんな気がした」という意味合いで、「言葉が浮かんだ」と表現します。
最初にコトが起きたのは、大斎原(おおゆのはら)と呼ぶ地でした。現在の熊野本宮大社がもともと建っていた社地です。三本の川が合流する中州に十二社が建てられていたのが、洪水で八社が流れました。そして残った四社を外に移築した跡地が、大斎原です。
この大斎原で参拝し、【トーラス体操】をさせていただいているうちに、ある言葉が浮かびました。
「ここは私にとってのゴール(最終地)ではなく、入り口である。正確には、入り口につながる入り口、つまり門である」というものです。
そして、「入り口は大峯山である」と直感しました。
★★★
ここでお話は2年以上前にさかのぼります。
私は、ある場所で、現役の修験者と出会いました。
その出逢いは、私にとりとても大きなものでした。
まず、私自身が修験者である、あるいは修験者の質を持っていることを知りました。
そして、その修験者から、「いつでも大峯山にご案内しますよ」と約束されたのでした。
その時には、「いずれその時が来ましたら」とお応えしたのですが、今回、大斎原で言葉が浮かんだ時、「いよいよ、その時がきたのか」と感じたのです。
ちなみにその修験者に逢った時に、私は素直に質問しました。
「修験者って、何をしているのですか?」
その時、彼は明確に答えました。
「私たちは、人知れず、この世を守っているのです」
彼は続けてこう言いました。
「修験者とは、本来、孤独なのです」
その言葉を聞いた時、私は我が半生を振り返り、とても腑に落ちました。
同時にその言葉は深く、当時の私には重過ぎるものでした。
でも、その言葉が示す生き方を、私がする時が近づいたのかもしれない。
今回そのように感じました。
★★★
同時に、ある言葉が甦りました。
私はかつて、ある高名な占い師に診て頂いた際、次のように伝えていただいたのです。
「あなたは57歳の時に、人生最大の転機を迎えます」と。
その後、また別の方からも同じ様な言葉をいただき、「57歳よりも年々早まっていますね」とも教えてもらっていました。
私は私で、「それは53歳の時に違いない!」と直感していました。
私、現在53歳。来月に54歳になります。
「人生最大の変化って、何だろう? いつそれは起きるのだろう?」
実はワクワクしてこれまで生きてきておりました。
その人生最大の転換期が、いよいよやってきたのか?
「どうでも良い」生き方を本格的に指向し始めて、妻との関係が劇的に変化する中、「あいまいコース」を通して複数の生き方を同時にするようになった私が、これから先の人生で歩む道とは?
人知れず、人々を守る生き方?
つまり、私の存在や行為を知られることなく、家族を愛するのと同じ姿勢で人々を守り、導く生き方というものです。
★★★
熊野・伊勢の旅では、その後も様々な言葉が浮かびました。それらをまとめると、「急くことなく、自分のペースで歩め」というものです。
例えば、山に籠って「生きるとは?」と思念するよりも、「あいまいコース」でお一人ずつのリアルな人生と共鳴する方が、よほど強烈な修行と言えるかもしれません。
それが、「私なりの道を歩め」ということなのかなと感じています。
その上で、これから先、二人の方に逢っていこうと決めました。
お一人は件の修験者さん。
そしてもうお一方は、アメリカ先住民のシャーマン。
どちらもこれからのアプローチになりますので、一体どのような展開になるものかは分かりませんが、己の直感を信じて、この先も生きていきます。
ということで、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
旧暦の新年を迎えて、私の今の状態を記す事ができました。
そしてこれから先も、今生を生かされていることに感謝して、生きていきます。