おはようございます。
昨夜は、私の父が倒れました。
そのことについて、大勢の方が見守ってくださり、ありがとうございました。

父は、入院直後は体を痛がったり、意識がもうろうとしておりましたが、大事にはいたらず、やがて寝息をたて始めました。

私はそれを見届けた後、両親宅に一人で戻り、一夜を過ごしました。

数年前に脳梗塞を患い、老人施設に住まう母には、今回のことはまだ知らせていません。心配性な人なので、父の状態がもう少しはっきり分かってから知らせることにします。

帰宅後の私は、遅い食事をいただいた後、ともかくも床につきました。
今朝、両親宅から望む朝日を眺めつつ、浮かんだことをここに記しておきます。
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こうして朝日を照らしてくれている太陽は、半日後には夕陽を浴びせつつ沈んでいきます。

そんな朝日を照らしてくれている太陽は、まさにこの瞬間、別の場所では、夕日を送ってくれてもいます。

同じ太陽の光は、受け止める場所によって、朝日にも夕陽にも映ります。

そのことをしみじみと感じ入っていました。

同時に親父との出来事がいくつか思い出されました。

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私が高校二年生の頃でした。

当時、商売が立ち行かず、後で聞くと、一家心中を考えていたらしい父は、「死ぬまでに一度、海外を見ておきたい」と願い、有り金を握りしめて、私たち家族と共にハワイ旅行をしました。

そして「もうこれで悔いはない」と帰国したら、大量に注文が入っていて息を吹き返したそうです。

よくぞその時に無茶をしないでくれました。

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また、1997年の初春、私が八ヶ岳に移住して間もなくの頃、アメリカに団体旅行をしていた父が、帰国途中に機上で倒れ、急遽アンカレジに立ち寄り、一人降ろされて入院したとの連絡が入りました。

「ともかく父を迎えにいく」

ただそれだけの思いで、アラスカまで向かっていた時、「私は父に何を恩返ししてきただろうか?」と悔いていました。

無事、現地で父と再会し、大阪まで連れ戻った時の、母の嬉しそうな顔と言葉は今でも覚えています。

「生きておればこそやなぁ。ありがたい。」

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やがて私は理恵と共に岐阜に移住しました。

その様子を見て、「わしらの一人息子は、もう大阪には戻ってこないだろうから、わしらの方から岐阜に行こう。その方が、いざという時に、すぐに駆けつけてくれるだろうし。」という思いから、70歳を過ぎて住み慣れた大阪を離れ、岐阜に移住してきた両親。

まさにその、いざという時がやってきたのだなと受け止めています。

おかげで、父が病院に運ばれた直後に、私は駆けつけることができました。

救急治療室で、意識がもうろうとしながらも、あれこれと身の回りのことや、明日の予定を心配する父の頭に手をあてて撫でつつ、「他のことは何にも心配いらないから。今はゆっくりとおやすみ」と声をかけました。

思うに、私が父にそういう態度をとったのは初めてかも。

9歳で母と死に別れ、4人の弟たちを育てつつ、ずっと苦労を重ねてきた父。それでも気丈に生きてきた父は、私にそんなことをさせませんでしたからね。

さて、これからは私が両親をみていく番です。これもまた、私の人生の、大きなお役目の一つでしょう。

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一つ、お知らせです。

本日、名古屋でのイベントに出店予定でしたが、今回はキャンセルさせていただきました。ご了承ください。

それでは、今日という日を生きていくことにします。