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昨晩、「ケベック交流会第1回理事会」なるものが開かれ、
私も呼ばれて行ってきました。
その会場が「タッチ」という店だったのですが、
地元の人間がその名を聞けば、
「成程、『会』の名を語った飲み会か。」と納得してしまうような状況です。

実際、その会に参加するうちの4名の奥様方は、
「全く、なんだかんだ言って飲みたいだけなんでしょ?
だったらその時に私たちも集まりましょう!」ということになり、
我が家で薪ストーブ・ピザパーティを開いておいででした。

さて時刻に会場に着くと、集まったのは私を含めて7名。
加子母の文化スポーツ課長さん、行政の担当でU太の同級生・ゲンタロウ君のお父さん、
地域の英語教師で先日一緒に飲んだジャスティン、中学校の校長先生、
天声人語にも紹介された地域新聞「かしも通信」の編集長、
そして笛のライバル・ショウゴ君です。
(ショウゴ君は中国語、奥さんのヒロコさんはフランス語を話せるという、
バイリンガル夫婦です。)

最初に、ゲンタロウお父さんからこれまでの経緯説明がありました。
2003年秋 日本人アーティスト59名が、カナダ・ケベック州サンソーバーという町で、
「第1回サンソーバー・日本彩り祭」に参加。町をあげて歓迎してくれたそうです。
2004年春 サンソーバーの町から60名のアーティスト達が来日。
彼らを呼んだのは大阪のアーティスト達でしたが、受け入れ態勢が十分でなく、
困っていた時に助け舟を出したが、加子母・N工務店のN社長。
全員を加子母に受け入れて、地域の人々と交流を深めました。
2004年秋 その歓迎に感激したケベックの人々が、
今度は加子母の人々を招待しようと言ってきたのですが、こちらの調整がつかず、
N社長夫妻のみが訪問。
その時に、「これから先、毎年かわりばんこに訪問しよう。
その地域に行くまでの旅費は自費。到着後の経費は受け入れ側が負担する。」
という約束が交わされました。
2005年春 音楽家を中心に30名が加子母に滞在。
明治座でのジャズコンサートなど、より深い交流がなされました。
2006年秋 今度はこちらから行く番でしたが、日程などが合わず、誰も行けませんでした。
2007年秋 「そちらが来ないのならば、行けない」という返答が来ました。

さて、「このままでは、一旦育ちかけた交流の芽が摘まれてしまう。
どうしたらよいか?」を考えるのが昨晩の議題でした。
ゲンタロウお父さんとジャスティンがそれぞれのプランを発表。
(これまでこの交流は二人が支えていたのです。)
要は、「加子母に受け皿(組織)を作って、地域の人材や資金を確保し、
交流を継続したい。」というものでした。

でも問題点は、
「受け入れるのはまだしも、ケベックに行くとなると最低一週間はかかる。
それだけの休みを取れる人が加子母にそうはいない。」
「旅費だけとは言っても、2年毎に誰かが行くような資金を貯めるのは大変。」
「どうやって人数が集める?」
「サポーターやスポンサーを増やしたいが、どうすればいいだろう?」・・・
いろいろ出てきます。

一通り説明を聞いて、私は「このままでは無理だな。」と感じました。継続性がないです。
・まず、相手は主にローレンシャン地方と呼ばれる、
世界でも有数の紅葉で有名な地域ですが、
広くケベックという一つの国レベルの地域から人々が集まるらしい。
かたやこちらは、岐阜県の、中津川市の、そのまた一地域の加子母です。
物事を対等にやりとりするには負担のかかり方が違い過ぎます。
一言で言うならば、「加子母はケベックを背負えない」ということです。
・「旗印」がない。「互いの交流を継続する」というだけではきっと息切れします。
・上に挙げた中で、特に「時間」が問題です。
そんな時間を取れる人が、2年毎に加子母で大勢出てくるとは思えません。

感じるままに上の内容を話したところ、
皆さんも「そうだよなぁ。無理があるよな。」と困り顔。
沈滞ムードになりかけたところを救ったのが、編集長の一言でした。
「私はやっぱり『アート』という切り口を生かすべきだと思う。
それに、何も加子母だけにこだわることなんてないじゃないか?
海外で発表したいアーティストは一杯いるけど、金が無くて困っている。
でも旅費さえ出せばチャンスがあるとなれば、乗ってくるんじゃないかな?
そしてそのツアーに加子母の人々が便乗すればいいじゃない。」
それを聞いた時、一筋の光が見えました。きっと皆さんも同じだったと思います。

その話を受けて、私が続けました。
「加子母の組織が事務局になって、全国のアーティストに声かけしてはどうでしょう?
つまり、「加子母発、全国のアーティストたちよ、一緒にケベックに行こうよ!」です。
旅費は各自負担。日本側の段取りは加子母がやる。
現地での滞在費はケベック側がみてくれるとなると、
確かにアーティストには魅力的なはず。
そして、特に加子母の子供達が一緒に行けるとなると、国際交流だけでなく、
国内のアーティストたちとの交流で刺激を受けることができますね。」

それまで、「どうせ行くなら中学生くらいの方がいい。」と会話していたので、
校長も「それはいい。そういう大義名分があれば、子供のために親も金を工面するぞ!」
と乗り気です。
ショウゴ君「受け入れる場合は加子母がやるということで責任は果たすし、
都会の組織ではできない交流ができますよね。」
私「そのことで、国内のアーティストたちが加子母にやってくるきっかけも掴めるし。」
編集長「そう。アーティストにとって、加子母って魅力だよ。
こういうことを私はしたかったんだ。」

私「そういうことならば、マスコミ受けするかも。
それはそれで広報活動の一環と受け止めればいい。
それに、今企業はCSR活動をしたがっているから、
うまくリンクすれば企業スポンサーが見つかるかもしれない。
そうなれば旅費や会の運営費についても、若干の余裕が生まれてくるかもしれません。」
文化課長「なるほど。加子母から日本を語るという発想はなかった。面白いね。」

ということで、一気に場が盛り上がり、ようやく乾杯が始まりました。
名物料理ケイチャンも登場し、和気あいあいに。
その後も真面目に「これからどうするか?」と議論しながら宴は過ぎました。

私は特に国際交流に関して持つ持論があります。
「世界の中心はどこか?ニューヨークでも、東京でもパリでもない。
今、自分が立つ位置が、世界の中心である。」というものです。
これは決してオゴリでもなく、ホラでもないです。

リンゴに爪楊枝が一本刺さっている図をイメージしてください。
爪楊枝はあなた自身です。もちろんリンゴは地球。
「どこにいても、自分は地球にすくっと立っている」
という意識を持って、世界と接したいです。
特に最近のネットの発達が、その行動を可能にしました。
だから今回のプランについても、私はその姿勢で臨みたいです。

加えて、先日地元の経営者の方々にもお話した「エリア・ブランディング」の考えも、
今回合わせてさせていただきました。
「地域全体のブランド力を上げる。」
今回の国際交流もそのための大きな柱になりうるはず。

さぁ、今回見えた一筋の光。これを具体化していってこそ意味があります。
それには紆余曲折があるでしょうが、
「ともかくこういう会を続けましょう!
そしてビジョンをまとめ、趣意書を作りましょう!」と決まりました。
かの湯布院も、「ダムに沈む」という危機の中、
地元の有志が毎晩のように語り合っては様々なアイデアを実践し、
今の姿を築き上げました。
加子母も是非そうなってもらいたいです。

このように、「どうせ酔っ払って朝帰りでしょ。」という奥様方の予想に反して、
とても真面目に、しかも10時に解散して帰宅した私たち。
短い時間でしたが、とても有意義な時を過ごせたと私は感じました。
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