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本日、私、誕生日を迎えました。
47歳になります。
こんなオヤジが今更「わ~い、誕生日だ~!」などとはしゃぐこともないので、
淡々と迎えております。

ただ一つ、この期に及んで気づいたことがあります。
「47歳は50歳の一歩手前だ」と。
これは46歳の時には無かった感覚です。
それが証拠に、皆さんにも質問してみましょう。

「26歳のあなた、自分が30近いと実感できますか?できないでしょ?」
「27歳のあなた、ほらもうすぐ30が見えてきた。」
「36歳のあなた、まだ自分は35前後だと思っているよね?」
「37歳のあなた、やばっ!もうすぐ40じゃないか!と思いませんか?」

とまぁ、誘導尋問のようなものですが、
私は「ついに50が見えてきたなぁ~。」と実感しておるのであります。
でもそれは嫌で言っているのではなく、ある種の充実感です。
「こんなハチャメチャな人生でも、生きてこられたんだなぁ。」という実感。

そして晴れて50が見えた今日、新たな誓いを立てます。
それはこれからの私の人生の指針です。
その誓いとは、
「老後を意識して生きる」ということです。

「何を言っとるんじゃ、お前は!」との声が聞こえてきそうですが、
本人はいたって真面目です。
というのも、「どんな老後を過ごすか?」は、
当の老人になってからでは遅いからです。

私が願う老人像とは、『語り部』になることです。
「何が食べられるのか?」「どう調理すればいいのか?」
「何に効くのか?」「こんな時にどうすればいいのか?」
「かつてどのように言い伝えられてきたのか?」・・・
つまり、「どう生きればいいのか?」について語れる老人になりたいのです。

語り部になるには、それなりの体験と知識と表現力が必要です。
それを考えた時、今からその支度を始めても遅いくらいです。
別の表現をするならば、「インディアンの長老になりたい!」という気分です。
あるいは、「『もののけ姫』のおばばになりたい!」とも言えるでしょう。

ここに一冊の本があります。
『レインボー・バレー・ファーム』を去る時、ジョーが与えてくれた本です。
東チェロキーの山中における著者と祖父母との生活をつづった自伝的な回想録。
これこそ私が求める世界観の一つです。

リトルトリー

この時、ジョーはどういうつもりで渡してくれたのかは分かりません。
でも私は勝手に、「お前なりの行き方をしてみろ。」と
示してくれたものだと捉えています。

そのジョーも先日亡くなりました。
彼自身にとれば、「志半ばにして」という思いだったかもしれませんが、
それでも彼の残した軌跡は私たちに多くのことを語ってくれます。
私もそうありたい。

そんな気持ちを込めて、47歳の日に改めて宣言します。
「私は語り部になるべく、老後を目指します。」

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